11月24日(金) 19:00開演 サントリーホール (東京) プログラムA
モーツァルト/交響曲第29 番イ長調 K.201
ベルク/オーケストラのための3つの小品 op.6
ブラームス/交響曲第4番ホ短調 op.98
指揮:キリル・ペトレンコ
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
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海外オーケストラの来日公演においていよいよ真打ちの登場です。
待ちに待ったベルリン・フィルの登場です。
多くのファンが熱望していたコンサートです。カラヤンのオーケストラという言い方もかつてはできましたが、カラヤン離脱以後もその光が消えることはありません。アバド、ラトルに続きペトレンコを音楽監督に迎えました。
ベルリン・フィルファンの端くれとして、ラトルが音楽監督に就任したときはびっくりしましたが、ペトレンコはさらにびっくりしました。
ロシア人がドイツ音楽の殿堂に入ることにたまげましたが、就任当時このマエストロの経歴をみるとまんざら間違いではないとも思いました。18歳でオーストリアに移住しており、さらにウィーン国立音楽大学で指揮を学んでいます。アバドやメストも卒業生であり、ドイツ音楽をきちんと学ぶ機会を有していたことを理解しました。
既にバイエルン国立歌劇場の音楽監督も務めていたことから、フロックではないのだということも痛感しましたが、日本では直接的にこのマエストロの演奏する機会を得ることができないでいました。
僕の記憶で最初に出てきたのは、2009年に小澤征爾さんがウィーン国立歌劇場で「スペードの女王」がキャンセルになった時の代役でオーケストラピットに入ったことです。
2017年の来日時は残念ながら用事があってバイエルン国立歌劇場の演奏が聴けませんでした。
そういう意味でも注目していました。
一方、ベルリン・フィルの演奏はラトルによるラフマニノフの交響曲第3番を演奏した2017年以来6年ぶりのことです。
ラトルは合計7回同オーケストラと来日していますが、そのうち4回5公演を耳にしました。
そのうち、1回は2008年兵庫県立芸術文化センターでのもので、席がオーケストラからかなり遠くて細かい表現がわからなかった記憶があります。せっかくのブラームス交響曲第1番と第2番ですけどね。
今回はベルリン・フィルの十八番(おはこ)中の十八番を引っ提げて来日しました。
この日はモーツァルト、ベルク、そしてブラームスの第4番です。
この演目最終日(11月26日)にも演奏されますね。天皇陛下が指定席RBの一番前においでになっていましたね。
コンサートマスターは6月に就任したばかりのヴィネタ・サレイカ=フォルクナーさんでした。コンマスのとなりに樫本さんが座る格好です。
ベルリン・フィルの弦って日本人(出身)が活躍していますね。
第2ヴァイオリンのトップにマレーネ伊藤さん、ヴィオラのトップは清水直子さんです。
彼ら、彼女らだけが決して特別ではないと思うので、日本のオーケストラの弦楽器のところに座っていらっしゃる方々も相当なものなんだと思いました。
なお、コンサートホールでNHK交響楽団のコントラバスを弾かれている矢内陽子さんをお見かけしました。
翌日にはさらに声に特徴のある音楽評論家の金子建志さんが立ち話されているのを耳にしました。相変わらず良いお声ですね。
モーツァルトの交響曲第29番ですが、カラヤンの音づくりと比較し、全く別物になっていますね。
カラヤンの演奏はもっときらびやかで高音が響きましたが、ペトレンコをずっと重心が低く、渋めの演奏です。
指揮もとても曖昧で、打点というか始点がよくわからない指揮をしていました。
この日の演奏はNHKが放映に入り、来年1月以降に放映するそうですから、再度確認したいと思います。
というのも、ベルクとブラームスはもっと的確な指揮をしていたので、モーツァルトだけ独特の指揮をしていたように思います。
2曲目はベルク。この曲を海外公演に持ち込んでくるのはこのオーケストラぐらいではないでしょうか。
小品とはいえ、編成は逆に大きく、オーケストラにとってオーケストラにとって困難な曲ですですが、ベルリン・フィルは既に古典として扱っていますね。
聴きどころが非常にわかりやすく、美しい音楽を苦も無く再現してくれました。
ここで、『ブラボー糞親父』が演奏終了と同時に発声。LAかP席あたりから発声していました。
主催側の「指揮者がタクトをも完全に下ろしてから拍手して」というアナウンスを何度も行っているにも関わらずの愚行でした。
最後はブラームスの交響曲第4番です。よくぞこの曲を持ってきてくれました。2017年来日時も同曲を演奏してくれました。当時は東京近辺の公演は3公演(サントリーホール2、ミューザ川崎1)しかなく、チケット確保がまるでできませんでした。この演奏はSACDで販売もされていて、今でも聴けます。ベルリン・フィルは各奏者とも目をつぶっても演奏できる演目でしょ。
聴衆の緊張感もピークですが、通常の在京オーケストラと客層が明らかに違います。
正装で来られた客の比率が高く、僕の両側のお客も、席に座られてから周りをキョロキョロされていました。きっと地方から来られたお客でサントリーホールを見回すキョロちゃん行動をとったものと思われます。
片方の男性は前かがみ行動をやたら取られ、大変に迷惑でした。
こちとら、指揮者の表現を見たいのですよ。
曲は異なりますが、先週ウィーン・フィルの演奏でブラームスの1番を聴きましたが、曲の再現方法が共に伝統あるオーケストラですがまるで異なります。
ウィーンがフレーム(曲の枠)を大事にするのと比較するとベルリン・フィルは音をそれぞれのパートが緻密に積み上げ、究極の合奏に仕上げます。
勢いで曲を押し切るのではなく、フレーズの連なり、楽器間の共通性をきちんとバトンでつなぎ、壮大な大河ドラマに仕上げていきます。
オールスターと呼べる各奏者が他者の演奏を聴き、自分の音を究極に仕上げていました。
この席に座って聴いていることが奇跡のように感じました。恐ろしい合奏能力です。
ですから、ベルリン・フィルが定期に招く指揮者もそのことを大事にしてくれる指揮者が多いですね。
その類で最も頭に浮かぶのはダニエル・ハーディングですが、ベルリン・フィルはシェフに選びませんでしたね。かつて小澤征爾も選びませんでしたが、ともにオーケストラに対して緻密に音を構築し、楽団員太刀に対しても友好的な指揮者ですが「選出当時」において、オペラをあまり軸に置いていないことが共通点かなと思いました。こののオーケストラはオペラを主軸にする集団ではないですが、オペラをきちんと振れる指揮者は大事な意味があるような気がします。
ペトレンコの指揮はモーツァルトと異なり、その後の2曲、さらに翌日の2曲も非常に的確で優雅な振りをしていました。音の流れがわかりやすく、変な癖もなく演奏者にとっても望ましい指揮ではないでしょうか。
ペトレンコは指揮の途中で左上の方をぼおっと見る癖があります。それがたびたびあり、指揮の特徴でもあります。
指揮の内容も変な拍子や音の動きを変えず、真摯な演奏を展開していました。言うことないですね。
やはり、聴きに来て良かったです。
アンコール曲はなしでした。もしかしてと期待していたのですが、ハンガリー舞曲はなしでした。チンケな事はせず、プログラムを完全燃焼させたということですね。
土曜日の演奏会に続きます。