橘民義オフィシャルブログ

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自然エネルギー研究会代表 橘民義オフィシャルブログ

カイロ大学首席卒業という触れ込みで出世街道を突っ走った小池百合子都知事だがそれは本当なのだろうか。

もしそれが嘘だったら何十年も有権者を騙して選挙をし、環境大臣、防衛大臣、東京都知事などをやってきたことになる。

今更学歴など関係ないでしょうと言う声が聞こえそうだが、おっとどっこいそうは行かない。

そもそも学歴がものすごく大切だと私も思わない。

むしろ東大卒で固めた官僚組織やその官僚から鞍替えして国会議員になって日本を支配するような図式は面白くもなく、庶民性もなく堅さだけしか感じない。

しかし学歴を売り物に選挙を始めた小池百合子という人の場合は話が違う。

本当なのかと以前から言われて来た。

著者の石井妙子さんはカイロまで取材に行きながらも大きな証人を見つけた。

この本に出てくる早川玲子さんという方で、小池百合子と二度にわたり一緒に暮らしていた。

石井さんは早川さんと何でも話していただける関係にまでになってこの本の執筆に自信を持ったのだと思う。

早川さんは小池百合子に何回も本当のことを言った方が良いと促した。

小池百合子は数回、小さな文字も読みにくいような卒業証書のようなものをテレビで見せたことがある。

 

今年529にこの本が出版された。すかさず6月9日にカイロ大学が小池知事の卒業を認めた。そして都知事選挙は75に投票。

 

カイロ大学側が小池百合子の卒業をなぜ選挙前に発表しなければいけなかったのだろうか。

まさか都庁から圧力が・・・?

それとも忖度?

エジプトが日本からの莫大な経済協力を毎年受けていることも関係あるのだろうか。

マスコミは確認もせず小池の言うなりに報道し続けてきた。

 

たしかに卒業とは大学が認めたら卒業に違いない。

しかしビートたけしさんは、ちょうど私がこのブログを書きかけたころにテレビで「おいらは明治大学名誉卒業生」と言っていた。

理由は大学を有名にしてくれたから。

小池さんも名誉卒業生なのだろうか。

 

 

 

 

新党にとって「政策」と「人事」にエッジが効いていると言うことが大切なのは言うまでもない。

わざわざこんなことを言うのは、面白くない人事になるのではないだろうかと心配するからだ。

 

面白い人事は「代表 枝野幸男、 幹事長 小沢一郎、 副代表 山本太郎」。

山本太郎が副代表と言うことはれいわ新撰組とも一緒に新党を造ると言うことだ。

国民民主党との合流だけでもこんなに時間がかかって、それでもごたごた感は消えないのに、れいわ新撰組まではあり得ないだろうと考えるのが普通かもしれない。

しかし政治をする人は誰のためにやっているのか、あるいは誰の意思や気持ちを大切にしなければいけないかと原点に返って考えれば答えは自明。

有権者から拍手喝采がなければ新党の人気など出ないし、逆に有権者に喜ばれて選挙に大勝すれば党内のごちゃごちゃなんかどうにでもなる。

小泉純一郎が既にそれを示している。

 

政治の世界は野党間であっても常に戦っているのが、大切なときには過去のいきさつも一時保留し、現在の戦いも譲らないと国民のためにならない。

政策も絶対合わないと言うほどのことではない。

ネット上で立憲支持者と山本太郎支持者が罵り合っていることこそ迷惑で醜い。

何よりも大切なのは一般有権者から見たらおもしろいと言うことだ。

何か将来の明るさを感じさせることだ。

それに反して、党内のバランスや力関係などで人事を決められたらもう自民党とどこも変わらない、うんざりだ。

小沢一郎には当然大きな反発があるだろう。

山本太郎もダメな人には絶対ダメと言われるかもしれない。

しかしそれを乗り越えることこそ仲直りが好きな大衆の心を和ませる。

いまのまま、新党が出来て結果として人数だけは150人になっても政権はほど遠い。

 

 

 

新党が出来るらしいけど、国民の誰をどうやって助けるのだろうか。

国民は何を期待するのだろうか。

政策と人事にエッジが立ってないと新党は人気が出ない.。

枝野さんの2017年の立憲民主党立ち上げの時の演説で一番多くの人が泣かされたのは

格差社会への挑戦だった。

困っている国民がいっぱいいるという認識が受けたのだった。

それではその格差解消のためにどんな政策があるのか、今の立憲民主党にははっきり見えない。

 

しかしそれはそんなに難しくはない。

1.  消費税を5%に下げる。 

    ゼロを目指すのがよい。

2.最低賃金を1.5倍にする 。 

    悩める低所得ワーカーを普通の生活に持って行く。

3.生活保護制度を見直す。 

   今の制度では一度生活保護状態になったら2度とそこから抜け出せない。

   人生の再スタートが出来る制度じゃないと心が貧困すぎる。

4.奨学金はチャラにする。  

    就職しても奨学金や学生ローンを払い続けていれば結婚も出産も出来ない

 

このように言えば必ず財源はどうするのと言う反論がある。

財源は税の取り方を変えるしかない。

所得税増税はもう少し高くする、これこそ格差是正、法人税増税も仕方ない、成績の良い企業には内部留保が沢山有るので。

株式の取引の20%は安すぎるので総合課税に、不動産を一定以上持つ人からの固定資産税はもう少し高く、しかし一つしか家を持ってない人は増税しない。

 

東日本大震災でも今回のコロナ対策でも政府は大きな出費をした。

それは緊急だったからだ。

しかし多くの国民が最低限の生活が出来なくて自殺したり自殺未遂だったり精神的に病むほど困窮しているのは、これも非常事態だと考えないと国民に優しい政治とは言えないだろう。

将来の子供たちや孫たちに付けを残さないというが既にそんなこと言ってる場合じゃない。

 

今日現在活きている子供たちや孫たちが、いや大人もお年寄りも、本当に多くの人が活きる喜びなど殆ど感じることなく、

苦しさだけを感じるぎりぎりの生活を強いられているということが最大の問題であり、そこに心を向け手を差し伸べる政策こそが野党第一党の使命であり、そのことこそ選挙に勝つ最大の作戦だと改めて提案したい。

突然の安倍辞任。野党の方はと言うと新党結成のごたごた真っ最中で、

なんだか「『女帝小池百合子』を読む」の話が浮いてしまいそうだが、

実は私は小池も衆議院解散したら都知事を辞めてそちらに動くのではないかと考えている。

ええ、そんな、いくら何でも先日都知事に再選されたばっかりなのに、

それはないでしょうと言うのが常識だが、この方には常識を破るという強みがある。

菅官房長が次の総裁で、9月29日解散10月25日総選挙という日程がまことしやかに流れているが、

そうなると小池さんもじっとしてはいられないかも。

何しろ彼女は都知事なんかにもう興味は失っているし、総理になるのも最後のチャンス。

小池を遠ざけた安倍も辞めたし、一番仲の良い二階幹事長の力もこのあたりが使いどころ。
 

悪夢のようなものですから読者の皆さんはこの話を信用しないでください。

この本だけは、絶対に読むのが嫌だった。ところが、知り合いがあまりにも面白がるので、つい買ってしまった。

ところがどっこい、序章だけ読んだところでびっくり、とにかく面白いのだ。

 

7月の東京都知事選で圧倒的な強さで再選された小池百合子。

しかし、本当はかなり怪しい人なんじゃないか? そう疑うのは私だけではないはずだ。

この本の著者は、私の想像が単なる想像ではなくて、ほぼ事実に近いということを説明してくれている。それだけの取材をしているのだ。

著者は、書き出しでこう述べている。

 「彼女のことを古くから知るというその人は、躊躇いながらも上ずる声で話し出すと、憑かれたように語り続けた。

『何でも作ってしまう人だから。

自分の都合のいいように。

空想なのか、夢なのか。

それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて。白昼夢の中を生きている。

願望は彼女にとっては事実と一緒。

彼女が生み出す蜃気楼。

彼女が白昼見る夢に皆が引きずり込まれてる。

蜃気楼とも気づかずに』」

 

実は、この石井妙子さんという著者に、私は一度だけお目にかかったことがある

友人の紹介だった。

その時、石井さんはちょうど『おそめ』という本を出版した直後だった。

『おそめ』は、祇園の芸妓から木屋町のバーを繁盛させて銀座にクラブを開き、白洲次郎も川端康成も通ったという伝説の店のマダムで、いわゆる夜の世界の最高峰に上りつめた女性、おそめを描いている。

石井さんがおそめと本当に親しくなり、おそめはすべてを語ってこの本ができたということがよくわかる。その取材力に感服した。

しかし、面白い本ではあったが、私には読後感はほとんどない。

ヤクザ映画を見ているようなもので、私の生活と仕事とほとんど結びつくことがないからだ。

 

ところがこの『女帝 小池百合子』は、読み出したらもうどうにも止まらない。

小池百合子は、ちょうど私が地方議員をしていた頃に同じ日本新党に所属していたのでツーショットの写真まである。(はずかしい)

その後も政界再編成, 東京都知事選,希望の党の失敗など、激しくうろちょろする厄介なお方で、無視することはできない存在だからだ。

 

4年前の東京都知事選の直後、私は本当に嫌な人が知事になったと思った。

そしてその1年後の東京都議会議員選挙では、都民は小池百合子率いる都民ファーストの会の候補者を大量に当選させた。なぜなのか。

言ってみれば、自民党はもう嫌になったけれど、当時の野党第一党である民進党にも魅力を感じられない人が、新しいものに興味を持ち投票したのだろう。

そう考えれば、来年の東京都議会議員選挙で、都民ファーストの議員が一定の存在感を持って議会に残ることはないだろうと予測はつく。

しかし小池百合子の強さは、一時的な政治ショーを何回でも繰り返すことができるというところにあるのだ。

 

 なぜ小池は強いのか、そして、なぜ私はいつも小池百合子という人に強烈な違和感を感じるのか。皆さんに伝えたいのはこの違和感だ。

小池は、もしかして総理になるかも知れない人だから。

いやいや、総理になってくれては困る人だから。

 (続く)

 

 

今朝テレビで久しぶりに野坂昭如を見た。

アニメ映画「火垂るの墓」の紹介の後に 1983年の選挙戦に出馬した時の街頭演説でマイクを持っている姿は勇ましい。その年野坂は夏の参議院選に比例区で第二院クラブから出て当選し参議院議員となったが、その冬には参議院議員を辞職して衆議院議員選挙に新潟3区から立候補して田中角栄と戦った。

結果は残念ながら次点で野坂は国会議員ではなくなった

 

番組では野坂の亡くなる2日前の手紙を紹介している。

 

戦後の日本は

平和国家だと言うが

たった1日で平和国家に

生まれ変わったのだから

同じくたった1日で

その平和とやらを

守るという名目で

軍事国家

つまり戦争することにだって

なりかねない

 ヒョットあの時代に

戻ってしまいそうな

気がしてならない

 

2015年9月、国会周辺に多くの市民が集まり反対する中、集団的自衛権の行使を認める内容で「安全保障関連法」が成立した。そして12月に野坂昭如は亡くなった。遺言のようにこの言葉を残して。

 

(写真は2001年、野坂昭如誕生会)

 

井の頭恩賜公園のすぐ傍に私は住んでいる。

家の前を子供たちが「三鷹の森ジブリ美術館」に向かって歩く姿をよく見る。

スタジオジブリの作品で ‎高畑勲監督によるアニメ映画『火垂るの墓』は、野坂昭如の同名の小説を1988年に映画化したものだ。

映画が作られてから30年以上が過ぎているが、戦争の生々しさを怖いくらいに描き出している故にあまりにも濃く、観る者に強烈に迫ってくるが、それでも子供たちにはぜひ観てほしいと思う。

 

野坂昭如の原作『火垂るの墓』は1967年の作品だが、私が野坂昭如に本当に興味を持ったのはもう少し後のことだ。

それは、野坂が1974年の参議院選挙に東京地方区から立候補した時だった。

その当時の私は、友達がみな就職というものに向かって全力で走り出していくのを横目で見ながら、まるで社会に抵抗するように何もせず、とはいえ、それでも生活のために何かはしなければいけないと、数学塾の先生をして日々をしのいでいた。

明日の自分を考えるでもなく、目的もはっきりせずただ空虚な毎日を過ごしている夏。ちょうど立候補した野坂昭如の選挙が気になったのだ。

 

じっとしていられずに、確か中野ではなかったか思うが、野坂の選挙事務所に顔を出した。

しかし、思いに反してその場にはなじめないものを感じて、特に何か手伝うこともなく、本人にも会えずに、そのまま怖いところから逃げるようにそこを出たのだった。

それが私の選挙事務所初体験だが、まさか10年以上後になって自分自身が選挙に立候補することになるとは、その時は思いもしなかった。(私自身は36歳で岡山県議会議員に立候補することとなる。)

 

野坂昭如はその選挙では次点だったが,その後1983年に参議院議員になり、また田中角栄の選挙区である新潟4区に乗り込んで衆議院選挙も戦っている。

 

この世の不条理や不公平を少しでも道理にかなったものにしたいと思う人はたくさんいるだろうが、その手法は人それぞれだ。

言葉で訴える、芸術で、学校教育であるいは地域活動でーー。

だが私は、政治に参加するという方法を好む。

野坂昭如は、『火垂るの墓』に込めた思いを国会に持ち込みたかったのだろうと思う。

その野坂の挑戦に比べて、今の政治家に戦争を現実のものとしてその危険性を回避しようと必死で動く人がはたして何人いるだろうか。

 

今年もまもなく8月15日を迎える。

満州で仕掛けてハワイで不意打ち、それが最後には広島と長崎への核爆弾投下で終わったのが、あの日本の戦争のあられもない真実なのだ。それで今やアメリカの属国になりましたと言ってみても恥の上塗りでしかない。

今世界大戦が起きれば、人の生存基盤としての地球がなくなってしまうことは誰にもわかるだろう。だからといって小さい戦争ならばいいだろうと、繰り返すのも紛れもなく大罪なのだ。

今の日本政府はアメリカの言いなりに戦争の準備にお金を使っている。

一刻も早く政権交代するしかこの構造を変えることはできないのではないか。

そう、政治が、選挙こそが重要なのだ。

私たちの生活のすべてを左右しているのだから。

(橘 民義)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

作家野坂昭如(のさか あきゆき)が亡くなってからもう5年目に入った。14歳の時に神戸で空襲に遭い、1歳の妹を背中に負って両親とバラバラになり、飢えと闘うも妹は餓死、野坂はそのまま8月15日を迎えた。

 

まずは野坂の言葉を引いておきたい。

「毎年8月になると言いたい,戦争は天変地異ではなく人災だ」  

「B 29が神戸の西から東方向へ飛んだ,美しい飛行機雲が尾を引いた、5月22日川西航空機の爆弾攻撃。西宮、芦屋、御影、灘がやられた。電線に女の髪の毛が絡まり、足が入ったままの靴が転がり、子供の手を握ったままの母親が黒焦げになっていた。ここは戦場ではなく、味噌汁を沸かし、布団を敷いて活きている生活の場だ。それが一瞬にして悪夢の形相になった。殺された人は軍人ではなく一般市民だった」 

 

おおざっぱな数字ではあるが、この戦争で300万人以上の日本人が亡くなったという。そしてそのうち50万人は空襲によって焼かれた一般市民だった。中でも一番ひどい目にあったのは子供だ。中学生だった昭如少年は妹を飢えで死なせてしまった。その責任と後ろめたさが後の『火垂るの墓』となり、この作品は直木賞を受賞し、アニメにもなる。

 

戦争体験のない私たちにできることは何か、野坂昭如が言い続けたことをどうやって引き継ぐことができるのか。そして、それだけではない、私たちには新たに大きな問題が起きた。 

それはフクシマ。                                          

福島第1原発の事故を、そうだ、私たちは現実に知っているのだ。多くの大人はその時期を生きていた体験者なのだ。もう二度と戦争をしてはいけないという思いと同じ重さで、二度とこんな事故を起こしていけないという意志を、どうしたら言い残せるのだろうか。

 

いや、そもそもあの事故の深刻さを、まさに自分のこととして知っている人がどのくらいいるのだろうか。もう少し運が悪ければ、もし爆発した4号機の燃料プールにひびが入って水が抜けていたら、福島第一原発には人が近づくことができず、第二原発まで全滅しただろう。巨大量の放射能がまき散らされ、半径250キロまで、すなわち東京を含む首都圏まで人が住めなくなる大惨事の一歩手前だったという事実を認識している人が、はたしてどれだけいるのだろうか。

東京まで人が住めないとなると日本は存続し得ない。そんな事態に至らなかったのはただ運だけ、偶然だけ、それこそ神風だったのかもしれない。建屋は爆発して骨の部分がむき出しになったのに、一番大切なそこの部分はあたかも恥部であるかのように奇跡的にぎりぎりセーフだったのだ。

 

それでも皆が知っているように被害は甚大であり、地域にいた動物は全部見殺しにされ、放出した放射能は大地に染みこみ海を伝って世界に流れた。何万年も使えない土地だけでなく、捨てられない汚染水、どう処理することもできないメルトダウンした原子炉が残された。避難した4万人は故郷に帰れない。

 

来年の3月であっという間の10年がたつ。多くのメディアはフクシマ特集を組むだろう。しかし私は、それで終わりと変に区切りを付けられて、さあ後は忘れてくださいと言わんばかりの日本国になってしまいそうな不安を抱かずにはいられないのだ。

 

脱原発などといえばダサイと言われ、その言葉は形骸化した政治課題になって、フクシマと聞いたらまるで猫がいやなときに耳を後ろに向けるように聞きたくない言葉になっていくのだろうか。

 

日本大学芸術学部の村上玄一教授は、

「野坂昭如における責任のとりかた」と題する『新編「終戦日記」を読む』の解説を、

「野坂は最後の最後まで85歳の死の当日までめげることなく語り続けた。戦争の無意味さ怖さ、そして、見せかけだけの繁栄に忍び寄る危険性を。誰も言わないけど野坂昭如は敗戦後の日本が生んだ優れた思想家でもあった。その言葉を大切に守りたい」

と締めくくっている。

 

3.11を、原発事故を現役世代として経験した私たちは、多くの人が忘れかかった記憶をより鮮明に、より強く次世代に伝えることが本当にできるだろうか。

 

それでも私たちは、子供や孫にははっきりもう一回言っておこう。酒を飲みながら、冗談で手を叩きながら、楽しさが満ちあふれている人間関係の中で、夏に一回くらいはマジな話をしてみよう、昨日のNHKスペシャルはすごかったなあという切り出しで沖縄の惨事を語ってみよう、おいしいものばっかり載せていないで、時にはフェイスブックにシリアスな投稿をしてみよう、そして、選挙があったら原爆や原発に反対する人や政党に投票しよう。

 

コロナの夏はコロナ生活の中で、何ができるか考え直してみたいと思うのである。

 

 

 

 

 


10回もブログを書いたので、いい加減に本丸に入って行かないとあまりにも間の抜けた文章を読んでいただくのでは申し訳ないということで、今日から少しエネルギーの話に入って行きます。



昨年の原発事故以来、山ほど出版された本をかなり読み漁っているのですが、その中で非常に落ち着いていてしかも現場のリアリティーがあり説得力があると言う意味でイチオシなのは田坂広志さんの

「官邸から見た原発事故の真実」(光文社新書)という本です。



田坂さんがどんな方かは、しばしばテレビにも出演されているし著書も多いので説明は省かせていただきます。ただ原発事故直後に内閣官房参与として事故への対策に全精力を使われた方と言うことと、原子力の専門化として核廃棄物処理などを中心に研究を重ねて来られたという事だけは前提にさせていただきます。




「福島第一は、本当はどこまで深刻な事態に陥っていたのか?」、

「冷温停止状態の年内達成で一段落なのか」、

「汚染水処理の順調な進捗で問題解決なのか?」、

「SPEEDIの活用はなぜ遅れたのか」、

「浜岡原発はなぜ停止要請をしなければいけなかったのか」、

「玄海原発の再稼働はなぜ安易に認めてはいけないのか」、・・・。



そんなことは全部知っているよ,と言わずにまあ明日からの連載にお付き合いください。

少し違う方向で考えられるかもしれません、そして今までメディアで言われていたことと違う部分も見つかるかもしれません。  (橘 民義)



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確か2004年だったと思います。

そのころ私は上海に住んでいました。

周囲が中国語の中で毎日生活していると急に日本語の本が読みたくなり、東京に帰った時に夏目漱石の文庫本を全部買って来て一気に読みました。

きっと高校生の時に読んで以来だと思います。漱石の作品がその後の日本文学に大きな影響を与えた事は誰しも認めるところでしょうが、その当時の科学を見る目もまた先見性に富むものでした。



阿蘇で風車と野焼きを見た後、私は熊本市内の夏目漱石の旧家を訪れました。

橘民義オフィシャルブログ 熊本と言う街は縁の遠いところでしたが、昨年仕事で一回行ってからなぜか好きな街になってしまいました。

 漱石は松山から熊本に来て阿蘇登山をしてそれが「二百十日」の下地になっています。

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その漱石は「行人」の中で自然科学に多くふれています。





「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許して呉れた事がない。」





漱石は科学の進歩を大切に思いながら、何か新しい世の中に不安と憂鬱を感じていたのだろうと思います。福島の事故までは、あるいは原子力発電までは予測は不可能な時代だったかもしれませんが、科学をうのみにしないと言う直感は優れていたと言わざるを得ません。

また「三四郎」でも、日露戦争に勝って喜ぶ三四郎に、「日本は滅ぶね」と言っています。
 良く言われることに「電力」と言う言葉は夏目漱石の造語だという説があります。

ええ、風車は本当に好きだったのかって?

そんな訳ないでしょう。(橘 民義)




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