今年の目標、
③ 神宮巡り
あと13ヵ所に行く事
④ 残存 天守閣 巡り
全12城のうち、残り9城に行く事
コロナのせいで思うように動けず・・・
3月16日に「備中松山城」に訪問。
今週は神宮巡りに和歌山に
ここは、ちょっと珍しい神社で、一つの境内に二つの本宮が同列で配置されています。この二社を総称して日前宮(にちぜんぐう)と呼ぶそうです。紀ノ國一之宮。
【日前神宮】 (ひのくまじんぐう)
【國懸神宮】 (くにかかすじんぐう)
社伝によると、神武天皇2年(西暦BC659年)、紀氏の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、天皇より日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮のご神体として、日矛鏡を國懸宮の神体として、名草郡毛見の地に、それぞれを祀ったのが始まりという。
垂仁天皇16年(西暦BC14年)に、現在地に遷座したと伝えられている。
その当時の現在地には、須佐之男尊の御子で紀ノ國紀氏の始祖とも言われる五十猛命(いたける)を祀る伊太祈曽神社(いたきそじんじゃ)があったのだが、天道根命軍団(中央豪族の紀氏)により追い出されるような格好で、伊太祈曽神社は奥地へ遷座したという。
神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。時を同じくして鋳造された天照大御神の二体の御鏡が、日前國懸両神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されております。(HPより引用)
手水舎は使用禁止
参道をまっすぐに進むと・・
左右に二社が祀られています。左の「日前神宮」からお詣りします。
【日前神宮】
御神体は
■ 日前大神(ひのくまのおおかみ)
天の岩戸隠れの神話で「八咫鏡」を作る際、それに先だって作った2つの鏡のうち「日像鏡」(ひがたのかがみ)を御神体とする神。
参道にある摂社・末社
【摂社 天道根神社】(あめのみちねじんじゃ)
祭神:
天道根命(あめのみちねのみこと)
御由緒:
天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。
紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。
【摂社 中言神社】
祭神:
名草姫命(なぐさひめのみこと) 名草彦命(なぐさひこのみこと)
御由緒:
祭神である名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として奉祀されております。名草郡の地主の神として崇敬され、『紀伊続風土記』には名草郡だけでも中言社と呼ばれた神社が十二社もあった程で、同郡では最も多い神社であったと伝えられております。明治十年三月二十六日官命を以て日前國懸両神宮の摂社に定められました。
【末社 市戎神社】(いちえびすじんじゃ)
祭神:
蛭子神(ひるこのかみ)
御由緒:
『旧記』(くき)によると、市戎神社はかつて境内の外にお祀りされていた庭外社で、江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮末社となりました。もともとこの社の近くで「市」が立ち非常に賑わったことから、次第に市のえべっさん・市えびすと呼ばれるようになり、往時は新内(あろち)から芸者衆の「宝恵かご」が出て、たいそうな賑わいであったようです。
此方がもう一つの神宮
【國懸神宮】
御祭神は
■ 國懸大神(くにかかすのおおかみ)
天の岩戸隠れの神話で「八咫鏡」を作る際、それに先だって作った2つの鏡のうち日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体ととする神。
二つの神宮に参拝の後、社務所で御朱印をいただきました。
直書きでは無く、書置きでの授与
二社ですが御朱印は一つです。
紀伊の国一之宮
日前神宮
國懸神宮
【神宮巡り】
2020年10月気比神宮
2020年9月石上神宮
2020年7月白峰神宮
2020年7月近江神宮
2020年6月伊邪那岐神宮
2020年3月 橿原神宮
2020年1月 水無瀬神宮
2020年1月 新日吉神宮
2020年1月 平安神宮
2019年12月伊勢 内宮
2019年12月伊勢 外宮
2019年11月吉野神宮
2019年11月明治神宮
(神宮番外)
2020年7月日向大神宮 ②
2020年7月日向大神宮 ①
2020年7月京都大神宮