今、ありがとうおじさんの本を読んでいるんですが、いやいやこんな人が世の中にいるんですね。
感心しました。今の時代にこういう人が存在しているとは、驚きました。
おじさんは「感謝」をあらゆる角度から掘り下げています。
本が赤線でいっぱいになってしましました。
同じ経験がいっぱい、いっぱい。
全く同感。五井先生と共通するところがいっぱい。
なんどでも読み返したい御本でした。
ぜひ読んでみることをお勧めします。
感謝は本心の心
感謝は光
今、ありがとうおじさんの本を読んでいるんですが、いやいやこんな人が世の中にいるんですね。
感心しました。今の時代にこういう人が存在しているとは、驚きました。
おじさんは「感謝」をあらゆる角度から掘り下げています。
本が赤線でいっぱいになってしましました。
同じ経験がいっぱい、いっぱい。
全く同感。五井先生と共通するところがいっぱい。
なんどでも読み返したい御本でした。
ぜひ読んでみることをお勧めします。
感謝は本心の心
感謝は光
それは、あらゆる瞬間に神を発見すればいいのだ
そうすると24時間神を思っていられる
それが24時間プラスα祈り続けるコツなのだ
私もそれを実行しております
確実に祈る時間が増えますので、やってみてください
それがありがとうおじさんが60年以上やってきたことなのです。
最後には神様以外に何も存在しないことが体感できるでしょう。
なんと簡単でシンプルなんでしょう。
我ながら感心(*^^)v
ありがとうございます
自分が歩んできた道に、先達がいた
それは「神様、ありがとうございます」の道
すばらしい、すばらしい、としかいえない
言葉にならない
この祈りに導かれ、この祈りに全託し
いつのまにか光になってしまった
言葉の力はすごいのだ
一人一人が光の言葉を意識して使えば
一瞬で世界は光と化するのだ
一人の聖者が必 要なのではない
凡夫のままで、光の言葉を発しつづければいいのだ
言葉が光の世界をつれてきてくれる
言葉はすなわち光なり
言葉はすなわち神なりき
偉大なる先達たちにありがとう
よく宗教では、神の御心は「真、善、美」というようにいわれていますが、音楽はその中の美の根源であると思います。私は若いころからとても音楽が好きで、無条件に感動できるのが音楽の一番すばらしいところで、バッハの無伴奏チェロや無伴奏バイオリン、リュート組曲など、独学でチェロを弾いたり、ソロバイオリンのソナタやパルティータをギターでよく弾いていました。インド音楽に関しては、1992年にインドのプーナにある和尚のアシュラムで始めてタブラとサロードの合奏を聞いたのですが、今までに聞いたことのない音、リズム、即興音楽、こんなにまで人間の内面に影響を与える音楽を生で聴いたのは初めてでした。その場にいたほとんど全員が踊り始めるくらいに、活き活きとそのリズムに同調していました。その時、タブラを習いたい、と思ったのでした。それから、再渡印した時、パンジャブガラナ(流派)のタブラの先生『Shankar.Kumber師(ザキール師の弟子)』を紹介してもらい、タブラ修行が始まりました。現在は、日本で働きながら、タブラの基礎練習に励みながら、再再渡印の時期を待っています。
音楽は、永遠のものであり、生命の根源とつながっていて、人間が生きるうえで欠かせないもののひとつであり、また人間の意識を高めるとても自然な形の瞑想であり、高次元の意識と交流する最も優れた方法のひとつだと思います。そして、音楽は天体、次元、時間、空間、人種、民族、言葉、宗教、宗派、イデオロギーの違いを越えて、あらゆる生命が一つに交流できる波動言語であると思います。
よく妊娠してから音楽を聞かせたり、話しかけたりいろいろ教育するというのは聞くんですけど、パートナーと交わるときにどういう準備をするのか、という話が余り聞かれないのは、残念だし、不用意だし、人類に対して大きなマイナスだと思います。
交わっているときのお互いの心境が、どういう魂をひきつけるか決める大きな要因であることを意識していないと、いい魂を宿すことができないのです。これは波長の法則ですから、どうしようもありません。パートナーがいないときから、常に高い波長に同調しておかないと間に合いません。
OSHOの言葉にもありますし、五井昌久師の言葉にもあります。
今この世でどれだけのカップルがその事実を意識してむすばれているのかな~、とおもってかいてみました。
下記参照 和尚と五井先生の本より
祈りにも色々ありますが、自分の内側から沸いてくるのが一番いいように思います。
その時々で深みがかわり、ハートから出ているので、空念仏のようにならないのです。
もう一つ
マントラとして、言葉自体に力があるものがあります。
呪文とか称名など、その言葉を生み出した人と、神霊の世界との約束事があり、力を発揮するものがあります。
また、言葉としての力より、心の中から要らないものを浮き上がらせるための意識の松明として、またレーダーとして使うやり方もあります。
それは、その人の意識の成長の過程でいろいろ変わってゆきます。
『世界人類が平和でありますように』
これなどは、五井昌久氏と神界との約束事といわれております。
『南無阿弥陀仏』
これが、法然上人と神界との約束事
『南無大師遍照金剛』
これは弘法大師と神界との約束事
ほかにも色々あると思いますが、言葉には奥の響きがあり、また歴史があり、とてもデリ ケートで深いものがあります。
どこに波長を合わせるか自分次第です
意識の目覚め
32歳くらいだろうか
いつも散歩していた松山の日尾神社
木漏れ日さす山道、参道
日課にしていた山道の散歩
ヴィパサナ(呼吸覚醒)をしながらいつものように歩いていると
突然
ヴィパサナの奥から世界平和の祈りがでてきた
その祈りは自分であった
祈るのではない
祈りが自分であることがはっきりわかるのだ
涙がとまらなかった
3ヶ月近くそういう状態が続いた
すべてが自分であることが分かる
つねに宇宙の中心であることがわかる
見るもの見るものと一つになってゆく
木を抱きしめ、鶯とさえずり、
ただ感謝一元の世界がひろがる
人間は意識のあるところに自分がいるのだ
だれでも大宇宙神なのだ
自己限定しなければいいのだ
習慣の想いと同化しなければいいのだ
『我は大宇宙神なり』
と宣言した
夢
人間はたくさんの夢を同時に見ていると思う
人間とは肉体であるという夢
人間とは心、感情であるという夢
人間とは魂であるという夢
自分と他人は別の存在であるという夢
動物、植物、鉱物と自分は別であるという夢
神と人間は別であるという夢
悟りとか覚醒は自分とは関係ないという夢
悟りはとても難しいという夢
自分ひとりで生きているという夢
地球にしか生命体は存在しないという夢
たくさんの夢を同時に見ているので、実体がつかめない
自分がなにものか、何をしにきたのかわからない
しかし、統一してゆくと、センタリングしてゆくと、自分が創造主であることがわかる。忘れていることのほうが多いが、確かにその瞬間はある。
目覚めれば、そこにあるのは創造と喜びだけ