井の頭恩賜公園のすぐ傍に私は住んでいる。
家の前を子供たちが「三鷹の森ジブリ美術館」に向かって歩く姿をよく見る。
スタジオジブリの作品で 高畑勲監督によるアニメ映画『火垂るの墓』は、野坂昭如の同名の小説を1988年に映画化したものだ。
映画が作られてから30年以上が過ぎているが、戦争の生々しさを怖いくらいに描き出している故にあまりにも濃く、観る者に強烈に迫ってくるが、それでも子供たちにはぜひ観てほしいと思う。
野坂昭如の原作『火垂るの墓』は1967年の作品だが、私が野坂昭如に本当に興味を持ったのはもう少し後のことだ。
それは、野坂が1974年の参議院選挙に東京地方区から立候補した時だった。
その当時の私は、友達がみな就職というものに向かって全力で走り出していくのを横目で見ながら、まるで社会に抵抗するように何もせず、とはいえ、それでも生活のために何かはしなければいけないと、数学塾の先生をして日々をしのいでいた。
明日の自分を考えるでもなく、目的もはっきりせずただ空虚な毎日を過ごしている夏。ちょうど立候補した野坂昭如の選挙が気になったのだ。
じっとしていられずに、確か中野ではなかったか思うが、野坂の選挙事務所に顔を出した。
しかし、思いに反してその場にはなじめないものを感じて、特に何か手伝うこともなく、本人にも会えずに、そのまま怖いところから逃げるようにそこを出たのだった。
それが私の選挙事務所初体験だが、まさか10年以上後になって自分自身が選挙に立候補することになるとは、その時は思いもしなかった。(私自身は36歳で岡山県議会議員に立候補することとなる。)
野坂昭如はその選挙では次点だったが,その後1983年に参議院議員になり、また田中角栄の選挙区である新潟4区に乗り込んで衆議院選挙も戦っている。
この世の不条理や不公平を少しでも道理にかなったものにしたいと思う人はたくさんいるだろうが、その手法は人それぞれだ。
言葉で訴える、芸術で、学校教育であるいは地域活動でーー。
だが私は、政治に参加するという方法を好む。
野坂昭如は、『火垂るの墓』に込めた思いを国会に持ち込みたかったのだろうと思う。
その野坂の挑戦に比べて、今の政治家に戦争を現実のものとしてその危険性を回避しようと必死で動く人がはたして何人いるだろうか。
今年もまもなく8月15日を迎える。
満州で仕掛けてハワイで不意打ち、それが最後には広島と長崎への核爆弾投下で終わったのが、あの日本の戦争のあられもない真実なのだ。それで今やアメリカの属国になりましたと言ってみても恥の上塗りでしかない。
今世界大戦が起きれば、人の生存基盤としての地球がなくなってしまうことは誰にもわかるだろう。だからといって小さい戦争ならばいいだろうと、繰り返すのも紛れもなく大罪なのだ。
今の日本政府はアメリカの言いなりに戦争の準備にお金を使っている。
一刻も早く政権交代するしかこの構造を変えることはできないのではないか。
そう、政治が、選挙こそが重要なのだ。
私たちの生活のすべてを左右しているのだから。
(橘 民義)