19世紀のロシアの外交摩擦!第四弾!

 

 

今世紀に入っても、令和に入っても、

 

 

日本と隣接するロシアの外交問題は

 

 

依然としてホットな話題。

 

 

舛添先生曰く、

 

 

 

最近では露朝初の首脳会談。

 

 

トランプに続き、プーチン動く。

 

 

 

過去の記事こちらから。

 

 

【世界史論述対策】大阪大学 外国語学部 2016 大問1 問3【模範解答】
(2019年2月1日の記事。ロシアの極東戦略がメイン)



【世界史論述対策】早稲田 法学部 2018・2017 【模範解答】
(2019年2月8日の記事。ロシアのヨーロッパでの外交摩擦を加味)

 

 

帝政ロシアの外交摩擦 早稲田 法学部 2018 大阪大学 外国語学部2016 東京大学2014

(2019年4月29日の記事。内容は同上。)

 

 

 

 

本日もHN 武帝さんより、論述解答いただきました。

 

リピートしていただき、本当にありがとう!

 

 

 

東京大学 2014 大問1

19世紀のユーラシア大陸の歴史を通じて、ロシアの動向は重要な鍵を握っていた。ロシアは不凍港の獲得などを目指して、隣接する様々な地域に勢力を拡大しようと試みた。こうした動きは、イギリスなど他の列強との間に摩擦を引きおこすこともあった。
以上のことを踏まえて、ウィーン会議から19世紀末までの時期、ロシアの対外政策がユーラシア各地の国際情勢にもたらした変化について、西欧列強の対応にも注意しながら、論じなさい。

 

 

【指定語句】

 

アフガニスタン、イリ地方、沿海州、クリミア戦争、トルコマンチャーイ戦争、ベルリン条約(1878年)、ポーランド、旅順

 

 

かなりの本格派の問題。

 

文字数は600字程度ですから、

 

設問把握をミスると、

 

減点ポイントが多くなってしまいますね。

 

 


【設問把握を徹底する】

 

①地理的な要素を整理する。

 

リード文より、

 

隣接する様々な地域に勢力

 

ユーラシア各地の国際情勢

 

以上のワードに着眼。

 

指定語句を

 

(ヨーロッパ)

ポーランド・クリミア戦争・ベルリン条約

 

(イラン)

トルコマンチャーイ条約・アルメニア

 

(中央アジア)

イリ地方

 

(アフガン)

アフガニスタン

 

(東アジア)

沿海州・旅順

 

以上のように地理的区分は可能。

 


 

②年代順の整理

 

リード文より、

ウィーン会議から19世紀末までの時期

 

とあるので、

 

(ヨーロッパ)

19世紀初頭~

・ウィーン体制(1815~1848)

19世紀中盤

・クリミア戦争(1853~1856)

19世紀後半

ベルリン条約(1878)

 

(イラン・中央アジア・アフガン)

19世紀前半

トルコマンチャーイ条約(1828)

イリ事件(1871)

アフガニスタン(1880年)

イリ条約(1881)

 

(東アジア)

沿海州の獲得(1860)

旅順・大連の租借権獲得(1898)

 

 

以上のように地理的区分に

 

出来事を年代順に列挙可能。

 

と、ここまでが最低限の要件ね。

 

このへんは、概ねクリアしていたと思う。

 

 

 

③最重要条件について

 

リード文より、

①イギリスなど他の列強との間に摩擦

 

②西欧列強の対応

 

③ユーラシア各地の国際情勢にもたらした変化

 

以上のワードに着眼!

 

 

ユーラシア大陸規模で行われる、

 

ロシアの対外的膨張に対して、

 

列強のリアクションをイギリスを中心に書く!

 

さらに、国際情勢の変化!!

 

今回の解答は、

 

時代によって変化する国際情勢

 

に関する記述が不足している箇所が何点かあった。

 

(てか、ここが難しいんだけど)


 

 

【武帝さんの解答】


 

今回は5つに分断しようか。

 

地理的区分や年代順の整理は、

 

ほぼほぼOKなので、

 

国際情勢の変化をメインに添削していこう!

 


ヨーロッパではウィーン会議によりポーランド立憲王国が成立し、ロシア皇帝が王を兼ね、自由主義を抑圧する体制が成立し、ロシアは不凍港を求める南下政策を追求したが、イギリスの干渉でロンドン会議により失敗し、聖地管理権を巡って行われたクリミア戦争でもイギリスや、フランスの干渉により敗北し、ウィーン体制が完全に崩壊した。

 

 

ウィーン体制下では、正統主義に基づいて神聖同盟を提唱したりポーランド立憲王国の君主になったり、「自由主義」を抑圧する立場にな

ったんだよね。そんなロシアの通り名は「ヨーロッパの憲兵」だ。

 

外交上相性がよろしかったのが、ウィーン会議の議長国オーストリアだ。中長期的にみると、のちのバルカン問題で両国は対立することになる。つまりは、墺露関係の変化前。

 

バルカン問題をもっと巨視的にみると、パン=スラブ主義とパン=ゲルマン主義という対立でもあるわけだから、ドイツとの対立も入れる余裕があれば後述しておきたい。

 

また、ウィーン体制期において国際的な立場が低かったのがフランスだ。度重なる革命運動で政情が不安定であり、対外的な影響力が大きくなるのは第二帝政期のナポレオン3世の時代であった。ので、国際情勢上、ウィーン体制期はフランスの立場が弱かった時期であったが、クリミア戦争を契機に、フランスの対外的な影響力が向上した旨も明記しておきたい。

 

 

その後トルコとの戦争に勝利し、サン=ステファノ条約で地中海への進出が実現したかのように見えたが、イギリスとオーストリアの干渉により、ベルリン会議で地中海への進出は失敗した。

 

※ 指定語句はベルリン条約ね。気を付けよう。

 

ここいらで、オーストリアとの関係が悪化。ベルリン条約によって、オーストリアのボスニア=ヘルツェゴビナ獲得、イギリスのキプロス島獲得はロシアの南下政策の無効化を意味した。

 

また、ベルリン会議を主導したドイツ帝国であるが、ロシアがクリミア戦争以降ヨーロッパの憲兵としての地位を失ったことや、1848年のメッテルニヒの失脚が遠因で、統一を達成した国でもある。ウィーン体制の崩壊について論述するのであれば、明記してもおもしろい。

 

 

中東ではイギリスと共にイランに干渉し、トルコマンチャーイ条約でカージャール朝からアルメニアを獲得した。干渉に対し、イランではバーブ教徒の乱やタバコボイコット運動が起きた。

 

 

主題が、列強との摩擦・列強の対応というなかで、アジアの抵抗運動の例を持ち出すのはやや悠長かと。

 

また、「イギリスと共に」という表現は、語弊が生まれるだろう。英露の接近は1907年の英露協商であり、このときに英露によるイランの分割、アフガニスタンはイギリス保護国であることのロシアの承認などが確認され、アジア方面での英露対立が解消されたのである。日露戦争の敗北を受けて極東方面の進出を諦めたロシアは、再びバルカン進出を狙った際にドイツ・オーストリアとの対立をするにあたって、イギリスとの提携にシフトしたものであり、一方のイギリスもドイツの中東進出(3B政策)を受けて、ロシアとの利害が一致したのである。

 

 

(アルメニアはイラン進出の楔。カフカス地方は地下資源が豊富。)
 

 

中央アジアではブハラ・ヒヴァ・コーカンドの3国を支配下に置いた。また清からイリ地方を占領し、貿易上の利権を獲得した。ロシアの中央アジアへの進出に警戒したイギリスはアフガニスタンを保護区化した。

 

 

中央アジア方面へのロシアの進出に対し、イギリスがアフガニスタンを保護区化するというリアクションが記述されていて良い。

 


(トルキスタン地域。イリ地方はいわゆる新疆、東トルキスタンを構成。アフガニスタンは英領インド帝国の防波堤であった。)

 

 

 

東アジアでは清との間にアイグン条約を結びアムール川以北を獲得し、沿海州を共同管理地とし、北京条約で沿海州を獲得し、シベリア鉄道の終着点となる、ウラジオストクを建設した。三国干渉の見返りに、清から旅順・大連を租借し、東清鉄道の敷設権を得て、シベリア鉄道と連結させた。これら三国干渉や東アジアの進出により、日本と対立することになった。

 


ウラジヴォストークの建設とシベリア鉄道との接続は、朝鮮進出を狙う日本との対立を深めた。また、ロシアの旅順・大連の租借権の獲得に対し、イギリスは九竜半島・威海衛の租借権を獲得。ロシアの中国進出を警戒するイギリス(南アフリカ戦争に夢中)は、孤立主義をやめ日英同盟を結んだ。西欧列強の対応の例として、書いておきたい記述である。

 

 

(ウラジヴォストークをどうみるか。日本海において中国に対する防波堤とみるか、ロシアの朝鮮接近とみるか。)


 

 

今回はここまで!解答の手直しをしておいてくだおさい!!

 

 

 

最新記事はこちらです!!

[ 世界史論述 添削 講座 ] 2021年度 難関国大学世界史論述対策 始動!!!

 

 

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