木下英範のブログ -34ページ目

標語

素人発想、玄人実行

これからの銀行の経営について

銀行は預金の使い道を明示すべきだ。本当に社会のために使われているのかどうか。本当に社会のために役立つ事業に融通されているのか。

社会全体最適を考慮した投資ができていなければスキルの高い投資家とはいえない。なぜならば長期で見て社会全体が持続的に伸びるのでなければ、リターンの最大化は見込めないからである。

よってその投資が環境問題を含めた社会全体の利益にどのくらいの影響を及ぼすのかを計測するロジックが必要となってくるであろう。そしてそれに早く気づいた銀行が生き残る。

似たような意見で、「銀行経営もこれからは利益を追い求めるだけではダメだ。社会のためになにができるかに注視しなければいけない」というのを良く聞くが、それは筋違いで、利益は追い求めるべきだ。ただし、どうするのが利益の最大化をもたらすのかを熟考したときに、環境問題を含めた社会の底上げが実は利益を最大化するということを認識することになるだろう。

コマーシャルはうざい?

それは自分の興味を引かなかったり、自分の欲求と一致しないからだ。本来広告とは実に役立つものである。たとえば、「急にカメラの電池が切れた。一番近くて安いのはどこに売ってる?」 「腹が減った。この近くで一番うまいレストランは?」こういった要求に対し、即座に答えてくれるコマーシャルがタイムリーに流れたら、見ずにはいられないだろう。

フラット化する世界での成功法則

ここまでグローバリゼーションが進展し、これからますますフラット化していく世界で個人の成長と進展の方法を考えた場合、世界的な成長・底上げを通した全体最適を目指すことが個人の幸福と成功の最も近道となる。

つまり人類は全体でひとつの生命体だと考え、たとえどんなに遠く離れた他人であろうが同じように悲しみを感じ、同じように幸せを感じられること。

どこかで災害が起きたのならば、自分が怪我をしたときと同じようにいたわり、手当てをして回復させること。どこかで誰かが成功したのならば、自分が成功したことと同じなのだから、心から喜び、永遠を願うこと。

そしてどうやったら世界がよりよくなり、心地よく過ごせるのかを常に考え、思いついた手を直ぐに試すこと。究極にフラット化した世界では他人の痛みは即座に自分の痛みであり、幸福は即座に自分の幸福である。

えきねこ

語録

「他の人を助けるために多くの時間を費やすなら、世界中であなたが一番幸せだ」
ジョン・ウッド

知っていることの数と、知らないことの数は同じ

世の中知らないことは数多くあります。すべてを知っているという人はいないでしょう。人は誰でも知らないことを知りたい、という欲求を持っています。情報の蓄積と共有化が進み、ネットでいろいろなことがすぐに調べられるようになりました。このままどこまでも進んでいけば人類はすべてを知ることができるのでしょうか。人類にとって無知の部分というのはだんだんと減ってきているのでしょうか。

そうではありません。知っていることが増えると知らないことも増えるのです。

例えば机の上にコインが表向きに置かれていたとします。すると裏は見えませんね。つまり裏は未知の部分です。しかし、コイン自体がないとしたらどうでしょう。最初から机の上にコインが置かれていないのならば、コインの裏という未知も存在しないことになります。あるいは机の上のコインに気づかなかったら裏がどうなっているかなんて考えません。コインがあることを知っているから、裏を知らないということがわかるのです。ある知識を手に入れると、必ず未知の部分が増えます。何かを知ると、知らないということも知ることになるのです。

よって、既知の総量と無知の総量は常にイコールです。だからこそ、知らないことを知りたいという欲求は未来永劫続き社会を発展させていくでしょう。

発明の仕方

発明とは過去になされたより小さな発見の集大成である。したがって大きな発明をしようと思えば小さな発見を積み上げねばならない。日々の発見を忘れないように正確に書きとめておくことから発明が始まる。

インデックス投資について

現在、株式市場には非常に多くの、そしてさまざまな専門性を持った投資家が参加し、切磋琢磨しています。これだけ多様多数の参加者の総意が株価なわけですから、群集の叡智という観点から言っても、株価は相当に効率化されているといってよさそうです。割高銘柄や割安銘柄といった掘り出し物を見つける可能性はもはやゼロと言ってもよいと思います(小さな乖離銘柄はたくさんありますが、大きく乖離する銘柄はほとんどない、つまり、探す手間を上回る銘柄は見つからないという意味です)。

また、以前にも書きましたが、「観測のパラドックス」があるために将来を予測することは困難です。テクニカル分析であってもファンダメンタル分析であっても、他者を出し抜く突出した結果を出すことは不可能です。

ですが、非常に長期(25年以上)で見ればバブルや不況の騰落を乗り越えて、株価は安定的に上昇しています。


つまり非常に長い目でみれば、経済が持続し、価値の生産がこれからも続くことの確度が高い。個々の企業は激しく変動し、倒産もしますが、経済全体がデフォルトすることはこれからもない。したがって、現代において最も効率的で成功確率の高い投資手法は、うまく分散化されたインデックス指標への投資ということになるわけです。

ここまでは真っ当な投資指南本ならばだいたい同じ結論に達しています。大いに同意します。しかし、インデックス投資もある意味で矛盾を抱えているのです。

それはインデックス長期投資をしてほったらかしておくということは、みんながボートをこいでいるのに自分だけ腕を組んで座っているようなものだからです。あるいは、みんなで神輿を担いでいるのに自分だけ担がなくても大丈夫なことに気づいて、担いだふりをして担がないことです。ですからちょっとずるい投資といえます。

日々真剣に価値評価を行っている投資家、割安銘柄を血眼で探す投資家、そういうものの土台に乗って、楽をさせてもらっていることをしっかりと意識しなければなりません。デイトレーダーだって流動性の提供と、裁定取引によって市場の効率化に役立っています。

もし全員がインデックス投資をしたらどうなるでしょう。市場はまったく効率的ではなくなるでしょう。なにも考えずに株を買ってくれるので企業は不正をしてもばれません。貴重な資源を消費し、世の中に必要でないものを作って、赤字を出していても許されてしまいます。これでは経済は発展しません。いずれすべてがダメになるでしょう。

ですがやはり、私はインデックス長期投資を選択します。しかし、株式市場において目利きは絶対に必要なのです。インデックス投資はそれを省いて横着してやるわけですから、切磋琢磨している人たちに感謝しつつ、余った時間を社会のために役立てなくてはなりません。そこまで考えてやっと「真っ当なインデックス投資」です。

俯瞰してみると、市場「非」効率論者が市場効率論に反対し、汗水たらして市場の歪み(投資機会)を見つける行為によって、市場は効率化していく。一方、市場効率論者は市場「非」効率論者の切磋琢磨によって、養われている。という面白い構図が成り立っているわけですね。

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