理性で割り切れるものではない
先に例を上げた不倫の愛のように、自我欲望のままに、相手を自分のものにしようというありかたは、確かに責められて然るべきです。これは愛とはいえないのです。
だからといって、すべてそうした行為は罪悪である、と頭から決めこんで、そういう人を批判し、誹謗し、責め裁こうとすることもまた、因縁生の何たるかも知らず、自己の狭い見解で誤まって人を貶めることになります。
人を批判し、誹謗し、責め裁ける人は、幸いにもそういう因縁生の無い人であって、もしその人に、そういう因縁生があれば何時なんどき、そういう縁の人が現われてこないとも限りません。そのとき、その人はどうするでしょう。
それが浅い因縁の人であれば、理性で抑えること且できます。ところが、現在結ばれている相手よりも、もっと深い縁の人であったなら、いくら理性で抑えようとしても、感情は抑えきれず、その人に心が強く魅かれていくでしょう。道徳的な人であれば、当然自らの罪の意識に悩み苦しみます。
この世界は因縁生による様々な人間関係のなかで、どう対処し、どう磨き合って成長してゆくか、にあるのです。人間は、何生も生れ変りを繰り返しながら、あるときは親子となり、夫婦となり、兄弟姉妹、恋人同志、友人、主従、敵同士等々、様々な縁を結びながら、自らの愛を成長させていこうとしているものなのです。
そうした人間関係のなかで、その人が学ぶべきものも学ばず、自己中心的に愛に悼る行為をしたり、相手の心を損ね傷つけたりした場合、そうした行為は当然、因縁因果の法則によって、自分に返り、修正してゆかねばなりません。
それが、その人の今世の運命となって現われてくるのです。
この世における人間関係は、すべてこうした因縁生によって起っているものなのですから、理性で割り切れるようなものではないのです。
道徳や倫理でいくら人間を規正しようとし、それを犯す者には刑罰で取り締まろうとしても、破る者は破るのです。いいや、破らざるを得ない、何か大きな衝動につき動かされるのです。それが因縁生なのです。
そういう問題を抱えて、私のところに相談に来られる方は、ご自分の行為に罪意識を感じ、さんざん悩んだ末に、思いきって相談に来られるのでしょう。ですから、相談を受ける立場としで、頭からそれは道徳に反します、不倫です、と、その罪を責めるようなことを言ったら、それは罪の意識の上塗りであって、その人の苦悩をさらに深めてしまう形になります。相談される側としては、あくまで相談する人の側に立って、その人の生命がより生きるにはどうあったらよいかを、共に考えてあげねばなりません。
例9 私の愛は不倫です
三〇代後半と思われる女性がやって来ました。何かを訴えかけてくるような瞳が、とても印象的でした。きりっと締まった口もとに、やさしい人柄のなかに秘められた情熱を感じさせます。意を決して来たのでしょう、真直ぐ顔を私に向けて、
「私、今日、先生のお言葉を聴いて、決断しようとやって来ました。
実は私、ある方を好きになって、その方とのお付き合いをずっと続けてきました。でも私のなかでは、その方とこれ以上深くなってはいけないと、いつも心にブレーキを掛けているのですが、自分に負けてしまって、今日まできているのです。その方には奥さんもいらっしゃいますし、お子さんも二人いらっしゃいます。私のやっていることは不倫です。罪を責められても仕方ありません。でも、私、その方のこと、どうしても好きなんです。
今までも幾度か、お別れしようと思ったのですが…。」
そこまで言うと、堪えていたものが頬を伝わって流れ落ちました。
「彼は、あなたのことをどのように受けとめていらっしゃるのですか。」
はい、彼も誠実な人ですので、真剣に悩んでいます。
奥様とは、性格的に折り合いが悪く、そのことも彼の悩みなのですが、お子さんのこともあって、すぐに離婚という形にもいかないようなのです。だからといって、私かその奥様にとって替わろうということではありません。
彼とは私の友人を通して知り合ったのですが、彼に同情するところもあって、魅かれていったのですが、好きになっていったのは彼の人柄です。彼もまた、私によって心が癒されていると思います。ですから、私か別れ話をしようとすると、とても辛そうにします。」
これは難かしい問題です。この世の倫理観からすれば、言うまでもなく不道徳なことになります。恥ずべき行為ということになりますが、そう割り切って言えることではないのです。
「あなたは、彼を諦めることができるのですか。」
「ええ、諦らめなければいけないと思います。」
「何故。」
「えっ・・・、何故って・・・いけないことだから・・・。」
「何故いけないのです。」
「・・・私のやっていることは・・・。」
「そう、不倫ですよ・・・。この世の仕来たりからすれば、確かに道徳に反する行為として、悪いこととされています。」
この女性も、この世の道徳や倫理の常識の枠の中にがんじがらめになって、自己の行為を責め裁いて苦しんでいるのです。
では、道徳とは何でしょう。倫理とは何なのですか この問題については、後で考えることにして、今は彼女の相談に話をもどします。
「あなたは、この世の道徳とか倫理とか、また常識とかをひとまず置いて、もっと素直になって、自分を見詰めてごらんなさい。あなたは彼を愛することによって、あなた自身の生命が損なわれているのですか。それとも、彼を愛したことによって、あなたの生命が生々と輝いて、生命の解放感を感じ、あなた自身成長したと思いますか。 あなた達二人が愛し合うことによって、お互いの生命が損われ、また、周囲の人々を傷つけるものがあったら、直ちに別れなさい。でも、二人の愛がお互いにとって魂の成長にプラスになるものがあるなら、精いっぱい愛しなさい。愛するということは、相手を自分のものにする、ということではありません。それは相手の自由を奪うことであって、自己中心的な愛です。
愛するということは、相手の生命を生かすことによって、自分もより生命が生かされることをいうのですよ。だからお互いに与え合うものがなかったら、愛とはいえません。
あなたが彼を真剣に愛せば、あなた自身も成長し、相手を包みこめるようになるでしょう。そうなれば、彼にとってどういうありかたがいちばん善いかが、わかってくると思います。彼と奥さんとの関係、また子供達の問題も、彼の因縁生の浄化していくための学びですから、あくまでもこれは彼の問題であって、あなたにどうこうできることではありません。あなたは、彼との深いご縁があって、彼を愛したのですから、彼が、奥さんや子供達を、できるだけ傷つけることなく、この問題が解決してゆけるように、愛念で力づけ、祈って応援してあげることですね。彼もまた、奥さんとの生活が嫌やだから、その現状を解決しようともしないで、あなたの愛に逃げているのであったら、あなたは、どんなに苦しく辛くても、二人の関係は断ち切らなければいけません。私のみたところ、奥さんは、彼の性格に反して気性の強い、やや情に欠ける女性だと思います。ふたりの間に愛の修復は難かしいと思います。でも、そういう人を選んだのは、やはり彼の因縁生によるのですから、彼自身に責任があるのです。そこに今世での彼の果たさねばならぬ業と、修行があるのですから、あなたが、それを何とかしてあげることはできません。あなたは、そういう彼を愛したこの体験から、あなた自身の愛の成長に、どう生かしたかが、あなたにとって人事な修行になるのです。今あなたが、罪の意識に負けて彼と別れても、それで彼が幸せになるわけでもないし、またあなた自身も、彼との愛を、罪の意識と共に一生引き摺って生きてゆくことになります。それでは、あなたが彼を愛したこの数年間の、生命の燃焼はどうなるのですか。今急いで結論を出さないで、結果は、どうなるかは神様におまかせして、あなたは今、精いっぱい彼を愛しなさい。そして、いいですか、罪の意識から結論を出すのではなく、愛の中から、あなた自身のこれからの生き方を見つけてゆくのです。
彼も誠実な人柄のようですから、彼は彼なりに悩み苦しむでしょうが、そうしたなかから、最善の道を発見していくことができるでしょう。それを信じて彼を応援してあげることだ、と私は思いますがね・・・。」
彼女はじっと、私の言葉を身に泌みこませるように、聴いていました。
そして、あらたな決意が、心の中から湧いてきたのでしょう。緊張していた顔がほどけてきて、内から輝くようなものがさしてきました。
誰でも一度は、もうすでに結婚されているされていると知りながら、その人を好きになったり、恋愛感情を持つ、という経験があると思います。どこからそういう感情が湧いてくるのか不思議ですが、抑えられるようなものでないことは、皆さんご存知のはずです。そこにドラマが生まれます。不倫という形が悪であり罪なのか、自分の心をごまかして後悔の念を持って生きるのが悪なのか、今回は、そういった道ならぬ、ぎりぎりのご相談からです。