木下英範のブログ -36ページ目

新生銀行が不便

江島健太郎さんのブログ
http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004415.html

ユーザビリティと利便性について考えさせられました。新生銀行の使いづらさは大納得です。設計者がこれを見て新生銀行のユーザビリティが向上することを願います。
私もBankOfAmerica的UIのほうに賛成なのですが、この差は日本とアメリカの文化の違いが現れたものなのかもしれません。
例えば、日本人は
①トラブルが起こった!1分以内に解決策を考えよ!
というのは苦手ですが、
②よく注意してトラブルの発生を最小限に抑えよ!
というのは比較的得意です。逆にアメリカ人は②は苦手ですが、①のほうが得意な気がします。ですから必然的に対象ユーザ(自国ユーザ)にあわせて「トラブル防止」と「トラブル対策」のトータルコストが最小限になるように進化していった結果、こういった差につながっているところもあるのではないでしょうか。もしこのシステムが日米逆になったらかなりの損害が発生するかもしれません。
もっとも、これからは日本もグローバル競争していかなあかんということになり、
銀行もグローバル対応をしなければいけないと考えると、BankOfAmericaと日本の銀行の中庸くらいのシステムが理想なのでしょうか。というつまらない結論に結局私は達してしまうわけです。まあ、新生銀行は違うレベルで不便すぎですが。

余談でちょっと考えたことですが、何がよいユーザビリティかという観点について、「シンプル」「直感でわかる操作」「適度な余裕」といったものがもちろん最重要ですが、言葉ひとつでストレス発散できちゃうこともあります。
たとえば非常にめんどくさい入力項目があったとしても、その注釈リンクに、
「入力にお手数をおかけして申し訳ございません。お客様の大切な情報を守るため現在このような対応にさせていただいております。現在、改善を目指して鋭意設計中ですのでなにとぞご了承ください。」
なんて言葉があれば許せちゃう気がするのは私が単細胞だからでしょうかw
ともあれ、こういった「適度な言葉の癒し」もユーザビリティの一部なのかな、
と思ったりもしました。
つまるところ、ユーザビリティとはおもてなしの心ですね。
このサイトは重くて使いづらくてすみません、ハイ。。

どうしちゃったのかね、クラプトン

家紋ジェネレーター

日本コカコーラのお茶綾鷹サイトコンテンツの一。
名前、生年月日を入力すると現代風の家紋が生成され、
素材として使用できます。
http://www.ayataka.jp/#fun-kamon

ストップモーション

すごい相撲

極めて辛いチリを料理するのは犯罪行為ではない

ロンドンで大規模な異臭騒ぎがあり、道路封鎖、周辺住民に非難勧告が出たそうです。ガスマスクをつけた化学班が出動し、異臭の発生源と思われるドアを蹴破ったところ、激辛チリソースが料理されていたそうです。
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200710040026.html

牛の糞からバニラ

今年のイグ・ノーベル化学賞は日本の山本麻由さんが獲得しました。牛の糞からバニラ香り成分を抽出することに成功したそうです。これでバニラがなくても牛の糞さえあればアイスが作れますね。
実に有用な発見です。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200710050006.html

株価は予測できるか - システム屋的見解


バリュー投資でも短期投資でも、テクニカル分析でもファンダメンタル分析でも、あらゆる参加者があらゆる方法を持って株式市場を予測する手段を日夜探しています。株式相場、ひいては将来の企業価値を予測することはできるのでしょうか。


システム開発者の立場から言わせていただくと、株式相場を正確に予測することは不可能に見えます。それは観測者が観測対象に影響を与えてしまうという「観測のパラドックス」が存在するからです。


もし、ある程度正確な予測ができるシステムが完成したとします。すると必ず誰かがそれを使って投資します。すると最初は多少儲かるかもしれません。そこでこの投資家は次第に投資金額を増やしていくでしょう。すると自らの売買が市場に影響を与えるようになります。すると最初の計算式ではうまく予測ができなくなっていきます。つまり、自分が相場に与える影響をシステムにフィードバックしなくてはならないのです。


それではとフィードバック機能を追加したシステムを完成させたとします。
そのシステムに従って売買を繰り返すと、今度はその新システムが相場に影響を与えるようになります。するとまたその新システムの影響をフィードバックしなくてはならない。と、いうように永遠に再帰処理が繰り返され、そこから抜け出せない無限ループに陥ってしまうのです。


もうひとつの観点から考えます。仮に100%予測のできるシステムを完成させたとしましょう。これを使って市場に参加した場合、やがて必ず周りの目を引きます。システムの存在は遅かれ早かれ市場参加者に気づかれます。100%当たるわけですから誰もがまねをして売買してくるでしょう。すると予測的中率は100%ではなくなってきます。もしシステムがある銘柄を「売り」だと判断したとしましょう。しかし、システムが売りだと判断した銘柄を誰が買うでしょうか。そのまま買い手が見つからず底値まで下がるでしょう。よくても、間違って買いを入れてしまった誰かの超低価格で確定するでしょう。「買い」と判断した場合も同様です。誰がそんな銘柄を手放すでしょうか。


完璧なシステムだったはずが、最終的には自分がババを引くことになります。このように、少なくともプログラミング理論ではこの問題を解決できません(と自分は思います)。したがって世にある(またはこれから現れるであろう)相場予測システムを全面的に信頼することは避けるべきです。自分が人間的に犯す大チョンボを防止するといった程度の目的に使用すべきだと思います。


未来予測というのは、「予測結果が現実に影響を与えない」という前提があって初めて実現できるのです。しかし予測結果を現実で使用できない、となるとその予測には意味があるでしょうか。予測結果を知るということ自体、すでに現実に影響を与えています。このパラドックスがあるために未来は予測不可能というわけです。

昭和の写真ジェネレータ

写真が昭和風になります。

http://labs.topicmaker.com/~fujiwara/s.html

自分の意見を通すときに心がけるべきこと

自分がグループの方向性に対して意見を述べるとき、自分に有利な意見を述べるべきか、他人にも配慮した意見を述べるべきか、迷うことがありませんか。こういう場合どういう立場を取るべきか。政治をたとえに考えて見ます。

現在、立場が異なるさまざまな政治家、政党によりさまざまな政策がうたわれています。小さな政府を目指す政策、大きな政府を目指す政策、財政を重視する政策、成長を重視する政策、都市を重視する政策、地方を重視する政策。

それぞれが多かれ少なかれトレードオフの関係をもっているため、すべてを完璧に満たす政策をとることはできません。ある政策を支持すれば、他の政策を排除することになってしまいます。(少々極端ですが)地方を重視すれば都会を見捨てることになり、成長を指示すれば弱者を見捨てることになってしまいます。ではどうすればいいのか?

答えは自分の立場で自分に都合の良いように自己中心的に選べばよいのです。

自分が都市に住んでいるのならば、都市を重視する政策に。
自分が地方に済んで切るのならば、地方を重視する政策に。
自分が若年ならば、若者に有利な政策に。
自分が老人ならば、老人に有利な政策に。

わが国は民主主義なので民意が政治に反映されることになっています。民意は投票という手段によって集約されることになっています。政治には投票制度という緩衝材が働いています。だから意見を通すときはストレートに自分勝手でいいのです。むしろ自分勝手のほうが集合知の力が最大化されます。

政治に投票する限りにおいては、もし自分が若者ならば、老人に対しての配慮は考えなくていいのです。老人は自分たち老人のことを考えて投票をするからです。若者が老人に対してどのような政策が一番いいのかを考えても正しい答えは出ません。自分のことは自分にしかわからないからです。自分が自分の環境における一番の専門家なのです。

しかし、専制君主だったり、小さな集団で自分が強い立場にあるとき等、集約の仕組みがない社会で意見を述べるときは状況が異なります。この場合は、フィルターがないので意見がそのまま採用される可能性があります。よって、各個人が全体のことを考えて適切な意見を通す必要があります(もっともその場合は意見をいえる人間の数が限られていると思いますが)。

要するに、自分の意見がどういう経路をたどって社会にどう影響するか、意見集約のフィルターがどの程度働いているのか。ということをよく見通して、適切な意見をのべる必要があるということです。