沈黙 / 遠藤周作 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

読後感で次に何を読むかを決めてます、で、前々から読んでみようと思っていたこの小説を、今がそのときかなと


 異国の地で棄教した恩師のその真相を確かめるために


キリスト教のことは仏教以上には知らないけれど、だからか、ロドリゴ司祭の想いにふれてみたいと思った

遠藤周作さんはこれが初読みになる


 日本人にとってキリスト教とは何か。
 日本人がキリスト教であるということは、
 外来の宗教を受容することなのか、否か。
 この問題を描き続けたのが遠藤周作です。

 霊性の哲学 / 若松英輔


若松さんの著書にもこうあったしね


で、


「沈黙」 とはそういう意味か、、

でもこれって仏教では感じることはないんだなぁ


前半の一人称から起承転結でいう転にあたる章での三人称への変更は知的でうまいなぁ、さすがは、遠藤周作さん



そして、


許しを請うものと、許しを与えるもの、あるいは、強きものと、弱きもの、、殉教の名のもと幾多の命が召される中、がしかし、神は、、神とは?
その の現れることを信じ祈りつづけるロドリゴ司祭が最後に見た 真実 とは?

大乗仏教については少しだけだけど学ばせていただいているので、必然的にその目線で読み進めることになった
ロドリゴ司祭の随所にみられる 表面的な二元論的解釈、とくにキジローに対してには閉口したが、それでも、ラストのロドリゴ司祭の見た 真実 を僕なりに観じれば、遠藤周作さんの思いと仏教とはそう大きな違いはないのかもしれないなぁ、それだからこそ、これでもかと書かれてきた二元論的解釈がここで活きてくる

ここらへんはキリスト教に詳しい方が本書を読まれた際の感想を知りたいところだ

沈黙 / 遠藤周作



迫害云々は仏教にしてもそのはじめのところではあった、仏教がまだ新興宗教だった頃の話だ

釈迦の十大弟子と呼ばれる中でも舎利弗と目連尊者は特に抜きに出た存在だった
が、舎利弗は病に倒れ、また、目連は迫害を受け人の形も分からぬほどに撲殺されたという、新しい教えが地に根を十分に張るには時間がかかる、人の暦のようにはいかない、いかないが、、それが真理ならばいつかは大輪をなす花となり、花となって海をも渡り、、


ちなみに、


ロドリゴ司祭のモデルとなった神父の供養碑は小石川伝通院さん山内に、また、ロドリゴ司祭の恩師フェレイラ司祭?のお墓もなんと東京谷中の瑞輪寺さんの墓地に、、そのいずれの東京のお寺もお参りしたことがある、上京した折りにまたあらためてお参りしたいな


関連ブログ■
読書遍歴:ひとはなぜ 物語 を読むのか? 2018-11-28
・特に好きな日本の作家さん
・無人島に持っていく五冊
・そして死ぬまでに、XXX を読み終えたい、、
・2018年は、こんな本を読んできた ( ひとはなぜ 物語 を読むのか? (2018のまとめ) ) 2019-01-08
・2019年は、こんな本を読んできた ( ひとはなぜ 物語 を読むのか? (2019のまとめ) ) 2020-01-18


 死ねば大好きだったこの大切な本のページはめくれず、
 読み終えたかったという願いは叶わない。
 二都物語 / C.ディケンズ


※2020年に読んだ文庫本など
今昔百鬼拾遺 天狗 / 京極夏彦
・神はいつ問われるのか / 森博嗣
・ヴォイド・シェイパ / 森博嗣 [再読]
・ブラッド・スクーパ / 森博嗣 [再読]
・スカル・ブレーカ / 森博嗣 [再読]
・フォグ・ハイダ / 森博嗣 [再読]
・マインド・クァンチャ / 森博嗣 [再読]
暗い越流 / 若竹七海
楽園のカンヴァス / 原田マハ
・沈黙 / 遠藤周作
・一本の道 / 平山郁夫


いつの間にか泳いできて、いつのまにか夢の島へ誘われ、、
浮世に目覚めては、さて、どこまで読んだのだろうか? と、そのページを探してる自分がいる、、、

読書の供、それは寝落ち
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