【はまった理由は?④】(お気に入りの御首題編②) | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

御朱印や散策の楽しみ方、あれこれ【番外】

  宮本は岸辺のためにタクシーを停め、 「おやすみなさい」 と手を振った。
 岸辺も振り返した。宮本を路上に残し、車は走りだす。
 毘沙門天の赤い門がみるみる小さくなる。
 手に持ったままだった携帯が、メールの着信を告げて震えた。

 舟を編む / 三浦しをん


ということは、、、飯田橋駅方面へタクシーは下っていったんだろうなぁ... 

と、

よく知る場所が出てくると具体的にイメージが湧くのが面白いね✨


さてさて、

では、御首題編の後半を、、


26、神楽坂善國寺
 山手七福神の毘沙門天をお祀りする



 御首題にも毘沙門天奉安と入るところも✨



 ある年代にはとても印象に残る方でした
 池上本門寺にある力道山 (*1) の墓所に向かう途中に児玉氏の墓所もあり
 なるほど、なるほどと

 また、  「舟を編む」 での 毘沙門天 とはここ神楽坂善國寺さんのことだなぁ

 ほど近くには、J.レノンも食べたというどぜう (うなぎ) の老舗もあり、
 年に一度の自分へのご褒美にと特上のうなぎにワインを付けていただいていた頃を思い出す

 いつかまた、、、

 *1 : ちなみに、力道山墓所に立つ石評の文字は児玉氏の書になる


27、能勢妙見山東京別院 (幕末の三舟①)
 海舟ゆかり寺




 北辰とは北極星のこと



 戦国三英傑縁で御首題をいただくことは可能だけど、

 では、

 幕末の三舟ではどうだろうか (°_°)?

 と思い立って始めたシリーズになる

 海舟については、ゆかりのお寺さんをもう一ケ寺考えてはいたけれど、
 今は御首題はされてないようで、、


28、谷中大雄寺 (幕末の三舟②)
 高橋泥舟墓所




 主君慶喜公の墓所にほど近いここ大雄山さんの境内にお墓があるけれど、
 どういうご縁でだったかはよくわからないそうだ

 泥舟墓石横に立つ保存樹第8号



 ただ、慶喜公の墓所、また、義弟鉄舟の全生庵も近くにあり、
 場所的には違和感はないね


29、蓮乗寺 (幕末の三舟③)
 山岡家墓所




 全生庵住職二世にして鉄舟居士の葬儀では大導師をつとめられた
 南隠老師の開かれた坐禅道場の近くに位置するのは、ただの偶然か (°_°)?
 あるいは少なからず意図されたものなのか (・ω・)??

 それはよくはわからないところではあるけれど、
 こんなにも近くに菩提所があるとはちょっとした驚きで ((((゜д゜;))))

 その道場での坐禅会のあとに、山岡家の墓所をお参りさせていただいた


30、桑名顕本寺
 服部半蔵ゆかり




 オビワンのオビが帯からであるように、また、
 ダースベイダーのマスクが伊達政宗公の兜を模したものであるように、、はたまた、
 ハンソロは半蔵から取られたように、、、

 現代に生き続ける服部半蔵の、その末裔の墓所が我が桑名市にある (*1)

 幕末期には桑名藩家老として定敬公に仕え、京都所司代や鳥羽伏見の戦いに参戦し、また、
 戊辰戦争では会津藩とともに新政府軍と戦かわれたようだ

 だからなんだねぇ服部姓の墓石を桑名のお寺さんでよく見かけるのは
 ここ顕本寺さんの境内には、十二代目服部半蔵正義 (最後の服部半蔵) その人が眠る

 (ー人ー)

 *1:詳しくこちらを↓
 服部半蔵 - 桑名市〜本物力こそ、桑名力。〜


 名古屋お参りの手引き (いただきもの)




【はまった理由は?⑤】へ、不定期に続く、、 (・ω・)ノ


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