橘民義オフィシャルブログ

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自然エネルギー研究会代表 橘民義オフィシャルブログ

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農家の所得があっという間に2倍以上になると言ったら、そんな嘘つくなと叱られるだろうか。

この本の題名は「再エネ農業で所得倍増」だ。 (鶴蒔靖夫著。IN通信社)

 

取り上げられている「ファームドゥホールディングス株式会社」は、野菜などの農産物を、

群馬県を中心とする農家から農協や卸売業者を通さずに直接小売店に並べるという方式を開発し、「食の駅」、「地産マルシェ」などの店舗を都心に展開している。

生産を受け持つ人は主に中小零細農家で、約4000人が参加していて、販売価格は生産者自身が値付けできるというのが面白い。

 そしてこのファームドゥグループが今、力を入れているのが「ソーラーシェアリング」だ。

玉ねぎ、人参、大根、さつまいもなどを栽培している畑の上に太陽光発電のパネルを置くことによって、一つの土地で農業と発電業の両方ができるという仕組みだ。

 そもそもこの「ソーラーシェアリング」という考え方はかなり以前からあったのだが、国は大きくそれを規制してきた。

農地が農地でなくなるという心配からだろうと想像できる。 

 

そんな中、2011年の福島第一原子力発電所の事故により、当時の民主党政権(菅直人内閣)が自然エネルギーの推進のために固定価格買取制度を設けた.

これは自然エネルギーで発電した電力は、20年間一定の価格で電力会社が買い取らならなければいけないという制度だ.

この法律により日本では遅れていた太陽光発電が爆発的に普及し始める。

 

いまや太陽光発電はお天気次第で不安定という考えはもう古すぎる。

蓄電池も猛烈な勢いで進歩しているし、余った電気は水を電気分解し水素にして貯蔵もできる。

世界では太陽光発電の量はすでに原発の発電量を抜き去っている。

 

それらを受けて農林水産省の考えは180度転換した。

 農産物を生産する畑の上に太陽光発電のパネルを置くことを認め、

そして現在ではそれを大いに推奨している。

「営農型太陽光発電取組支援ガイドブック」という冊子も農水省自身が発行しているくらいだ。

農水省が推奨している事業であるが故に金融機関も応援し、貸付が増えている。

 

若い人たちはたとえ農業が好きで故郷が好きでも、低い収入だとどうしても仕事を都会に求めるのが今までの傾向だった。

このソーラーシェアリングは コロナのあとの 農家の姿、地域の創造、人の行動パターンの変化などに影響を与え、日本のあり方を変えるヒントになるかもしれない。

 

そして同時に 異常気象による極寒で電力が不足と言われているが、それを解決する方法にもなる。

福島の事故を二度と起こさないために原発は再稼働するようなことがあってはいけないし、

地球温暖化をストップするために脱炭素も待ったなしで、

求める方向は自然エネルギーしかなく、

そして世界が既にその方向に舵を切った中でソーラーシェアリングが大きな役割を果たすことは十分考えられる。

 

もっとも、電力会社がこの数年行っているような太陽光発電での電力を制限するようなことをしなければの話であるが 。

 

 

 

先日NHK E テレで放送された

「ハートネットTV「叫べ、“アイタイ”を!~あるロックバンド、コロナ禍の日々」

 は久しぶりに見た面白いテレビ番組だ。

再放送が今週12/9(水) 13:05~13:35なのでぜひ多くの人に見てほしい。

 

「サルサガムテープ」というロックバンドは

 障害を持つ人と持たない人がそのエネルギーを力いっぱい出し切ると言うカッコいいバンドだ。

テレビで見ているには何の問題もないが、

うっかりライブに行ったりするとその怒涛の嵐のようなビッグなサウンドに押し倒されそうになる。

 

リーダーはかしわ哲という人。

若い頃はNHKの歌のお兄さんもやっていた。

私は30年以上も彼の友達でいる。

かしわ哲は「ハイテンション」と言う社会福祉系のNPO法人の代表でもあり、

そのNPO法人を私の会社が支援している。

 

どんなに障害があっても無敵のロッカーである彼らにもコロナは辛い。

会って練習することが極めて少なくなってきた。

 

「叫べ、アイタイを!」というのはこんな時期でもみんな誰かに会いたいよと言うメッセージだ。

番組で「アイタイ」という彼が作った新曲をメンバーは演奏するが、ノリも良くてどこか心が弾んでくる。

確かにコロナに負けてないし、そうかといって勝ってもない。

 

なぜこんな奇跡のようなバンドができたのだろうか。

再放送をぜひ見てください。

 

カイロ大学首席卒業という触れ込みで出世街道を突っ走った小池百合子都知事だがそれは本当なのだろうか。

もしそれが嘘だったら何十年も有権者を騙して選挙をし、環境大臣、防衛大臣、東京都知事などをやってきたことになる。

今更学歴など関係ないでしょうと言う声が聞こえそうだが、おっとどっこいそうは行かない。

そもそも学歴がものすごく大切だと私も思わない。

むしろ東大卒で固めた官僚組織やその官僚から鞍替えして国会議員になって日本を支配するような図式は面白くもなく、庶民性もなく堅さだけしか感じない。

しかし学歴を売り物に選挙を始めた小池百合子という人の場合は話が違う。

本当なのかと以前から言われて来た。

著者の石井妙子さんはカイロまで取材に行きながらも大きな証人を見つけた。

この本に出てくる早川玲子さんという方で、小池百合子と二度にわたり一緒に暮らしていた。

石井さんは早川さんと何でも話していただける関係にまでになってこの本の執筆に自信を持ったのだと思う。

早川さんは小池百合子に何回も本当のことを言った方が良いと促した。

小池百合子は数回、小さな文字も読みにくいような卒業証書のようなものをテレビで見せたことがある。

 

今年529にこの本が出版された。すかさず6月9日にカイロ大学が小池知事の卒業を認めた。そして都知事選挙は75に投票。

 

カイロ大学側が小池百合子の卒業をなぜ選挙前に発表しなければいけなかったのだろうか。

まさか都庁から圧力が・・・?

それとも忖度?

エジプトが日本からの莫大な経済協力を毎年受けていることも関係あるのだろうか。

マスコミは確認もせず小池の言うなりに報道し続けてきた。

 

たしかに卒業とは大学が認めたら卒業に違いない。

しかしビートたけしさんは、ちょうど私がこのブログを書きかけたころにテレビで「おいらは明治大学名誉卒業生」と言っていた。

理由は大学を有名にしてくれたから。

小池さんも名誉卒業生なのだろうか。

 

 

 

 

新党にとって「政策」と「人事」にエッジが効いていると言うことが大切なのは言うまでもない。

わざわざこんなことを言うのは、面白くない人事になるのではないだろうかと心配するからだ。

 

面白い人事は「代表 枝野幸男、 幹事長 小沢一郎、 副代表 山本太郎」。

山本太郎が副代表と言うことはれいわ新撰組とも一緒に新党を造ると言うことだ。

国民民主党との合流だけでもこんなに時間がかかって、それでもごたごた感は消えないのに、れいわ新撰組まではあり得ないだろうと考えるのが普通かもしれない。

しかし政治をする人は誰のためにやっているのか、あるいは誰の意思や気持ちを大切にしなければいけないかと原点に返って考えれば答えは自明。

有権者から拍手喝采がなければ新党の人気など出ないし、逆に有権者に喜ばれて選挙に大勝すれば党内のごちゃごちゃなんかどうにでもなる。

小泉純一郎が既にそれを示している。

 

政治の世界は野党間であっても常に戦っているのが、大切なときには過去のいきさつも一時保留し、現在の戦いも譲らないと国民のためにならない。

政策も絶対合わないと言うほどのことではない。

ネット上で立憲支持者と山本太郎支持者が罵り合っていることこそ迷惑で醜い。

何よりも大切なのは一般有権者から見たらおもしろいと言うことだ。

何か将来の明るさを感じさせることだ。

それに反して、党内のバランスや力関係などで人事を決められたらもう自民党とどこも変わらない、うんざりだ。

小沢一郎には当然大きな反発があるだろう。

山本太郎もダメな人には絶対ダメと言われるかもしれない。

しかしそれを乗り越えることこそ仲直りが好きな大衆の心を和ませる。

いまのまま、新党が出来て結果として人数だけは150人になっても政権はほど遠い。

 

 

 

新党が出来るらしいけど、国民の誰をどうやって助けるのだろうか。

国民は何を期待するのだろうか。

政策と人事にエッジが立ってないと新党は人気が出ない.。

枝野さんの2017年の立憲民主党立ち上げの時の演説で一番多くの人が泣かされたのは

格差社会への挑戦だった。

困っている国民がいっぱいいるという認識が受けたのだった。

それではその格差解消のためにどんな政策があるのか、今の立憲民主党にははっきり見えない。

 

しかしそれはそんなに難しくはない。

1.  消費税を5%に下げる。 

    ゼロを目指すのがよい。

2.最低賃金を1.5倍にする 。 

    悩める低所得ワーカーを普通の生活に持って行く。

3.生活保護制度を見直す。 

   今の制度では一度生活保護状態になったら2度とそこから抜け出せない。

   人生の再スタートが出来る制度じゃないと心が貧困すぎる。

4.奨学金はチャラにする。  

    就職しても奨学金や学生ローンを払い続けていれば結婚も出産も出来ない

 

このように言えば必ず財源はどうするのと言う反論がある。

財源は税の取り方を変えるしかない。

所得税増税はもう少し高くする、これこそ格差是正、法人税増税も仕方ない、成績の良い企業には内部留保が沢山有るので。

株式の取引の20%は安すぎるので総合課税に、不動産を一定以上持つ人からの固定資産税はもう少し高く、しかし一つしか家を持ってない人は増税しない。

 

東日本大震災でも今回のコロナ対策でも政府は大きな出費をした。

それは緊急だったからだ。

しかし多くの国民が最低限の生活が出来なくて自殺したり自殺未遂だったり精神的に病むほど困窮しているのは、これも非常事態だと考えないと国民に優しい政治とは言えないだろう。

将来の子供たちや孫たちに付けを残さないというが既にそんなこと言ってる場合じゃない。

 

今日現在活きている子供たちや孫たちが、いや大人もお年寄りも、本当に多くの人が活きる喜びなど殆ど感じることなく、

苦しさだけを感じるぎりぎりの生活を強いられているということが最大の問題であり、そこに心を向け手を差し伸べる政策こそが野党第一党の使命であり、そのことこそ選挙に勝つ最大の作戦だと改めて提案したい。

突然の安倍辞任。野党の方はと言うと新党結成のごたごた真っ最中で、

なんだか「『女帝小池百合子』を読む」の話が浮いてしまいそうだが、

実は私は小池も衆議院解散したら都知事を辞めてそちらに動くのではないかと考えている。

ええ、そんな、いくら何でも先日都知事に再選されたばっかりなのに、

それはないでしょうと言うのが常識だが、この方には常識を破るという強みがある。

菅官房長が次の総裁で、9月29日解散10月25日総選挙という日程がまことしやかに流れているが、

そうなると小池さんもじっとしてはいられないかも。

何しろ彼女は都知事なんかにもう興味は失っているし、総理になるのも最後のチャンス。

小池を遠ざけた安倍も辞めたし、一番仲の良い二階幹事長の力もこのあたりが使いどころ。
 

悪夢のようなものですから読者の皆さんはこの話を信用しないでください。

この本だけは、絶対に読むのが嫌だった。ところが、知り合いがあまりにも面白がるので、つい買ってしまった。

ところがどっこい、序章だけ読んだところでびっくり、とにかく面白いのだ。

 

7月の東京都知事選で圧倒的な強さで再選された小池百合子。

しかし、本当はかなり怪しい人なんじゃないか? そう疑うのは私だけではないはずだ。

この本の著者は、私の想像が単なる想像ではなくて、ほぼ事実に近いということを説明してくれている。それだけの取材をしているのだ。

著者は、書き出しでこう述べている。

 「彼女のことを古くから知るというその人は、躊躇いながらも上ずる声で話し出すと、憑かれたように語り続けた。

『何でも作ってしまう人だから。

自分の都合のいいように。

空想なのか、夢なのか。

それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて。白昼夢の中を生きている。

願望は彼女にとっては事実と一緒。

彼女が生み出す蜃気楼。

彼女が白昼見る夢に皆が引きずり込まれてる。

蜃気楼とも気づかずに』」

 

実は、この石井妙子さんという著者に、私は一度だけお目にかかったことがある

友人の紹介だった。

その時、石井さんはちょうど『おそめ』という本を出版した直後だった。

『おそめ』は、祇園の芸妓から木屋町のバーを繁盛させて銀座にクラブを開き、白洲次郎も川端康成も通ったという伝説の店のマダムで、いわゆる夜の世界の最高峰に上りつめた女性、おそめを描いている。

石井さんがおそめと本当に親しくなり、おそめはすべてを語ってこの本ができたということがよくわかる。その取材力に感服した。

しかし、面白い本ではあったが、私には読後感はほとんどない。

ヤクザ映画を見ているようなもので、私の生活と仕事とほとんど結びつくことがないからだ。

 

ところがこの『女帝 小池百合子』は、読み出したらもうどうにも止まらない。

小池百合子は、ちょうど私が地方議員をしていた頃に同じ日本新党に所属していたのでツーショットの写真まである。(はずかしい)

その後も政界再編成, 東京都知事選,希望の党の失敗など、激しくうろちょろする厄介なお方で、無視することはできない存在だからだ。

 

4年前の東京都知事選の直後、私は本当に嫌な人が知事になったと思った。

そしてその1年後の東京都議会議員選挙では、都民は小池百合子率いる都民ファーストの会の候補者を大量に当選させた。なぜなのか。

言ってみれば、自民党はもう嫌になったけれど、当時の野党第一党である民進党にも魅力を感じられない人が、新しいものに興味を持ち投票したのだろう。

そう考えれば、来年の東京都議会議員選挙で、都民ファーストの議員が一定の存在感を持って議会に残ることはないだろうと予測はつく。

しかし小池百合子の強さは、一時的な政治ショーを何回でも繰り返すことができるというところにあるのだ。

 

 なぜ小池は強いのか、そして、なぜ私はいつも小池百合子という人に強烈な違和感を感じるのか。皆さんに伝えたいのはこの違和感だ。

小池は、もしかして総理になるかも知れない人だから。

いやいや、総理になってくれては困る人だから。

 (続く)

 

 

今朝テレビで久しぶりに野坂昭如を見た。

アニメ映画「火垂るの墓」の紹介の後に 1983年の選挙戦に出馬した時の街頭演説でマイクを持っている姿は勇ましい。その年野坂は夏の参議院選に比例区で第二院クラブから出て当選し参議院議員となったが、その冬には参議院議員を辞職して衆議院議員選挙に新潟3区から立候補して田中角栄と戦った。

結果は残念ながら次点で野坂は国会議員ではなくなった

 

番組では野坂の亡くなる2日前の手紙を紹介している。

 

戦後の日本は

平和国家だと言うが

たった1日で平和国家に

生まれ変わったのだから

同じくたった1日で

その平和とやらを

守るという名目で

軍事国家

つまり戦争することにだって

なりかねない

 ヒョットあの時代に

戻ってしまいそうな

気がしてならない

 

2015年9月、国会周辺に多くの市民が集まり反対する中、集団的自衛権の行使を認める内容で「安全保障関連法」が成立した。そして12月に野坂昭如は亡くなった。遺言のようにこの言葉を残して。

 

(写真は2001年、野坂昭如誕生会)

 

井の頭恩賜公園のすぐ傍に私は住んでいる。

家の前を子供たちが「三鷹の森ジブリ美術館」に向かって歩く姿をよく見る。

スタジオジブリの作品で ‎高畑勲監督によるアニメ映画『火垂るの墓』は、野坂昭如の同名の小説を1988年に映画化したものだ。

映画が作られてから30年以上が過ぎているが、戦争の生々しさを怖いくらいに描き出している故にあまりにも濃く、観る者に強烈に迫ってくるが、それでも子供たちにはぜひ観てほしいと思う。

 

野坂昭如の原作『火垂るの墓』は1967年の作品だが、私が野坂昭如に本当に興味を持ったのはもう少し後のことだ。

それは、野坂が1974年の参議院選挙に東京地方区から立候補した時だった。

その当時の私は、友達がみな就職というものに向かって全力で走り出していくのを横目で見ながら、まるで社会に抵抗するように何もせず、とはいえ、それでも生活のために何かはしなければいけないと、数学塾の先生をして日々をしのいでいた。

明日の自分を考えるでもなく、目的もはっきりせずただ空虚な毎日を過ごしている夏。ちょうど立候補した野坂昭如の選挙が気になったのだ。

 

じっとしていられずに、確か中野ではなかったか思うが、野坂の選挙事務所に顔を出した。

しかし、思いに反してその場にはなじめないものを感じて、特に何か手伝うこともなく、本人にも会えずに、そのまま怖いところから逃げるようにそこを出たのだった。

それが私の選挙事務所初体験だが、まさか10年以上後になって自分自身が選挙に立候補することになるとは、その時は思いもしなかった。(私自身は36歳で岡山県議会議員に立候補することとなる。)

 

野坂昭如はその選挙では次点だったが,その後1983年に参議院議員になり、また田中角栄の選挙区である新潟4区に乗り込んで衆議院選挙も戦っている。

 

この世の不条理や不公平を少しでも道理にかなったものにしたいと思う人はたくさんいるだろうが、その手法は人それぞれだ。

言葉で訴える、芸術で、学校教育であるいは地域活動でーー。

だが私は、政治に参加するという方法を好む。

野坂昭如は、『火垂るの墓』に込めた思いを国会に持ち込みたかったのだろうと思う。

その野坂の挑戦に比べて、今の政治家に戦争を現実のものとしてその危険性を回避しようと必死で動く人がはたして何人いるだろうか。

 

今年もまもなく8月15日を迎える。

満州で仕掛けてハワイで不意打ち、それが最後には広島と長崎への核爆弾投下で終わったのが、あの日本の戦争のあられもない真実なのだ。それで今やアメリカの属国になりましたと言ってみても恥の上塗りでしかない。

今世界大戦が起きれば、人の生存基盤としての地球がなくなってしまうことは誰にもわかるだろう。だからといって小さい戦争ならばいいだろうと、繰り返すのも紛れもなく大罪なのだ。

今の日本政府はアメリカの言いなりに戦争の準備にお金を使っている。

一刻も早く政権交代するしかこの構造を変えることはできないのではないか。

そう、政治が、選挙こそが重要なのだ。

私たちの生活のすべてを左右しているのだから。

(橘 民義)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

作家野坂昭如(のさか あきゆき)が亡くなってからもう5年目に入った。14歳の時に神戸で空襲に遭い、1歳の妹を背中に負って両親とバラバラになり、飢えと闘うも妹は餓死、野坂はそのまま8月15日を迎えた。

 

まずは野坂の言葉を引いておきたい。

「毎年8月になると言いたい,戦争は天変地異ではなく人災だ」  

「B 29が神戸の西から東方向へ飛んだ,美しい飛行機雲が尾を引いた、5月22日川西航空機の爆弾攻撃。西宮、芦屋、御影、灘がやられた。電線に女の髪の毛が絡まり、足が入ったままの靴が転がり、子供の手を握ったままの母親が黒焦げになっていた。ここは戦場ではなく、味噌汁を沸かし、布団を敷いて活きている生活の場だ。それが一瞬にして悪夢の形相になった。殺された人は軍人ではなく一般市民だった」 

 

おおざっぱな数字ではあるが、この戦争で300万人以上の日本人が亡くなったという。そしてそのうち50万人は空襲によって焼かれた一般市民だった。中でも一番ひどい目にあったのは子供だ。中学生だった昭如少年は妹を飢えで死なせてしまった。その責任と後ろめたさが後の『火垂るの墓』となり、この作品は直木賞を受賞し、アニメにもなる。

 

戦争体験のない私たちにできることは何か、野坂昭如が言い続けたことをどうやって引き継ぐことができるのか。そして、それだけではない、私たちには新たに大きな問題が起きた。 

それはフクシマ。                                          

福島第1原発の事故を、そうだ、私たちは現実に知っているのだ。多くの大人はその時期を生きていた体験者なのだ。もう二度と戦争をしてはいけないという思いと同じ重さで、二度とこんな事故を起こしていけないという意志を、どうしたら言い残せるのだろうか。

 

いや、そもそもあの事故の深刻さを、まさに自分のこととして知っている人がどのくらいいるのだろうか。もう少し運が悪ければ、もし爆発した4号機の燃料プールにひびが入って水が抜けていたら、福島第一原発には人が近づくことができず、第二原発まで全滅しただろう。巨大量の放射能がまき散らされ、半径250キロまで、すなわち東京を含む首都圏まで人が住めなくなる大惨事の一歩手前だったという事実を認識している人が、はたしてどれだけいるのだろうか。

東京まで人が住めないとなると日本は存続し得ない。そんな事態に至らなかったのはただ運だけ、偶然だけ、それこそ神風だったのかもしれない。建屋は爆発して骨の部分がむき出しになったのに、一番大切なそこの部分はあたかも恥部であるかのように奇跡的にぎりぎりセーフだったのだ。

 

それでも皆が知っているように被害は甚大であり、地域にいた動物は全部見殺しにされ、放出した放射能は大地に染みこみ海を伝って世界に流れた。何万年も使えない土地だけでなく、捨てられない汚染水、どう処理することもできないメルトダウンした原子炉が残された。避難した4万人は故郷に帰れない。

 

来年の3月であっという間の10年がたつ。多くのメディアはフクシマ特集を組むだろう。しかし私は、それで終わりと変に区切りを付けられて、さあ後は忘れてくださいと言わんばかりの日本国になってしまいそうな不安を抱かずにはいられないのだ。

 

脱原発などといえばダサイと言われ、その言葉は形骸化した政治課題になって、フクシマと聞いたらまるで猫がいやなときに耳を後ろに向けるように聞きたくない言葉になっていくのだろうか。

 

日本大学芸術学部の村上玄一教授は、

「野坂昭如における責任のとりかた」と題する『新編「終戦日記」を読む』の解説を、

「野坂は最後の最後まで85歳の死の当日までめげることなく語り続けた。戦争の無意味さ怖さ、そして、見せかけだけの繁栄に忍び寄る危険性を。誰も言わないけど野坂昭如は敗戦後の日本が生んだ優れた思想家でもあった。その言葉を大切に守りたい」

と締めくくっている。

 

3.11を、原発事故を現役世代として経験した私たちは、多くの人が忘れかかった記憶をより鮮明に、より強く次世代に伝えることが本当にできるだろうか。

 

それでも私たちは、子供や孫にははっきりもう一回言っておこう。酒を飲みながら、冗談で手を叩きながら、楽しさが満ちあふれている人間関係の中で、夏に一回くらいはマジな話をしてみよう、昨日のNHKスペシャルはすごかったなあという切り出しで沖縄の惨事を語ってみよう、おいしいものばっかり載せていないで、時にはフェイスブックにシリアスな投稿をしてみよう、そして、選挙があったら原爆や原発に反対する人や政党に投票しよう。

 

コロナの夏はコロナ生活の中で、何ができるか考え直してみたいと思うのである。