時代はいつでも激動する - 我々の使命とは何か
現代は波乱の時代だとか、異常な時代だとか、悲惨なニュースばかりだとかいわれる。しかし過去を振り返ると時代は常に激動してきた。そしていつでも同じことが言われてきた。平穏な時代なんてものは一度も無かった。しかし、どんなことがあっても昔の人は乗り越えてきた。
これからもいろいろなことが起こるだろう。目を覆いたくなることも起こるかもしれない。でもどんなことがあっても、我々はそれを乗り越えられる。どんな痛みをも克服できる。
昔の人が残した歴史、今現在もどんどん作られている歴史は増えることはあっても減ることは無い。だから世の中はどんどん良くなるはずである。我々はそこから学べる。昔の人が犯した過ちは二度と犯さないように、昔の人が残した知識を最大限に利用するように。
もし我々に使命があるとしたら、それはこれらを信じ希望を持って、毎日を明るく楽しく生きること。将来、われわれのことを振り返った子孫たちがそこに希望を見出せるように。今の世を少しでも良くして、子孫にバトンを渡せるように。それが今まで我々にバトンをつないでくれた先人に対する一番の恩返しであると信じている。
<昭和初期の日本 その①>
<昭和初期の日本 その②>
<昭和初期の日本 その③>
<昭和初期の日本 その④>
<昭和初期の日本 その⑤>
会社とは
人は一人では生きられない。いや、なんとか生きていけるかもしれないが、今のような暮らしはできない。一人の人間はその他大勢の人間に助けられて生きている。それは今日の夕飯がどういうプロセスで腹に収まったかを考えればわかる。人は他人に助けられて生きていると同時に、他人を助けている。自分の作り出した価値と、他人の作り出した価値を交換して、効率の良い社会を形成している。
ではどうやって、自分の価値を他人と交換するのか。それは「会社」を通して行うのが一番効率がいい。会社は個人の価値を集めて、意味のある大きな価値を作ったり、その価値を広く社会に提供するのに都合がいい。会社は「個人の価値」を「社会の価値」に変換する装置だといえる。そして自分の作った製品を誰かがお金と交換してくれる。見知らぬ誰かとも価値の交換を可能にする。
「個人」 価値→ 「会社」 価値→ 「社会」
「個人」 ←お金 「会社」 ←お金 「社会」
では、会社がなくては社会に価値を提供できないのか。そんなことはない。会社などない大昔から、人々は互いに価値を提供しあって暮らしてきた。真に理想論を言えば、会社などいらないと思っている。本当に気の合う仲間が集まり、その事業に価値を見出しているならば、それが結束となるのだから、わざわざ会社などという枠を作らなくてもいいのである。登記に手数料はかかるし、財務諸表を作らなければならないし、維持費もかかる。めんどくさいだけである。
それでも会社を作る意味はある。それはなにか。2つある。
1つ目は、税金の徴収である。会社登記なんてめんどくさいから、各自が自由勝手に商売を営めばいいではないか。ひとつ問題がある。税金の徴収ができないのだ。残念ながら、現在の資本主義ではそれほど完璧なシステムではない。完全自由経済の元では、資本家に富が集中し、持たざるものはますます貧乏になってしまう。だから共同体は税金を徴収し、富の分配を行う。会社登記し、税務署に会社の存在を知らせ、利益の一部を共同体(政府)に収めなければならない。個人で収めてもいいのだが、会社を作ったほうが税金が安くなるし、払いやすくなる。政府にとっても徴収しやすいほうが便利であるから、個人事業よりも法人のほうが税金を安くしている。
2つ目は、資金調達である。事業を行うに当たって資金が必要になるときがある。借入金にしても株主資本にしても、どちらも投資家を必要とする。そのために、事業側の身分を証明しなくてはならない。会社を登記することは公的機関に身分を証明してもらうことである。それでやっと投資家は安心して資金の提供ができる。
この2つはある程度の規模になると有効になってくる。利益が1000万以下で、大規模な資金調達を行わないような、小規模事業の場合は、個人事業か、LLC、LLPを選択したほうがコストがかからない。
会社は資本主義の子であり、非常に便利なものだが、所詮誰かが考えたものであり、ただの箱である。しかし、その奥にある、「気の合う仲間が集まり、価値のある仕事をする」という本質は会社ができるずっと以前からあった人間の欲求であるから、そのことを忘れないようにしたい。
語録
自分でもなぜかわからない。
なぜなら、それを選べば、もっと困難になってしまうからだ。
より多くのストレスを心に抱え込むことになる。
みんなに、お前は完全に失敗した、
と言われる時期もおそらくあるだろう。
(スティーブ・ジョブズ)
ランダムの境界線
IBMが世界最速のスーパーコンピュータを発表したそうです。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200806100016.html
単純に比較すると、「Roadrunner」が1日で出来る処理を一般的なコンピューターを使って行う場合、全世界の60億人全員が1人1台のパソコンを持ち、1日24時間かけても、46年間ずっと計算し続けることになる。
といいますから、PCのグリッドコンピューティング構想なんか吹っ飛ぶくらいすごい性能です。CPUにはプレステ3と同じ「Cell」CPUが使われているようです。そう考えるとプレステ3はすごいですね。Cellは単純な並列処理にはめっぽう強いのでたくさんつなげればすごいパワーを発揮できそうです。
サイコロを落としてどの目が出るかはランダムですが、これは情報量が多すぎて人間では判断できないため「ランダムに見えている」といえます。落とすときの角度、気流、地面の形状などを詳細に計算すれば、落とした時点である程度予測がついてしまうかもしれません。
こうなるとランダムの境界線も変わってきますね。今まで偶然だと思っていたものが、偶然でなくなる日が突然来るかもしれません。
ただし、どんどん細部まで計算していって原子レベルまでいくと、不確定性原理で粒子の位置がどこにあるか
確立でしかわからないという世界になってくるのでこの壁を突破できるのかどうかはわかりません。