tablaboyの道日記 -42ページ目

tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

よく結婚の相手は赤い糸で繋がっているとかいいますが、ほんとうはどうなんでしょうね。

下記リンクは、五井先生の結婚に関するお話です。


結婚相手は生まれたときから決まっているか?


人間の運命は、その人の過去の想念の集積で80%は決まっていますが、20%は選択の余地があります。

運命を変えるには習慣の想いの軌道の外に想いを置かなければなりません。

そこに覚者の手助け、本人の努力精進の意義があります。


参考まで

「それは、その人が信じている世界に行きます。もしその人がある宗教の教祖を信じていて、その教祖が霊界の中位にいれば霊界の中位までゆきます・・」

 五井先生はそう答えられました。


 ということは、和尚を信じる人は和尚と同じ霊位のところまでゆき、ラーマ・クリシュナを信じる人はその世界へ、パラマハンサ・ヨガナンダを信じる人はその世界へ。ラヒリ・マハサヤを信じる人はその世界へ。

法然を信じる人はその世界へ。

馬祖を信じる人はその世界へ。

玄沙師備を信じる人は、光明一元の世界へ。道元を信じる人はその世界へ。

だからイエス・キリストは『汝の信仰、汝を癒せり』とおっしゃられたのでしょう。

なんと人間には自由が赦されているんだろう。

信じることの偉大さは計り知れない。

もし逆に信じたら、これは悲惨な人生が待っている。

いま拘置所にいるある教祖を信じる人はその世界へ、ヒトラーを信奉している人はその世界へ。

人間は自分が信じている自分になるんですね。

「人間は肉体であり、死んだら終わり」と思っている人は、当然そういう世界にいくので、何千年も眠ったまま、あるいは迷いの世界へ、という形になります。


自分が何を信じているか、しっかり自分で分かっていることが人生のキーポイントだと思います。


「人間が死ぬということは自然で、なんでもないことですが、恐怖心を持って、この波動界に恐怖の波を振りまいて死ぬことが一番の問題である。その想いが蓄積され、それが黒雲になって地球を覆ってしまい、人類の神性の顕現を遅らせるのである」という内容のことを五井先生はおっしゃっている。

年間8000万位の人があちらに移行する計算になるので、その黒雲は大変なものになります。
性に関しても同じだと思う。性は生命の原理法則であり、自然なものである。

そこに罪悪感、やましさ、倒錯した感情想念を抱き、男女が交わることで、この波動界に黒雲が生じ、それが高い魂の誕生を妨げている。
人間は生きているうちに、死に対する感謝を常に養い、死を迎えるときはお祝いの気持ちで往生できるようにしたいものである。また、男女の交わりの際にも、感謝と歓びを持って、お祝いと祈りの気持ちで交わりたいものである。それでこそ地球を進化させる魂を誕生させることが出来るとおもう。

それは純化であり、人類に対する奉仕なのだ。

瞬間瞬間、すべての人に平等に全体に奉仕できる機会を与えてくださっている守護の神霊に感謝である。

どうも過去からの宗教の影響で、難しいことをしないと霊性が開発されないという意識、流れが人間の中にあるように想います。

その解毒剤として宗教の単純化、簡素化、それが私の天命の一つと感じていますので、それに関する五井先生のお話をアップしました。参考になれば幸いです


世界人類が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように


感謝一念の生活


素晴らしい五井先生のお話です。
人間は、神々の愛によって生かされています。
原子も電子も素粒子も人間には作れません。
その創造力、知恵、質量、波動は神からきています。
しかし肉体人間には、それが実感としてわかりません。
それで、自分の想いにがんじがらめになって、大半が、自分で自分の不幸を作り出してゆきます。そういう人類に対して、神々が五井先生の身体を借りて大説教しています。とても気合が入ります。御活用ください。


全託・・感謝・・祈り


世界人類が平和でありますように
私達の天命が完うされますように

祈るということは行為ではない
昔、ヴィパサナと祈りをなんとか一つにしようと、また呼吸と祈りを連動させようと盛んに研究していた時期があった。

呼吸を意識できれば、その気づきがあらゆる細胞まで浸透する。

そこに宇宙神につながる祈りを連動させれば、この心身が宇宙神の光明体となるだろう、という理論の元やりはじめた。
5年近く実践していたと思う。

すると、ある日、深ーいところから祈りが洪水のように出てきたのだ。

ものすごい勢いなので、とまらない。

叫びたくなる。

そして顔の前で合掌すると「神様ありがとうございます」という言葉が自然に出てくる。

泣けてなけてしかたない。

感謝がでてでてしかたない。

もうどうしようもない。

合掌がとまらない。

親が私を見て「気が狂った」と思ったらしい。

でもとてもさわやか、はれやか。

きちがいでない。
そこで思った。

祈るのではない。

ズ~と昔から太古の昔から祈り続けていたのだ。

阿僧祇劫以前から祈りっぱなしの自分なのだ。
唯物論者も無神論者も祈りそのものなのだ。

ただそれに気がつかない。

意識できない。

それだけなのだ。

祈りを邪魔しないこと。

祈っている自分を再発見すること。

再び思い出すこと。

そのために祈り言葉を繰り返すのだ。
だから、祈るのではない。

祈っていることを思い出すこと。
それが世界平和の祈り 

私はだいたいいつも念仏のように「神さまありがとうございます」とやっているんですけど、何でこんなに感動するのか、いつも不思議に思うのです。

この祈りを祈ると、心の奥で、なにか鳴り出すのです。

すると胸がいっぱいになって、最後には泣けてくるわけです。本当に感動すると、もう言葉では表せないのです。音楽と同じです。自分でも不思議、昔からそうでしたから昔から不思議に思っていたのでした。

そしてこの祈りを追求してゆくと、「この命を神様のお好きなようにお使いください」と自然にリズムがつながっています。

これは形態形成場にある高級神霊波動が共鳴してくるために、自然に思ってしまっているのだと思います。

全託への道が感謝のなかから自然に用意されているのを発見したのでした。
感謝はすばらしいなー\(~o~)/

永安先生とは20年以上のお付き合いで、齢82歳になられましたが、矍鑠として、若く、いつも安定していて、磐石で、比較を超え、高いところで澄んで、透明で、気張らず、やわらかく、自由な感じ、しかも博学でその読書量は現役の大学生よりもはるかに多いと思います。なんでも吸収してしかも捕われず、自分の形にして活かしておられます。
 「心の無駄使いをなくそう」というご本を出しておられますので、多くの方に読んでいただいて、日常の中で活用していただければと思います。
 勉強会など開いておられますが、白光の会員限定ということです。
 受講を希望される人数が多いので、一人では限界ということでした。
 白光永安道場の協力会員になると、毎月「ぴーす」という月刊誌が送られてきます。

その月刊誌の中には、勉強会の様子、詩、スケジュールなど、いろいろ書いておられますので、興味のある方はご案内いたしますので、ご連絡ください会費は年間6000円ということです。



 永安治・・癒しの世界

    

“魂からみた恋愛・結婚

セックスレス

夫婦間の軋轢を引き起す原因に、セックスが絡んでいる問題がけっこう多いのですが、セックスは多分にタブー視されているため、身内にも親しい人にも、自分の恥部を曝け出すような恥かしさがあって、容易に相談もできず、悶々と胸の奥に悩みを抱えている人も多くいると思います。
その問題も様々で、浮気は勿論のことですが、例えば、夫の強引で異状な性欲に耐えきれず、セックスが恐怖となって悩んでいる女性や、逆に奥さんの性潔癖症に、欲求不満をつのらせている男性。また、暴カ的に犯されたそのショックがトラウマとなって、結婚できずにいる女性。近年問題となっているセックスレスの問題などなどがあります。
現代の社会は物質文明の進化と共に、人間関係においても仕事においても複雑になり、ストレスやブレッシャーが多く、若い人のなかにもセックスレスが多くなってきている、と聞いております。男性が女性化してきていることも感じられます。独身でいる場合はそれでもよいでしょうが、結婚となると問題です。
ある女性が結婚の相談に来ました。彼女はたいへん美しく、年の割にはまだ幼なさが残っていて、可愛いお嬢さんでした。
結婚相手の男性は、年令もだいぶ上で一見、男性っぽく、頼り甲斐のありそうな印象でしたが、何故か私はその男性との結婚を反対しました。が、親御さんは、別に反対する理由も無いということで、彼女を結婚させたのです。
結婚が決まった以上、私も彼女の幸せを祈り祝福しました。彼女も明るく幸せそうに見えました。が、それから三年位して、彼女が私のところに来て、実は夫との間に、未だにセックスが無いのです、と告白をしました。事情を聞いてみますと、彼も自分のそうした状態を、負い目に感じているのでしょう。彼女のことをとても大事にし、可愛がっているようですし、彼女も性格がおっとりとしたところがあって、セックスレスにそれほど悩んでいる様子でもありません。
両親に告げると心配をかけるから、絶対内緒にしてほしい、ということでしたので、彼のことは仕事のストレスなどで、一時のことであろうからと慰めて、帰しました。
しかし、セックスの欲求の強い相手であつたら、悩みも深刻となり、離婚ということにもなるでしょう。また、あるカップルが新婚旅行に、憧れのフランスへと祝福されて旅立ちました。帰つてくるなり女性は黙って実家に帰ってしまい、いくら親が説得しても、口もきかず、お婿さんに会おうともしません。結局離婚ということになってしまったのですが、その原因は、彼女のほうの性潔癖症にあったのです。彼女の幼児期に、何かの性的なショックとなる体験があったのでしよう。それが彼女のなかに精神的外症となつて、男性に触られるだけで拒絶反応を起してしまうのです。彼女は結婚生活をどのように考えていたのでしょう。母親がそうした娘の状態も気づかず、結婚に対する予備知識も与えずに、結婚させてしまったことは、ほんとに理解に苦しむところです。
こうして、セックスに関する問題は、表に出せないだけに、深刻な問題なのです。

セックス性について
本来セックスは、男(陽)、女(陰)の合体によって、人間が全体性に目覚め、完全性に向って次元上昇していくための、大切な行為なのです。セックスは、高い周波数へと肉体な繁ぐ絆となるもので、男女が共に夫婦生活のなかで、お互いの性を通して吸収し合い、学び合って、その愛の結実として子供を生み、自らの愛を成長させていくための、大切な行為なのです。
また個人においても、生れ変りの繰り返しのなかで、男性となり女性となり両性を学び、自己のなかに男性性と女性性を融合させて、完成された人間へと、自己を高めていくようになっているのです。
男性、女性というセクシュアリティーは、神から与えられた素晴しい贈り物なのです。従って、性エネルギーは純粋なエネルギーなのです。そのエネルギーをどう使うかは、自己の責任なのです。
性エネルギーの流れは、高めていけば、大いなる生命の源流に遡り、合流することもでき、低く流せば、暴力的に人間性を蹂躙することにも使うことができるのです。
こうしてセックスは、本来神から与えられた神性なものなのに、何故これほどまでにタブー視され、淫靡なものとされてきてしまったのでしょう。
性欲は、人間の持つ欲望のなかでも最も強いものですから、それを押さえこもうとしても、逆に翻弄されて押し流されかねません。宗教者は自分達を聖なる者とするために、セックスはすべきではないと思い、修行として精神的に最高のレべルに達するためには、性的な欲望を超越しなければならないとして、性に関する独善的なルールを作ったのです。
そうした禁欲的な生き方をすることはよいのですが、それを社会的なルールとして一般民衆まで、神の名において強制したことによって、セックスは多くの社会的な制約を課せられ、過去数千年間、公にはできず、密室での秘め事として、タブー視されてきたのです。
こうした規制を設けてきたのも、人間がセックスを通して自らの霊性を高め、神性に目覚めていくことを恐れ、それを阻止し、コントロールしやすくするためのものだったのです。権力者が宗教を利用し、セックスな罪悪として、人間の自由を奪ってきたからです。中世の暗黒時代、神の名において人間は隷属され、性道徳によって束縛され、違反すれば地獄に堕ちると威されてきました。そのため人間は素直に愛を表現し、愛し合うことにもどれほど罪の意識を感じ、本来神聖であるべきセックスさえ、淫靡なものに堕落させ、自我欲望を満足させる行為となり、性を商品化させてきてしまったのです。
といって、今現在、道徳や倫理といった枠を外してしまったら、人間は無軌道になり、誤った自由から何をやりだすかわからない、という人もいます。人間の意識がまだまだ低いから、それもごもっともなことです。しかし、それは人間自身を、自分をふくめて信じていないからです。どんなに規制しても犯す人は犯すのです。
人間は神の分霊として、どのような人の内にも神性が秘められているのです。人間は宇宙の法則に則って生かされているのです。ですから、何が真実で、何が偽りであるかを知る能力は、性来的に備わっているものなのです。そこで、人間の本質は善なるものであることを信じ、それを正しい方向に導いていけば、性エネルギーは人間にとって偉大な味方となり、霊性を高めるために使えば、人間をより美しく、感受性豊かな人になることもできるのです。
真の聖者としての威厳と美しさは、性エネルギーを断ち切ったからではなく、昇華させたからです。
今この世界は三次元の物質波動の時代から、精神波動の世界へと次元上昇しつつあるのです。そのための波動調整から、大浄化の変革期に入つているのです。
従って人間の意識も目覚めてきて、全体性へと意識が広がっていくのです。今、新しい精神的な革命がはじまったのです。自分自身の性に目覚めるときがきたのです。自分にとって、男であり、女であるということはどういうことなのか、自分の役割を正しく果たせるようになれば、道徳も倫理も必要なくなるでしよう。
セックスが密室から解放され、本来の機能に目覚めていけば、人間の霊性は著しく高められ、個としての愛から普遍的な愛へと大きくひろがっていくでしょう。
人間は様々な人間関係のなかで愛を学び、自己を成長させていくのです。私たちが愛をどのように探求していくかが大事なことなのです。そのための男性性と女性性の統合なのです。”

 

白光永安道場月刊ぴ~すより

《すべて永安先生の許可の下、掲載させていただいております。》



tablaboyの道日記-tabla1


こんな感じなんですよね。なかなか手の皮が痛いのです。
皮になってくれたヤギさんに心より感謝いたした次第です。
将来は人工の皮になることを望みます。
すべての動物さん、ありがとうございます
                  合掌