書く気はなかった、というのが正直なところだが、書いてくれといわれたので書く。


日曜の今頃には、きっともう、槙田紗子の、PASSPO☆としてのラストフライト、アイドルとしてのラストライブ、あえて一般名詞化することもないのだが、どうにしろ、それは終わっているのだろう(もちろん、ただの活動休止、ということになっている。本当の終わりかどうかは、PASSPO☆が終わるか彼女の人生が終わるまで、誰にもわからない)。

切れよくかっこいい、最高の槙田紗子を見せてほしいという思いはあるが、それよりもなによりも、体調十分で、何の懸念もなくフライトを始め、何事もなく、平和に終わってくれればそれでいい、それが正直なところだ。


そんなマイナスの心配から始めなければならぬのは、つまり活動休止の公にされた原因、体調不良、嘘などついてはいない。

100%本当のことを言うわけもないのだけれど、休止を発表してからの彼女や周りの言動を見ても疑いたくなるのもわかるのだけれど、それでも、きっと嘘じゃない。


とてもよく、最近の彼女は各種媒体で語る。

休止を発表して、本人の言うとおり、肩の荷が下りた気分なのだろう。

本人のインタビューとしては、雑誌『B.L.T.最新号(7月号)』とアプリ「POKER FACE」掲載のものが双璧であろう。ついでに言うなら、各クルーの思いは単行本『PASSPO☆の脱皮』掲載のものが、というよりほかに語られている媒体を知らないのだが、これを読めば簡単なところはわかるかと思うので、是非。


もちろん、我々に明かせぬことはある。

とりわけ彼女は、我々と自分の境界線をしっかり引いて、決して出ようとしなかった。

何度、「それはパッセンに話すことじゃないからね」と断られたことか。

この傾向は年々強まっていった。昔に痛い目でも見てきたのだろう。もっと無法地帯だった、メジャーデビュー前後くらいまでの時期か、その後か。知る由もない。


それでも、明かせる範囲においては、きわめて誠実に僕には対してくれたのだろうと思う。

具体例を挙げることはしないし、僕もどこまで彼女との話をネットの海に放ったものか、図りかねるのだが、少なくとも、各種媒体に掲載される彼女の言動は、そこから作り出される槙田紗子像は、僕が彼女からの話を聞いて作り上げた像と、ずれることは一切なかった。

この2ヶ月で相当に肉付けした像だが、ともすれば、その真新しい、僕にとっての槙田紗子像を、きれいになぞってきた。簡単に言えば、聞き覚えのあるニュアンスのことばかりをいっていた。

それはなかなかに、嬉しかった。


ヲタク一人ひとりにとって、そのアイドル像があって、ヲタクは彼女たちとの直接やさまざまな媒体、あらゆる接触と、想像力を駆使して、それに肉付けし、作り上げていく。

だから、百人ヲタクがいれば、百人の同じ名前のアイドルがいる。

ともすればその像はねじまがって、現実とかけ離れてしまうのだが、少なくとも僕の描いた槙田紗子像は、オフィシャルの槙田紗子像とは違ってはいなかったように思う。

彼女の思想に少しでも近づきたい、彼女を知りたいと思っていた僕としては、これ以上の戦果はない。


彼女にとってはしょうもない、面倒くさいヲタクだったろう。

二度ほど、傷つけたこともある。しかも、面と向かってでなく、一度はツイッターのリプで、一度はつい最近、生メールの返信で(こっちはなんということもなかった気がするが)。振り返れば、どうしようもないなあ、と思う。


こっちは一対一だが、彼女にとってはヲタクは何十人もいて、それぞれが片手間に、或いは真面目に、または全力で立ち向かってくる。

本当にアイドルというのは大変な職業であると思うし、「周りの人が厳しいことは言っているから、ファンの人はせめて優しくしてあげて」というニュアンスだったか、竹中先生の言うことも然りで、優しい言葉をかけてあげるべきだったのだろうと思う。


彼女は6年、やっていたのかな。僕はちょうど、槙田紗子のいる暮らしが、4年5ヶ月になる。

恩讐の彼方にというのはちょっと違って、彼女はこちらのことなどそんなに思っていないはずで、あくまで多数の中の一人で、でも僕にとっては、好きだった、本気で推した、アイドルで。

恩と仇とが入り混じる、格別な思い入れのある存在で。


今週、ともすれば彼女のことを考えていることが多かった。

別にいまさら新しいことは浮かばない。ただ、思考が吸い寄せられていった。

考えるというよりは、ぼんやりと思う、か。終わりを思っていた。


ラストフライト。


5/30 大阪会場(心斎橋サンホール)

5/31 東京会場(赤坂BLITZ) ※2部はソールドアウト


一人でも多く、見てほしいと思う。

そして、アイドルだった槙田紗子を、目に焼き付けてほしいと思う。


いまさら、特別なことは思わない。

ただ、終わりを迎えたときに、何を思うのだろう。

恩讐の彼方に、何を見るのだろう。


最後にどんな風景を見せてくれるのか、楽しみにしている。

ただただ、楽しみでしょうがない。