「黙るな景色に溶けこむな 辞めるな時代に逆らうな

仮面で心理を隠してみても 僕達みんな狼だった」

(沢田研二「灰とダイヤモンド」)

 

ASTROMATE全体について、個人について、最後に語ろうかと思った。

それが、僕のけじめのつけ方か、とも。

しかし、こんな大ラスの時期、それぞれのメンバーはそれぞれを愛する者が口々に語るべきだろう。

 

これまでの当ブログでの各記事について。

全体についての語りは、こんなもんだ。

ASTROMATE序論

ASTROMATE中間報告

ASTROMATE礼賛、或いはアイドル戦国時代への鎮魂歌

 

一部ではあるが、個々のメンバーについても語っている。

きりしまさんのこと。

そして柚木音々はぴぃ!と啼いた

きゅりちゃんについて僕が思うほんの少しのこと(11/24 ASTROMATE@渋谷)

小鳥遊桐恋(と、佐藤はんな)

続・きりこと、佐藤はんな

 

望月さあやについてはここにも書いている。

夜明け前

ASTROMATE解散に係る雑惑

 

ほか、アイドルの解散や卒業前の述懐としては、こんなものがある。

恩讐の彼方に (槙田紗子)

7月 (サンミニ)

 

あらためて、望月さあやについて。

 

上がりでいいだろう、そう思った。

 

Only Five、動画も投稿できるようになっている。

望月さあや…この記事では、僕が彼女に宛てた文章にて彼女を指す際に使用している、もっちゃん、という表記をしようか。もっちゃんが、その動画投稿で、リクエストされた歌を歌う、ということをしていた。

もっちゃんが本当に甘くて溌溂とした、アイドル向きの声をしているのは知っていたから、僕は僕の現場ヲタクとしての原点であるAKB48の歌を、ただし僕がリアルタイムで見ていた10年以上前の曲をいくつかリクエストした。

 

その結果、もっちゃんが歌ったのが「初日」だ。あまりにも有名な曲ではあるが、初代チームBに殉じた者たちにとっては聖典、B3rd「パジャマドライブ」の代表たる名曲である。

この曲を僕が聞いていた時、もっちゃんは8歳。小学生だ。リアルタイムでこの曲を、知る由もない。片山陽加さんが歌っていたこの曲を、干支一周して僕がその時の推しに歌わせるなんてことを、当時の僕も知る由もない。

12年経って、もっちゃんが実に若いアイドルらしい声で歌っている。僕が歌わせたのだ。

 

自らの公式生誕記念Tシャツに身を包んだもっちゃんは、やはり思ったとおり、実に甘く、溌溂とし、そして綺麗な音程で、初日のサビを歌い終え、画面越しに手を振っていた。

こんな未来なのだ。

 

をたくとして、もう上がりでいいだろう、そう思った。

であれば、最後に僕を上がらせてくれるアイドル、もっちゃんのことを、ありったけの力で語ってもよいだろう、と。

 

僕の思うもっちゃん像を語る。

これはつまり僕のもっちゃんだ。

100人をたくがいれば、100通りのそのアイドル像がある。君のもっちゃん像と僕のもっちゃん像は違う。それはまた、本物のもっちゃんともずれてくるだろう。

そのもっちゃん像を出来得る限り、本物のもっちゃんに近付けようと、僕はひたすらにもがく。もがいてもがいてもがいて、本当のもっちゃんを求めていく。

 

合っている自信もない。歴代の推しの中でも、そんなに自信のないほうだ。

それでも、最後にもっちゃんを語ろうと思った。僕の中のもっちゃんを。

 

おそらく冗長になる。

構成もさして気にしない。ただ言葉の限りを尽くす。

 

 

1.望月さあやの2年(とちょっとの)間

 

まずASTROMATEの望月さあやを振り返る。

言うまでもないが、僕から見た望月さあやだ。

あるいは、もっちゃんと関係なく、ただ僕のこの2年間を振り返るだけかもしれない。

きっとすでに書いた話ばかりだ。

 

2018年3月、デビュー。

さこがオーディションの審査員をやっている、その段階から絡んでいる、という話は知っていたが、デビュー前のもっちゃんは知らない。

デビュー戦、2ショットはくじ引きというわけのわからない方式だったが、どうやらもっちゃんとその日に撮っていたらしい。

全体を「さこの作品」として見ていたからだろう、もっちゃんに関する特段の記憶はない。

2ショットチェキを振り返って見ると、素朴なポニーテールがそこにいた。

 

とにかく東京に出たかったらしい。

ASTROMATE-JUNGLE☆LIFE

「…でもやっぱり人前に一番出られるのは東京だから、上京しないと何も始まらないなと思っていて。だから東京に出られるチャンスがあるものは受けていたんですけど、その中で今回のオーディションを見つけて応募した感じですね」

 

望月さあやに行きたいと思って行った最初の日が、それから1か月の4月22日。

短い腕をぶん回し、ゴムまりのようにすさまじい弾力、バネで飛び回る、そんな姿が好きだった、というのは確かに推し始めたきっかけではあった。

ただ、この日行ったのは、知り合いにおい、誰に行けばええんや、と聞いたら、あの子でええやん、と言われた、それが望月さあやだった、確かそんなところだ。

彼自身は覚えていないだろうし、もっちゃんも彼のことは覚えているかどうか、ただ、もっちゃんと僕を結びつけたのは彼だった。

扇子が壊れた話をしている。なんのことはない、まさしく適当に行っただけの男の会話だ。

 

あっという間にしゃちフェスだった。

その前だと思う、記録はないし記憶があいまいだが、秋葉原でのライブでないイベント、何のイベントだったかな。

勿論その中身は覚えてない、ただ、初めての手紙を渡したら、泣き出して。

私なんかが手紙をもらえるなんて思っていなかった、と。

徹底的に自分に自信がなく、ひたすら卑下するスタイルは最初からだったように思う。それがASTROMATEの望月さあやになる前から、もっちゃんという人だったのだろう。

僕も手紙を渡して泣かれるなんて初めての経験で、おうおう、純粋もここまでくるとえらいもんやな、若干戸惑いもしたのを覚えている。悪い気はしなかった。たかだか僕の戯言塗れの手紙で落涙していただけたのだ。

 

しゃちフェスだった。

無類のスタダっ子であるもっちゃんは、参加が決まっては10リットル涙を流し、それは12リットルにまで膨れ上がり、1週間前は指を1本立てて「わんうぃーく、わんうぃーく」とつぶやいてはにやけ、3日前には指を3本立てていた。

 

6月なのに夏みたいな日だった。僕等の夏フェスだった。

もっちゃんはもちろん上機嫌で、たいそう緊張し、始まる前には「泣かないぞ。」と書き残し、太陽の下で精一杯輝き、そして終了後の全員握手で人の顔を見た瞬間泣き出した。つられて泣いてしまった。

活動開始3か月だが、ひょっとしたらこの日がASTROMATEのもっちゃんにとっては一番幸せだったかもしれない。

もっちゃんに強く強く勧められて(本人たちがステージの片隅に登場するということもあったのだが)、チームしゃちほこも見たっけね、大きな屋外会場で、かつて推した人たちもこういうところまで行ける可能性は存分にあったのだと思うと、泣けてしまったね。

言っちゃあ悪いが、ASTROMATEがここまで行けるとは思わなかった。ただ、このときの程度で終わるグループではないとも思っていた。

 

運営が変わったり、桐島杏がいなくなったり、Liliumoveが解散したり、TIFに釣り堀だけ参加してみたり、TIFには本当に人がいなかったり、そりゃそうだ、ライブをやるわけでもないのに釣り堀目当てでチケット買う偏狭な者もいやしない、僕はもちろんTIFそのものに行きたいだけだ、そんな夏だった。

肋骨を痛めたりもした。たしかをたくが5人のヤマハ銀座で、少しばかり暴れすぎたせいだ。

 

9月、初めての生誕祭、まあオフィシャルのものではなく、勝手にこちらがサイリウムとフラワーアレンジメントを用意しただけのものだ。ちょうど日が悪くて、そんなにをたくがいなくて、このころは特典会の最後にメンバーとをたくが集まって写真を撮るのがならわしだったが、そこあたりを通りすがった人もとりあえず集めて撮っていたような。

もちろん最初に生誕を祝ってもらった世の中のアイドルたちと同様、もっちゃんも感動していたような。

とりあえず思い付きでをたくで拵えた、安物のサコッシュ、もっちゃんの写真がくっついてるやつ、その後半年は特典会の際にずっと首からぶら下げていたような。たくさん押し付けましたね、家族に犬のむぅちゃんまで配ったとのこと、ありがとうございました。

 

この後くらいだね、10月か、言いたいことがある、ツイッターに載せて広めてくれ、と言われ、「さあやもセンターで始まって終わる曲欲しい!」と書かれたのは。

たぶん、ASTROMATEの望月さあやって、かなりの割合で悔しさとの戦い、反骨心の歴史なのだけれど、それが僕に見える形で、いや、明確に僕へのメッセージとして火花を散らしたひとつの出来事がこれだったように思う。

 

11月、サコフェス。

もっちゃんはASTROMATEとしての出番のほかに、まひろと共にラストのさこソロのバックダンサーに選ばれ、ステージで「MASK」「FAKE」「Not in theory」を踊った。さこ曰く「ダンスモンスター」の2人。おそらく、さこにとってこの2人、自らが手加減をする必要のない、最上級の教え子だったように思う。教えていて、気持ちが良かったんではないかな。

そしてもっちゃん自身も本当に槙田先生、槙田先生と良く慕っている様子だ。僕が槙田紗子のをたくだからなのかもしれないが、勝手にさこの話を振ってくることもよくあって、それは僕にとって悪い話ではなくて。その点、もっちゃんには感謝している。

 

そんな話はとにかく。

一人でPASSPO☆の各曲を歌う想定外の大変さに苦笑いのさこ、コールのタイミングも忘れ、そもそもずっとさこパート、故にずっとコール、その想定外の大変さに苦笑いのさこ推し、それをよそに、実に格好良く踊ってくれた。

さこ推しはこの2人には足を向けて寝てはならぬぞ、そんなことも思う。

終演後、もっちゃんは実にスッキリしたいい笑顔をしていたようにも思えたが、僕が気持ちよかっただけかもしれない。

 

malikaが解散して、年が明けた。

年明けすぐに風邪をひいて、ライブを休んで。

とんでもなくへこんだメールを送ってきて。

こんなに元気の塊みたいなキャラなのに体は弱い(暑さにも圧倒的に弱い)望月さん、そんなことを明確に認識したのはこのあたりだったような。

 

その後すぐに、元ももクロの有安杏果が復帰した。

もっちゃんは僕の前で数回泣いているのだけれど、このときもその話を振るとすっかり涙目になって、ぽろぽろと目からこぼして。

でも、確かにもっちゃんはこの2年間、そのあこがれの人と地続きの「アイドル」だったわけだ、という思いは抱けないままの卒業だろうけれど。

 

2月初め、私事で盛大なひと悶着があって。

そのせいで、もっちゃんが「センターで始まって終わった」REBELSの初披露は見ていない。涙を流したと聞いている。

僕が初めて見たのはその翌週で。そこで涙でも流していれば綺麗な物語だったのだけれど。感慨深いものはあった。

自分に自信のないもっちゃんには自分を肯定できる事実が必要で。そんな機会は結局そう訪れなかったようにも思うが、この曲は誰が見ても明確にわかる、もっちゃんの勝利のマイルストーンだろう。

 

3月、1周年記念ライブ。

思い描いた1年とはあまりに違っていただろう。それでも確かにそれは執り行われていた。

来年は3倍くらいの人の前でやりたいとも、5年はやろうぜ?とも、もっちゃんが僕に対して書いたものには残っている。元の自信は欠片しかなくなっていたとしても、それでもまだ前を見ている。勿論前しか見られないのだが。

その時に書かれたものを見直して、そして、謝りたい気分にもなる。

思えば僕は、2019年はずっと足を引っ張っていたような気がする。

 

ゴールデンウィークに地獄の連戦があって、その終盤に夏の@JAM出場を賭けた予選があって、そこまで行きついた頃にはもっちゃん(とねね)はすっかり体調不良で、その決戦はなんとか数曲出たものの退場、そこから数日、おかゆとポカリ生活だったとの由。

途中の大阪への行き返りですっかりやられたのか(この人、乗り物酔いも代名詞の一つだ)、ねねと同じ要因だったのか。医者に診てもらったが原因は不明だったらしい。

 

そのねねは6月末をもって卒業する。

これを書くにあたり、重要な情報源としてもっちゃんの「ここだけメール」を読み返しているのだが、ねね卒業発表を踏まえての記述と今回の解散発表時の記述を見比べると、変わらぬなとも思い、ここが違うのだな、だから今回はもっちゃん自身が卒業するのだな、そういう思いを抱くことしきりである。

シンプルに、潮時、ということかもしれない。

 

何かでもっちゃんが一番印象に残っていると語った、ねねの卒業ライブ。誰からも愛されたねね。

この日のねねは中間のソロコーナーでAKB48の「初日」を、まるでかつての初代チームBのような水色シャツ、チェックのプリーツスカート、制服風の衣装で歌い踊っていたのだが、その突拍子もない音程、緩いダンスをすべて笑顔でねじ伏せていく姿が、まさしくほんとうのアイドルで。

この間、Only Fiveの動画でもっちゃんに初日を歌ってもらったのだが、そりゃもちろんライブで一人で歌って踊ってというのと、宅録でサビだけ歌って、というのはあまりに違うのだが、それにしても歌声の安定感が違った。

当たり前だ。アイドルとして売りにするものがあまりに違う2人だ。

 

そしてまひろの相方はねねからもっちゃんになった。

仲が悪かったなんて話ではない。ただ、それまでねねまひは二個一だったのが、もちまひコンビになった、それだけのことだ。

 

別に実質の体制に名目を合わせただけであるから何が変わったわけでもないが、運営体制が変わり、1ヶ月だけ4人体制になり、一人でのネット番組への出演等もあり(そういえばあれのプレゼント企画、プレゼントが複数あって対象者が2人くらいしかいなくて俺にプレゼント来てないんだが、どうなってるんだ)、あっという間に8月に増員、そしてTIF。

去年は7月まで冷夏だったんだよな、だからもっちゃんはTIFまではかなり調子が良かったのだけれど、案の定TIFを境にダウンしてたっけね。TIFの間はなんとかこらえていたけれど。

 

前年と違ってTIFに出場。

まともに出場した最初で最後のTIFだったわけだけれど。もっちゃんは始終「たのちかった~」と言っていた気がする。

悔しくもあったらしい。緊張しすぎてそれをいい方向に持って行くことができなかったとのこと。そしてステージ終わりで泣いてしまった、と。

もちろん来年もここに戻ってくるつもり、だった。

 

夏にまた勝手な悶着を繰り広げた。

ことりの世話もし始めた。世話をするってなんだ。

9月、もっちゃんとまひろの合同生誕祭。

このあたり、若干の義務感で行っていた唯一の頃かも知れない。結果的には最後の生誕祭にもなり、勿論行っていてよかったのだが。

だが、なんてものじゃない、行ってよかった。ただ、楽しかった。

 

ソロで歌は歌いたくない、そう言っていた。

ダンスはもとより、歌もアイドルとしては十分に水準以上のものを持っていて、なおかついかにもアイドル向きの甘い声質を持っている彼女だったが、ここにも自信はないようだった(もっとも、パフォーマンスについてはある程度の自信、プライドは持っているようであった)。

結局、まひろとコンビで2曲踊った。そのうち1曲が「MASK」だった。

イントロの1音目で全身の血が沸騰する。サコフェスvol.1に続いてのこの久方ぶりの感触。1音、なった瞬間、神に感謝した、いや、目の前の2人に感謝した。なんか声をあげてしまった気がする。

 

この年はをたく側ではTシャツを作ってみたら、公式からもTシャツが販売された。まあそんなもんだ。

出来は悪くないと自負している。サイリウム、Tシャツ、メッセージカード、合同のスタンドフラワー、通り一遍のことは行って、きっちりアイドルとしての生誕祭を行えた気はしている。行えて、良かったと思っている。

もちろん、最後になるという確信まではなかったし、最後になるかもしれないなと思いながら行っていた。どんなアイドルの生誕祭でも最後であるかもしれないことは思うべきであるし、遠慮もなく言ってしまえば、彼女たちのものであるなら猶更だった。

 

何枚かチェキは撮ったが、大した話はきっとしていないと思う。

 

その後、20日くらい、あすとろに行かなかった。

たった20日。

久しぶりですね、と言われた。

 

サコフェスvol.2ではとにかく新しい学校のリーダーズが見たかったと、物販の間比較的暇で、全然見られる時間あったよなあ、と言っていた。リハーサルで見て、泣いていたらしい。

 

12月、ファーストワンマン。

これまでも単独公演はあったわけだが、かたくなにワンマンという呼称を使ってこなかった。もっちゃんだったかほかのメンバーだったか、みんな言っていたのではないか、単独公演とワンマンは違うのだと、ワンマンは特別なライブなのだと。

もっとも、このワンマンの直前にもっちゃんにその話をしたら、そんなこと言ったっけと言われてしまったのだけれど。

 

この日のために作られたオープニング映像から始まって、間にメンバー2,3人がかわるがわる歌うメドレーを組み込むなどの工夫をし、ワンマンだからと変に歌とダンスという本質以外に走った企画を挟むこともなく、熱量と疾走感を最後まで保った、まさしく集大成となるライブだった。

もっちゃんはとにかく、要約すれば「たのちかった~」だった。何度接触に行ってもテンション高く、実に楽しそうに話をしていた。

きっとこのころは半年後に卒業するとは夢にも思っていなかったろう。

 

いきなり5連戦から2020年が始まって。

年頭に今年の抱負を聞いたら、今年はこれを頑張るとかそういうのが嫌だ、さあやは常に全力だ、そんなことを言われて、書かれて、こいつかっこいいなあ、惚れ直したのを覚えている。

 

1週間休みを取れた(会社の制度で取らなければならなかった)ので、もっちゃんを生んだ島根に行ってみた。

事前にどこに行けばいいか、もっちゃんに書かせた。まあつまり、もっちゃんをめぐる旅だ。

時間がなくてもっちゃん御用達のサーティーワンアイスクリームまでは行けなかったが、もっちゃんに教えてもらった観光地は軒並み回れた。

そして、もっちゃんを育てた島根はあまりに時間の流れがゆっくりしていた。正月休みからすぐで、平日にそんな観光客もいるわけがない、山陰の冬は(本来なら)雪深いのだ、そんな時期に誰が行くんだ、それだけの話かもしれない。

地元をこよなく愛するもっちゃん、そんなもっちゃんを生み育てた故郷、なんとも合点がいく土地で、ああ、こんな土地でこの子はまっすぐ育ったんだ、だからこんなにすべて真っすぐなのだ、なんだかとても理解できた気がした。

 

2月にあっという間にことりが卒業した。もっとも、その4か月後には全員卒業するのだから、五十歩百歩というところかもしれない。彼女はこのシナリオを知って卒業したのだろうか。

コロナの影響もギリギリ全く受けることもなく(2月中まではせいぜいをたく側がマスクをするだけだった)、実に良いタイミングで切り抜けたものだと思う。

彼女とはもう少し幸せな道があったかもしれないなとは思うが、もっちゃんには関係のない話だ。

 

2019年の9月ごろには、おせっかいにももっちゃんに対し、ことりの面倒を見てやってくれと話をしたことがあった。

もっちゃんからすれば、僕を含め他数人、ただでさえ正直もっちゃん自身としては自分のをたくが多くないという現実認識がある中で、ことりに完全にではないにせよ多少をたくを取られるところがあり、どう思っていたのだろうと考えてしまう。

よりによって私のをたくが行くのかよ、そんなこと、思っていたのだろうかと邪知してしまう。勿論、どう思っていたかは知る術もない。

 

そしてこの直後にはもう解散が決まっていた。

3月、2周年ライブ。

この日披露された「Our Song」、結局合計3回しかやる機会はなかったのだが、この曲ももっちゃんがセンターで始まって終わる曲だよと、この日の開口一番言われた気がする。

もっとも、個人的にこの日が誕生日で、周りのをたくがよく呑ませてくれたものだから、それで大変に上機嫌でありなかなか舞い上がって接触もしていたものだから、それ以上の感慨もない。ずっと呑んでるねともっちゃん自身には呆れられた。

もっちゃんは今年の9月に二十歳になるのだが、大人になってもお酒は呑まない、と言っている。そんな大人をたくさん見たから、というのが理由の一であるなら、申し訳ない気はする。さすがに僕の影響はないと思うが。

 

大変に楽しいライブであった、それ以上は特にない。

その3日後に、3か月連続の主催ライブをギリギリ実施して、それで最後だった。

だれも最後と思わないまま、最後のライブは行われたわけであった。メンバーも終わることはわかっていても、これが最後だとは思っていなかったであろう。

 

6月におそらく配信のライブがある。客を入れるのかどうか、未だに発表もされていないが、どうにしろ出演者・客ともにいかにベストを尽くそうとも、完全な形にはなりえない。

その1週前に、最後の対バンも追加された。もちろん配信である。何もかも異様な、この2020年でしかありえない形。

陣営はライブ・特典会の代替としては電子チェキ・動画サービス「Only Five」のみを使用しているため、3月を最後にアイドルとをたくが言葉を交わすことすら許されない。最後のライブの際には何かしらが用意されるのかもしれないが、それすら期待ばかりするのもまた無為な話であろう。

 

このコロナ期間、そのOnly Fiveを実に多くもっちゃんは出品している。毎日TikTokも更新し、ここだけメールもそれなりの量を出している。

それらを頑張って客が増えるものでもなかろうし、TikTok含むSNSはすべて消えてしまう(消すのは業界としては特別なことでもなく、継続使用させてくれるところが好意的というところなのだろうが、しかし消すことに何の意義があるのだろう、元の運営側に何のメリットがあるだろう。契約だなどと思考停止に陥らずに、各アイドル運営はもう一度考えてみてほしい)にもかかわらず、いったい何をモチベーションとしてもっちゃんは日々そこまで勤勉に取り組んでいるのだろう、そう不思議にも思う。感心もする。

総じて、さすが望月さあやだなと思う。

 

僕はもう毎日のようにその出品されたOnly Fiveを買っている。これだけ買うともちろんもっちゃんも書くことはないのだろう、何もこちらがお題を与えなければ、日記のようになっている。

それでいいという気はする。聞きたいことがあれば聞くし、聞けばもっちゃんは答えてくれる。明るい答え、能天気な答え、シリアスな答え、切ない答え。

そんなようにして、この大いなるロスタイムを過ごしている。

 

もっちゃんは他にも毎日、さこ直伝のストレッチと筋トレに励み、踊り、そして大学の授業や課題にも取り組んでいる。実に規則正しい生活を送っている。

目先の目標がない中での異様なまでのストイックさ。いったい何が彼女を動かし、ここまで駆り立てているのだろう。

2年推してきてはいるけれど、あらためて、すごい奴だな。最近はそう思うことしきりである。

 

以上、実に冗長な2年間の振り返りだ。

 

 

2.望月さあやとはなんだったのか

 

以下、望月さあやという人に対する、僕なりの妄想である。

 

人はなぜ、人の前に出たい、ステージに上がりたい、スポットライトを浴びたい、何かを表現したいと思うのだろう。

 

もっちゃん、なんで人の前に立ちたいんだい、ステージに上がりたいんだい?

それを聞くべきだったかもしれない。

有名になりたいんだそうだ。何で有名になれるか、自分が何が向いているのか、何をしたいのか、わからないけれど、有名になりたいんだそうだ。

 

圧倒的な自分への自信のなさと、それでも求めてしまう自分への、せめてもの自制心、規格外のストイックさ。

それが望月さあやという人の根本にあるものだと思う。なぜ求めるのかは前述のとおりわからない。本人もきっとわかってやしないだろう。求めてしまう、しかし自分には武器がない、何もかもない、だから人の2倍3倍やらなければならないのだ。

そう思っているから、何にしても規格外にストイックにこなす。この自粛期間の彼女の暮らしもそうだ。

 

どうだろう、規格外のストイック、と思っているのは僕だけで、もっちゃん自身はそう思っていないようだ。

世の中には私以上にストイックな人はいくらでもいる、私はまだまだだ、そう言ってのけるけれど。

 

東京の舞台に立ちたい、東京に出たい、そう思ってこのオーディションを選んで、合格して、上京してきた少女。島根が生んだ、すでに傷つきながらもまっすぐに進んできた、育ってきた少女。

この少女の根本にはもう一つ、姉の存在、というのもあるように思う。

兄弟姉妹へのコンプレックスというのは想像以上にその人を縛る。自信のなさの根本はここから来ているのではないだろうか。

 

弾むようなバネのあるダンス、しっかりと音程が取れてなおかつ可愛らしい歌声。パフォーマンスは初期より水準以上。

それを弛まぬ努力によって2年間、真っすぐ伸ばしてきた。これにはもっちゃん自身も少しは自信を持っている、いや、自負しているみたいだけれど。

 

148cm。もっちゃん自身の推しの有安杏果と同じだと言っていつも喜んでいる。

丸顔。僕は客観的に見ても十分なビジュアルだと思っている。もちろん僕は好きだ。元々丸顔好きだ。

もっちゃん自身はとにかく自分の見た目が嫌いらしい。

柔らかいほっぺた。ここに着眼するのは僕がほっぺたフェチだからだ。

 

元々はももいろクローバーのファン。だから、彼女にとってのアイドルというものはももクロ、絶対的な地上のアイドルで。

もっちゃんが戦うことになったのは圧倒的な地下のアイドルで。そんな世界はもちろん知らなくて。

想像していなかった苦みを味わう2年間であったろうと思う。

 

ASTROMATEの初期と今とでは、勿論もっちゃんと僕の関係というものも違い(もちろんアイドルとファン以上のものではないのだが、多少なりともお互いにわかってくるものはある)、だからこそ初期には言っていなくていま言っていることがあったとしても、それは最初はわかっていなかったと言い切ることはできない。

しかし、それを踏まえてもなお、もっちゃんと話している、或いはこのコロナの世で電子チェキに表現されるもっちゃん自身の言葉を聞く、見る限りにおいては、その苦みを感じている様子がありありとわかる。

苦しみのない喜びなどないだろう。もっちゃんだって、ただ苦しいわけでもないだろう。それでも、思っていたものと違う、そのことはずっと思っていた、そんな2年間だったろう。

 

僕は自身のあやふやな感性をたのみにして、適当なことをいつも言ってしまう。

2018年のある日、ライブ後の特典会で、平たく言えば、気ぃ抜けとるんちゃう、なんてことを口走ってしまったことがあった。

もっちゃんは涙をぽろぽろこぼし始め、ごめんなさいごめんなさいと言い、そして涙を流している自分に気付き、またごめんなさいごめんなさい、大丈夫だから、ごめんなさい、と言った。隣のきゅりがどうしたの、と言って、僕をにらんできた。僕は苦笑いを浮かべていた。

実にくだらない、失礼なことを言ったものだ。

今思えば、ライブで気が抜けていると言われるのはもっちゃんにとって最も屈辱であったろう。この当時にそういう話をしたこともないから、この当時のもっちゃんがどう思っていたかはわからないが、その1年後にはもう「私は常に全力でやっている」ということはもう十二分にパフォーマンスでも表現し、そして口にもしていた。常に全力だよ、私はね、と。

 

そして常に笑っていた。もちろん、僕が至らないせいでもっちゃんが不機嫌なことはなくはなかった。普通にしていればそんなこともなかろう。これは僕のせいだ。

それは置いておいて、そういう不機嫌な時でもそれでも笑っていた気はするし、そうでないときはもちろん、笑っていた。

 

直近では、5月30日にインスタライブを2時間していた。生放送でひととおり見て、それから1日限定でアーカイブも残してくれていたから、さらっと見たけれど、もうずっと笑っているのだ。笑い声をあげて、もうただただ面白くて、楽しくてしょうがないと、屈託なく笑うのだ。子供のような笑顔で、まあもっちゃんは現在19歳、子供なのだけれど、笑うのだ。

 

こんなに真っすぐで純粋で穢れのない魂、なんてことを真顔では言わないけれど、そういう簡単なものではないと思うけれど、それでもそういう言葉が似合うような人だと思う。

その魂を強烈な劣等感と裏返しの自制心がつつみ、その心が日々鍛錬され確実な技術を持った体に内包される。

あまりに真っすぐだから、自分のことで精一杯な部分はある。利己的とかそういうことではない。なおかつ、通り一遍以上に優しいから、そんなことを気にする人もいないと思うが。

駆け引きも苦手、をたくを釣る方法なんてのはついぞ習得し得なかっただろう。

 

なんというか、存在として、とても良い人、美しい人、素晴らしい人だと思う。こういう人にこそ、報われてほしいと思う。

これは僕がもっちゃんを評するからこういう表現になるのかもしれない。

歴代、けちをつけてなんぼ(けちをつけるためにをたくをしていたわけではもちろんないが)の僕としても、もっちゃんにけちをつけたら罰が当たる気がしている。それほどもっちゃんは綺麗な魂の人だと思う。

褒めすぎだろうか、いよいよ焼きが回っただろうか。そうかもしれない。だから僕は上がりなのだ。

 

今後はもうひたすらに考え抜いてほしいと思う。自らがどこで生きていけるのか、考え抜いて、戦っていってほしいと思う。その中で、本当の武器を見出したら、そこに関しては決して自虐、卑下をしないでほしい。

美味しくないと言われてその食材を買う客はいない。最高に美味しいですよと言われるからその店に行き、そのものを買い、食べるのだ。美味しくないけど美味しくなるように頑張るね、それが通じる不思議な世界がアイドルだが、それ以外の世界はそうではなかろう。

ひょっとしたらこれが一番、もっちゃんにとって難しいかもしれないけれど。卑下しないだけでいい、何も言わずに取り組んでくれるだけでもいい。

間違いなく、素晴らしいものを持っている人であるはずだから。

そう思って推していた、僕を含むもっちゃんのをたくのために、…いや、そんなことは考えなくていいのだけれど。それでも、そんなもっちゃんが大好きだったをたくは何人もいたということ、それだけは忘れず、頑張ってほしいと思う。

 

 

3.僕にとっての「もっちゃん」

 

この項で、この冗長な記事を終わりにしたいと思う。

 

たぶん、理想だったのだと思う。

低身長、丸顔、やわらかいほっぺた。真っすぐすぎ、ストイックすぎる気性。切れ味鋭く躍動感のあるダンス、正確にしてアイドルとして十二分なかわいさをもった歌声。そして、不器用さ。

 

10年以上現場で、変な拘りをもって偏屈なをたくをしていた僕に、神様が最後に遣わしてくれた天使なのだ、これは2記事前、あすとろの解散に寄せたものに書いた通りである。

そう言ってもいいくらい、僕の趣向には合っている人だと思う。

 

ASTROMATE・望月さあやの、曲がりなりにも最初から最後まで見ていて、そのうちのほとんどの期間、彼女を推してきた。

推すどころか、足を引っ張っていた気がする。どうにも役に立ったようには思わない。強いて言えば、9割がたの現場にはひとまず自分の推しがいる、自分の名前を叫んでくれる人がいる、そういう安心感があったのだとすれば、それを醸成する材料くらいにはなれたかな、その程度だ。

 

「かわいそうだから」じゃなくて、「元気をもらえるから」応援したいと思えるアイドルになりたい、と書かれたことがある。

もっちゃんの物販列がしばらく空いて、僕は嘆息して、それから向かうこともあった。その光景でも見ていたのだろう。それは僕の態度が良くない。かわいそうだから推している、そんなことを思わせてしまった僕が良くないのだ。良くないもっちゃん推しだ。

確かに、空いているな、と思って行ったことはあった。しかしそれは決して、もっちゃんへの同情で行ったわけではない。行きたくて行ったのだ。一人のもっちゃんのをたくとして、行きたくて、行ったのだ。

 

元気はそれはもう果てしなくもらった。こんなに元気で優しい奴を推していて、元気がもらえないわけがないだろう。

だのに、少しばかりの自信、自尊心も芽生えさせてあげられなかった。

まあ、をたくがアイドルに何かをしてあげられる、と思うこと自体、おこがましいのかもしれない。

僕はもっちゃんにたくさんの元気をもらった、それで十分なのだろう。

 

いろいろ、余計なことをした。(こちらから引き出した言葉ではあったが)寛容なことを感謝してほしい、とも言われた。

2度目のハロウィン、ちょっともっちゃんに下世話なことを言ったら、ひどく怒られて、それから数週間経ったある日、伝えたいことがあると言われ、何かと思ったら、数週間ツイッターでミュートしたと、悪戯っぽく笑いながら伝えられたなんてこともあった。

 

そんなこんながありながら、最後までもっちゃんのをたくでいさせてくれた。

そしていつもニコニコしていた。僕が何も言わなくても、楽しそうに自分の話したい話をして、笑っていた。

 

槙田紗子を推して10年目。その槙田紗子を慕っていた。最も忠実で、師に心酔している、そんな教え子ではないだろうか。

槙田紗子を追ってここに来た僕にとっては、これ以上ない僥倖であった。あまりに楽しそうにさこを語り、あまりに楽しそうにさこを祝う。そしてさこの配信等はかならずチェックする。

立派なさこ推しだと思う。その意味では仲間だ。きっともっちゃんのほうが、良いさこ推しだろう。さこについて話すもっちゃんの幸せそうな顔を見て幸せになっていた僕は、その時の僕は、さこ推しだったのか、もっちゃん推しだったのか。

 

冗長に過ぎるな。

いくら言葉を尽くしても褒めたりない。

推すには実に十二分な人だった。推すだけの価値のある人だった。

いいだろう、もう、僕の天使で。それが望月さあやだったのだ。

 

 

自分は器用貧乏だともっちゃんは言う。何もかも足りないと。勿論、客の側からでは見えないこともある、演者だからこそわかる肌感覚もあるだろう。それでも。

そんなもん、まだ19歳だ、すべて可能性だ、すべて伸びしろだろう。

卑下するには若すぎるし、卑下するには何もかも上手すぎる。10年以上僕だってアイドルを見てきたんだ、上手すぎると言い切りたい。

時間もたっぷりある。有名になるにはここからだろう、本人だってその点はやる気満々だ。

 

どこかでまたお目にかかろう。まずはASTROMATEの望月さあやの終わりを楽しみにしている。アイドルは最後にこそ最も輝くものだ。

そして未来、どこかで出会う、(ASTROMATE)とつかないもっちゃんを、楽しみにしている。

陽はまだまだ昇っていくのだ。もっちゃんの笑顔に隠しきれない野心が、陽を昇らせるのだ。

 

「過去よりも高く翔ぶために

助走つけるために

戻って、そして走り出す」

(ももいろクローバーZ「灰とダイヤモンド」)