ベースボールブリッジを昨年9月に立ち上げてから、後約1か月ほどで1年になる。この約11か月間、チームのリーダーとして様々な活動に身を投じる中で、幸いにも多様な立場の人々と交わる機会に恵まれた。これは俺自身にとって大きな刺激になったし、自分自身の人生の中での宝物だと思っている。これまで付き合ってきてくれた人たちには本当に感謝しているし、これからもこの繋がりは大切にしないとな、と感じているところだ。
外部で協力してくださる方々だけではなく、チームのメンバーの中にも俺が刺激を受けている人間はたくさんいる。例えば、チーム創設当初からの仲間の中には、北海道は札幌を拠点に西アフリカのブルキナファソにおける野球発展を、別の団体に所属しながら続けているメンバーがいるんだ。先日、彼らが支援してきたサンホ・ラシィナ選手(15)が、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスのトライアウトを受けたものの、残念ながら不合格に終わったというニュースを耳にした。非常に悔しい知らせではあるけれど、これまでずっと頑張ってきた彼らには心からの拍手を送りたい。
ところでこのニュースに関連して、ある国際野球系ブログの記事でこんな記述を目にした。それは練習生としてラシィナを受け入れてきた高知FDの球団社長が、外国人選手の獲得を独立リーグ球団の価値向上のツールとするという考え方について、おおむねこのような発言をしたというんだ。「外国人を受け入れ、球団の国際性をアピールしたところで何になるのか。確かに一過性の話題作りにはなるかもしれないが、それでスポンサーがつくわけでもないし、公的な支援が得られるわけでもない」
ラシィナを受け入れたことと併せて考えると、一見矛盾しているような発言に思えるけれど、実はかく言う俺自身もこの考えには賛同する立場なんだ。国際野球ファンの読者の皆さんからすると、「普段からやれドイツ野球がどうの、スイスの有望株がどうのこうのと垂れ流してるお前が、いまさら何言ってんだ」と思われるかもしれないけれど、俺自身は別に血迷ったわけでもなんでもないんだよね。原点に戻って考えてみれば、これは実はごく当たり前の話に過ぎないんだ。
そもそも、スポーツチームが外部から新しい血を入れるのはなぜだろう?言うまでもなく、それは既存のチームをさらに強くするためだ。野球で言えば、一発を量産できるスラッガーが欲しいのか、たくさん盗塁ができる俊足の選手が欲しいのか、あるいは多彩な変化球を売りにする技巧派投手が欲しいのかといった部分は、それぞれのチームが抱える事情によって違うけれど、基本的には現在抱えている弱点を補い、さらに強化するためにこそ補強というものは行われる。つまり新入団選手に対しては(今すぐか将来的にかは別として)、チームにとっての戦力となることが最初から求められているわけだ。
だから新しく選手を獲るのであれば、「そのチームにとって彼/彼女がシーズンを戦う上での戦力になるのか」という部分が、絶対的な尺度として問われてくることになる。それは日本人だろうが、アメリカ人だろうが、ブルキナファソ人だろうが全く変わらないということだ。特に外国出身者であれば、今でも「助っ人」という用語が用いられている事からも分かるように、チームの力になれるかどうかがよりシビアに問われることになる。
こういう国際野球系のブログを運営し、そこで時には野球マイナー国(最近の例で言えばスロバキアやポーランドなど)出身のマイナーリーガーの話などもしている関係上、どうしても読者の皆さんには誤解(という言い方は失礼かもしれないけど)されてしまいやすい部分はあるんだけど、俺は別に日本のプロ野球球団に「ファンに対するマイナー国出身選手のショーケース」をやって欲しいと思っているわけじゃないんだよね。たとえどこの国で生まれた選手であろうと、同じアスリートである以上はチームの勝利に貢献することが義務付けられている点は変わらない。というより、貢献できない選手は結局長期的に見れば、チームの利益にはなりえないんだよ。
スポーツというのは結局実力の世界。出身国の物珍しさだけで連れてこられても、力が及ばないのであれば選手としては淘汰されるだけだ。化粧品のCMに出てくる女優が、例えば化粧水なんかの成分の配合までは変えられないのと同じで、「マイナー国の広告塔」として連れてこられた選手は、結局それ以上の働きはできないんだ。そもそも、「野球マイナー諸国出身者が先進国において持つ自国のPR効果」は、あくまでもその選手がプレーすることによってもたらされる二次的なものにすぎないしね。
結局プロスポーツとして一番健全な形なのは、「新外国人を獲ってきたらうまいこと活躍してくれたけど、たまたまそいつはアフリカ出身だった」というようなものなんじゃないかと思う。「このAという選手はアフリカ出身で希少な存在だから獲る」のではなくて、「新戦力として一番有効なのが誰かと考えた時、アメリカ出身のBでもキューバ出身のCでもなく、アフリカ出身のAがぴったりだったから獲る」というのが、原理原則からすれば最もふさわしいものであることは間違いない。
こういった点を踏まえて考えると、俺は巷でたまに見かける「マイナー国出身選手枠導入論」には懐疑的にならざるを得ない。簡単に言えば、NPBにおける現行の外国人枠(投手と野手合わせて4名まで、投手4人もしくは野手4人の同時登録は不可)とは別に、新たにマイナー国出身者用の枠を作ろうというものなんだけど、果たしてこれは本当にNPBの策として積極的にやるべきものなんだろうか?残念ながら俺にはそうは思えない。
国際野球連盟(IBAF)には120余りの国が加盟しており、最近では決して少なくない国においてじわじわとポジティブな兆候(マイナーリーガーの輩出、新球場の整備、国際大会での好成績など)が現れつつあるとはいえ、それでも全ての国において「トップレベルでも戦える選手をコンスタントに生み出せる土壌」が存在するわけじゃない。そんな現状においてマイナー国枠を作ったところで、結局「助っ人になれないガイジン」が量産されるだけで終わるんじゃないか?無論、個人的な考えとして「日本で見てみたい」という選手がいないわけではないけど、日本でも戦えるくらい突き抜けた存在がいるのかどうかはまた別の話。イーサン・ウラーという150㎞右腕に匹敵する投手が、パキスタンにはおそらく存在しないようにね。
マイナー国出身枠を作るという考えは、確かに(あくまでも相対的にはだけど)比較的通りやすい道かもしれない。でも、じゃあその道がいつまでも平坦なまま続いていくのかと言ったら、決してそんなことはないだろう。今の国際球界が置かれている状況を正しく理解せず、「供給源」となる国々の土台を整備すること抜きに制度だけ作っても、最後に待っているのは行き止まりと落とし穴のどちらかだ。決して楽な選択ではなくても、まずは今「持たざる」立場にある国々の状況を少しずつでも変えていくこと。それが結局は誰にとってもいい結末を呼び込むことにつながるんじゃないかな。
高知FDの球団社長の言葉には、実はこんな続きがある。「元々高知はよそ者に対してもオープンな土地柄、アフリカからの選手だってウェルカムですよ」。野球を志す若者には、国籍や人種に関係なくチャンスを与えるという姿勢は変わらないのだと。そう、これこそがプロ野球としてあるべき姿なんだと思う。世界中から腕に覚えがある者たちが集まり、技を競う。そしてどこの国で生まれたかに関係なく、純粋に戦力として認められた者たちだけがユニフォームを着られる。それが競争社会として最も健全な図式だということ、それが成立する環境をつくる手伝いをするのが、俺たちベースボールブリッジのような団体の役割だということを、改めてかみしめているよ。