愛情不足は性格に歪みをつくる
子供にとっての一番の教師は両親です。赤ちゃんの時から、両親のものの考えかた、生きかたが、子供に摺り込まれてきています。両親の性格、生きかたから、自ずとその家の家風といったものがつくられてきます。
〇開放的で自由を尊重し、受容的で新しいものを取り入れ、友人、知人を心安く受け入れるような、明るく社交的な家庭であるか。
〇閉鎖的で家族に対しても拘束があり、他人に対して猜疑心が強く、秘密主義的な家庭であるか。
○両親が不仲で、いつも言い争いが絶えない家庭であるか。
そうした両親のありかたが、子供に与える心理的な影響はとても大きいと思います。
○両親か仲良く調和していて、愛情も過保護ではなく、充分にそそぎ、自由性を認められて育った子供は、直にのびのびと育ちます。また、愛の表現も豊かです。
勿論性格にもよりますが、愛されているという実感が、生きることに自信をつけます。
○閉鎖的で他人に対して猜疑心が強く、なにかと拘束されて育った子は、どうしても人に対して心を閉ざしがちです。人を愛するにも警戒心がはたらき、素直に愛を表現できません。また、愛する人ができたとしても、相手を束縛しようとするでしょう。
○両親が不仲で、また、子供にも充分に愛情がそそげなかった場合、幼児の時につくられる、基礎的な性格の形成に歪みが生じます。
その子が人間として成長してゆくのに、基礎となる土台が、例えば三角だとしたら、その上に家を建てるには、丸い家は建ちません。三角の土台に合った資材で建てていくしかありません。
愛情不足によって、性格的に歪みを持って大人になった場合、その人の才能や努力によって、この世的には成功者となるかもしれませんが、愛の表現においては、愛が成長し切れていないために、愛を与えることをしらず、つねに要求するようになるのです。
また自分は愛されない存在である、という意識が潜在的にあり、愛を求めて、次から次へと異性遍歴をしがちです。愛されているかどうかが不安だからです。
そうした愛情不足による心の欠乏を補うものは、他者からの愛情によって埋まるものではありません。何故なら、自らの愛が成長していないのですから、自らの心を愛で補修していかなければいけないのです。それには、愛は要求することではなく、与えてゆくもの
であることに目覚め、他者を愛することによって、自己の愛を成長させていくことなのです。そしてさらに、その愛を大きく成長させていくためには、生命の大元である神への愛(信仰心)に目覚め、神との一体化(自己の意識を高めていく努力)をすること。それが宗教の本質なのです。正しい宗教は「人間の真実の生き方」を導くものなのです。
こうして、自らの生命をより多くのものに、より大きく生かしてゆけば、愛は求めずとも自分に帰ってくるのです。
過保護による愛情不足
子供の時に、充分過ぎるほど愛情をそそがれて育ったはずなのに、愛情不足に育つ人もいます。それは過保護に育てられたからです。
過保護は親のエゴによる愛情で、子供のためというより自分の感情の満足のためにしていることです。子供を喜ばすために、子供の自我欲望を増長させ、子供に苦労させるのはかわいそうと、子供がやらねばならぬことまで、親がすべてをととのえてやる。
これでは子供の自立心をなくさせてしまいます。
子供の時は様々な体験を吸収して成長していく大事な時期です。子供に起ってきた出来事は、できるだけ子供自らの責任で処理できるように、体験を通して鍛えていかねばなりません。それを親ははらはらしながらも手を出さずに、見守ってやるのが、親の愛だと思います。
過保護に育った子は自己中心で、愛を要求するばかりで、愛しかたを知らない人になります。そして何かあるとすぐに責任転嫁をします。ですから年齢は大人になっても、愛の成長は未熟なままですから、その人県結婚をし、子供を持っても、愛しかたを知らないため、その子供も愛情不足に育ててしまう、ということになります。
また、両親がお互いに自我主張が強く、口争いがたえない。時には暴力もでる。そんな争いのはざまに、子供が置かれていたら、子供の心に異性や、結婚に対して不信感や嫌悪感が植えつけられてしまうこともあります。
或いは、父親が娘に、或いは母親が息子に、暴力的な行為や、苛めや、子供の自尊心を傷つけるような干渉を、執拗に繰り返したことにより、その子供の性格にかなりな歪みをつくってしまい、異性に対する嫌悪感や恐怖心を与えてしまって、人を愛することができなくなってしまった例もあります。
何度お見合いしても駄目
或る男性から、結婚の相談の手紙がきました。結婚椙手としての二人の女性の姓名と、生年月日が書かれていました。そこで私は、彼の魂に見合ったほうの女性を選び、話を勧めるよう返事を出しました。
ところが数日して彼からまた手紙がきました。それによると、
「先生が勧めてくださった女性とお見合いをしたけれど、どうも気にいらないのでお断わりしました。この女性はどうでしょう。」
と。新しい女性の名前が書かれていました。
こうしたお見合いの場合は、魂的に善いと思っても、本人が気にいらなければ纏まりません。断ったり断られたり、お互いの感性が納得しない限り、話が壊れてもしかたありませんが、この男性の場合は、数年間にわたって十数回もお見合いをしましたが、すべて駄目になってしまうのです。
なかには本人も気にいってお付合いし、結納まで交し、いざ結婚となったら急に嫌になり、相手の性格の欠点をあからさまに言って、その女性の心を傷つけるような別れかたをしてしまうのです。それも一度や二度ではありません。
「この人には、かなり性格的な歪みがあるな」とはわかっていましたが、本人が言わないのに、こちらから問い質すことはできません。
そうこうしているうちに、また手紙がきました。またまた結婚の相談です。しかし、その手紙の中に次のような言葉がありました。
「私にふさわしい女性は、この世にいるのでしょうか。私がなかなか結婚できないのは何故なのでしようか。」
そこで、私は彼に次のように返事を書きました。「あなたがなかなか結婚できないのは、あなたにふさわしい女性が現われないからではなく、あなた自身の中に、女性に対する何か抵抗のようなものがあり、それがあなたの結婚を妨げているのです。それは、あなたの子供時代の育ちかたに原因があると思いますから、よくよく自分のなかを見詰めてごらんなさい。」
それから暫らくして、彼から長文の手紙がきました。それによると、彼は母親との折り合いが悪く、彼の生きかたに事毎に干渉してきて、強引に自分の我を通そうとするし、また親孝行を強要するのだそうです。そのため彼は母親に対して、憎悪の感情を抱くようになったということです。
顕在意識では、年齢も三十の半ばとなって早く結婚しなければという焦りと、愛情に飢えているのに、いざ結婚となると、女性に対する不信感もそうですが、自分が結婚生活に対する自信が持てないのです。そのため何度かこの女性と、と決心はするのですが、いざとなると急に怖気付いて、その話を御破算にもってゆくために、女性の気持を損ねるようなことを言って、せっかくの話を壊してきました。自分でもそのことに気づきました。という手紙の内容でした。
その後、彼がどうなったかわかりません。自分と母親との相克を告白した手紙をよこしてから、彼の音信はぷつりと途絶えました。
この例でもわかりますように、親と子の間の愛情問題が、子供の生きかたに、どれだけ大きな作用をもたらすかはかりしれません。
人を愛せないということは、まことに不幸なことです。
※このシリーズの例はすべて、ご相談を参考にしてあります。
人間にとって、親子関係というのが最初の人間関係になります。それが根底になってあらゆる人間関係が発展してゆきます。そこで、健全な愛情を体験できず、逆に無抵抗な状態のときに心に傷を受けるような言葉やひどい仕打ちを受けると、どうしてもゆがんでゆきます。人を信じられなくなり、愛せなくなり、生きる意味を失なってゆきます。特に異性との関係においては、思春期の強烈な性エネルギーと相まって、倒錯してゆくケースも随分あるように思います。今回は、そういうケースにフォーカスしてお話くださっています。