5月27日より西国巡礼発願し、8月5日に満願しました
7月1日にお参りした石山寺でもう一冊納経長を増やしました。
満願して一息つきましたが、残りの24寺院の御朱印をいただきに再度巡礼中です。
(7月22日、1巡目、2巡目)
三室戸寺、醍醐寺
(7月22日、2巡目)
今熊野観音寺、清水寺、六波羅密寺、行願寺、六角堂
(8月16日)
花山院 菩提寺
(8月26日)
(9月2日)
(9月23日)
(9月30日)
(10月7日)
(10月14日)
(10月28日)
(11月4日)
三井寺(特別拝観)
納経帳2冊目最後の札所、
善峰寺に
帰りに撮った写真ですが、行く時に気になって・・・、
石票から車で1km以上はありますね、駐車場に車を止めて寺院に
立派な山門ですね 注連縄があるのは神仏習合の密教寺院独特の物。
前回は、ギリギリの16:30に入場。慌ててのお参りでした!
【大登籠】 本庄宗資が寄進した巨大な青銅製の燈籠が佇み、火袋には四天王が彫られています。
宗資は、桂昌院の異父弟に当たり、桂昌院の庇護を受けて大名に立身出世しました。譜代大名として下野国足利藩主、後に常陸国笠間藩初代藩主を務めました。家督は次男 資俊が継ぎ、この代に松平姓が与えられています。子孫は宮津藩主として幕末を迎えました。
石段を上がると左手に
【観音堂】 元禄5年(1692)建立、桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂
本堂内にも上がれます。中央の厨子の手前に神鏡が祀られていました。
普通ならお前立ちなのですが、これは神仏習合の名残りと言う事です。山門の注連縄と言い、ナルホド
御朱印をいただいた後、隣に有る
【文殊寺宝館】に!前回は時間が無く入館できませんでした。
平成12年建立、約300点の仏像・絵画・書跡・染織・陶器など貴重な文化財を収蔵。寺宝館展示物
【釣鐘堂】
貞享3年(1686)、桂昌院により建立されました。徳川5代将軍綱吉公の厄年にあたり寄進され、“厄除けの鐘”と云われています。
【遊龍の松】 五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857)、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました
【多宝塔】 元和7年(1621)建立、国の重要文化財に指定されています。本尊は愛染明王。
【経蔵】 宝永2年(1705)建立、桂昌院により寄進されました。
傅大士(ふだいし。中国南北朝時代の僧。西暦6世紀)を奉安し、鉄眼版一切経が納められています。
内部には傅大士(ふだいし)を安置し、桂昌院が援助してきた黄檗山萬福寺の禅僧 鉄眼道光が制作した木版の鉄眼版一切経を納めています。
善峰寺復興大檀那の桂昌院遺髪を納めた廟所で、宝永2年(1705)建立。
1705(宝永2)年に建立。桂昌院はその年の6月22日に79歳で他界して江戸 増上寺に葬られましたが、善峯寺では生前の恩に報いるため、この廟に遺髪を納めています。
境内散策、次は、
明治18年(1885)建立。明治時代の篤き信仰により、釈迦岳(釈迦堂の南嶺)より遷座。
本尊釈迦如来は源算上人御作と伝わり、
腰痛神経痛に霊験あらたかなお釈迦さまとして信仰されています。
本尊は薬師如来、元禄14年(1701)建立です。桂昌院出生の由緒により出世薬師如来と云われています。
薬師堂裏はとても静な所。
更に奥には、「善峰寺歴代親王廟」
善峯寺は「西山宮門跡」でもあり、かつては官寺に列せられていました。
承久の乱が勃発した折、後鳥羽上皇の皇子 道覚法親王が善峯寺に避難したのがきっかけとなり、それ以後、青蓮院の宮様である慈道、尊円、尊道、尊祐、尊真、尊寶、尊証の各法親王が住職となっていました。
現在は宮内庁の管轄でしょうか?
いやホントに境内広いです。
あずまや風の休憩所になっていて桂昌院の像が安置されています。
降りて来ました。こちらの石票に、「善峰寺歴代親王廟」とあります。
ざっと1時間30分で境内を一周。休憩しながらだと2時間以上掛かりますね。
またゆっくりと訪問したい寺院です。
説明はHPより引用したり調べながらの他力本願の説明です。(^^ゞ
2回目の御朱印をいただきました、「大悲閣」。 納経帳2冊目が完成しました
西山 善峯寺(西国三十三ヶ所第二十番札所)HP
住所 京都市西京区大原野小塩町1372
電話 075-331-0020
拝観 8:00〜17:00 (16:30受付終了)
追伸: