比叡山延暦寺5 (千二百年御祥当日) [滋賀県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

千二百年御祥当日に✨

 

 

 

珍しくも目覚ましタイマー様にはこの日はお眠りになっていただき睡眠は十二分に取ることが出来た、そして、いつもより遅い出足ながら、、ε=👟へ(=゚ω゚)ノ〜 いざいざ 

 

 

 近江国の日枝山 (ひえのやま) は、時下って比叡山と呼ばれるようになった、、

 

 

比叡山延暦寺

 

東塔へ

 

 

不滅の法灯が分灯され、根本中堂から大講堂へ、、

その分灯が目の前を通り過ぎてゆく様と、その間に市川猿之助さんの朗読された最澄の最後の言葉 (聖句) を聴き、、

 

>_< 

 

 

 努力(つと)めよ 努力(つと)めよ 

 努力(つと)めよ 努力(つと)めよ 

 

 

伝教大師一千二百年大遠忌「御祥当法要」(令和3年6月4日14時~)

 HPにそのアーカイヴ映像が

  → 26分過ぎから朗読がはじまり、これがまたすばらしかったなぁ、、

 

 

大講堂前に立つ一対の青銅の灯籠

 

その灯籠には享保六年六月四日と刻まれている、西暦にして1721年、今からちょうど三百年前に当たるから伝教大師最澄御入寂九百年のその大御忌の年と符合する

またそこには、東叡山とも刻まれており、その下に上野寛永寺の支院と思しき四つの院号も

その中の一つ 大慈院 に目が止まる、ほ〜 ((((゜д゜;)))) 

慶喜公が明治新政府に恭順の意を示した今はその遺構 (*1) が残るだけとなった寛永寺の支院の一つだねぇ (*2) 

 

*1:

今にある寛永寺の根本中堂に位置していたが、上野戦争で大火に包まれ焼失、その跡地には、川越喜多院の堂宇を移築し根本中堂として再建

 

*2:

あまり知られてないようだけど (?) 、その葵の門が浅草寺にある、それと知って見に行った時は感動したなぁ、、

 

 

御朱印

前々から次の機会には、西塔、そして、横川へと歩いてお参りしたいと思っていたけれど、この日は少々きつい雨、千日回峰行の想像を絶する厳しさを思いつつ、またの機会に、、

 

 

比叡山延暦寺

天台宗総本山

滋賀県大津市

 

 
 
と、めっきり寺社巡りの機会は減ってはいるけれど、、機会があれば✨
 
否否、機会をつくって ε=👟へ(=゚ω゚)ノ〜