「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分は此人を離れず、何所までも此人に随いていくのだ」

(志賀直哉『暗夜行路』)

 

プレアデス星団は、西洋、ギリシャ神話などでは7つの星、7人姉妹と見做されているが、日本では古来、昴、別名、六連星(むつらぼし)などとも言われるとおり、6つの星と扱われることが多いようである。

 

「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。(星はすばる、ひこぼし、宵の明星が良い。)」

(清少納言『枕草子』)

 

1年半経って、西洋から日本に帰ってきたとでもいうのだろうか。

6つ星。その中で一番小さくて一番元気な星。

 

望月さあやさん、○歳のお誕生日おめでとうございます。年齢非公開だから、ね。

 

いつも元気、ひたすら笑顔、平和が服を着て歩いているような人。

いつも元気なのにその実、虚弱体質(というほどでもないが、身体は全然強くない)。

ひたすら笑顔、誰よりも夏が似合いそうな少女、なのに夏より冬のほうが圧倒的に好きで、今年は7月まで対策ばっちりで絶対夏バテせんもん、そんなことを言っていたらTIFであっさりノックアウト、それ以後はすっかり打たれ弱くなった。

なんてことはない、7月まで単に気温が低かっただけである。

平和が服を着て歩いているような人、というところだけはだいたいそのとおりな気もするが、こちらはただのヲタク、彼女たちの実のところなんて結局はどこまで行ってもわかりはしない。

 

誰よりも自分の容姿に自信がない。

そんなに自分が可愛くないと言うな、君はアイドルなのだから。

可愛いと褒めては睨まれる、もしくは真顔になってしまう。「目が腐ってるんですかー?」なんて言ってしまう。

根底にはお姉さんへのコンプレックスがあるのだろう。詳述はしないが、そんな身近な、今現在の同居人から来ているものだから、実に根深く、きっと当分治らない。

可愛いのに。

 

歌にも自信がない。

こちらは全く自信がないわけではきっとない。でも自信はない。生誕祭だね、ソロで何歌うのよ、そう聞くと、絶対にソロでやりたくないと否定する。結果的にまひろとのW生誕できっとソロも回避、するのかどうかは当日までのおたのしみだけれど、きっと回避する。

しっかりした歌声をしているのに。

 

アイドルヲタクだ。

スターダストの信奉者であり、モノノフだ。

神様は有安杏果だ。あなたのようになりたかった、のだろうか。

「ももかちゃん」を、ももクロを、見る機会を得るたびに、実に嬉しそうに報告してくれる。未だにアイドルというよりは、歌って踊って、ヲタクから金を頂戴して接触する、そんなことを飯の種にしているだけの、ただのヲタクなのかもしれない。

報告はもちろん早口だ。

誰よりもアイドルというものをわかっているのであろうに。

 

泣き虫だ。

僕が通って1年で、僕の見ている範囲で5回は泣いた。うれし泣きも悲し泣きもあった。多くは特典会で、面と向かって泣かれて、困ったものだ。

よく音々の卒業公演でボロ泣きしなかったものだと思う。ボロ泣きしなかったぞ、と、そういえば得意げだったような。

 

この子がものすごく特別な才能の持ち主だ、と言うつもりはない。

そんなものを見抜く眼力が僕にあるわけでもない。本当は特別な才能があるのかもしれない。

 

なんで通い始めたのか。

槙田紗子が手掛けたアイドルユニットで、一番僕の趣味のユニットで、その中で、一番僕の趣味の動き、全身が吹っ飛ぶような勢いの、ゴムまりのような躍動感の際立つ動きをしており、そして小さくて丸顔でほっぺたが柔らかそうだった、つまり趣味と趣味と趣味と趣味にさらに趣味が重なったような人だったからだ。

僕が好きだというだけに過ぎない。

 

僕が好きだというだけで何が悪いんだ?

人がきっと好き、みんなが好きだろう、そんなことに僕は興味を持たない。そのような最大多数の最大幸福をアイドルで求めることにとうに飽きている。

しかし当の本人たちは、濃霧に包まれたような日常の中で、あるかどうかもわからないその一点、或いは何点もあるのかもしれない、そのポイントを探し求める。そうでなければ、人気を得られなければ、たくさんの金を巻き上げられなければ、おまんまの食い上げだからだ。

だからをたくなんてのは勝手で自由だと思う。そりゃそうだ、僕等にとってをたくは飯の種でなく、趣味に過ぎないのだから。

 

閑話休題。

 

望月さあやは幸せか?

有安杏果に憧れた少女。しかしそうなろうと思っていたわけではなさそうな少女。或いはなろうと思ってすぐに折れただけなのかもしれない少女。

とにかく東京に出たかったらしい。東京に出られるものは片っ端から受けていたらしい。

そしてたまたまASTROMATEになった。「明日誰かに教えたくなる」アイドル。

ももクロをはじめ、友人に教えてもらって知ることが多く、だからこそこのコンセプトを掲げたASTROMATEになることができて、本人はよっしゃ、と思っていたらしい。

 

望月さあやは幸せか?

結構な翻弄のされ方をした1年半であったと思う。現実を見てきた1年半であったと思う。

 

本来、1人のヲタクにそう振り回されてほしくない。そもそもそんなヲタクがつかなければ、それでいいだけの話なのであるが。

少々面倒なヲタクがついてしまって、ついたヲタクもほかにそう多くもないものだから、振り回されて、心を痛めたこともあったろうと思う。

申し訳ないと思う。

 

そんな懺悔はさておき、そんなにヲタクがいるわけでもない。厳しい現実を見てきたここまでだった。

俺はおすすめしておくぜ。いつも笑顔で、平和が服を着て歩いているような奴で、天真爛漫で、本人がよくツイートする通り、「元気あげます!」元気がもらえると思うぜ。要らなくても元気くれると思うぜ。そのくらいむちゃくちゃ元気だぜ。ほんとだぜ。

 

望月さあやは幸せか?

割合、自己中心的な人だ。僕はそこに批判的なニュアンスを込めるつもりはない。むしろこの業界なら、多少は自己中心でないと、優しすぎると生きていけない。

他人に、自分以外に、あまり興味が持てないと言っていた。視野が広いタイプではないのだろう。

器用じゃないと思う。まっすぐで、不器用で、一生懸命で。

動きと容姿で最初は行ったけれど、行けば行くほど、実に僕好みではないかと思う。行ってみて、行けば行くほど惚れこむ。

視野を広げようとはしているようだ。自己中心的でも、独善的な行動に走りすぎてしまうタイプではない。根本的にまず優しい。優しくて正直すぎる。

突き抜けて独善的であれば、それを達するようなずる賢さも重ね持っていれば、或いはこの世界で生きていく中でもっと役に立つこともあるのかもしれないのだが。

 

望月さあやは幸せか?

ある日、これをツイッターで拡散してほしいに(語尾に「に」がつくのは島根方言、出雲方言という方が正しいのか?の、特徴のようである、ということは彼女を追いかけて知った知識の一つである)、と言われ、チェキに書かれた一言。

「さあやもセンターで始まって終わる曲ほしい!」

お前ほどできる奴がそういう曲ができないわけないだろう?さこだってわかってるさ、そういうことを言った覚えがある。

 

かくして、その願いは半年近く後に叶えられた。

REBELS。

僕らは叫び踊り狂わなければならない。それは望月さあやの宿命の曲だ。

「悔やんだ時間が君を見つけるから」

全世界が望月さあやを見つけてほしい。

もっと評価されるべき、きっとそういうカテゴリに当てはまるのがASTROMATEであり、望月さあやだ。

 

望月さあやは幸せか?

槙田紗子好みの集団、ASTROMATE。今のところ、さこが思うように遠慮なく振付をし、躍らせ、パフォーマンスをさせることができる、そのような点では屈指の存在(きっとLily of the valleyと双璧だと思う。あそこの鍛えられ方は途方もない)である。

その中でさこが認める「ダンスモンスター」として、結川まひろとともに名前が挙がった、望月さあや。

僕の趣味と槙田紗子の趣味のクロスポイント。そしてそれは共に多分にパフォーマンスにおけるクロスポイント。

 

パフォーマンスで飯が食えると思ってはいないし、まだ飯が食えるほどのパフォーマンスと思っていないし、でもパフォーマンスのクロスポイントが望月さあやなら僕は好きに決まっているでしょう。何年無駄にアイドルのパフォーマンスについて中途半端に拘ってきたと思っているんだ。

好きな人には幸せになってほしいって思っているに決まっているでしょう。

1年半経って様々な経験をしていろいろな思いをして、でも今の望月さあやの位置なんか夜明け前だって思うに決まっているでしょう。

もっと幸せになってほしいって思っているに決まっているでしょう。

 

「われわれこそ、真の「夜明け前」にいるのではないか、そんな怒りのようなものさえこみあげるのだ。」

(松岡正剛の千夜千冊 0196夜 島崎藤村『夜明け前』より)

 

助かるにしろ、助からぬにしろ。

僕にはまだ望月さあやを見ていたいという気持ちがある…と断言したものか、いや、ないことはないし、望月さあやがこんなところで終わるなんて馬鹿げているとも思っている。もちろん望月さあやは終わらないし、きっとまだ夜明け前だ。もっと大きな幸せがこの先に待っているに違いない。

まだまだ陽の当たる道だけが彼女を待っているのである。そうに違いない。