2025年11月15日(土)16時開演 サントリーホール大ホール
ウィーンフィルハーモニーウィークインジャパン2025 東京公演3日目
ブルックナー交響曲第5番変ロ長調WAB.105
クリスティアン・ティーレマン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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ウィーンフィルの来日公演で聴きたい指揮者が二人います。
1人目はメスト、そしてもう一人は今回のティーレマンです。僕の中でティーレマンはカルロス・クライバー的天然記念物になっています。
振る曲を選びますが、選ばれたものはどれもとんでもない仕上がりをします。
数年前、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の来日公演でバレンボイムがキャンセルになりティーレマンが代役でブラームスの交響曲を振ってくれたことについて、通常は残念な状況が多いのですが、この時は損したどころかもうけた気分になりました。
バレンボイムはバレンボイムで良かったのですがティーレマンになって本当にラッキーと思いました。
今回も選ばれた曲はブラームス、シューマン、そしてブルックナーとウィンナーワルツでした。ティーレマンならではの演目で、さらにウィーン・フィルの重要なレパートリーでもあります。
これにベートーヴェンとリヒャルト・シュトラウスを加えたら、ティーレマンの扱う管弦楽作品の約7割を網羅します。
彼のレパートリーの中でモーツァルトはほとんど振っていないのは驚きです。
こういう、音楽を選び、またそれが成立する指揮者がこの時代に存在することは、嫌味ではなく素晴らしいことです。
今は何でもできる指揮者で、さらにマーラーもできることが求められますが、このマエストロはマーラーは振らないし、ロシアもの、フランスものも全然やりません。
ティーレマンの「ラ・ヴァルス」や交響詩「海」を聞いてみたいと特に思う人もいないですよね。いるのかなあ。
フルトヴェングラー→(クナッパツブッシュ)→(ベーム)→チェリビダッケ→シュタインやサヴァリッシュ→(ヴァント)→バレンボイムの「ドイツがちがち系譜」に属するのでしょうかね。
この日のブルックナーの第5番ですが、マエストロにとってとても大事な曲です。
ずっと記憶しているのですが、2004年にミュンヘンフィルの音楽監督になったときに最初に振ったのがこの曲です。合わせてこの時録音もしています。チェリビダッケの後、ここのシェフなった際、チェリビダッケの十八番だった曲を就任の音楽としてあえて選んでいます。ブルックナー指揮者としての後継者を主張したと言っても過言ではないです。
ティーレマンがオーケストラを引き連れて来日公演を実施する場合、結構な確率でブルックナーに出会えるのでファンをわくわくさせます。
僕としては前回、ドレスデン国立歌劇場のオーケストラ公演で聴いて以来、このマエストロのブルックナーを久々に聴くことになりました。ちなみに最近ドレスデンは来日してくれないので少々残念です。近場では中国には行っているみたいですが、日本ではお客が入らないのでしょうか。
今回来日の演奏会について、同曲は大阪で1回、サントリーでも週初めに1回やり3回目になり最後の公演ですが、ウォーミングアップは万全だと思いますので相当期待できます(先の2回も素晴らしかったのでしょうけど)。
指揮台には当然のように譜面台がありません。
この曲を暗譜で指揮する指揮者を近年全く見かけません。当然この曲を振りこんでいる指揮者もこのマエストロ以外いません。現存する指揮者でブルックナー指揮者は目にしなくなりました。
近年の大曲演奏において、マーラーを振る指揮者は世界中に多数存在しますが、ブルックナーを演目の中心に据えている指揮者は多くないですね。昔は来日しない職人指揮者がヨーロッパに結構いましたが、今頃は在京オーケストラも鵜の目鷹の目で指揮者を呼びますから、珍しい職人指揮者を探すこともむずかしくなっています。
今シーズンで東京交響楽団を去るジョナサン・ノット氏は英国人でありながら、結構の頻度でブルックナーを取り扱ってくれる稀有な指揮者です。
さて、演奏会の中身ですが、ウィーン・フィルの団員が会場に現れると、コンサートマスターは(とても怖い顔の)ライナー・ホーネックさんと新たにコンマスになったヤメン・サーディのお二人が並ばれました。
例によってチューニングはオーボエに任せずホーネックさんが自分でA音を出します。昨年もそうでしたし、先月ウィーン国立歌劇場が東京文化会館のピットに入った時も儀式的な対応はなかったです。
ティーレマンが指揮台に立つと、いつものように無言しばらく立ったままでした。
会場の雑音確認なのかオーケストラの確認なのかはわかりませんが儀式のようです。
第1楽章と第4楽章は同じ立ち上がりでこの曲の骨格ですが、ティーレマンはピッチカートひとつも本当に重要に扱います。
ワルターがマーラーの5番の第1楽章のピッチカートを大事に扱う(楽譜ではフォルテですが多くの指揮者は大体ピアニシモぐらいで軽く音出しをします)のと似通っています。
「音楽通(痛が合っているかも)の人」によると「精神性」というやつなのでしょうか。
昔から「精神性」という言葉が大嫌いでしたが、バレンボイムがベルリン国立歌劇場管弦楽団と来日公演でブルックナーの全曲演奏を大部分聞いたとき、言葉を置いといて、「絶対的な音」を時間の中で集約して捻出するということには若干、「寛容的な気持ち」になりました。
いまだにフルトヴェングラーの精神性云々をほざく(失礼、おっしゃる)方々に対しては同意はしませんが、純音楽を追求するということについては、ギリギリ肯定的な気持ちでいます。
この「精神性」という異常な単語はフルトヴェングラーと「戦時下の極限性」がごっちゃになっていることが多く、ナチにつながる可能性があり、危険性をはらんだ文字だと思っています。大戦以前に音楽に対して精神性をどうとらえていたのでしょうか。
さて、ブルックナーというと、ブルックナー嫌いの方々から「ブルックナー休止は理解できない」という言葉が今もあります。経験的にかつて女性の音楽ファンからよく聞く言葉でした。流れるようなショパンの音楽からすると、情熱的に音を盛り上げた先が「いきなり休止はないでしょ」、「もっときちんと集約するなり、昇華させるなりという方法はないの」ということです。
僕も中学生時分ようりブルックナーを聴き続けていますが、確かに聴き始め当初は「なぜここで音を止めちゃうの」という気持ちがありました。特に上にティ-レマンのレパートリーにマーラーがないのでも書きましたが、マーラーは音楽の推進性が半端ないですね。展開がどんどん変化し、そのどれもが旋律として成り立ち、いつまでも変幻自在(それこそ精神が揺れながら)に息が長く大団円に向かっていきます。
病的な音楽です。
ブルックナーは、これもやはり病的な音楽ですね。延々と息の長いフレーズを途中で止めながら繰り返すスタイルは尋常ではないです。
ティーレマンの指揮で聴くと、ブルックナー休止が全く気になりません。
この人、ブルックナーの譜面の読みが優れています。音楽の本質を的確に理解し、なぜ休止するのかを明確に理解し、音としてきちんと表現します。天才ですよね。
チェリビダッケのライブがどうだったはわからないのですが、少なくともこの大マエストロの「展覧会の絵」はFMをライブで聴いていましたが、当時も今も全く自分の感性に触れません。あの柔軟なロンドン交響楽団が完全に参っているのが聴いていてよくわかりました。
ティーレマンの輩出する音楽はまさに論理的でした。そして、聴いている最中、このオーケストラがウィーンフィルであるのを忘れてしまいました。
ウィーンフィルがティーレマンのタクトに下僕のように追随し続けていました。これは事件ですよね。
ブラームスを指揮した時(今回のウィーンフィルの時ではなく)、マエストロは両手で縦振りに徹していましたが、この日は右で棒を振り、左手でなんと指でオーケストラに対し要求を出し続けていました。
このオーケストラにそこまで要求する指揮者を見たのはいずれも故人ですが、マゼールとジュゼッペ・シノーポリ以来です。なお、マゼールはもう少し柔らかくでしたけど。
ただその要求は第1ヴァイオリンが並ぶライナー・ホーネックさんを含めてというのに感激すら覚えました。
そして第1ヴァイオリンの最後列までが必死に弓を弾いているのにも感動しました。
ホルンがすごかったのはもちろんです。オーボエもクラリネットも完全な演奏でした。
曲の構成をいうと、以前の「作為的」な部分が完全になりをひそめました。冒頭からテンポがゆっくりと展開するのですが、ただ遅いわけではなく、必要に応じて標準?のテンポになりました。
2楽章、3楽章とも歌わせるとことは、たとえば2004年の録音とは異なり、音が有機的につながっていました。
とりわけ、第4楽章の最終部分は極端にゆっくりしたものではなく、スムーズに音を流しながら「ため」を作って仕上げていました。手元で演奏時間を確認すると約78分で、標準よりほんの少し遅い程度なので、一般的にも聞きやすい演奏だったのではないでしょうか。ティーレマンは今も進化していると感じました。
これだけの演奏を聴かせてもらえるとは思いませんでした。ベルリン国立歌劇場やドレスデン国立歌劇場でも同様な音を出しているでしょうけど。
特にこれ以上の言葉はありません。金管が3次元に音を出し切るのを聞いて、日本のオーケストラでは聴けない音だなあとぼんやり思いながら聴いていました。
もしかするとティーレマンが指揮したらN響や都響は同質の音を出すかもしれませんね・・・・・しらんけど。
この演奏で、久しぶりに放心状態になりました。感謝します。
演奏終了後、マエストロも満足されていたようです。何度か会場に出てくる最後、多少小走りで指揮台に「ドン」と飛び乗り、子どものように喜ぶ(はしゃぐ)行動を取られました。
この人おっかない顔して茶目っ気がありますね。
そして同じ拍手時に会場拍手の渦中、ティーレマンがオーケストラ皆さんを立たせようとすると、「あのホーネック」がオーケストラを立たせず、ティーレマンを観客に向かうよう促しました。
日本のオーケストラのコンサートマスターであれば日常のことですが、ウィーン・フィルで初めてこのような行動を見ました。
この日テレビカメラが入っていましたから、後日映像で見ることができるかもしれません。
これらの行動で、この日の音楽の出来を表現できるでしょう。
来年はメストの指揮で聴きたいです。ベートーヴェンを除くドイツものが。
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