人間は、誰でも一体感を求めていると思います。本当の自分をわかってほしい、理解されたい、という想い。また、陰と陽というエネルギーに分かれたため、そこに磁力が働き、一体になろうとする大きな力が働きます。そこに、過去における魂の貸し借りという要素が働き、『好き(^^♪』という感情に結びついてゆきます。
しかし、この肉体の世界では、磨きあうことが目的で生まれてくる方がほとんどなので、憧れ→期待→ラブラブ→幻滅(>_<)→けんか→あきらめ→感謝(^^)・・
というようなコースを通って霊界に移行してゆくのが大半ではないかと想います。
今回はそういうお話です。
未知とのめぐりあい
私たちは、自分ひとりの人生さえ、何が起ってくるか予測できないのです。そんな未知を内に抱いた者同志が、不思議な縁の糸に手繰り寄せられてめぐり逢い、愛し合うのです。
ハートと共に、二人のカルマもまた出会ったのです。
二人でスタートした未知の旅の途上で、何が起っててるかわからない恐れを、つねに抱いているのです。ですから、ただロマンチックな陶酔感や、慰めを求め合うだけの結びつきであったら、早晩、破綻がくることは必定でしょう。相手の因縁生もお互いに背負い合わねばならないのです。どのような問題が起ってくるかわかりません。その時、どれだけ相手を受け入れることができるか。そして二人で力を合わせて、様々な苦難を乗り越えてゆき、忍耐や、寛大さ、勇気、優しさ、といったものを培い、自己を完成させていくことができるか、そこに、愛し合うことの意義があるのです。
また、愛し合う男女にとっては、心をひらいて相手と一つになりたい、という要求は当然のことだと思います。ですが、性急に相手のことを何もかも知ろうとすることは、よいことではありません。
人間は、ミステリアスなところがあるほうが魅力があるものです。この三次元世界で完全な人など存在しません。神秘のヴェールを剥ぎ取っていったら、ただの人が現われてきます。恋愛とは多分に、神秘のヴェールで相手を包みこんで、見ているところがあります。
ですから恋愛中は素敵な人なのですが、結婚すると裸でつき合うようになり、幻像が破れてこんなはずではなかった、と失望が起ります。そこで相手のものたりないところをつい指摘し合ったりして、心を傷つけ合い、修復がつかないような亀裂を深め、はては離婚というケースも多いのです。
パートナーとなる人が、自己完成に向けてつねに自己を磨き、高めていこうと努力している人は別です。そういう人は、未知の可能性がひらかれ、ますます魅力ある人となるのです。
そういうパートナーを選んだ人は、自分もつねに自己の可能性にチャレンジしていかないと、置いてきぼりをくってしまい、相手が理解できなくなり隔たりができてしまいます。
また、自分のことを完全に理解し、すべてを赦して、優しく包み込んで欲しい、とは誰しも望むところです。が、それは少々虫のよい注文というものです。自分のことさえ真実わからない人間が、他人のことを完全に理解できるはずがありません。
人間の認識作用というものは、すべて自己投影なのです。その人の見ている世界は、その人の心の深さに比例して見えるのです。それを仏教では佗己といいます。自己というのは、自分とあらわれている己で、佗己とは他とあらわれている己のことをいいます。
この世界はすべて自己のあらわれ、と観ているのです。ですから完全に理解してもらうことなどできません。それに、人間は一人一人皆、内に孤独を抱えて生きているのです。それは「人はみな独りで生きているのだ」という根源的な痛みです。どんなに熱烈な恋愛の最中にあっても、この心の疼きを癒すことはできません。一時の愛の陶酔に忘れているだけです。この孤独感は、神に帰一しようとする願いからくるものですから、私たちがこれから四次元、五次元へと次元上昇して、全休性に目覚めていかない限り、癒されることはないでしょう。だからこそ、人間は愛を求め合うのです。
人間の本来性には性別はない
男と女が愛し合うということは、陰陽の異なる性が合体して、自己完成を口指してゆくものです。もともと、人間の本来性には性別がありません。この三次元世界においても、ある時は男に、またある時信女に生れ変りを繰り返し、また結婚してはお互いの異性を学び合い、自己に取り入れて、自己完成を目指してゆくわけですから、魂としては両性を内に持ってひるものです。
例えば、観世音菩薩は、私たちの本心である神性を具象化した、両性具有の完成された姿で表わされています。高次元世界において、男女の別はなく、それは優美で気高い人々が住んでいる世界もあるということです。
本来、両性具有であった人間が、陰陽の働きで男性と女性に別れて生れてきました。人間は自分の半身像を求めて、男性は女性を、女性は男性を、本質的に求め合い合体して本来の姿に戻ろうとする意識を、本能的に持っているのです。
男性の内なる世界には、自分の半身である「永遠の女性像」があり、女性の内なる世界にも「永遠なる男性像」が秘められている、といわれています。その内なる半身像のことをカール・グスタフ・ユング(一八七〇~一九六一)は、普遍的無意識のなかにある「元型」(人間の行動を決定する心理学的な要因)の一つとしています。そして、男性の内なる女性像をアニマといい、女性の内なる男性像をアニムスと言っています。
こうして、男性も女性も共に、自分の理想の半身像を求めていますが、この現実の世界ではなかなか得られないのです。そこで、これは、と思う異性のうえに、自分の半身像のイメージを投影します。そしてこの人こそ理想の人と燃えあがります。しかしこれは幻影です。
甘美な幻想は、はじめ、その人に喜びと生き甲斐を与えてくれますが、幻想が醒めてきた時、そこには理想とはかけ離れた人がいるのです。あの人は変ったと言いますが、相手が変ったわけではなく、もともとそういう人だったのです。醒めた目で見たから真実が見えてきたのです。
このように自分の半身像を、この現実の世界に追い求めていますが、この世界はまだまだ進化の過程にあるものですから、完全なものは何一つありません。それに人間は、自分のこともまだよくわかっていないのです。自分の半身像といっても、なにか漠然としたものです。そこで、男性であったら母親に似たイメージを、また女性であったら、父親に似たイメージを、無意識のうちに求める相手に、重ね合わせてみたりするのです。
男性性と女性性の融合
男と女が合体して完全性を求めるといっても、この現実の世界では因緑生の浄化ということのほうが大事なのです。つまり、因縁生(カルマ)をお互いにぶつけ合ったり、取っ組み合ったりしながら、そこから愛を学び、自己をより高めていこうとしている磨き合い、修行の世界でもあるということです。はじめから、理想的な自己のパートナーを得ることは難しいのです。
それは自分自身がまだまだ未熟だからです。先にもお話しましたように、男女合体ということは、自分のなかに男性性と女性性を一つに融合していくことです。そのために人間は、生れ変りの輪廻転生を繰り返しながら、男となり女となり、またその時どきの生において、恋愛や結婚の体験を通して、自分のなかに男性性と女性性を受け入れていき、人間としての巾をひろげ、生き方を深めて、自己を完成させていこうとしているのです。
男性性・女性性ということは、男性原理の特質である、左脳的、つまり論理的で行動力があり、発展的ですが、権力志向で攻撃的です。放浪的で闘争的です。
女性原理は、右脳的、つまり直感的で友好的、生み、守り、育てるといった大地に根差した生き方をし、平和的です。
こうした両性の特質を、自己のなかに取り入れ、融合させていくことによって、自らの意識を高めていくことができるならば、それぞれの性のありかたもよく理解できるようになり、他の大の生き方も受け入れることができましょう。そうした者同志のカップルであるならば、お互いに理解し合い、補い合い、協力し合うことができ、世界の多くの人々にも貢献できる、まことに素晴らしい夫婦像となります。これこそ、ソウルメイトの結びつきということでしょう。