望月さあやの飛龍伝出演について書くべきなのかもしれない。本質は舞台上の人である彼女の、東京での初の舞台。槙田紗子が振りをつける舞台であることは、彼女にも僕にも意義深いことだ。そもそも僕はさこの仕事というだけで、そしてその理由で過去2度見ているたやのりょう一座への信頼から、見に行く予定ではあったものだ。

しかしそれは見終わった後にとっておこうと思う。何か書ければよいのだが。

 

「海まで出れば永久にわからない。河口であがったとしても、腐ってるさ」

(高城高「凍った太陽」)

 

いつもより多めに望月さあやと話をした2日間を経て、割合望月さんが好きな期間に入ってきている。をたくなんて単純なものだ。

その原資はきりこ…桐恋なのかほかの表記なのか、知らん、当時は小鳥遊桐恋のラストライブ、最後に暇をさせてはなるめえと多めにチェキ券を買っておいたものの、さすがに最後だからか列が途切れるなんてことも杞憂に終わり、余ったチェキ券でやったもの。

ことりの置き土産みたいなもんで、僕がその後心の平静を得られているのもことりのおかげなのかと勝手に思っている。

そう捉えられなくはない、言えなくもない、まあそれだけのことだ。

 

嘘のような明るさで、しかしそれはもちろん予想された明るさで、小鳥遊桐恋のラストライブは終わった。

2月26日、ASTROMATE定期公演、PLANETARIUM~Alpherg~@渋谷RUIDO K2。

彼女は笑っていて、いっちょ前に泣いても見せて、特典会ではただ明るく、ふと見れば大団円のような構図で、半年ばかりのアイドルを、小鳥遊桐恋を終えていった。

特筆すべきこともない。何も問題はない。夏にやってきて、冬が終わる前に去っていったのだ。普通の女の子に戻ります。壇上にいた時は普通ではなかったというのか。

 

小鳥遊桐恋とはなんだったのか。

ASTROMATEの2期。非公式カラー、オレンジ。愛称、「きゅり」と被る、という理由で「きりこ」でなく「ことり」。

なんだったのか。

それを書こうとして、考えて、考えるのをやめ、youtubeで適当な音楽動画を2本も流してしまっている。ジャニス・ジョプリンのsummertimeと、ダムドのNew Rose。勿論意味はない。

なんだったのか。

 

小鳥遊桐恋は小鳥遊桐恋としてそこにいた。僕は彼女に助けられ、あるいは助けもしただろう、正直、助けもしただろうと言っておく。ちょっとした相互依存関係だ。

そんな大それたものでもない。現場で多少はそういう向きがあっただろう、それだけのことだ。大したことを話したわけでもない。今更何を言ったって、もう河口までたどり着いた、腐ってしまっている。

まあ、女子大生だったのだと思う。適度に優しく適度に明るく、適度に弱い女子大生。悪い奴じゃなかった。僕は嫌いじゃなかった。ここで戦うアイドルとしての向き不向きで言えば、向いているとは思わなかったけれど、悪い奴じゃなかったし、もう記憶を美化しているのかもしれない、去りゆく奴はいつだって神様なのだが、悪い奴じゃなかった。気が合わんことはなかった。

 

どんな奴にだって1人でもファンがついたら立派なアイドルだ。1人はファンがいた。彼女にはファンがいた。ならば半年、立派なアイドルだったのだろう。

最後にノートに書かれた言葉は「酒はこいめじゃないとだめだぞ!!!ウーロンハイは1:1どの酒も1:1!!!」だった。秘めておく言葉でもないのでここに記す。どうやっても湿っぽくならない。一度アイドルもをたくも泣き出すというのをやってみたかった。そんなこといつ何時でも、この10年以上、起こりもしなかった。僕のせいだろう。別に彼女に限ったことじゃない。

 

ライトに書こうと思えば書ける、さも重大なことのように書こうと思えば書ける。半年なのだ。たった半年、されど半年。小鳥遊桐恋は何をきりこにもたらし、何をASTROMATEにもたらしたのか。

大事のように書くほどのことでもないのかもしれない。半年、地下アイドルをやっていただけなのだ。半年もやれば一つ語ることだってできるだろう。アイドルは辞めたらをたくの心で生きるらしい。その半年を大きな半年だったと言い切る、それだけ語るのもまたをたくだろう。

 

今これを書いているときはそれなりに切ないが、1年もすれば切なさも消え失せているのかもしれない。思い出も香りもなにもかも薄れろ。

つまりは彼女がすっかり元の女子大生に戻らんことを、それだけを願っているのだ。赤坂BLITZにも渋谷公会堂にも、Zepp Tokyoのステージにも上ったことのある、ただの女子大生に戻らんことを。そして幸せに過ごさんことを。

最後に僕はありがとうと言う。ありがとうと言うよ。世界がどう思ったって、一番伝えたい言葉は、ごめんじゃなくて、ありがとう。

 

「一緒に卒業!!!」

僕の陰鬱な気分に付き合ってくれた彼女はそうチェキに書き残したりもした。

バカだから卒業なんてできやしないんだよ、最後の頃、何度も彼女に言っていた気がする。最後の頃はそうやって僕によくお付き合いしていてくれた気がする。卒業が明るみになってから、誰だってそうだとは思うのだけれど、肩の荷が降りたのだろう。すっきりしたのだろう。もっぱら僕が何か言うのを受け止めてもらっていた気がする。

 

ここまで書いて、彼女のパフォーマンスについて何も述べていないことに気付いてしまった。ここで可もなく不可もなかったのだから地下アイドルとしては悪くないレベルだろうと思う。それ以上も以下もない。必要十分、というやつだ。

 

一緒に卒業してもよかっただろうし、一緒に卒業しなくたって、僕がバカだからって、そんなもんは彼女には一切関係なかっただろう。去った後の元の住処など誰が気にしよう。多少の愛着は感じたとしても、どうなっても痛くもかゆくもないはずだ。

 

よろしくね、と言われた。

きりこに、佐藤はんなをよろしく、と言われた。

 

この半年間、そこまでこのホットライン、唯一のASTROMATE2期、の絆がクローズアップされたこともなかった気がする。

しかしまさしくこの2人はホットラインだったのだ。2人で耐え、2人で語り、2人で涙を流し、2人で互いを支えたのだ。

オリジナルに対する2期がいつの世だって一番苦労する。それは人間性がどうとかそんな話ではない。構造上の問題だ。どうしても生みの苦しみ、初めての後輩、先輩というのは苦労するものだ。

 

一人で独立独歩、というタイプではない。強いタイプではない。佐藤はんな。みんなで愛で、みんなで育てるタイプのアイドルだろう。初見から素質は伺えたし、ちゃんと愛を注げばそれなりに育ち君臨する、そんなポテンシャルはあると僕は踏んでいるが。

そこまで明るくもなく、強くもなく、くじけたり、へこんだり、下を向いてしまったりする、まあ、支えがいはあるようなアイドルだと思う。

それを意気に感じてくれる愛すべきバカ野郎なをたくがはやく見つかればいいのだが。見ている限り、寄ってくるをたくはそれなりにいる。そんな中に、早くはんなのために死ねるバカ野郎が出てくればいいのだが。

 

きっと一人きりなら、もう佐藤はんなはいなかっただろうと思う。

前の記事にも書いたが、佐藤はんなが立派にASTROMATEに君臨した暁には、その一里塚として小鳥遊桐恋が思い出され、記憶され、刻まれるのだ。

 

佐藤はんな、僕は柚木音々にも通ずる素質の持ち主だと思う。

そこにいるだけでOK、なにもできなくてもOK、その系譜を継ぐものだと思う。しかもはんなはそれなりに踊れるのだ。

 

とあるあすとろのをたくが、かつてのをたく友人たちと呑んで、あすとろを見せたらしい、一番人気が現役を差し置いて、音々だったらしい。

しかし彼女は辞めてしまった。辞めたことが間違いだとかそんな話ではない。しかしなんにせよ、ここに残せなかったのだ。

あのときのをたくたちは佐藤はんなをこそここにいさせてほしい、などと思う。

ここにいることが幸せなのかはわからない。本人にプラスになるかどうかなどわからない。それでも、そのリベンジマッチを行ってほしいのだ。そんな歴史とは関係なく、彼女は待っている、前ほど下を向かないにしても、表情なく、泣き出しそうでも怒りそうでもなく、極めてフラットに、人を待っている、自身に仕えてくれるをたくを待っている、自身を輝かせてくれるをたくを待っている。

王女様が待っているのだ。

 

そしてもはや唯一の2期。

ひとりでこれからはその看板を背負っていく。どこまでいっても初期とは違うのだ。たった一人の孤独な戦いなのだ。

 

「足掻くのはよせ。ハッタリは沢山だ」

(高城高「X橋付近」)