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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

“無限なる感謝について

 「感謝は宗教のポイント」であると、五井先生がおっしゃっていました。
 感謝とは、宗教の要となる大切な行為であって感謝なしに宗教は成り立ちません。何故なら、感謝とは頂いた物、或いは人様の好意に対して、心から「あリがとう」と感謝することは勿論、その物、その人の好意を対して、そうあらしめてくださった神のはからいに感謝をすること、だからです。
故に、感謝行は、神との一体化の行であリ、共鳴なのです。
例えば、喉の渇いた時、いただいた一杯の水の美味しさ。所望に応えて水を与えてくださった方の好意を通し、水とあらわれている神のみ心に感謝をすれば、水の本質が生かされると共に、感謝した人の霊性もそれだけ高められることになるからです。
万物は神の生命エネルギーによって創られています。
ですから、万物の本質を認め、褒め称えれば、万物の本質は甦ってくるのです。
 感謝行が、宗教を観念としてではなく、行としてこの世界を、調和された世界にしてゆく大切な働きになるのです。
故に「感謝は宗教のポイント」なのです。
感謝の思いはどこから湧いてきますか。ハートです。
だから感謝をすればするほど、ハートがひらかれてくるのです。
 ハートは愛のチャクラですから、感謝をすれば愛がそれだけ大きく豊かに成長していくのです。
もし、頭で感謝をしたら、それは計算になってしまい、相手からいただいた好意を、この贈り物は幾らぐらいと値踏みし、これだったら幾らぐらいお返しをしたらよいかなどと考え、いただいた好意が煩わしくなります。
また、こんな安物をと、いただいた物を値段で計ったりしていたら、それこそ人の好志を物でしか換算できない、心の貧しい人になってしまいます。感謝という得難い喜びを知らぬ哀しい人なのでしょう。
心素直にありがとう、と感謝をすれば、贈った人も贈られた人も、共に心が和むのです。

 一期一会

 ありがとうございます。
 有り難きことを今いただきました。
 なんと美しい言葉でしょう。
 この言葉の中に「一期一会」の心がひびいています。
一生にただ一度の尊い出会いなのです。このチャンスを見過ごしたり、疎かにしたら、いつまた会えるかわからないのです。そう思ったら心をこめて「あリがとう」と言いましょう。それがたとえ因縁生の悪い出来事であったとしても、一番良い時を選んで、守護霊様が浄化のために出してくださったもの、その時を逃したら、再びどこかで、それを果たさねばならないのです。
善きにつけ、悪しきにつけ、一期一会と心をこめてありがとう、と言いましょう。そうすれば言った人も言われた人も、心の中を爽やかな風が吹き抜けていくように、心が通い合い、やさしく心がほどけていくでしよう。
ありがとうの一言が、言われた人の心の中に小さな灯を点します。もつと多くの 人々が素直にありがとうといえたなら、この世界はもっともっとやさしく、あたたかで明るい世界になるでしよう。
 なのに、有り難きことがいつも有り得ることに慣れてしまって、ありがとうを忘れてしまっている人が多いのです。
 ありがとうを忘れると、人の心はいつか固くなっていきます。
こうして私たちが、感謝を忘れ利己的な生き方ばかりしてきたから、公害で空気を、水を汚し、自然を破壊し、生態系まで狂わせてきてしまったのです。
だから、昔の自然を甦らせるためには、万物に対する感謝からはじめるしかないのです。
海に、大地に、山に、食物に、肉体に、水に、植物に、動物に、鉱物に、天象に、空気に、太陽に、私たちを生かし、かく在らしめている万物の功徳に報いるには、万物ヘの感謝と、世界平和の祈リを祈ることなのです。何故なら、祈りは神様のみ心のひびきであリ、
 万物は神の生命エネルギーによって創られているものですから、祈ることによつて万物の本質に、祈リのひびきが共鳴し、万物の本質を生かすことになるからです。祈りとは実相顕現の祈りだからです。
そしてまた、何よリも感謝しなければならないものは、私たちをかく在らしめている肉体そのものなので「私の肉体さんありがとう」と感謝をしましよう。その感謝のひびきは、私たちの細胞の一つ一つに伝わり、細胞はそれに応えようとするはずです。
 何故なら、私たちの細胞の一つ一つの中に、実は、私という全身像が秘められていて、私という存在は、無数の私の総体なのです。そして、そうした細胞の一つ一つの中に、神様がいらっしゃるからなのです。

 無限なる感謝は一つなるものとの一体化

 感謝をしましょう。感謝をするとあなた自身のオーラが、それは美しく輝いてくるでしょう。そしてその愛のカラーのひびきに癒されて、あなたも、またあなたの周囲のものも共に美しく輝き出していくでしよう。
感謝は共鳴です。
 生命といのちがひびき合うことです。
 一つになることなのです。
 ましてや無限なのです。
 無限とは限りがない高さ、深さ、大きさ、広がりのこと、無限なる感謝とは、私たちにとつては「一つなる」ものとの合一への道なのです。
万物は神様の自己表現です。つまり万物は神の生命エネルギーによつて生み成されているからです。ですから、感謝をもって万物とコミュニケーションをし、自己の中に受け入れてゆけば、その人の愛は大きく成長し、高められて、全体性へと目覚めていきます。
また、あなたの意識が深くなるにつれて、そのバイブレーションは、高い宇宙の意識と同調し、共鳴し、そのひびきがあなたの中になだれこんでくることでしよう。こうして、無限なる感謝は神へと至る道であり、そのためにまず身近なご縁のあるものから感謝をし、その感謝をひろげていきましょう。
無限なる感謝”


 永安先生の月刊ぴーすより


tablaboyの道日記-tabla


この1週間は、アクバルカレッジに発注していたタブラの皮張りに奮闘していた。
だんだん慣れてきたが、なかなかいい音がでない。いい音を出すには、360度張力が同じでないとだめなのだ。響きが濁ってしまう。今10個ぐらい持っているが、みんな個性があり、独特の音があり、音階がちがう。楽器というのはとても深い。
いつの間にか、タブラ職人になっている自分がいる。時間を忘れる。楽しいのだ(*^^)v

ありがとうおじさんの言葉より


“私はいつも「ありがとうございます」を言うのは、お礼の感謝が「無限の無限のありがとうございます」を言い続けても、足りない足りないで、まだまだ足りないので「ありがとうございます」を言ってるんですけど。その中身を先ず七つに分けて一応お礼を言ってるんですけどね。

一つ、「いつもいつも大難を無難にし、無限の無限のマイナスを免除してくださってありがとうございます」

二つ、「いつもいつも無限の無限のプラスを新たな全徳の無限の無限の輝きを与え続けてくださってありがとうございます」

三つ、「いつもいつも無限の無限の感謝を湧きあがらせて下さってありがとうございます」

四つ、「いつもいつも無限の無限のプラスを神様の最高表現を感受させてくださってありがとうございます」

五つ、「いつもいつも無限の無限の感謝の真祈りをさせてくださってありがとうございます」

六つ、「いつもいつも無限の無限の神様の最高のお手伝いをさせてくださってありがというございます」

七つ、「いつもいつも無限の無限の神様と一体感を実感させてくださってありがとうございます」”


いつでも、どこでも、どんな状況でも感謝が沸きあがってくるようになれば

「おめでとう」・・・肉体人間卒業です


2002年3月22日の質疑応答から

ありがとうおじさん:

五井先生も肉体的な五井先生とか魂的な五井先生とかもうひとつ奥の五井之大神という感じの五井先生といろいろ見方があります。宇宙の大神様の働きをそのまま代弁する代表するような祈りの五井先生というのは凄いです。そういう響きがあるんです。だから本当に宇宙の大神様の働きと受けたら全部無限に輝いた姿で見ていけます。


質問者:

 瞑想の時間に五井先生のテープが流れています。これには意味があるのですか?


ありがとうおじさん:

 五井先生はお祈り一筋に一生を終えられた方です。お祈りの本尊・神様という方です。奥の本体は物凄い大きい光を放っておられます。お祈りに関しては五井先生の拍手とか口笛の響きは強い光が流れています。それも1番自然な響きです。この口笛も人によっては鳥の鳴き声に聞こえたりカナカナゼミの鳴き声に聞こえたりカジカガエルの鳴き声に聞こえたりします。自然な響きとよく似てるのです。違和感が全然ないです。大自然から流れて来る響きと本当に1つです。清めの光が自然な響きとして強い光の必要な人には強い光が行くし、柔らかい光が必要な人には柔らかい光が行きます。光までも加減して与えて貰える様な感じです。バックミュージックとしては1番相応しいです。色んな素晴らしい音楽も良いですし自然な響きも良いのですが、「ありがとうございます」は何でも来いなんで何でもその中に含まれているので良いものはどんどん活用して貰うのが良いのです。そういう意味で五井先生のテープを活用させて貰っています。
 お祈りは心を大きく広げるのも必要なんです。「ありがとうございます」で、そのまま心が広がっていくのですが、例えば「世界人類が平和でありますように」と心をグッと広げるとまた光を受け易くなります。世界が自分という感覚になり易いのです。そういう意味で心を広げる祈り言葉もあって良いのです。そういう意味で使わせて貰っています。”


以上の文章はありがとうおじさんと白光の木村講師の五井先生に関する質疑応答ですが、とても参考になりましたので、掲載させていただきました。
ありがとうおじさんは五井先生の正体をよくご存知で、五井先生はご自分のことを「五大神(五つの直霊)合体の救済の中心の場、働き」とおっしゃってましたが、それを感じている方がいらっしゃたのです。神霊の世界では位階というものがあり、自我がないというのもどれだけないか、ということもあり、また経験の豊かさというものが愛の深さに比例してきます。包容力というのでしょうか。赦しの深さというのでしょうか。また、働きというものもあります。自我を捨てきっても、まだまだ無限に空の世界は奥深いのです。老子さまは「空空寂寂空寂寂 自由無碍無碍自由無碍」とおっしゃってますが、生命にはかりしれない奥があるのを感じます。人間はどこまでも自由になれるし、どこまでも愛深くなれる。それがすこし感じられる文章でした。 

 

                            参考まで


自分の苦手な人、波長の合わない人、感情的に素直になれない人、生理的に好きになれない人、好きな人、過去にわだかまりを感じる人等・・

私の場合、相手に敬意を感じていない人は雰囲気でわかるので、どうしても好きになれません。
そういう人には、紙に「○○さん、ありがとうございます」と繰り返し書く。

あるいは、何十回も祈る。
 これはとてもよろしいと思います。
  「○○さん、ありがとうございます」がしっくり来ない人は、 
  「○○さんの天命が完うされますように」でもよろしいと思います。


                           参考まで

最近は、ネットでありがとうおじさんのお話、質疑応答などを探しては読んでいます。

あまりにも素晴らしいので、また私の祈りへのモチベーションを高めていただき、また深い理解をシェアいただき、気づきを一杯いただき、おじさんのすべてを吸収して自分の中にしっかり消化したい、と思っております。

まさに内なるハネムーン中でございます

今日、池田小学校、児童殺傷事件の宅間氏ともう一方の死刑執行が公表されました。

それにちなんで、世の中には、人権擁護団体や人間の生きる権利に対する研究団体があり、有識者、法律家、弁護士さん、いろいろな方々が、死刑は残酷で非人間的で非人道的で、反対とするむきがあります。
また宗教者、道徳研究家、また悟りを開いている方々の中でも意見、観方がいろいろ違うようです。
なかなかチャレンジングな議題だと思います。


五井先生はというと・・・


「罰が軽いと罪を犯す人を抑えることができない。罰則を重くすることで抑えることができる。犯罪を犯す人は魂が幼いのです。だから、大人の魂の人が力で抑えなければいけない。また、人を殺した人は、大変良心が痛んでいる。そして、本人がそのことに気づかずに、処罰されないで、死んだとする。すると、その人は幽界で、良心にさいなまれ、大変な苦しみを味わうことになる。それよりも、死刑にしてやれば『あー、これで罪を少しでもあがなうことができた』とその人の良心が満足して、軽い地獄ですむ。良心が痛むことが罪なんです。だから、死刑にしてやることは愛なんです。人を殺すのはかわいそうだ、などというのは、永遠の生命を知らない愛のない人の想いで、永遠の生命を知っている人はそんなことは想わない。だから、現在の人間の状態では絶対死刑は必要なんです」
 と、だいたいそういうお答えでした。  


死刑制度について      

               


“全託への道の一番大事なことは、守護の神霊の加護を頼んでやることなのです。はじめから、すぐに全託の境地になれる人などは、なかなかないのですから、自己にまつわる様々な業の波を、守護神、守護霊に消滅させて貰いながら、自己の生命の本源(直霊)の中に入ってゆくことが、容易で危険のない方法なのです。
その方法の最も端的で、しかも容易にできるのが、世界平和の祈りなのであります。世界平和の祈りは、救世の大光明の輝きわたっている場と直接のつながりをもつ祈りですから、世界平和の祈りを一度すればするだけの業想念消滅の効果があるのです。業想念が消え去れば、人間は本来神のなのですから、そのままの姿で生活していても、神のみ心に適った善い生き方ができるに決まっているのです”


上記は五井先生の御本「運命を恐れるな」からの一節ですが、とても分かりやすいので引用させていただきました。

世界平和の祈りを一度すればするだけの業想念消滅の効果があるのです。


祈りは回数が多いほど効果があるということを、あまり意識においていない人が多いことを感じましたので、意識してもらいたいと思いました。
やはり、最初のころは一日何万回とノルマを決めて祈るほうがはやく業が消滅すると思います。

私も、最初は一秒に一回、《世界人類が平和でありますように》と、一日8万5千回を目標に、寝るときは統一して意識が無くなるまで祈る、というやりかたをずーとやってたように思います。

                                                            参考まで

祈りと感謝がそのまま自己の霊性を開発し、同時に人類の霊性開発に大いに貢献していることが分かります。
感謝できることはありがたいことです。

そのありがたいと感じることがまたありがたく、またこの地球のために働けるという自覚がありがたく、どんどんありがたさが募るのでした。

 

 

「霊性の開発」より

 

“霊性の開発というと、宗教の道を少しでも知っておられる人々は、すぐにも坐禅観法や滝修業や 断食行等の修業を思われるでしようが、そうした修業は霊性開発の一つの道ではありますが、すでに今日の修業方法ではないということを知らねばなりません。今日の修業方法は、さきにもすでに述べておりますように、法然、親驚の二大聖者によって、開かれている道であり、イエス・キリストの教えにも開かれている道でなければなりません。

難しい修行方法は、特定の人以外には到底やり遂げるわけにはゆかないからです。神様、仏様は、人間自身の中で、常に働きつづけていて下さるのだ、ということの真実にわかつた人は、すでに霊性を開発した人なのでありますが、それをもう一歩進めて、神様仏様の世界は、完全円満な、光明燦然とした世界であって、悪や不幸や病のような不調和な世界ではない、今自分の環境に現われている不調和な状態は、過去世から現在に至るまでの神仏から離れていた自分の想念行為の誤りの消えてゆく姿なのである。

何んという有難いことであろう、有難うございます、有難うございます、というように全感謝の想念に自分の想いをむけかえてゆけ得るようになれば、その人はもう完全に霊性(本心)を開発している神の子人間となっているわけであります。そしてそうした人の動きは、その人の周囲の人々を知らず知らずのうちに光明化し、自然に多くの人々の霊性開発に役立つ行為が出来得る人となっているのであります。
そうした人に日常生活そのままで、なんの修業もなんの気ばりもいらずになり得る方法が、世界平和の祈りであるのです。
世界の人類の平和は、神の姿の現われであり、神の理念の現われであるのですから、世界人類の平和を祈る想いは、そのまま自己の霊性開発の道であります。そして、自己の霊性開発のこの祈りは、またそのまま人類社会の為の祈りでもあるところに、この祈りが現代の祈りとしての大きた価値をもつのであります。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth



 

ありがとうおじさんのことばより


“「ありがとうございます」は自分が唱えるんじゃなしに、神様が受けなおしていると観ると、神様がズーーと唱え続けてくださっているでしょう。それを受けるだけだったらもっと楽ですよね。神様がいつも替わりに唱えてくださっているという感じね。唱えているというよりも、神様の働きが「ありがとうございます」という響きに降りて来るんですよね。いつも神様に生かされているという事を「ありがとうございます」というね。神様が中からいろいろ働いて、何か良い事を出して下さるというのも「ありがとうございます」の働きなんですね。
だからもう全て神様の働きが今ここに現実に現れているというふうにね。それを受けていっている自分が「ありがとうございます」を唱えていっている事なの。だから「ありがとうございます」を心で唱えたり、口に出して言う事よりも、現実に生かされている事が「ありがとうございます」なの。良い事をさしてもらう、なにさせてもらうのも、「ありがとうございます」の働きの結果なのね。だから大きく捕らえられたらいつも祈り続けているというような感じでね。それを確認するという意味で「ありがとうございます」も必要なのね。年に一回大きく確認すれば、それで一回で良いかもしれないね。それぐらいもっともっと楽に、大きく受けられたら良いね。 ”


 もうなんにもいうことありません。
 これがいいたかったのよね。
 頂きなおすこと・・もうこれ以上なにもないですもんね