斎藤英喜の 「ぶらぶら日記」 -904ページ目

休日読書

このところ、めっきり秋らしくなってきましたが、今日はまた夏がぶり返してきたみたいな暑さ。なんか湿度が高いみたいで、それだけでぐったりしますね。

敬老の日でお休み。一日中家にこもって、「お楽しみ系読書」してました。
午前中は昨日買った、新潮日本文学アルバムの『谷崎潤一郎』。写真つきの谷崎の評伝です。谷崎の三回の結婚について経緯は、それぞれ「文学史」的にも有名ですが、あらためてそのへん興味深く読みました。でも、谷崎ってほんと「引越し魔」。七十九年の人生で四十回も引越ししたとか。

お昼ごはんを食べてから、今度は谷崎の三番目の奥さんの松子さんが書いた、これも有名な随筆『倚松庵の夢』をあらためて通読しました。いや、面白い。でも、松子さんの回想録読んでいると、谷崎の小説のストーリーのことなのか、実際の生活のことなのか、こんがらがってきます。谷崎の松子さんへのラブレターなんかは、ほとんど小説のなかに出てきてもおかしくないほど。それぐらい、谷崎の物語が、「リアリティ」あふれているからなのでしよう。

そういえば、昔『細雪』を没頭して読んでとき、例の山津波の事件が描かれているところを読んだ次の日、朝の新聞を見て、一瞬、あの山津波のことはどうなったのかなんて思ったほどでした。ちなみに、谷崎の小説で好きなのは『蓼喰う蟲』と『蘆刈』です。これは年に一度は読み返している、みたいな耽読本です。

夜ご飯のあとは、谷崎晩年の随筆『雪後庵夜話』を読みました。今日は谷崎デーでしたね。京都には谷崎関連の土地もあちこちあります。今度、涼しくなったら、「谷崎文学散歩」をしようとくたくたさんに提案しました。さっそく彼女、地図であれこれ探してくれました。


お月見、ふた夜

土曜日、日曜日、くたくたさんとお月見に出かけました。

土曜日は、嵯峨野大覚寺の大沢池。嵯峨天皇の故事によるという、竜頭のついた船を池に浮かべ、月を愛でるという風流な行事。僕たちは船には乗らず、池に浮かんだ船と月の景色を眺めていました。

この日、昼間は曇っていたにもかかわらず、夜はきれいに晴れて、池の上に輝く月はとてもきれいでした。でも、この行事も観光化・大衆化されてしまい、なんか遊園地みたいな感じで、じつのところは興ざめでした。まぁ、しかたないか……。

日曜日は、祇園・八坂神社。

この日も、昼間は薄く曇っていましたが、夜になったら雲一つない空。神社に向かう途中、南座のあたりに赤っぽい満月が昇ってくるのが見えました。神楽殿で、神事に引き続いて雅楽、舞楽、筝曲などが奉納されました。舞楽は「蘭陵王」が舞われ、くたくたさんはご満足の様子でした。

東山から、昇る月が神社の境内を照らし、たくさんの見物人が行き交うのは、いかにも祇園の神社という感じがして、なかなかよかったです。

その後にホテルオークラの十七階のラウンジバーに行き、天空高く渡っていく満月と東山あたりの夜景を眺めながら、お酒を飲みました。

これも最高のお月見でした。


なんちゃって神楽

今日は午後から教授会。夕方、会議が終わって外に出たら、すごい雨が降った様子。白い雲が比叡山から立ち上っているのが見えました。

夜、早めに夕ご飯を食べて、くたくたさんと近くの平野神社まで散歩。

今夜は、平野神社の「御鎮座記念祭」とかで、いろんな芸能の奉納があるというので、それを見に行きました。薄暗い参道に小さな明かりが灯っているところはなかなかいい感じ。多くの灯明が灯された拝殿前の舞楽殿みたいなところでは、まず詩吟が朗々と吟じられていました。続いて「御神楽」。琴や笙、笛、それに巫女さんの格好をした四人の若い女性たちが登場。

しかし、これがひどかった。御神楽なんていうから期待したら、なんかへんな日本舞踏みたいな振りで、琴に合わせた神楽歌も?? まさに「なんちゃって神楽」でした。

そのあとは、中高年の女性集団による「民謡」。三味線の合奏はよかったけど、さすがに途中で切り上げました。ようするに、芸能趣味の会みたいな人たちの、ふだんの練習成果のご披露みたいなもの。まぁ、それはそれでけっこうです。最初からそういうのだとわかっていれば聞き方も違ったんですが。平野の神さまはわかっていた?

帰ってきてから、入浴後、「耳直し」って感じで、このあいだ買ってきた新内『比翼の初旅、名残の姿見』のCDを聞きながら、僕はウイスキーを、くたくたさんは日本酒を飲んで、うっとり……。

こうして夜はふけていったのでした。