「もし星々が千年に一夜のみ輝くなら、人々はいかにして神の都の存在を信じ、後世に語り継ぐ事ができようか」

(ラルフ・ワルド・エマーソン)

 

簡潔に。

 

本当にかのアシモフの「夜来たる」よりとったのであろうか。なんと渋い趣味であろうか。誰の趣味だよ。

6連太陽の惑星・ラガッシュ、夜のない星に訪れる、日蝕による2,000年ぶりの夜。世界は闇に閉ざされ、現れた「星々」が人を狂わせ、そして人はすべてを破壊し尽くす。

しかしそれであるならスペルは「KALGASH」ではないのか。

 

あるいは古代メソポタミアの都市。ここからとる理由もない。

 

夜来たる-wikipedia

ラガシュ-wikipedia

 

 

確かに写真は日蝕である。

 

ASTROMATEが6月13日のラストライブをもって解散することを発表した。

看板だけ生かして再度メンバーを集め行いたいらしいが、それは僕は知らない(もっとも、仮に「第二期」が始まったとして、そこに集ったメンバーに呪詛の言葉をかけるのもまた違うとは思う)。

 

 

舞台、タレント活動?未定だってばよ!

 

このタイミングか、とは思わなかった。

このタイミングだよな、と思った。

5月中に事が起きるのであれば起きるはずなのだ。

僕等はこの時期に次の予定が出れば、胸をなでおろしているのだ。

 

しかし予めわかっていた、というには僕は鈍感すぎる。

卒業、解散。いつだって僕は鈍感で、何も気付かない。

今回などは例えば、うん、もう、名前も言いたくない、連中が見るからに「第二期」のメンバーを募集していた。その時点で気付く人は当然に気付いていただろう。

いつだって僕は鈍感だ。

 

今思えば、最近は前の記事にも書いたとおり、彼女たちとの交流はもっぱら「Only Five」だが、この事実をもってすれば、ああ、だから君はそう書いたのだな、というのが、少しだけれど存在する。

だから「アイドルでいる限り」と書いたのかな、さとうはね。

そしてその事実を秘めて僕に対峙していた、メッセージを書き込んでいた彼女たちに対して、切なくなる。

 

 

これほどコントラストがはっきりしたメンバーコメントも珍しい。

満足している者がいる。燃えきれない者がいる。

解散が運営発案かメンバー発案かは知る由もないが、後者だとすれば、その結論に至る流れの発端、おそらく卒業を切り出したのだろう、がありありとわかる、そんなコメント。

(5/15、一部修正。原文、「後者だとすれば、引鉄を引いた者がありありとわかる、そんなコメント」。これでは誰かがまるで解散を切り出したようである。当たり前だが、卒業を言い出すことは悪いことではないし、元々、誰が発端にあろうと責める意図はない。…表現がまずいな、ということに早崎さんのメールを見て気づいた未熟者でございます。)

それはそれ。はんななんかは、なんだい、これ、そんなふうに思っているかもしれない。巣立っていった元ことりをうらやましくも思っているのかもしれない。

 

ただ、総じて、おそらく2月までには決まっていたのだろう(だとすればますます、はんなは元ことりを羨望のまなざしで見ていたかもしれない)。

それを満を持して、5月、ラストライブ1か月前に発表する。

きっとメンバーはもう、何もかも整理がついて、なおかつこんな世間情勢、ああ、もう残り1ヶ月だな、美しい感慨にふけっているかもしれない。

ちょっと待ってほしい。僕等はいま、その事実を提示されたのだ。

融点と沸点くらいの温度差。何かそんなものを感じないこともなかった。なに落ち着いているんだよ、もう少し感極まってくれよ、悟り切った顔をするなよ。

 

さりとて僕はこういう話で泣けるほど若くないのだ。

否、元々泣くような豊かな感性を持っていなかった。

そうか、このご時世でか。…ついてないな。

その程度だ。

 

このご時世。耳に胼胝ができすぎている、コロナウイルスの世の中だ。

ラストライブを観客を入れてできるわけもない。もう僕等は彼女たちを生で見ることも聴くことも、触れることも話すことも叶わないのだ。

つまりASTROMATEは3月でほとんど終わっていたんだろうと思う。だからこそ動画を撮っている人がいてよかったのかもしれないし、僕は写真撮影などしないでよかった。

 

コロナだから解散、ではない。解散を決めたらコロナが襲ってきた、そういうことだ。そういうことなのだと思う。

そんな気があるかどうかは知らないが、仮にこんなご時世だからちょっと待ってくれと言ったとしても、それに応じる連中でもあるまい。そんな気がメンバーにあるかどうかもそもそも知らないが。持ち掛けられてもメンバーが断ったかもしれないが。

すべては無意味な推論だ。

 

素晴らしいライブをする子たちだった。

それ以外が、周りの環境としてのそれ以外が欠損しすぎている子たちだったが。

知り合いのどのヲタクにも、少なくとも間違いのないライブをする、僕のプライドをもって勧められる、そう言い切れる子たちだった。

そんなものだけでどうにか食っていける地下アイドル業界ではない。食っていくには良いライブは必要なのか?そもそも良いライブとはなんだね、君の主観ではないのかね?そのとおり。

だからこそ、間違いなく良いライブをする子たちだよと、胸を張って叫ぶ。僕は。

 

そして端的に言えば、神が望月さあやを僕に遣わしてくれたことに感謝している。別に神を信じているわけでもないが。

きっと僕の、現場ヲタク10年以上、ドルヲタ歴15年以上、それを総括してくれる(こんな表現はくすぐったくてしかたがないのだが)天使が、望月さあやだったのだろうと思う。

 

ダンスと歌と、ストイックな姿勢と、そういうものを求めてきた。

アイドルにそれを求めることは無意味なのだと、百万遍知らされながら、それでも求めてきた。

僕はほっぺたフェチだ。丸顔好きだ。身長が小さい子が好きだ。

思えばなにもかも満たしている。素晴らしかった。

そして、槙田紗子を何よりも慕っていた。僕は師弟で推すことができた。僥倖である。

 

最初から見てきた。最初はそんなに真面目に見ていたわけでもないが。僕が育てたとでも言い張ってみたかった。育てていないが。邪魔こそすれ。

地下のドルヲタは育てたい感情はあるんじゃないかな。きっとね。介入して、その子の何かに触れて、何か変えさせたい、人生に参画したい、そんなこと、思う部分、あるんじゃないかな。いや、ないかな。

地下アイドルの距離感は何か間違っているんじゃないかと思う。間違いなのか?少なくとも、きっとアイドルとヲタクとしては近すぎる。

 

プロレスラーとヲタクの「最後」は信じてはいけないが、僕は望月さあやが「最後」ならなかなかに幸せだったと言えるのではないのか?

 

きっと、あすとろが終わって、コロナも落ち着いたら、佐野友里子のところにいくのだ。

片山陽加がアイドルを辞めても、槙田紗子がアイドルを辞めても、久松かおりがアイドルを辞めても、(風間玲マライカがアイドルを辞めても、)望月さあやがアイドルを辞めても、まだアイドルをしている、アイドル。佐野ぶりこ。

そしてすべてを振り返りながら、ゆっくりとヲタクとして死んでいく。それでよいのではないだろうか。

もうアイドルを始めてから11年が経つんだと。

 

望月さあやがアイドルをしない保証はないのだが。

だが彼女は舞台の人だと思う。食っていけるかどうかは知らないが、食っていけるスキルは十二分にあると思う。何よりも本人の本能がそれを求めているだろう。

再びアイドルになることを否定するものではない。

君の思う道を、真っすぐに進め。それが面白そうな道であれば、僕はまたお目にかかろう。

 

まずはあと1か月、え、この情勢下でなにかできると思っているのか?

いくらでもできるだろう。出来ることをして、素晴らしい思い出にするのだ。