外国で仕事をしたり、永住することも可能ですし、結婚もそういう選択肢の一つとなっているように思います。そして、男性といえば、自分より能力のある女性というのは、どうしても劣等感を感じてしまい、張り合う気持ちが湧き上がってきて、家庭においてはやすらぎがなくなる、という感じになります。すると、そういう女性とは結婚には至らない、ということになります。いろんな事情、要素があるにしろ、縁の深い人というのは、意識から離れないもので、想いが勝手にその人のそばに行ってしまうものです。
この章は、そういう恋人のできない男女に対する永安先生の洞察です。
なぜ恋人ができないのか
恋人が欲しい、だからといって誰でもよい、というわけにはゆきません。まして愛し合うには、それなりの深い縁がなければそうなりません。
恋人にしたら素晴しいだろうな、というような人は、街を歩いていれば、何人かは見つけ出すことができるかもしれません。が然し、その人は自分にとって無縁の人であり、高嶺の花でもあります。ですから俳優やミュージシャン、或いはスポーツ選手などに、陛分
の理想像を投影したりして、お熱をあげたりするのです。
恋人をつくるにはそれなりの縁がなければ、と言いましたが、そうした縁があったとしても、それを掴まなかったら、せっかくの縁を逃してしまいます。
そこで、恋人のできない人のタイプを見てみましよ
O自分を構えすぎている人
○自分は愛されるに価しないと、心に決めている人
〇自分にばかり愛を要求し、他に愛を与えることをし
ない人
○人を愛することに、苦悩を味わったことのある人
以上、一応四つのタイプをあげてみました。
〇自分を構えすぎている人
このタイプの人は、自己保身の思いが強く、好きな人が目の前に居たとしても、自分から愛を告白して、もし相手が受け入れてくれなかったら、恥をみるし、傷ついてしまう。
そんな思いが先だって、なんとなくよそよそしく構えてしまうのです。それがお高くとまっているように見えたりして、とっつきにくい感じを与えるのです。
これでは相手が好意を持っていたとしても、余程のチャンスがない限り、ふたりの交流は難しくなきます。
好きな人を前にして、白分をよく見せようと気取って構えてみせないで、さり気なく好意を示し、彼なり彼女なりを、自分の中に受け入れるよう、まず心をひらかないといけません。そして、さらりと相手の善いところを褒めるのです。褒められて悪い気のする人は
いません。といって、心にもない褒めかたはかえって嫌味になります。
勇気をふるって言った褒め言葉が、ぎくしゃくしてしまって、取って付けたような言葉になり、かえって気まずくなってしまう、といったことにもなりかねません。
人に好かれる人というのは、サービス精神の旺盛な人です。
それに相手に対して心をひらいていますから、相手も心をゆるして打ち解けてくるのです。ですから、自分を構えすぎている人は、自意識過剰でもあるのです。
自分に意識を向けないで、できるだけ交際している人々のなかの善いところ、美しいところを発見してゆくことを、心掛けてごらんなさい。
そしてそれをさらりと、言葉に出して褒めてみるのです。
そうすれば相手の反応が違ってくるのがわかりますし、自分自身も心が豊かになってきます。心の豊かな人は、人が見ても魅力があるものなのです。
では次に、
〇自分は愛されるに価しないと、心に決めている人
この人たちの傾向として、幼児の時から、両親の愛情を充分に受けてこなかった、つまり愛情不足に育った人か、或いは事毎に、身体的なことや性格的な欠点などを指摘されながら育ってきて、自分白身にまったく自信を持てない人。それに、自分を醜い、と信じこんでしまっている人などです。
これらの人に共通なものは、愛情不足と思い込みです。子供の時から、「お前は駄目な子」「愚図で馬鹿で・・・」「お前は醜い」などと摺り込まれて育ってきたから、自分はそういうものだと思い込んでいて、人から愛される人間ではないと、はじめから決めているのです。
美醜は主観的なものです。確かに形のうえでは美醜はあります。が、内面の美醜はまた別です。「あなたは醜いから」とか「あなたは性格的にこれこれだから」と、人に言われたことを信じこんで、自分で掴まえていたら、その通りの人になってしまうのです。
醜かったら何か特色を磨いて、魅力ある人間になったらよいし、欠点があったら、それをカバーする長所を表現するようにしたらよいのです。自分が愛情不足であったら、愛を要求するだけでなく、周囲の人々や生物や物を愛することによって、自らの愛を充足させていったらよいのです。
こうして、自分自身が愛深くなっていったら、多くの人々から愛される人になれるのです。美も愛も、それはあなた自身のなかにあるのであって、それをどう表現するかは、あなたしだいなのです。
〇自分にばかり愛を要求し、他に愛を与えることをしない人
この人もまた愛情不足に育った人たちなのです。ただし、愛情不足といっても、過保護よる愛情不足なのです。
過保護に育ったということは、愛情をいっぱいそそがれて育ったように思うでしょうが、実は、親のエゴによる愛情過多ですから、親の自己愛の延長なのです。
子供がかわいい、といってなんでも要求通りにさせてあげる。子供がかわいそうだからといって、自ら体験して学んでいかねばならぬことまで、親がやってしまう。これでは子供が自立できなくなってしまいます。子供は体験しながら育ってゆくものです。
わがまま言ってごねれば、なんでも自分の想う通りになる。こんな育ちかたは、子供にとっては大変な不幸になります。何故なら、要求するばかりで与えるということを知らないで育つからです。要するに愛とはなにかもわからず、愛しかたも知らない人になってしまいます。人間にとっては辛い悲しい体験も必要なのです。そうした体験を通して、人の心の痛みもわかる人になっていくからです。
○人を愛することに、苦悩を味わったことのある人
誰かを愛したことによって、悲劇的な体験をした人は、人を再び愛することに躊躇を感じたり、心を閉ざして逃げようとします。
然し、人間は本来愛なしに生きられるものではないのです。愛情不足に育ったことが、どれほど人間の心に歪みをつくっていくかを考えればわかります。
人間は愛されたいし、愛するものが欲しいのです。他者を愛することをやめてしまったら、人間の意識は低下し固くなっていきます。固くなるということは、協調性に欠け、独善的になり、頑固な人間になっていくということです。
ですから、一度愛することに失敗したからといって、挫けてしまわないで、何度でも愛していくことが大事なのです。辛く、苦しく、悲しいことがあったとしても、そうした体験から得難いものを学ぶことができたら、その人の愛は大きく成長していくことでしょう。
それほど愛するという行為は、魂の成長にとって大事なことなのです。
失恋のすすめ
思春期ともなれば、誰もが人を恋うる思いか生れてくるのは当然なことです。
それが片思いであったとしても、終生忘れ得ない思い出となって、心の奥に秘められていると思うのです。
青年期は多感ですから、恋する人ができれば人生は薔薇色で有頂天になり、失恋すればそれこそ悲劇の主人公よろしく、食事も喉を通らなくなるほど落ちこんでしまう、そんな経験を一度や二度は誰もがしていることと思います。その時々は真剣に、死ぬことを思い
詰めるぐらいの悩みようだったことを、年を取って振り返ってみれば、青春時代の思い出の一つとしてなつかしく思うことでしょう。
失恋は、人を愛することと共に、人の心の痛みを汲み取れるやさしさを培える、大事な体験になると思います。ですから、若い人には失恋することもよいことだとすすめてきました。失恋を怖れずに恋する人に積極的にアプローチしていけば、相手の心を掴む可能性も高くなるのではないかと思います。
だからといって、失恋ばかりしている人は、客観的に見て、自分のなにが嫌われる原因なのか知ることも大事です。