【はまった理由は?⑤】(お気に入りの御朱印③) | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

何がきっかけだったかは覚えてないけれど、

禅宗のお寺さんで 「南無釈迦牟尼仏」 をいただくように、

浄土宗のお寺さんでは、折りにふれ、

六文字の名号 「南無阿弥陀」 をとお願いして、書いていただいてきた


(・人・)



31、東京四谷西念寺


柴田錬三郎さんの 「徳川三代紀」 に、
服部半蔵らが西念寺に集まっている場面があるんだなぁ、
そのお寺さんがここ四谷西念寺さんだね

ここに眠る 服部半蔵正成 は二代目で、
亡くなったのは文禄四年 (1595年) のこと

法名の 専称院殿安誉西念大禅定門 から山号と寺号をいただいて、
専称山安養院西念寺となったとはいただいた由緒書きに


32、鎌倉安養院


ここ安養院さんには、黒澤明監督の墓所があって、お参りを兼ねて何度か

(・人・)

納経と合わせて御詠歌の御朱印もいただけるね


33、桑名照源寺


わが町桑名の松平家菩提寺


34、東京芝増上寺


 今年の五月、ちょうど例の失火のあった数日前に、吉宗が増上寺に参詣したとき、
 尾張継友の宿坊たる天光院の塀上より将軍を覗き見る者あり、近習がこれを発見して、
 御目付稲葉多宮に通じたので、
 多宮は直ちに天光院に赴き尾張家士にその旨を通じたところ、尾張では、
 身におぼえなしと頑強に否定して多宮の抗議を一蹴した。

 如月剣士 / 五味康祐

 「増上寺に参詣したとき」 とは、一五九の折りかな (°_°)?


35、駒込定泉寺


江戸三十三観音霊場第九番札所

増上寺 (浄土宗) 十八世随浪和尚が御開山とのことで、
だから、本堂の扉には三つ葉葵があるんだね

いつも本堂内に上がらせていただき、またいつも御供物をいただいて

( ̄人 ̄)

ちなみに、...

境内入ってすぐ横 (左手) に「夢権地蔵菩薩」がお祀りされているけど、
その扁額は増上寺八十二世椎尾辨匡大僧正の書だねぇ

現在、増上寺さんの各お堂に掲げられた扁額や三門横の門標などは
八十三世以降の大僧正 (法主) の書なので、
椎尾先生 (名古屋のご出身) の書を拝めるのは貴重だなと

重ね重ね、

( ̄人 ̄)


冒頭より


その一方で、

 「南無釈迦牟尼仏」 や 「南無阿弥陀」 は、こちらからお願いしなくとも

書いていただけることはよくあることだけれど

 「南無大師遍照金剛」 と、書いていただいたことは記憶はないなぁ、、

 「弘法大師」 はあるんだけれどね、、、



【はまった理由は?⑥】へ、不定期に続く、、 (・ω・)ノ


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