アメリカンドリーム・ジャパニーズドリーム
清水倫理法人会で、講話をさせて頂いた。
題名は「ラッキーマンになるには」だが、実際は、「私の夢」の話である。
「小学生の頃、将来なりたいと思った夢はなんですか」と問いかけてみると、色々な返事が返ってくる。
今日は、「新型のウイルスに対処する特効薬を開発し、ノーベル賞をもらう」のが夢だったと言った人がいた。
実際には、かなり別の道を歩いたようだが、立派な大人に成長したのは一見してわかる。
トランプ氏が大統領に決まった。トランプ氏はある意味アメリカンドリームの具現者であろう。
では、ジャパニーズドリームって何だろう。
日本の子ども達に夢はあるのか。
格差社会の中、日々の暮らしに事欠く親から育てられた子どもはどういう夢を持つのだろう。
子ども達が夢を持てる社会を作るのが私の夢である。
国の借金が9月末で1062兆円、一人あたり837万円。
気が遠くなるような数字で、現実味がわかない人がほとんどだろう。
財政再建は急務だけれども、子どもへの投資だけは減らさない国づくりをしていきたい。
トランプ氏と赤木智弘氏
米大統領にトランプ氏が決まったと報道されたとき、一番に思い出したのが、「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か(赤木智弘 双風舎、2007)」だ。
赤木氏はもちろん、本当に戦争を望んでいるわけではない。ただ、「戦争が起こらなければこの国は変わらない」、固定化された階層も変わらないと言っているのである。
この意識、「今のままでは俺たちに未来がない」という正直な気持ちが、アメリカでトランプ氏を大統領に押し上げたのは間違いないのではないか。
「米国益が常に最優先」と公言するトランプ氏は、世界のリーダーとしてのアメリカの終焉をものがたる。
では、日本はどうする。
私は、世界から尊敬される国とは、自国の意思を、もっともっときちんと表明していける国であると思っている。
いままでは、アメリカに追随し過ぎた。もちろん、アメリカはある意味、尊敬すべき国ではある。
ただし、アメリカ人からみても、日本は何を考えているか判らない国であろう。
アメリカとの友好を第一に考えながらも、もっともっと日本の主張をきちんと公言できる国を目指していきたいと考えている。
安倍総理の所信表明演説を聞いて
安倍総理の所信表明演説を聞いて最初に思ったこと。
それは、「国民は、安倍総理が思うほど明るくはないぞ」ということだった。
参議院選挙で示された民意が、「この道を、力強く、前へ」であったとの総括。
「違うんだなあ」と思わざるを得ない。
有権者は、「将来に対する不安」をかなり感じている。
しかし、それをどうしたらよいのか分からずにいる。政治に期待するのを止めている。
その民意の結果であり、「この道を、力強く、前へ」ではない。
その国民の不安・迷いを払しょくできるのは、大言壮語ではなく、もっともっと現実を直視することではないか。
国の借金、年金制度の崩壊、地方消滅、これらをどうしていくのか、もっともっと厳しい現実を突きつけて皆でなんとかしていくという方向にもっていくべきではないか。
安倍総理の言葉だけが躍った所信表明演説に思った。
殺人ロボット兵器
幼いころ、未来都市の要素だった自動運転する車も実用化しだし、映画などでおなじみの殺人ロボット兵器まで、現実化するところまできているのだ。
「兵士」の命を気にしなくてもよくなる戦争が起こるかもしれない。
日本はロボット大国である。これからの日本はロボット技術の発展にかかっていると言っても過言ではない。
将来、セキュリティーの場面では、AIを搭載したロボットが活躍するのは間違いない。
その時、どこまでで線を引くのか。倫理にもかかってくる。日本はここでリーダーシップを発揮しなければいけない。そのリーダーシップを取れるか。将来は政治家の決断にかかっている。
オリンピックと部活
えられるということでしょうか。
選手の頑張りをみると、自分まで熱くなってきます。
さて、体操の選手を観ていて思うのは、選手の親が元体操選手だったりして、小さいころから親の指導を受け成長した選手が多いことです。それを見るにつけ、監督の大事さを感じるところです。
日本のスポーツのすそ野は学校のクラブ、部活活動だと思います。ただ、残念ながら、これらの指導者は学校の先生がほとんどで、その競技の素人だったりします。そして、学校の先生は、学科の教え、生活指導など、多岐にわたる指導から、休みがない日々が続くとも言われています。
現在、プロがないスポーツは、多くの一流の選手が、指導という場から離れてしまっています。これからの日本の部活動においては、学校の先生ではなく、その道の一流の元選手にお願いするべきではないか、それが子どもにとっても、忙しい先生にとっても大事なことではないでしょういか。
これらの仕組みを確立していけたらと思っています。
投票に行かない人はもてないぞ!
今回の選挙から、18歳19歳に選挙権が認められることになりました。
「18歳選挙権!」と大きくマスコミで取り上げられていましたが、蓋を開ければ18歳は51.17%、19歳は39.66%で、注目された割には投票率は低調だったといえるでしょう。
数でご高齢者に負けるのに、投票率でも負けてしまっては、「自分たちの未来は暗いということが分かっているのか」と感じざるを得ません。
もちろん、未成年の子を教育してきたはずの親、そして、学校教育の問題が大きいので、18歳、19歳の方だけを責めるのではありません。
しかし、若い人たちが100%近く投票に行ってこそ、政治家が脅威を感じるのであって、自らその機会を放棄している人たちには、もっともっと考えてもらわなければなりません。
では、どうしたらよいのか。
今は、主権者教育の重要性が語られています。
もちろん、これはとっても大事ですが、時間がかかるという問題があります。
とりあえず、「投票に行かない人はダサい」「投票に行かない人はもてないぞ!」という風潮を作っていくのはどうでしょうか。
参議院選挙を終えて・・憲法論議
参議院議員選挙が行われ、改憲勢力が全議席の3分の2を超える結果となりました。静岡選挙区では、最初から結果が分かっていた選挙と言われていたため、盛り上がりに欠ける選挙となりました。
選挙期間中、野党勢力やマスコミは「安倍総理は改憲について、論点隠しをしている」との批判を行っていましたが、有権者の方々は、それらを踏まえた上での判断をしたのですから、「民意」がどこにあるのかを冷静に判断する必要があるのではないかと思っています。
私は、人が作ったものですから、憲法を絶対に変えてはいけないという立場は取っていません。当然、時代の変遷によって、変えていくべきものもあると考えています。
特に、自衛隊については、憲法に記載したうえで、きちんと平和主義を追求するべきと考えています。
ただし、大地震などのときに発動が予定される国家緊急権については、認めるべきではないとの立場を取っています。人権を一時停止することではなく、人権をきちんと認めながら、緊急時に何ができるかを議論していくことが大事だと考えているからです。
もちろん、これらについては色々な意見があるかと思います。
ただし、それらの意見を戦わせてこそ、自分たちで国の将来を決めるという民主主義国家であると考えています。
これから、憲法議論がますます盛んになるかと思います。
今までの日本では、色々な場所で、政治の話をするのは望ましくないという風潮がありました。
しかし、皆の意見を出しあう、話し合う、これが今、一番必要なことであり、皆が主体的に日本の政治に関与していくことが、これからの日本を少しでもよくしていく第一歩だと思っています。
スイスでベーシックインカムの導入の可否を問う国民投票
6月5日、スイスで、収入に関係なくすべての国民に毎月一定額を支給する「ベーシックインカム」制度の導入の可否を問う国民投票が行われ、開票の結果、賛成が23.1%、反対が76.9%となり否決された。
スイスの国民投票制度の範囲の広さに驚くと共に、この制度はかねてから注視していたものであるため、スイスにおいて否決されたという結果は非常に興味深かった。
まず、国民投票制度の範囲の広さであるが、スイスでは10万人の署名があれば国民投票が可能であるという。日本では憲法改正については国民投票が認められているが、それ以外の一般的国民投票制度については憲法上規定がない。
選挙で「人」や「党」を選ぶことができるが、「あること」だけの賛否を問うことが難しい。それを考えると、一般的国民投票制度を諮問的なものに限り、広げていくという道は検討の余地があろう。
次に、スイスで否定されたベーシックインカムの制度は、財源不足や労働意欲の減退が特に問題であろう。
しかし、実際には、生活保護制度や年金制度等を廃止することになるので、実際には、どのくらい財源不足になるかは分からない。また、極端に高額を支給するならともかく、そうではない場合は、労働意欲の減退が必ず起きるという訳ではあるまい。
この制度があると、失業の心配なく働くことが可能となり、ボランティア活動を活発化させるなど、今までの生活が変わっていく可能性がある。
そう考えると、現時点では導入は難しいと考えるが、ベーシックインカム制度、おもしろくなる可能性もある。これからも注視していきたい。
掃除でお礼
鷹匠2丁目の事務所を開いて約2か月たちました。
北街道沿いの事務所なので、毎朝当然ですが事務所前の歩道を掃除しています。
すると、今日、上品なご婦人が立ち止まり、深々と頭を下げて、「皆さんの歩道をきれいにして頂きありがとうございます」とおっしゃってくださいました。
公園ではあるまいし、事務所前の歩道ですから掃除をするのを当然と思っていたのに、思いがけずお礼を言われ、焦ってしまいました。
「教育が大事」と常々言っていますが、当然のことをしている人にまで配慮ができるような子どもたちに育てたいものです。