tablaboyの道日記 -35ページ目

tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

人間にとって、親子関係というのが最初の人間関係になります。それが根底になってあらゆる人間関係が発展してゆきます。そこで、健全な愛情を体験できず、逆に無抵抗な状態のときに心に傷を受けるような言葉やひどい仕打ちを受けると、どうしてもゆがんでゆきます。人を信じられなくなり、愛せなくなり、生きる意味を失なってゆきます。特に異性との関係においては、思春期の強烈な性エネルギーと相まって、倒錯してゆくケースも随分あるように思います。今回は、そういうケースにフォーカスしてお話くださっています。

 愛情不足は性格に歪みをつくる

 子供にとっての一番の教師は両親です。赤ちゃんの時から、両親のものの考えかた、生きかたが、子供に摺り込まれてきています。両親の性格、生きかたから、自ずとその家の家風といったものがつくられてきます。

〇開放的で自由を尊重し、受容的で新しいものを取り入れ、友人、知人を心安く受け入れるような、明るく社交的な家庭であるか。
〇閉鎖的で家族に対しても拘束があり、他人に対して猜疑心が強く、秘密主義的な家庭であるか。
○両親が不仲で、いつも言い争いが絶えない家庭であるか。


 そうした両親のありかたが、子供に与える心理的な影響はとても大きいと思います。
○両親か仲良く調和していて、愛情も過保護ではなく、充分にそそぎ、自由性を認められて育った子供は、直にのびのびと育ちます。また、愛の表現も豊かです。
勿論性格にもよりますが、愛されているという実感が、生きることに自信をつけます。
○閉鎖的で他人に対して猜疑心が強く、なにかと拘束されて育った子は、どうしても人に対して心を閉ざしがちです。人を愛するにも警戒心がはたらき、素直に愛を表現できません。また、愛する人ができたとしても、相手を束縛しようとするでしょう。
○両親が不仲で、また、子供にも充分に愛情がそそげなかった場合、幼児の時につくられる、基礎的な性格の形成に歪みが生じます。

 その子が人間として成長してゆくのに、基礎となる土台が、例えば三角だとしたら、その上に家を建てるには、丸い家は建ちません。三角の土台に合った資材で建てていくしかありません。
 愛情不足によって、性格的に歪みを持って大人になった場合、その人の才能や努力によって、この世的には成功者となるかもしれませんが、愛の表現においては、愛が成長し切れていないために、愛を与えることをしらず、つねに要求するようになるのです。
 また自分は愛されない存在である、という意識が潜在的にあり、愛を求めて、次から次へと異性遍歴をしがちです。愛されているかどうかが不安だからです。
 そうした愛情不足による心の欠乏を補うものは、他者からの愛情によって埋まるものではありません。何故なら、自らの愛が成長していないのですから、自らの心を愛で補修していかなければいけないのです。それには、愛は要求することではなく、与えてゆくもの
であることに目覚め、他者を愛することによって、自己の愛を成長させていくことなのです。そしてさらに、その愛を大きく成長させていくためには、生命の大元である神への愛(信仰心)に目覚め、神との一体化(自己の意識を高めていく努力)をすること。それが宗教の本質なのです。正しい宗教は「人間の真実の生き方」を導くものなのです。
 こうして、自らの生命をより多くのものに、より大きく生かしてゆけば、愛は求めずとも自分に帰ってくるのです。

 過保護による愛情不足

 子供の時に、充分過ぎるほど愛情をそそがれて育ったはずなのに、愛情不足に育つ人もいます。それは過保護に育てられたからです。
 過保護は親のエゴによる愛情で、子供のためというより自分の感情の満足のためにしていることです。子供を喜ばすために、子供の自我欲望を増長させ、子供に苦労させるのはかわいそうと、子供がやらねばならぬことまで、親がすべてをととのえてやる。
これでは子供の自立心をなくさせてしまいます。
 子供の時は様々な体験を吸収して成長していく大事な時期です。子供に起ってきた出来事は、できるだけ子供自らの責任で処理できるように、体験を通して鍛えていかねばなりません。それを親ははらはらしながらも手を出さずに、見守ってやるのが、親の愛だと思います。
 過保護に育った子は自己中心で、愛を要求するばかりで、愛しかたを知らない人になります。そして何かあるとすぐに責任転嫁をします。ですから年齢は大人になっても、愛の成長は未熟なままですから、その人県結婚をし、子供を持っても、愛しかたを知らないため、その子供も愛情不足に育ててしまう、ということになります。
 また、両親がお互いに自我主張が強く、口争いがたえない。時には暴力もでる。そんな争いのはざまに、子供が置かれていたら、子供の心に異性や、結婚に対して不信感や嫌悪感が植えつけられてしまうこともあります。
 或いは、父親が娘に、或いは母親が息子に、暴力的な行為や、苛めや、子供の自尊心を傷つけるような干渉を、執拗に繰り返したことにより、その子供の性格にかなりな歪みをつくってしまい、異性に対する嫌悪感や恐怖心を与えてしまって、人を愛することができなくなってしまった例もあります。

 何度お見合いしても駄目

 或る男性から、結婚の相談の手紙がきました。結婚椙手としての二人の女性の姓名と、生年月日が書かれていました。そこで私は、彼の魂に見合ったほうの女性を選び、話を勧めるよう返事を出しました。
 ところが数日して彼からまた手紙がきました。それによると、
 「先生が勧めてくださった女性とお見合いをしたけれど、どうも気にいらないのでお断わりしました。この女性はどうでしょう。」
と。新しい女性の名前が書かれていました。
 こうしたお見合いの場合は、魂的に善いと思っても、本人が気にいらなければ纏まりません。断ったり断られたり、お互いの感性が納得しない限り、話が壊れてもしかたありませんが、この男性の場合は、数年間にわたって十数回もお見合いをしましたが、すべて駄目になってしまうのです。
 なかには本人も気にいってお付合いし、結納まで交し、いざ結婚となったら急に嫌になり、相手の性格の欠点をあからさまに言って、その女性の心を傷つけるような別れかたをしてしまうのです。それも一度や二度ではありません。
 「この人には、かなり性格的な歪みがあるな」とはわかっていましたが、本人が言わないのに、こちらから問い質すことはできません。
 そうこうしているうちに、また手紙がきました。またまた結婚の相談です。しかし、その手紙の中に次のような言葉がありました。
 「私にふさわしい女性は、この世にいるのでしょうか。私がなかなか結婚できないのは何故なのでしようか。」
 そこで、私は彼に次のように返事を書きました。「あなたがなかなか結婚できないのは、あなたにふさわしい女性が現われないからではなく、あなた自身の中に、女性に対する何か抵抗のようなものがあり、それがあなたの結婚を妨げているのです。それは、あなたの子供時代の育ちかたに原因があると思いますから、よくよく自分のなかを見詰めてごらんなさい。」
 それから暫らくして、彼から長文の手紙がきました。それによると、彼は母親との折り合いが悪く、彼の生きかたに事毎に干渉してきて、強引に自分の我を通そうとするし、また親孝行を強要するのだそうです。そのため彼は母親に対して、憎悪の感情を抱くようになったということです。
 顕在意識では、年齢も三十の半ばとなって早く結婚しなければという焦りと、愛情に飢えているのに、いざ結婚となると、女性に対する不信感もそうですが、自分が結婚生活に対する自信が持てないのです。そのため何度かこの女性と、と決心はするのですが、いざとなると急に怖気付いて、その話を御破算にもってゆくために、女性の気持を損ねるようなことを言って、せっかくの話を壊してきました。自分でもそのことに気づきました。という手紙の内容でした。
 その後、彼がどうなったかわかりません。自分と母親との相克を告白した手紙をよこしてから、彼の音信はぷつりと途絶えました。
 この例でもわかりますように、親と子の間の愛情問題が、子供の生きかたに、どれだけ大きな作用をもたらすかはかりしれません。
 人を愛せないということは、まことに不幸なことです。

※このシリーズの例はすべて、ご相談を参考にしてあります。

現代は女性の社会的地位が向上し、人生の選択肢が非常に多くなっています。
外国で仕事をしたり、永住することも可能ですし、結婚もそういう選択肢の一つとなっているように思います。そして、男性といえば、自分より能力のある女性というのは、どうしても劣等感を感じてしまい、張り合う気持ちが湧き上がってきて、家庭においてはやすらぎがなくなる、という感じになります。すると、そういう女性とは結婚には至らない、ということになります。いろんな事情、要素があるにしろ、縁の深い人というのは、意識から離れないもので、想いが勝手にその人のそばに行ってしまうものです。
この章は、そういう恋人のできない男女に対する永安先生の洞察です。

なぜ恋人ができないのか

 恋人が欲しい、だからといって誰でもよい、というわけにはゆきません。まして愛し合うには、それなりの深い縁がなければそうなりません。
 恋人にしたら素晴しいだろうな、というような人は、街を歩いていれば、何人かは見つけ出すことができるかもしれません。が然し、その人は自分にとって無縁の人であり、高嶺の花でもあります。ですから俳優やミュージシャン、或いはスポーツ選手などに、陛分
の理想像を投影したりして、お熱をあげたりするのです。
 恋人をつくるにはそれなりの縁がなければ、と言いましたが、そうした縁があったとしても、それを掴まなかったら、せっかくの縁を逃してしまいます。
 そこで、恋人のできない人のタイプを見てみましよ

O自分を構えすぎている人
○自分は愛されるに価しないと、心に決めている人
〇自分にばかり愛を要求し、他に愛を与えることをし
 ない人
○人を愛することに、苦悩を味わったことのある人

 以上、一応四つのタイプをあげてみました。

〇自分を構えすぎている人
 このタイプの人は、自己保身の思いが強く、好きな人が目の前に居たとしても、自分から愛を告白して、もし相手が受け入れてくれなかったら、恥をみるし、傷ついてしまう。
そんな思いが先だって、なんとなくよそよそしく構えてしまうのです。それがお高くとまっているように見えたりして、とっつきにくい感じを与えるのです。
 これでは相手が好意を持っていたとしても、余程のチャンスがない限り、ふたりの交流は難しくなきます。
 好きな人を前にして、白分をよく見せようと気取って構えてみせないで、さり気なく好意を示し、彼なり彼女なりを、自分の中に受け入れるよう、まず心をひらかないといけません。そして、さらりと相手の善いところを褒めるのです。褒められて悪い気のする人は
いません。といって、心にもない褒めかたはかえって嫌味になります。
 勇気をふるって言った褒め言葉が、ぎくしゃくしてしまって、取って付けたような言葉になり、かえって気まずくなってしまう、といったことにもなりかねません。
 人に好かれる人というのは、サービス精神の旺盛な人です。
それに相手に対して心をひらいていますから、相手も心をゆるして打ち解けてくるのです。ですから、自分を構えすぎている人は、自意識過剰でもあるのです。
自分に意識を向けないで、できるだけ交際している人々のなかの善いところ、美しいところを発見してゆくことを、心掛けてごらんなさい。
そしてそれをさらりと、言葉に出して褒めてみるのです。
そうすれば相手の反応が違ってくるのがわかりますし、自分自身も心が豊かになってきます。心の豊かな人は、人が見ても魅力があるものなのです。

 では次に、
〇自分は愛されるに価しないと、心に決めている人 
この人たちの傾向として、幼児の時から、両親の愛情を充分に受けてこなかった、つまり愛情不足に育った人か、或いは事毎に、身体的なことや性格的な欠点などを指摘されながら育ってきて、自分白身にまったく自信を持てない人。それに、自分を醜い、と信じこんでしまっている人などです。
 これらの人に共通なものは、愛情不足と思い込みです。子供の時から、「お前は駄目な子」「愚図で馬鹿で・・・」「お前は醜い」などと摺り込まれて育ってきたから、自分はそういうものだと思い込んでいて、人から愛される人間ではないと、はじめから決めているのです。
 美醜は主観的なものです。確かに形のうえでは美醜はあります。が、内面の美醜はまた別です。「あなたは醜いから」とか「あなたは性格的にこれこれだから」と、人に言われたことを信じこんで、自分で掴まえていたら、その通りの人になってしまうのです。
醜かったら何か特色を磨いて、魅力ある人間になったらよいし、欠点があったら、それをカバーする長所を表現するようにしたらよいのです。自分が愛情不足であったら、愛を要求するだけでなく、周囲の人々や生物や物を愛することによって、自らの愛を充足させていったらよいのです。
 こうして、自分自身が愛深くなっていったら、多くの人々から愛される人になれるのです。美も愛も、それはあなた自身のなかにあるのであって、それをどう表現するかは、あなたしだいなのです。
〇自分にばかり愛を要求し、他に愛を与えることをしない人
 この人もまた愛情不足に育った人たちなのです。ただし、愛情不足といっても、過保護よる愛情不足なのです。
 過保護に育ったということは、愛情をいっぱいそそがれて育ったように思うでしょうが、実は、親のエゴによる愛情過多ですから、親の自己愛の延長なのです。
 子供がかわいい、といってなんでも要求通りにさせてあげる。子供がかわいそうだからといって、自ら体験して学んでいかねばならぬことまで、親がやってしまう。これでは子供が自立できなくなってしまいます。子供は体験しながら育ってゆくものです。
 わがまま言ってごねれば、なんでも自分の想う通りになる。こんな育ちかたは、子供にとっては大変な不幸になります。何故なら、要求するばかりで与えるということを知らないで育つからです。要するに愛とはなにかもわからず、愛しかたも知らない人になってしまいます。人間にとっては辛い悲しい体験も必要なのです。そうした体験を通して、人の心の痛みもわかる人になっていくからです。
○人を愛することに、苦悩を味わったことのある人
 誰かを愛したことによって、悲劇的な体験をした人は、人を再び愛することに躊躇を感じたり、心を閉ざして逃げようとします。
 然し、人間は本来愛なしに生きられるものではないのです。愛情不足に育ったことが、どれほど人間の心に歪みをつくっていくかを考えればわかります。
 人間は愛されたいし、愛するものが欲しいのです。他者を愛することをやめてしまったら、人間の意識は低下し固くなっていきます。固くなるということは、協調性に欠け、独善的になり、頑固な人間になっていくということです。
 ですから、一度愛することに失敗したからといって、挫けてしまわないで、何度でも愛していくことが大事なのです。辛く、苦しく、悲しいことがあったとしても、そうした体験から得難いものを学ぶことができたら、その人の愛は大きく成長していくことでしょう。
それほど愛するという行為は、魂の成長にとって大事なことなのです。

 失恋のすすめ

 思春期ともなれば、誰もが人を恋うる思いか生れてくるのは当然なことです。
 それが片思いであったとしても、終生忘れ得ない思い出となって、心の奥に秘められていると思うのです。
 青年期は多感ですから、恋する人ができれば人生は薔薇色で有頂天になり、失恋すればそれこそ悲劇の主人公よろしく、食事も喉を通らなくなるほど落ちこんでしまう、そんな経験を一度や二度は誰もがしていることと思います。その時々は真剣に、死ぬことを思い
詰めるぐらいの悩みようだったことを、年を取って振り返ってみれば、青春時代の思い出の一つとしてなつかしく思うことでしょう。
 失恋は、人を愛することと共に、人の心の痛みを汲み取れるやさしさを培える、大事な体験になると思います。ですから、若い人には失恋することもよいことだとすすめてきました。失恋を怖れずに恋する人に積極的にアプローチしていけば、相手の心を掴む可能性も高くなるのではないかと思います。
 だからといって、失恋ばかりしている人は、客観的に見て、自分のなにが嫌われる原因なのか知ることも大事です。

因縁生による恋愛・結婚とは、善きにつけ悪しきにつけ、だいたい過去を清算するためのものだと思いますが、それでは魂は満足できません
人間は神といわれる創造エネルギーの分かれたものですから、創造活動に参加することによって神の一員である自覚と充足、喜びが得られるようになっています。
それにはより高い次元のパートナーが必要となるでしょう。
それが魂の友、霊系統の家族、ソウルメイトです。
ではどうしたらソウルメイトと出会えるのでしょうか? 
それには、表面的な好き嫌いという感情を超えて、魂の目で見る必要があります。
この章では、ソウルメイトについてお話くださっています。


善きパートナーを得るために

恋愛、という言葉のひびきには、ロマンチックで夢を誘う甘さがあり、誰もが憧れるのです。が、実際にはいろいろと例をあげてお話してきましたように、お互いの過去世における人間関係での貸し借りや愛憎の果し得なかった様々な問題があって、その因縁生によって引きつけ合うことが多いのです。そして縁が結はれると、浄化と修正のためにいろいろな問題が起ってくるのです。だからといって、すべての恋愛がそうだというのではありません。
 では、因縁生的にみて、どのような縁が善い結びつきになるかといいますと、例えば、前世でふたりが愛し合っていたのに、なんらかの事情で結ばれなかった魂が、今世でめぐり逢い、その恋を実らせようとする。
この場合、ふたりの恋が結ばれなかったその事情によって、今世でも、ふたりがなんらかの困難を乗り越えてゆかねばならぬとか、或いは再び、悲劇的な結末に終ることもあります。しかし、お互いは愛し合っていますから、ふたりの間の相克はありません。
 次に、過去世において仲の良い夫婦や親子、或いは兄弟姉妹や親友でめったなど、仲の良い魂同志が、今世で再び結ばれ愛し合う、といったケースです。この場合はお互いに、相手に対する思い遣りの心が働き万わがままも許せるため、今世でも善きパートナーになれます。
 いちばん善い縁は、自分の魂の伴侶というべきソウルメイトとの出会いです。ソウルメイトというのは、心の深いところで結ばれている人のことで、自分の魂の分身であるともいわれています。とすると、この世界の何処かに、必ずその人はいるはずです。
 ソウルメイトが、あなたの恋人や結婚の伴侶として、今世にめぐり逢えたら、それこそ最高のカップルとなります。誰でもが望むところですが、残念ながらこの 世界ではなかなかめぐり逢うことは難かしいようです。
何故ならこの世界はまだ三次元で、私たち自身が因縁因果の法則に支配されて、お互いの因縁生の修整と浄化のために結ばれる恋愛・結婚が多いからです。
 結婚にしても、昔の女性は、親の命ずるままに嫁にゆき、初夜の時に初めてお婿さんの顔を見た、なんて話のあったのはほんとに昔の昔の感じです。現代は、女性が自立してきたこともあって、女性のほうが男性を選ぶ時代になり、結婚もなかなか難かしくなってきています。結婚したくとも出来ない、そういう人もけっこう多くいます。
かと思うと簡単に結婚したかと思うと、また簡単に離婚してしまう人も多いようです。
 やがて、この世界が次元上昇して、人々の意識が高くなれば、因縁因果の仕組みの学びは卒業できるでしょう。そうなれば現在のような結婚の形態も変ってくると思います。そうなったとき、一目見てこの人は私のソウルメイトと直観し、精神性も共有し、お互いに磨き合いながら人格を高め、愛を大きく成長させていける、よきパートナーが得られるでしょう。

 ソウルメイト

 それまでに、私たちが善きパートナーを得るためには、あなたのハイヤーセルフ(守護霊)に、よくお願いすることです。
 ハイヤーセルフとは、あなたの魂の親に相当し、この世にあなたを生み成してくださったのは、あなたの両親ですが、魂を両親に預けたのはハイヤーセルフです。つまりあなたはハイヤーセルフの分身ということになるのです。
 ハイヤーセルフは常に、あなたの成長と幸せを思い、あなたの背後から見守り導いているものなのです。大方の人々はそのことに気づくことなく、自我欲望にまかせて好き勝手をしては、自分で自分の運命を狂わせ、不幸を歎いているのです。
そこで、
 「ハイヤーセルフ(守護霊)さん、私は結婚したいと思います。どうぞ私にふさわしい良きパートナーをお与えください。」
そのようにお祈りをして、現われてきたご縁に素直に応じてみるのです。
 肉体夫間は、この現実のことしかわかりませんが、ハイヤーセルフはあなたの人生の先の先を見通し、あなたに一番ふさわしい人に、ご縁をつくってくださいます。その時にあなたが、自分の好き嫌いの正面的な判断で、相手を拒否した場合、折角のチャンスを逃がしてしまいます。
 ハイヤーセルフにお願いした以上、あなたがハイヤーセルフにどれだけ、そのはからいをおまかせできるかが、問題なのです。そこが難かしいところです。
 ハイヤーセルフが、あなたの良きパートナーを選んでくださったからといって、その人が白馬の王T様ではありません。あなたにふさわしい人ということは、あなたがこの世界で、どれだけ精神的に人間性を高めてゆくことができるか、ということでの良き相手と、ということになります。磨きのために粗砥のような相手かもしれません。
 何世かに一回は、ほんとうにぴたっとくる相手にめぐり逢うが、すべてに満足して愛し合っている夫婦では、何の磨きもありません。しかし、そうした夫婦であってしかも、お互いに精神的に助け合いながら、高め合っていくことができたら、それこそソウルメイトなのかもしれません。
 ハイヤーセルフ同志が話し合って、ふたりを結婚させたとしたら、夫婦喧嘩もするでしょうが、ふたりで助け合いながら艱難を乗り越え、素晴しい家庭を築いてゆけるカップルになると思います。
 今この世界は次元上昇しつつあります。従って多くの人々が精神性に目覚めはじめてきたのです。そこで自分のパートナーの求めかたも、あの人は恰好がいいからとか、美人だから好きだとか、肉体的次元での自我を満足させるための愛の求めかたから、精神的にもお互いに高め合える人を・・・。また、愛を一方的に要求したり、奪い合う愛ではなく、真実の愛を分ち合える人を求めはじめてきたのです。
そうしたことから、ソウルメイトを求める気運が起ってきたのです。といって、自分でソウルメイトを見つける、ということはまだ難しいようです。実際にソウルメイトと結ばれた人も、霊能者などの指導によって見つけた人が多いようです。
 ある本に例としてあげられていたのをみますと、年令、職業、階級等の差は一切関係ないようです。例えば、八十才のおばあさんと二十七才の青年。覚族の婦人と肉体労働者の男性。何度も結婚、離婚を繰り返した末にソウルメイトを得た女性、また必ずしも結婚しなくとも、善き友人として、お互いに助け合っていく形もあるようです。
 高次元の世界での結婚は、初めからこの人はと決めた人と意識が同調し、結婚をし、お互いに各々の特色を生かした仕事を通して、多くの人々のために働く、つまりすべてが奉仕活動なのです。
 生れた子供は施設にあずけ、そこでは人生のベテラン達が、子供たちの特質を伸ばすよう教育してゆく。
余暇は家族団らんの中で愛情豊かに交流し、霊性を磨き高めてゆくよう学んでいく。
そんな素晴しい世界、いや、もっと素晴しい世界が、必ずこの地球にもやがて顕現することを信じます。
 今現在この惑星上の平行現実(この世界に重なり合って、いろんな世界が同時に存在している)に十二人のあなたが存在しているそうです。その人たちはあなたとはかなり違った人生を送っているが、あなたの分身ですから、どこかつながり合っています。あなたが意識を高めていったとき、他の十一人の体験が、あなたの感覚として感じとれる時がくるといわれます。デジヤヴュのような、或いは過去世の記憶のように甦ってくる感じです。
その十二人を束ねていらっしゃる方。それがハイヤーセルフ(守護霊)かもしれません。
 あなたがハイヤーセルフと全く一体化すれば、十二人のすべての情報が、あなた自身のものとして自覚されるのかもしれません。もし、その十二人の中の一人と、今世でめぐり逢ったら、どういうことになるでしょう。一目で引きつけ合う、不思議な感覚でしょう。それが男女であったら自己の魂の半身とやっとめぐり逢えたことに感動することでしょう。人間とはまことに不思議な存在です。自己を高めてゆけば、どのような縁がひらかれてくるかわからないのです。



「思考は現実化する」とか「想いは具現化する」とかいう成功哲学という考え方が、一時はやっていましたが、それだけでは、自我欲望の戦いになる危険があると思います。

また、祈りのあり方と念力のあり方の違いをしっかり知っておくことは、とても大切だと思いますので、以下の言葉が参考になりましたら幸いです。
 以下『聖なる世界へ』より



祈りは常に自己の想念を、神のみ心の中に投げ入れて、つまり神のみ心に人間の想いを全託して、神のみ心にすべてをゆだねる方法です。神のみ心に人間の想念をゆだねつくしますと、人間の本心は神と一つのものですから、その瞬間から、その人のああでもない、こうでもないという想念波動がなくなり、その人の本心のみが働き出します。本心とは神の心ですから、神のみ心の完全性がそこに現われて、物事が成就してゆくのであります。
念力の場合は、神のみ心である本心が働くのではなく、幽体に蓄積されている想念のエネルギーが、集中して或る目的にそそぎこまれるので、そのエネルギーの力によって、目的が達成されるのですから、他の人や他の集団が同じ目的にそのエネルギーをそそぎこめば、両者の念力合戦になってしまい、両者が傷つくのであります。
 念力が強いことは、弱い人より、物事が成功していってよいでしょうが、あくまで自我の力ですから、宗教的な悟りの境地とは反対の方向の力で、宗教者が、念力を人々にすすめるとしたら、それは邪法であると思うのです。宗教者の目ざすところは、神仏の世界でありまして、神仏を離れた自我の世界ではありません。
釈尊が空になる坐禅観法を教えたのは、空にならずに、想念波動のエネルギーをつかっての念力の修練では、三界の苦しみを越えることができないのを知っておられたからなのであります。
 釈尊が、バラモンの教えを超越した仏教を立てられたのは、念力をも含めた、あらゆる肉体人間の把われを放つことによって、人間は神仏の世界と一つになり得るのだ、ということを教えたかったからなのであります。”

祈りの世界は、感謝ではじまり感謝に終わる、と言っても過言ではありません。 

というのも、感謝は実に微妙な波動を持っていまして、一瞬にしてその人の本心の座に同調せしめるからです。やり続けるとわかると思います。
 以下は『聖なる世界へ』からの抜粋です。


” 感謝の心は祈りのこころ
人類を滅亡の方向に向わせないためには、どうしても、頂き直すという謙虚な、謙虚というより当然な生活態度にならねばいけないのです。すべての権能は神のみ心にあるのでありまして、人類はこの権能を分け与えられて、神の理念をこの地球界に現わしてゆく、そういう天命をもっているのであります。神が在っての人類でありまして、神を離れた人類というのは、滅亡するより仕方のない存在となるのです。ですから人類は、一日も早く、神との一体化を計って、神の権能が、真直ぐ人類の上に働きかけられるような態度をもっていなければいけないのだ、ということになります。
そのためには、たゆみない祈り心が必要になるのであります。神様ありがとうございます、という神ヘの感謝の心も祈り心です。世界人類が平和でありますように、という心も祈り心です。日本が平和でありますように、私たちの天命が完うされますように、というのも祈り心です。そして、そういう祈り心に先んじて、すべては神様から頂いて生活しているのだ、という、全面的神への感謝の生活ができていれば、申し分ないのであります。”

誰でも一度は、もうすでに結婚されているされていると知りながら、その人を好きになったり、恋愛感情を持つ、という経験があると思います。どこからそういう感情が湧いてくるのか不思議ですが、抑えられるようなものでないことは、皆さんご存知のはずです。そこにドラマが生まれます。不倫という形が悪であり罪なのか、自分の心をごまかして後悔の念を持って生きるのが悪なのか、今回は、そういった道ならぬ、ぎりぎりのご相談からです。

 

理性で割り切れるものではない

 先に例を上げた不倫の愛のように、自我欲望のままに、相手を自分のものにしようというありかたは、確かに責められて然るべきです。これは愛とはいえないのです。
 だからといって、すべてそうした行為は罪悪である、と頭から決めこんで、そういう人を批判し、誹謗し、責め裁こうとすることもまた、因縁生の何たるかも知らず、自己の狭い見解で誤まって人を貶めることになります。
 人を批判し、誹謗し、責め裁ける人は、幸いにもそういう因縁生の無い人であって、もしその人に、そういう因縁生があれば何時なんどき、そういう縁の人が現われてこないとも限りません。そのとき、その人はどうするでしょう。
 それが浅い因縁の人であれば、理性で抑えること且できます。ところが、現在結ばれている相手よりも、もっと深い縁の人であったなら、いくら理性で抑えようとしても、感情は抑えきれず、その人に心が強く魅かれていくでしょう。道徳的な人であれば、当然自らの罪の意識に悩み苦しみます。
 この世界は因縁生による様々な人間関係のなかで、どう対処し、どう磨き合って成長してゆくか、にあるのです。人間は、何生も生れ変りを繰り返しながら、あるときは親子となり、夫婦となり、兄弟姉妹、恋人同志、友人、主従、敵同士等々、様々な縁を結びながら、自らの愛を成長させていこうとしているものなのです。
 そうした人間関係のなかで、その人が学ぶべきものも学ばず、自己中心的に愛に悼る行為をしたり、相手の心を損ね傷つけたりした場合、そうした行為は当然、因縁因果の法則によって、自分に返り、修正してゆかねばなりません。
それが、その人の今世の運命となって現われてくるのです。
 この世における人間関係は、すべてこうした因縁生によって起っているものなのですから、理性で割り切れるようなものではないのです。
 道徳や倫理でいくら人間を規正しようとし、それを犯す者には刑罰で取り締まろうとしても、破る者は破るのです。いいや、破らざるを得ない、何か大きな衝動につき動かされるのです。それが因縁生なのです。
 そういう問題を抱えて、私のところに相談に来られる方は、ご自分の行為に罪意識を感じ、さんざん悩んだ末に、思いきって相談に来られるのでしょう。ですから、相談を受ける立場としで、頭からそれは道徳に反します、不倫です、と、その罪を責めるようなことを言ったら、それは罪の意識の上塗りであって、その人の苦悩をさらに深めてしまう形になります。相談される側としては、あくまで相談する人の側に立って、その人の生命がより生きるにはどうあったらよいかを、共に考えてあげねばなりません。

 例9 私の愛は不倫です

 三〇代後半と思われる女性がやって来ました。何かを訴えかけてくるような瞳が、とても印象的でした。きりっと締まった口もとに、やさしい人柄のなかに秘められた情熱を感じさせます。意を決して来たのでしょう、真直ぐ顔を私に向けて、
 「私、今日、先生のお言葉を聴いて、決断しようとやって来ました。
 実は私、ある方を好きになって、その方とのお付き合いをずっと続けてきました。でも私のなかでは、その方とこれ以上深くなってはいけないと、いつも心にブレーキを掛けているのですが、自分に負けてしまって、今日まできているのです。その方には奥さんもいらっしゃいますし、お子さんも二人いらっしゃいます。私のやっていることは不倫です。罪を責められても仕方ありません。でも、私、その方のこと、どうしても好きなんです。
 今までも幾度か、お別れしようと思ったのですが…。」
 そこまで言うと、堪えていたものが頬を伝わって流れ落ちました。
「彼は、あなたのことをどのように受けとめていらっしゃるのですか。」
 はい、彼も誠実な人ですので、真剣に悩んでいます。
 奥様とは、性格的に折り合いが悪く、そのことも彼の悩みなのですが、お子さんのこともあって、すぐに離婚という形にもいかないようなのです。だからといって、私かその奥様にとって替わろうということではありません。
 彼とは私の友人を通して知り合ったのですが、彼に同情するところもあって、魅かれていったのですが、好きになっていったのは彼の人柄です。彼もまた、私によって心が癒されていると思います。ですから、私か別れ話をしようとすると、とても辛そうにします。」
これは難かしい問題です。この世の倫理観からすれば、言うまでもなく不道徳なことになります。恥ずべき行為ということになりますが、そう割り切って言えることではないのです。
 「あなたは、彼を諦めることができるのですか。」
 「ええ、諦らめなければいけないと思います。」
 「何故。」
 「えっ・・・、何故って・・・いけないことだから・・・。」
 「何故いけないのです。」
 「・・・私のやっていることは・・・。」
 「そう、不倫ですよ・・・。この世の仕来たりからすれば、確かに道徳に反する行為として、悪いこととされています。」
 この女性も、この世の道徳や倫理の常識の枠の中にがんじがらめになって、自己の行為を責め裁いて苦しんでいるのです。
 では、道徳とは何でしょう。倫理とは何なのですか この問題については、後で考えることにして、今は彼女の相談に話をもどします。
 「あなたは、この世の道徳とか倫理とか、また常識とかをひとまず置いて、もっと素直になって、自分を見詰めてごらんなさい。あなたは彼を愛することによって、あなた自身の生命が損なわれているのですか。それとも、彼を愛したことによって、あなたの生命が生々と輝いて、生命の解放感を感じ、あなた自身成長したと思いますか。 あなた達二人が愛し合うことによって、お互いの生命が損われ、また、周囲の人々を傷つけるものがあったら、直ちに別れなさい。でも、二人の愛がお互いにとって魂の成長にプラスになるものがあるなら、精いっぱい愛しなさい。愛するということは、相手を自分のものにする、ということではありません。それは相手の自由を奪うことであって、自己中心的な愛です。
 愛するということは、相手の生命を生かすことによって、自分もより生命が生かされることをいうのですよ。だからお互いに与え合うものがなかったら、愛とはいえません。
 あなたが彼を真剣に愛せば、あなた自身も成長し、相手を包みこめるようになるでしょう。そうなれば、彼にとってどういうありかたがいちばん善いかが、わかってくると思います。彼と奥さんとの関係、また子供達の問題も、彼の因縁生の浄化していくための学びですから、あくまでもこれは彼の問題であって、あなたにどうこうできることではありません。あなたは、彼との深いご縁があって、彼を愛したのですから、彼が、奥さんや子供達を、できるだけ傷つけることなく、この問題が解決してゆけるように、愛念で力づけ、祈って応援してあげることですね。彼もまた、奥さんとの生活が嫌やだから、その現状を解決しようともしないで、あなたの愛に逃げているのであったら、あなたは、どんなに苦しく辛くても、二人の関係は断ち切らなければいけません。私のみたところ、奥さんは、彼の性格に反して気性の強い、やや情に欠ける女性だと思います。ふたりの間に愛の修復は難かしいと思います。でも、そういう人を選んだのは、やはり彼の因縁生によるのですから、彼自身に責任があるのです。そこに今世での彼の果たさねばならぬ業と、修行があるのですから、あなたが、それを何とかしてあげることはできません。あなたは、そういう彼を愛したこの体験から、あなた自身の愛の成長に、どう生かしたかが、あなたにとって人事な修行になるのです。今あなたが、罪の意識に負けて彼と別れても、それで彼が幸せになるわけでもないし、またあなた自身も、彼との愛を、罪の意識と共に一生引き摺って生きてゆくことになります。それでは、あなたが彼を愛したこの数年間の、生命の燃焼はどうなるのですか。今急いで結論を出さないで、結果は、どうなるかは神様におまかせして、あなたは今、精いっぱい彼を愛しなさい。そして、いいですか、罪の意識から結論を出すのではなく、愛の中から、あなた自身のこれからの生き方を見つけてゆくのです。
 彼も誠実な人柄のようですから、彼は彼なりに悩み苦しむでしょうが、そうしたなかから、最善の道を発見していくことができるでしょう。それを信じて彼を応援してあげることだ、と私は思いますがね・・・。」
 彼女はじっと、私の言葉を身に泌みこませるように、聴いていました。
そして、あらたな決意が、心の中から湧いてきたのでしょう。緊張していた顔がほどけてきて、内から輝くようなものがさしてきました。

今回は、既婚者との恋愛ですが、こういうご相談もかなり多いみたいです。
人間は、自分の中に未熟なものがあると、どうしてもその未熟さを見せてくれる鏡となる存在を、無意識に求めているものなのでしょう。
それが、人間的にも社会的にも、安定していて、将来性のある異性を回避して、わざわざ苦労が予見される相手を選んでしまうのかもしれません。

  

自分勝手な愛

 例えば、ハナコとタロウが縁あって愛し合ったとします。二人の魂がまだ幼い(容れ物でいえば小さい器)、だから、ハナコの心はタロウのことでいっぱいに占領されます。勿論タロウも同じです。二人の人生はばら色です。ここまでは純愛物語です。
 ところがあるパーティーで、タロウが友人からミツコを紹介され、ミツコの新鮮な魅力にタロウは心ひかれます。ミツコもまた、タロウが好きになります。
タロウはハナコには悪いと思いながらミツコと交際をはじめ、ミツコを自分の中に受け入れてゆくためには、ハナコをその分、心の中から追い出さなければなりません。
 こうして、タロウの心にミツコの占める部分が多くなるだけ、ハナコはタロウの心から押し出されてゆき、やがて完全に締め出されます。ハナコはまだタロウに未練があり、捨てられた悔しさと、恋を失った悔しさに恨み嘆きます。
 これが若い独身者同志であれば、よくある失恋物語の一つで、子供をつくらぬ限り、さしたる問題とはならず、また次の恋愛相手を求める、ということになります。
 ところが、これが、お互いに既婚者同志であったり、片方が家庭を持っている場合、いわゆる不倫の愛ということになりますから、当事者だけの問題では済まなくなってきます。それも良識ある人なら当然、罪の意識もあり、自制心も働き、それだけ苦悩も生じます。
 しかし、人を愛するという感情は理性では推し測れるものではありません。相手との深い縁がなければ起きません。ですから、その人が、その愛にどれだけ誠意をもって取り組んでいくかによって、その人の愛をより大きく成長させていくことはできます。真実人を愛するということは、自己の魂の成長にとって、とても大事な、素晴しい体験なのです。
 ところが、魂が幼いために、自我欲望のままに突っ走って、しゃにむに相手を自分のものにしようという、自分勝手な愛(これは愛とはいえませんが)であった場合、それは当然、他者に対する悲劇を生むことになり、自らも不幸の因をつくることになってしまいます。

 例7 同じ会社の上司です・・・

 「この人って、どういう男性なんでしょうか・・・。」
と言って、一枚の写真を持って、二七・八歳と思われる女性が相談に来ました。
 言葉遣いにも、ちょっと幼さを感じさせるものがあります。
 「この人どういう人って、あなたとどんな関係にあるの。」
と聞きますと、
 「私の彼氏です。」
 「その彼がどうかしたの・・・。」
 「ええー、なんだかこの頃、彼の言うことが信じられなくなってきたんです・・・。
 何故って、彼って、私と結婚する、結婚する、と言っておきながら、なかなか奥さんと別れようとしないし・・・。」
 「ちよっと待って・・・。
 じゃあー彼には奥さんがいるってこと。」
 「はい、そうです。」
と、別に悪怯れた様子もなく、当然のような顔をしています。
 「あなたは、奥さんのある彼を好きになったんだね。それで彼は幾つ、子供はいるの。」
と、私のたたみかける質問に、彼女は、
 「ええーと、彼は今三六歳です。そして子供は二人いるって聞いてます。私は彼のことが好きなんですけど 
「彼とおつきあいしてどのくらい。」
「もう・・・三年かな・・・同じ会社の上司なんですが・・・。」
 「そう・・・。あなたは彼と結婚できると思っているの。」
 「えつ! できないんですか・・・。じゃあーこの彼、私に嘘ついてんですか。」
 「あなたは初めから、この男性に奥さんがいると知っててつきあってきたの。」
 「はい、同じ会社ですから。そのことは知っていました。でも彼が・・・。」
 「あなたに、自分の奥さんとの仲がうまくいっていない。奥さんが自分に対して冷たい、とか、なんとか、同情を買うようなことを言ったんでしょう。」
 「ええー、なんでー、そうなんです。飲みにゆこうと誘われた時、そんな話を聞いて、なんだかちょっとかわいそうになって、その後も・・・。」
 「あなたはね、彼に騙されているんですよ。」
「そんなー・・・。」
 「彼は奥さんと別れる気もないし、また別れても、奥さんや子供に対する慰謝料や養育費も払えるだけの力はない。自分達夫婦の不仲をべらべら喋って、女の同情を買い、そのひとを自分のものにしようとする、これは男の女を口説く一つの手口ですよ。
 彼は自分本位な性格の人ですよ。だいいち、あなたがもし、彼と一緒になれたとして、彼の奥さんや、子供たちから彼を奪うわけだから、そのことに対してあなたはどう思っているの。」
 「それは、悪いとは思うけど、でも、私たちは愛し合っているんだから・・・。」
 「愛しているからなんでも許される、と思ったら間違いですよ。他を押し退けても好きな物は自分のものにする、ということは、自己中心的な行為であって、愛とはいえないでしょ。 愛するということは、相手と一つになってゆくことで、お互いの生命を生かし合えるものでなければ、愛とは言えないのです。肉体を求め合うだけのものであったら、彼があなたに倦きたら簡単に捨てますよ。・・・。」
 あなたが、彼ってどういう人、と私に聞きにきたのは、彼の一片動に疑問を感じているからでしょ。これをよい体験として、あなたはもっと、男性を見る目を養わなければいけませんね。」
 彼女にとっては、私の言葉は厳しかったかもしれませんが、彼の性格的なものや、彼女の幼さから見て、この関係を続けていったら、彼女の不幸が口に見えていますので、目を醒させようと思ったからです。が、果して彼女はどのくらいわかったことでしょうか。

 例8 自らの愚かさが家庭崩壊を・・・

 次の例は、AとBの二組の夫婦がいました。両家は友人として、それほど深い交際はしていなかったのですが、両夫婦に共通するものは、夫婦仲が悪く、夫婦としての世間体を保っている程度、といった状態でした。
 その不満の捌口を慰め合うような形で、いつの間にかAの夫とBの奥さんが、不倫の関係になってしまいました。初めはお互いに秘められた愛ということで、それがかえって刺激的でわくわくと、生甲斐を感じていたかもしれませんが、女性が妊娠したことから、一
挙に自我が剥き出しとなって、醜い争いになってしまいました。
 彼は子供をおろせと言い、彼女はおろさねばならぬことは百も承知なのですが、彼に騙されたと言って、法外な金銭を要求しました。開き直った彼は、あろうことか相手を家裁に提訴してしまったのです。
 もうこうなりますと、二人だけの秘め事では済まなくなり、お互いに自分の都合のいいように言い繕い、相手を誹謗するでしょうから、家裁で決着がつくとも思えません。それに、そのことを知ったBの大は、奥さんの浮気を理由に離婚を強要してきました。勿論慰
謝料など払う気はありません。またAの奥さんもチャンスとばかり、多額の慰謝料を要求して、離婚を迫ってきました。夫がその要求をのまなければ、裁判も辞さない覚悟です。
 自己保身と欲のために、目先のことに囚われ、家庭崩壊を自ら招いてしまった愚かさ、本人たちは自ら選んだ道ですから仕方ないとしても、大きな犠牲を強いられるのは子供たちです。
 身内の方から相談を受けたのですが、どうしようもありません。もうこうなると、ゆきつくところまでゆくしかありません。不幸を背負い、苦労の果に、自らの愚かさに気がつくことでしょう。
 この二人の場合、愛などはじめから存在しなかったのです。

以下は『霊性の開発』からです。


” 誰にでも出来る人類救済法、自己救済法は一体どのような方法なのでありましよう。
それはたゆまざる「祈り」なのであります。世界平和の祈りなのであります。
なんだ祈りなのか、という人があったら、その人は宗教を全く知らない人というベきなのでありましょう。
 宗教者で祈りを説かぬ人は、まず皆無ではないかと思いますが、真実の祈りを教えている人がどれ程あるかは非常な疑問なのであります。
 まず真実の祈りを根本にして生活を行じてゆかぬ限り、その人も、その国も、世界も逐いには滅びてしまうのです。真実の祈りは、人類を救う唯一の鍵なのであります。
日々に教会に詣で、聖書を読みながら、原爆を投下し、また更に水爆を次ぎ次ぎと製造しているようでは、その人々の宗教が本物でないことは明らかです。
 祈りとは、以前にも申しましたように、生命を宣り出す、生命を宣言する、生命そのものになる、ということで、神と一体になることであります。”

結婚とか恋愛には、どうしても相性というものが存在します。
永安先生が多くの方の恋愛、結婚のご相談を受けられている内に、うまくいく恋愛、結婚には法則があるのに気づかれたと思います。
今回は、男性の魂が大きく、女性の魂が男性と比較して小さすぎる場合です。

例5 うちの息子が選んだ女性だから

 女性の魂のほうが大きく、男性の魂が小さい。勿論これは、その女性と男性を比較してのことです。人間全体的に見ての大小ではありません。魂が小さいなりに、二人の魂の釣合いがとれていればよいのです。大きな差があるということは、どちらかに比重が傾いてバランスがとれなくなるからです。
 女性のほうが魂が大きい例をあげてきましたので、次に、男性の側からの相談の例をあげてみましょう。
相談に来られたのは本人ではなく母親です。
 「うちの息子が、このお嬢さんと結婚したいと言うのですが、どんなものでしょうか。
 私共としては、息子が選んだ女性ですから、出来たら結婚させてあげたいのですが・・・。」と、二人が写っている写真を持って来ました。
 親御さんとしては、大事な息子が結婚の相手として選んだひとだから、できたら結婚させてあげたい、が・・・と。が、という言葉が付いているということは、やはり無条件で受け入れ切れない、何か不安を感じているのでしょう。
 「善い息子さんですね。魂も大きく確りしていますし、将来性もあります。このお嬢さんとはどういうご縁で・・・。」
「はい、なんですか、同じ職場の女性らしいです。」
「そうですか。お付き合いをしているぶんならよいのですがね。可愛くて、甘えんぼうでわがままで、ガールフレンドとしては魅力があってよいと思いますよ。でも結婚となるとどうでしょうかね。」
 私が心配するのは、彼の魂の大きさに対して、彼女のほうがかなり幼すぎるということです。魂が幼いということはヽどうしても自分本位な生き方になります。
男性は仕事が大事です。ましてや、彼に発展性があるということは、社会的にもそれなりの責任ある地位に就くようになります。仕事を第一にするとなれば、とかく家庭はその分犠牲になるところがあります。それを理解し、補ってあげるのが奥さんです。ところが、
幼い魂の人は自分中心にしか考えられないし、自分に意識を向けて欲しくて夫に要求します。構ってもらえないとストレスを起し、欲求不満を満たそうとして、あってはならない行動をしたり、様々な問題をつくり、結局、夫の足を引っ張る、ということにもなりかねません。
 あなたの息子さんが、自分の魂に見合わない、このような幼い女性を好きになったということは、やはり因縁生で、過去世におけるなんらかの借りが、この女性との間にあったのでしょう。それで彼女をなんとかしてあげたい、と思っているのかもしれませんね。
 彼の持っている良い運勢が、彼女との結婚によって削がれるかもしれません。」
  私の言葉を黙って聴いていたその方は、
「やはりそうでしたか。私もこのお嬢さんの写真を見せられた時、ほんとうにうちの息子に、このような女性でいいのかしら、と、実は内心思ったのですよ。ごらんのようにちょっと派手好みのようですしね・・・。ご相談してよかった。でも、息子にはどう言ったものでしょうか・・・。」
「息子さんは、思い遣りのある善い魂の人ですから、ご両親の心を踏み躙るような我を押し通してまで、ということはないと思いますよ。ですから思い切って、私の言ったことをお話してみたらどうですか。将来のためですから。」
 「はい、そうしてみましょう。」
そう言って、その方はお帰りになりました。
 この例でもわかりますように、結婚するにも易学的な面から見た相性も大事かもしれませんが、魂の釣合いということも大事なのです。魂の大きさの差が違いすぎるということは、その人の体験量や意識のありかたも違うから、物事に対する認識の仕方にも食違いが生じてくるのです。こうしたことが破綻へと、傷口をひろげてゆくことになるのです。

 例6 男性同志

 人生相談には、実に様々な人々が、いろいろな問題を抱えてやってくるのです。相談を受ける私のほうが、どうお答えしてよいか途方にくれてしまうような問題や、内心、アッと驚くような相談事もあります。様々な人生体験を聞かせてもらうのですから、私自身にはとても大きな勉強になります。
 ある日、一人の男性がやって来ました。肌は浅黒く、やや小肥りで、鼻下に髭を蓄えております。髭の感じから、なにやら厳めしそうな感じに見えましたが、よく見ると優しそうな顔をしています。
 なにかもじもじして、言い難そうにしていますので、
 「ご相談は何でしょうか。」
と、こちらから受け入れの姿勢をとりました。
 「はい・・・実は・・・私には好きな人がいるのですが・・・その人がなんだか最近・・・とても私に冷たく当るようなんです。それで、どうしたらいいかと思って・・・。」
 「何故、その人があなたに冷たく当るのか、理由を聴いてみましたか。」
 いいいえ・・・機嫌が悪いので、そんなこと、とても・・・。」
祖手の思いがはかりかねて、自分が嫌われてしまったのではないか、と想い悩んできたのでしょう。その人のお写真を持ってきましたか。」
 「はい。」
と言ってワイシャツの胸ポケットから、一枚の写真を取り出し、おずおずと差し出しました。
私はその写真を受け取り見た時、「アッ」と一瞬おどろきました。
 実は、その写真に写っているのは、ちょっと神経質そうな感じの、二七・八歳の男性だったのです。ホモセクシャルのことは、知っておりましたが、実際に相談を受けたのは初めてでした。それに、相談に来られた方が男性だから、当然相手は女性と思って、そのつもりでお話をしておりましたので、一瞬、どのようにこの人に対応してよいのか迷いました。
 が、 「ああ、この人は男ではなく、女の子だと、思えばよいのだな。」
と、心に決めて、彼に対応することにしました。
 彼は恥かしさを堪えて相談に来たのです。私がおどろきを表情に出し、彼を奇異の目で見たら、彼は傷つくでしょう。そう思って、あらためて彼の顔を見ると、口髭は気になりますが、とても動作がやさしく、純情な女の子に見えてきました。
 彼が不機嫌に口もきいてくれないのは、自分が嫌いになったのではないか。もし彼に捨てられるようなことになったらどうしよう。そんな不安でいたたまれなくなって思い切って、私のところに相談に来たのでした。
 「彼は性格的に少し神経質で、気難かしいところがあるから、何か仕事のこととか、或いは自分のことで、何か想うようにゆかず、悩みごとがあるのでしょうから、あなたはあまり気にしないで、彼の幸せを祈ってあげなさい。そうすれば、あなたの愛念が彼にゆき、
彼も早く問題から立ち直るでしょうからね。うまくゆくようにお祈りしましょう。」
この私の言葉に、心配の思いが少し薄らいだのでしょう。ニッコリ笑って帰ってゆきました。こうしたホモセクシャルの人は、身体は男性なのに、脳のほうは女性ということで、胎児の時に充分に、男性ホルモンを受けることができなかったことによる、と言われています。
 レズビアン。この人たちもまた、身体は女性でも、男性的な脳を持って生れてきた人たちなのでしょう。ですから同性愛の形をとっても当然なのかもしれません。
 男性ばかりとか、女性ばかりの集団生活の中では、特にホモやレズでなくとも、そういう同性愛的な感情は起り得ます。
 女性からも、同性愛の悩みの相談を受けたことがありますが、いずれも本人にしてみれば、真剣な悩みなのですから、相談を受ける立場としては、そのつもりで対応しなければいけないことです。

最近は、恋愛結婚が主流ですが、一昔前までは、お見合い結婚が主流だったようです。どちらがいいかは、一概に言えないですが、とちらにしても自分のイメージを相手に被せて、自分の相手に対するイメージと結婚する、というのが本当のところのように思います。
そうすると、後でいろいろゴタゴタが起こります。
今回は、そういうご相談の一こまです。

例3 別れ話

 二五・六才と思われるロングヘアーの女性がやって来て、私の前に黙って座って、俯いています。こみあげてくる悲しみを堪えているのか、口をひらいたら涙のほうが先に溢れてきそうです。暫くそのままそっと包みこむように見守っていました。どうやら少し感情が収まってきたようでしたので、
 「どうしたの。」
と聞きましたら、どうやら、彼と口喧嘩をし、別れ話にまでなったようです。
その喧嘩の原囚も、彼に新しい彼女ができたのを詰ったことからのようです。
 涙ながらの彼女の話ですが、彼女はなんとしてでも彼との縒りを戻してほしい、というのが願いのようで、それで相談に来たのです。
 「彼の写真を見せて。」
 「あっ、持ってきませんでした。」
 「そう・・・じゃあ名前はなんていうの。」
と言って、彼の名前を聞きました。写真がなければ名前でも判断がつきます。といって姓名判断ではありません。同姓同名の人は数多くいますが、彼女を通しての何の何某という人は一人しかいません。ですから、その人に焦点が当てやすくなるのです。その人の意識波動に同調することによって、その人の魂の大きさとか、性格的なものとかが、ある程度判るのです。
 「あなたは、彼と別れたくないのね。」
 「ええ・・・やっぱり駄目なんでしようか。」
と、不安そうな顔をして、私を見詰めてきます。
 「駄目というより、本当は、彼とはきっぱり別れたほうが、あなたのためにはいいんですがね。」
 「そんな・・・何故ですか。」
と、私の意外な言葉におどろき、反発してきます。
 「彼の性格はね、わがままで自分勝手なところがあるでしょ。自己主張が強いので、人の意見など聞かずに行動をする。女のひとはね、そんな男を男らしいと錯覚するんですよ。
 しかし、裏をかえせぱ自己中心的で、思い遣りが無いということなんです。
 あなたがもし、彼と結婚できたとしましょう。彼は今でさえ、自分の好き勝手に動く人だから、結婚したらどうなるかわかるでしょ。それでもあなたは彼と一緒になりたいの。」
 「・・・。でも、彼って、やさしいところがあるんですよ。」
 「自分に都合のよい時にはね・・・。そんなやさしい人だったら、何故、あなたに悲しい想いをさせるの・・・。彼に新しく彼女ができたからというけれど、あなたと付き合う前にも、彼女はいたんでしょ。」
 「ええ、そう言われれば・・・。」
 私の感じとった彼の性格は、魂が幼いうえに、我が強く、攻撃的なものを持っています。彼女のことも真剣に愛しているわけではなかったでしょうし、もう飽きがきたから次の彼女に気が移った。だから喧嘩をよいことに、別れを宣告したのでしょう。
縒りがもとに戻るということは望めません。
 「彼のほうから別れ話を出したのだから、あなたには辛いだろうけれど、いまが別れるチャンスですよ。まだあなたは若いのだから、このことをよい体験として、あなたはもっと男性を見る目を養うことですね。」
 まだ諦めきれないような顔をしていましたが、私の言った言葉に、思い当ることがあったのでしょう。頷いて帰っていきました。

 例4 家柄が違います

 ある時、気位の高そうな、恰幅のよいご婦人がやって来ました。
私の前に座るなり挨拶もそこそこに、
「実は、うちの息子は長男で跡取りなんですが、好きな娘ができまして、どうしても結婚したい、と言うとるのですが、私らとしては大変困るのです。なんとか縁を切ってもらえませんやろか。」
写真も持ってこないようですので、まず名前を聞いてみました。メモに書いてもらった二人の名前を見ますと、息子さんのほうは魂も幼くわがままな性格ですし、将来性もありません。一方女性のほうは、それなりの魂の大きさを持ち、確りした性格のようです。
 「何故、この娘さんではいけないのですか。息子さんにはこういう確りした女性と一緒になったほうが、よいと思いますがね。」
と、言いましたら、そのご婦人は言下に。
 「いいえ、それは困ります。この娘は自転車屋の娘です。うちは医者です。」
 「自転車屋の娘が何故いけないのですか。」
私はわかっていても敢えて聞いてみました。
 「家柄が違います。」
 「そう・・・それならはっきりと息子さんに言いきかせなさい。この結婚は絶対反対だ、と・・・。」
 「でも、息子には何度も言っておるんですが・・・。」
と、先ほどと違い、弱気な顔になりました。
  そう。わかっています。わがままな息子で、親がいくら説得しても言うことをきかない。だから困り果てて、私のところに二人の縁を切ってもらおうとやって来たのです。
息子の幸せのためと言うけれど、息子の幸せよりも、親の面子のほうが大事なのでしょう。「家柄が違います」と言うからには、それなりの資産家ということでしょう。
息子をわがままいっぱいに育てたうえ、自分たちの思う通りにしようとして、いま息子に手を焼いているのです。息子もかわいそうだが、こんな家に嫁にいったら、娘さんの苦労は目に見えています。
 私たち人生相談に携わる者としての心構えは、相談に来られる方の立場に立って、考えてあげるということです。そして、その人の生命がより生きるにはどちらを選ぶべきかで判断をし、言葉を選び、お話します。
勿論、自我欲望の満足を助長するようなことは避けます。このご婦人の相談も、息子の立場に立って、「頼りになる女性だから」と、一応はすすめてみたのです。が、もし女性のほうから相談を受けたら、相手がいくら資産家であろうがその本人に将来性もなく、わがままな性格ですので反対をしたことでしょう。
 このご婦人の場合は、結婚の相談に来たのではなく、縁を切ってもらいたくて来たのです。それがわかっていましたので、敢えてすすめて本音を聞いてみたのです。
 縁を切ってほしいと、時々頼まれますが、私たちにはそのような大それたことはできません。何故なら因縁生は本人たちの問題であって、それはお互いの守護霊様がはからって、浄化のためになさっていることですから、私たちにはそれに干渉することなどできません。もしできると思っていたとしたら、それははなはだしい思い上りです。守護霊様の領域に立ち入ってまで、人の因縁生を左右することなどできませんし、してはいけません。
 私たちにできることは、その人の本心を目党めさせ、早く因縁生が浄化できるようお浄めをし、力をそそいで応援してあげることだけです。因縁生が浄化されれば、自ずから縁は切れます。そのご婦人には、ただ二人のことをお浄めをし、お引きとりいただきました。
 今日の社会では、結婚の相手を選ぶのに家柄や学歴で判断しようとします。
そこで釣書を交して、両家の釣合いがどうのこうのとやりますが、いくら家柄がよく財産家であっても本人に才能か無く、将来性も無かったらどうなるのでしょう。
 この世界はまだ唯物的な世界観が主流を占めています。物に依存している世界だから、人間の本質がどうであるかがわからないため、形あるもので判断しようとします。それが家柄だ、学歴だ、職業だ、ということになります。条件が整っていても、本人が整っていなかったとしたら、整った条件がかえってその人を駄目にしてしまうかもしれません。 
大事なことは魂の釣り合いがとれているかどうかです。
この世界はまだ男社会ですから、男性の魂のほうが大きく、女性のほうがやや小振りのほうがよいのです。そのほうが女性が男性に頼れます。それに男性が女性を包みこめます。だからといってただ大きければよい、というものでもありません。大きいけれど浅い、という人もいます。性格的に歪みを持った人もいます。
魂の大小について、またその作用については、後にもっと詳しくお話いたします。