人を判断するとき
人は複雑でいろいろな見方ができるので、その人がどんな人かを見極めるのはとても難しいです。例えば、選挙では限られた情報の中で判断して誰に投票するかを決めなければなりません。
世界の指導者を選ぶときがやってきた。
あなたの一票は、貴重な一票である。
以下は、候補者に関する情報である。
候補者A:
不正な政治家とつながりがあり、占星術者に助言を求める。
彼は二人の愛人を持っていた。また、チェインスモーカー
で、一日に8~10杯のマティーニを飲む。
候補者B:
会社を二度クビになった。いつも昼まで寝ている。学生時
代には阿片をやっていた前歴がある。一晩に1クオート(約1
リットル)のウィスキーを飲む。
候補者C:
彼は勲章を受けた戦争の英雄である。菜食主義者で、タバ
コは吸わない。ビールをよく飲むが、これまで浮気をしたこ
とはない。
これらの候補者のうち、あなたは誰を選ぶか?
候補者A:フランクリン・D・ルーズベルト
候補者B:ウィンストン・チャーチル
候補者C:アドルフ・ヒットラー
(出典:Dr.テラのエピソード通信
)
以上のようなことは情報操作で簡単に作れてしまいます。このように、ある一定の情報に基づいて他人を決め付けてしまうと、思わぬ過ちを犯します。これは差別の原因でもあるし、戦争の原因でもあります。
ある人を判断するときに、その人について全ての情報を知ることは不可能であり、また人は時間によっても変化します。あるひとつの物事で決め付けずに、その人について知ることができるのは10%くらいだという気持ちで、十分にバッファを持たせて判断しなければならないということですね。
仕事と睡眠どちらを取るか
睡眠不足が脳に及ぼす影響を調べた論文が発表されました。これによると睡眠不足は脳細胞の活動をストップするそうです。
http://slashdot.jp/science/08/05/22/2326234.shtml
今日中に仕上げなければならない仕事が、夜遅くなっても終わっていない場合、
①睡眠時間を削って仕上げる
②あきらめて寝る
のどちらかの選択を迫られます。この選択に迫られた場合、今までの経験で、②の寝たほうがいいということがほぼ確実です。もし、仕事が終わっていなくても、翌朝のクリアな思考でなんとか解決策を導き出せます。謝るときのよい言い訳も思いつきます。または、もっと簡単な解決のためのアイデア、もしくは昨日の仕事は必要なかったことに気づいたりします。①を選択して、がんばって仕上げた場合、結局翌日に失敗することが多く、却ってマイナスです。
ですので、今日中に終わらせなければならない仕事が寝る時間になっても終わっていない場合、100%寝たほうがいいという結論に自分は達しています。人によってまちまちですが、自分は睡眠時間は7時間がベストです。
仕事を終わらせることよりも、この睡眠時間を守ること。多くの場合、これが自分にも周りにもよい結果をもたらすベストの方法です。
才能とは
人は生まれつきいろいろな才能を持っています。背が高い人は生まれつきバスケットボールの才能を、指が長い人は生まれつきピアノの才能を。みんなそれぞれ身体だけでなく、脳細胞の配置も少しずつ違うのだから、学問においてもそれぞれ異なる分野の才能を持っています。
一流と呼ばれる人は、持って生まれた才能を遺憾なく発揮した結果、一流になったと思われがちです。もちろんそういう人もいるかもしれません。ですが大半はそうじゃない気がするのです。もしかしたら「生まれつきの才能」というものは、物事のうまい下手にほとんど影響していなくて、「どんな状況に置かれても、その状況を心から楽しめるスキル」というひとつの能力のみが大勢を決している気がしてなりません。この仮説が正しいならば、一流の人がまったく異なるほかの分野に進んでいたとしても同じように一流になっていたことでしょう。
語録
道路や鉄道、学校や病院、警察、その他もろもろの社会のインフラやサービスを利用したからこそ生産ができるのである。いくら「自分の所得」だと主張しても、何を持って公平な分け前とするかは結局社会が決めることだ。税制を累進性にするか、逆進性にするか、比例性にするかの決定権は社会の側にある。
(ビル・トッテン)
「人間」という言葉
「人」とは単体のヒトを指す、「人間」とは人々全体のことを指す。人は他人がいなければ個人を規定できない。他者とのかかわりの中で個人の境界線が生まれる。他者がいてくれるから自分の存在を感じることができるのである。
人は他人と憎みあったり愛し合ったりする。些細なことで喧嘩をしてそのまま疎遠になってしまう者もいる。小さな頃から気が合って死ぬまでずっとそばにいる者もいる。その中の一人を取ってみても、仲のいいときもあれば喧嘩をするときもある。
人間は他者との境界線を互いに埋めて、ジグソーパズルのようにぴったりとはまっている。その凸凹があとで振り返ったとき、人生という形になって見えるのだろう。
些細なことでカッとなって、関係を壊してしまうのも人間である。しかしそれを修復できるのも人間の能力である。生きていく中でこの境界線をどう形作っていくか。それは自分次第である。
まさに「人間」という言葉は人と人の間に本質があるという意味だと思う。誰が考えたのか知らないが、よく考えられた深い言葉である。

