第69第 御朱雀天皇・第70代 後冷泉天皇・第71代 後三条天皇! | 尚吾の「人生七転び八起き」

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座右の銘「人生七転び八起き」の如く、日々のさまざまな出来事を書き込んでいきます。

バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

11月30日、休日は京都の天皇陵巡り。


朝から京都大原に

右矢印82代、後鳥羽天皇陵

右矢印84代、順徳天皇陵


30㎞の山越えで着 

右矢印102代、後花園天皇陵

 


30㎞の山越えで嵐山に

右矢印52代、嵯峨天皇陵

右矢印91代、後宇多天皇陵

右矢印55代、文徳天皇陵

ランチナイフとフォーク右矢印嵐山 ルガラ  


ランチの後は残りの6ヵ所の天皇陵を目指します!!




朱山七陵(しゅやましちりょう)

京都府京都市右京区の龍安寺の後ろに位置する七つの陵墓の総称。

・円融天皇火葬塚


・一条天皇 円融寺北陵
・後朱雀天皇 円乗寺陵


・後冷泉天皇 円教寺陵
・後三条天皇 円宗寺陵
・堀河天皇 後円教寺陵

・禎子内親王(後朱雀天皇皇后)円乗寺東陵があります。
 

(それぞれの天皇に縁深い寺院(円融寺、円乗寺、円教寺、円宗寺)の名称が陵名に付けられているが、いずれの寺院も廃絶となって正確な位置は分かっておらず、陵墓の位置も便宜的なものと考えられる。Web引用

 

赤い丸が陵墓、オレンジの線が道筋です。


駐車場に車を止めて(無料でした)、陵墓の案内を探しながら龍安寺の方に・・。



龍安寺の入り口まで来てしまいました。情報では駐車場の横に陵墓に行く道が有るので引き返します。



龍安寺駐車場に戻り、側道が有りました。道路と思い先程通り過ぎた所です。


宮内庁の駒札が立ってましたが字が薄汚れで・・遠目には見えませんでしたビックリマーク



御陵の案内が有りました。





御陵関係者以外は立ち入り禁止注意


御陵関係者以外は立ち入り禁止注意 とあるので一瞬、「え~!」となりましたが・・・参拝はOKと言う事でホッと!







ここにも同じ看板



ここが陵墓の入口です。


最初にある陵墓は、偵子内親王陵 (ていしないしんのうりょう)


宮内庁の制札板が見えます。


後朱雀天皇皇后

偵子内親王 円乗寺東陵

 (ていしないしんのう えんじょうじひがしのみささぎ)


禎子内親王(ていし ないしんのう、長和2年7月6日1013年8月15日) - 寛治8年1月16日1094年2月3日))


第67代三条天皇の第3皇女で、第69代後朱雀天皇皇后女院。「ていし」は仮の読みで、実際の読みは「さだこ」または「よしこ」だったと推測されている。右矢印参考

 





1段高い所に天皇陵が・・・!







宮内庁の制札板




後朱雀天皇 円乗寺陵

(ごすざくてんのう えんじょうじのみささぎ)


後冷泉天皇 円教寺陵

(ごれいぜいてんのう えんきょうじのみささぎ)


後三条天皇 円宗寺陵

(ごさんじょうてんのう えんそうじのみささぎ)


右から

 

父親 (69代 後朱雀天皇)

長男 (70代 後冷泉天皇)

次男 (71代 後三条天皇)


陵形は右矢印円丘

 

第69代天皇、御朱雀天皇右矢印参考

(在位:1036年5月15日〈長元9年4月17日〉- 1045年2月5日〈寛徳2年1月16日〉)。


第66代、一条天皇の第三皇子。

摂関政治の最盛期にあたり、彰子の弟・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が先帝時代につづき関白をして威勢を振るった。


この時期荘園の増加によって国家財政が危機的状態にあり、その整理が必要とされていた。それら荘園の主たる領主が頼通ら権門であった。天皇は長久元年(1040年)に荘園整理令に着手するが、結果的には権門擁護策に終わる


病(肩の悪性腫瘍)により寛徳2年1月16日(1045年2月5日)、親仁(後冷泉天皇)に譲位し、太上天皇となる。その2日後に出家、同日崩御。享年37。


右側


後朱雀天皇 円乗寺陵

(ごすざくてんのう えんじょうじのみささぎ)



第70代天皇、後冷泉天皇右矢印参考

(在位:1045年2月5日〈寛徳2年1月16日〉- 1068年5月22日〈治暦4年4月19日〉)


後朱雀天皇の第一皇子。紫式部の娘大弐三位が乳母である。

母の兄・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が先帝時代につづき関白をつとめ威勢を振るった。


藤原頼通の娘寛子を皇后とした。頼通は一人娘の寛子に皇子誕生の望みをかけ、その暁には皇太弟尊仁親王(後三条天皇)と交代させようとして皇太弟を冷遇したが、遂に皇子は生まれなかった。後冷泉天皇の崩御により、異母弟で藤原氏を直接の外戚としない後三条天皇が即位することになる。


中央


後冷泉天皇 円教寺陵

(ごれいぜいてんのう えんきょうじのみささぎ)

 

第71代天皇、後三条天皇右矢印参考
(在位:1068年5月22日(治暦4年4月19日)- 1073年1月18日(延久4年12月8日))。


後朱雀天皇の第二皇子。母は三条天皇第三皇女・皇后禎子内親王。後冷泉天皇の異母弟。宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇である。


生母が藤原氏の出でない(道長の外孫ではあるが、関係は悪化していた)ため、関白藤原頼通・教通兄弟に疎んじられたが、彼らの異母弟・能信の支援を受けたと言われている。『


左側


後三条天皇 圓宗寺陵

(ごさんじょうてんのう えんそうじのみささぎ)




右から

 

父親(後朱雀天皇)

長男(後冷泉天皇)

次男(後三条天皇)

 

の順に並んでいます。



三陵墓が並んでいて圧巻です!!


 

御陵印は、4月6日に「月輪陵墓管区事務所」にて頂きました。