永平寺へのアクセス
JR福井駅から
えちぜん鉄道(勝山永平寺線)を利用する
↑ 京福バス(特急)利用する 特急永平寺ライナーの走行経路 ↓
えちぜん鉄道を利用される場合は、永平寺口駅で京福バスまたは自動走行車に乗り換える。
えちぜん鉄道時刻表・京福バス(永平寺線)・自動走行車(ZENdrive)
ZENdriveとは
福井県吉田郡永平寺町で試験運行を実施している遠隔型自動運転システムによる無人自動運転移動サービス車両の事。
無人自動運転移動サービスの車両が高度化され、遠隔監視・操作型の自動運行装置を備えた車両(レベル3)として、2021年3月5日に認可を受けました。
この車両を用いて3月25日より福井県永平寺町は本格運行を開始します。
経済産業省および国土交通省の「高度な自動走行・MaaS等の社会実装に向けた研究開発・実証事業:専用空間における自動走行などを活用した端末交通システムの社会実装に向けた実証」を幹事機関として産総研が受託。
永平寺町における無人自動運転移動サービスの社会実装に向けて、ヤマハ発動機、日立製作所、慶應義塾大学SFC研究所、豊田通商、永平寺町役場、まちづくり株式会社ZENコネクトなどと共に、研究開発と実証が進められてきました。
この事業では永平寺町のえちぜん鉄道の廃線跡地の町道である永平寺参ろーど(約6㎞)を走路として、高齢住民、通勤・通学者や観光客の移動手段としての端末交通システムス(ラストマイルモビリティ)の実証実験が行われてきました。
歩行者などとの共存空間における自動走行や遠隔監視・操作の技術を実現することで、少子高齢化地域の活性化も目指してきましたといいます。
昨年12月22日からは、福井県永平寺町が、まちづくり株式会社ZENコネクトに業務委託し、永平寺参ろーどの一部約2㎞区間にて、遠隔型自動運転システムの移動サービスの試験運行を開始していました。
具体的には、遠隔監視室にいる1人の遠隔監視・操作者が、車両外から通信技術を用いて、3台の無人自動走行車両(レベル2)を常時監視・操作する移動サービスです。
今回、センサー類を改修・追加するなど車両の高度化を図り、遠隔監視・操作型の自動運行装置を備えた車両として、国土交通省中部運輸局に申請し、3月5日に認可されました。
レベル3の自動運行装置を用いることで、3台の自動運転車が作動継続困難な場合を除き、遠隔にいる運転者による常時監視が不要となり、運転の負担が軽減されます。
京福バス(特急)利用する
特急 永平寺ライナー・
JR福井駅東口と永平寺の間を毎日往復、片道所用時間30分です。
一乗谷朝倉特急バス
4月1日から、JR福井駅東口と一乗谷朝倉氏遺跡間の一乗谷東郷線と、一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺間の一乗谷永平寺連絡バスに分かれたため、乗り換えが必要となりました。
中部縦貫自動車道
長野県松本市から福井県福井市までを結ぶ高規格幹線道路(B路線)である。略称は中部縦貫道(ちゅうぶじゅうかんどう)。
高速道路ナンバリングによる路線番号は、「E67」が割り振られている。
長野県松本市を起点とし、岐阜県高山市の飛驒清見ICで東海北陸自動車道に接続、同道を経たのち白鳥ICで分岐し、福井県福井市に至る。
東海北陸自動車道との重複区間は高速自動車国道、それ以外の区間は国道158号に指定されている。
越坂トンネル
標高202mの福井県道165号上にある峠である。平成の大合併以前は福井県吉田郡松岡町と同郡永平寺町を隔てていた。
もとは国道416号がこの路線に指定されていたが、中部縦貫自動車道の整備により吉野堺バイパスが部分開通し、この越坂峠の区間は越坂トンネルが貫通し、一般県道に降格となった経緯がある。
古くは永平寺の参道としての歴史を持ち、多くの修験者がこの峠を越えて大本山へと向かった。現在でも石地蔵や道元所縁の道との立札が立っており、永平寺と深い関わりのある峠である。
道の駅禅の里
福井県吉田郡永平寺町清水にある国道416号の道の駅である。
深さ1,710mから湧出した温泉水を利用している多くの成分を含んだ良質な温泉です。健康増進、余暇の活用、介護の予防など、町民の方々の交流の場とし、子どもからお年寄りのすべての町民が利用していただけるような施設として平成25年7月13日に整備しました。
永平寺町の特産品を使ったココでしか買えないオリジナル商品がいっぱい。新鮮な農産物や加工品、町内外のお土産品も揃います。併設のレストランでは、地元食材を活かしたご当地グルメが味わえます。
永平寺町内にキャンパスがある福井県立大学との産学連携によって開発した商品が販売されている。
永平寺町(えいへいじちょう)
福井県の北部、吉田郡にある町。曹洞宗大本山永平寺の門前町として知られる。
勝山盆地と福井平野の間、東から西へ流れる九頭竜川に沿って位置し、上流側から順に上志比・永平寺・松岡地区となっている。
歴史
旧石器時代や縄文時代の遺跡や遺物が各地に分布する。県内最古級の石器が出土している。手繰ヶ城山古墳などの古墳群が点在する。
平安時代末期には志比庄という大規模な荘園が広がっていた。
1244年(寛正2年)に道元が永平寺を建立。
江戸時代には「市」が開かれ、勝山街道や永平寺への参詣の宿場町としても発展。
1954年(昭和29年)3月31日 - 志比谷村・下志比村・浄法寺村が合併して志比村が発足する。
1962年(昭和37年)9月1日 - 志比村が町制を施行、改称して永平寺町となる。