心理カウンセラーの魔法の子育て -5ページ目

心理カウンセラーの魔法の子育て

心理カウンセラーから見た子育てのポイントと、ただの日記。NLPやコーチング、潜在意識など、最新の心理学理論を子育てに活用しましょう。

皆さん、こんにちは。

カウンセラーの佐原です。

先日は大阪で大きな地震がありましたね。


僕の地元なのでご心配いただいたようで、たくさんの方からメールをいただきました。
気にかけてくださって、ありがとうございます。

とても温かい気持ちになりました。

大阪の皆さんは大丈夫でしたか。

怪我なく過ごされていたら幸いです。

そして、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。


うちは幸い誰も怪我することなく、物一つ壊れることなく、無事で過ごせております。 


僕はといえばそんな騒ぎの中、東京に出張しておりまして(今も東京なのですが)

ですので、僕もテレビで被害状況を見る他なく、

 

ヘリからの中継で自分の見慣れた地元を見るのは何とも言えない感覚で、

本当のところ自分にとって何が大切なのか、それを思い知る時間となりました。


地震の揺れの最中、「ひな!テーブルの下に隠れ!」という妻の声に、娘は慌ててインコのソラのカゴを手にとって、テーブルの下に入ったそうです。

それぞれに守るべきものがあるのですね。



夜になって改めて、電話で娘の地震体験を受け止めました。

娘は興奮覚めやらぬ感じで話してくれました。


「あんな。最初にドーーン!って、でっかい巨人がコケたみたいな音がしてな。」って…。


世界観、独特やな…。

 

ちょっと微笑ましくなりました。


もうこれ以上、でっかい巨人がコケないことを祈ります。



上の娘とも話しました。


「のん。死ぬなよ。」


「うん。死なへんで。絶対死なへん気がしてきた。もう慣れて来て全然怖くなくなってきたんや。」


妻は、

「はいはい。もうええから。切るでー。」



と、どこをどの角度から踏み込んでもシリアスにはなり得ず、どうしても覆らない鉄壁の日常感の頼もしいこと。


分厚い膜のように包まれていて、現実に何が起ころうとも牧歌的な膜の中で優しくバウンドして衝撃が吸収されていく。

 

 

思えば自分はずっと昔からいつもその膜に守られていたように思います。


いつもそれがあって、どんな衝撃も優しく処理されて、良い方向に流れていく。


あの優しく分厚い膜。

 

 

あれは何でしょう?

 


おそらく僕が人に与えられる最良のものも、それなのだなと思いました。


あの優しい膜からはみ出てはぐれてしまって心細く震えている人を、一人ひとりまた優しい膜の中に帰って行けるようにセラピーします。

 

元々、そんな膜と縁が無い方には、僕の膜の中に招待します。

 

 

 

なんか分からないけど幸せ感が続く。とか。

 

なにかに守られている気がして感謝が溢れてくる。とか。

 

何があるって訳じゃないんですけど、安心感があるんですよね。とか。

 

 

それは、きっと元いた優しい膜の中に入って行けたってことですよね。

 

 

僕が大切に守りたいと思っているものもその柔らかい膜です。

 

 

それはご先祖の代より引き継がれたもので、

 

どんな自然災害も決定的には奪えなかったもので、今も皆さんの周りを優しく包んでいます。

 


 

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みなさん、こんにちは。

カウンセラーの佐原です。

 

梅雨入りして蒸し暑いなと思ったら、寒いくらいの夜があったり、なんだかよくわからないことになっていますが、

 

皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 

 

僕はやたら気力が充実していて、ガツガツ仕事をしております。

 

こちらの子育てブログでは、久しぶりになってしまいました。


 

中2と小6にまで成長した娘たちは今、

 

スマホアプリの「Tik Tok」にハマっています。

 

 

皆さんはご存知ですかね。「Tik Tok」

 

動画の自撮りをアップするコミュニティアプリで、インスタの動画版みたいなものですかね。

 

 

音楽に合わせて、口パクで歌ったり振り付けを踊ったりして、その動画をアップしては、いいね!とか押します。

 

 

 

何度も見せてもらったのですが、

 

 

何が面白いのか、さっぱり分かりません…(笑)

 

 

でも、その「分からなさ」が逆に新鮮で、

 

女の子が自分の美を追求していくことの楽しさというのは、これほどナチュラルに備わっているものなんだな、と、


 

そこに人間の自然を見て、

 

天によって人間はどのように設計されているのか、その意図を読み解き、その先にはどういう未来があるのかを想像したりしています。

 

 

 

「Tik Tokばっかりせんと、公文の宿題しーや。」と、親としてたしなめるわけですが、

 

でも本当のところ、ある種の勉強よりもTik Tokをやっている方が、はるかに勉強になるだろうな、とも思っている自分もいます。

 

 

体や顔の表情筋をフルに使って振り付けを踊り、その動画をすぐに見てみることで、自分にフィードバックを与える。

 

 

そうすると無意識は勝手に細かい筋肉の使い方を学習し、魅力を最大化させる方法を習得します。

 

 

更に、内的にどんな感覚の時に、周りに自分がどのように見えているのかというデータも無意識下に集積して行っています。

 

それは、特殊な感性と自意識と自信を作ります。

 

 

今の20代の若い子たちと話していると、私たち昭和世代が持っているようなある種の「恥」だったり、

まっすぐと身体表現をすることへの恐れのようなものを全く共有していないことに驚きます。
 

 

私達は、どこか自分というものが知り尽くせないものであり、

 

自分の姿や無意識が周りにどのように映っているのか、見られているのか、

 

その「分からなさ」に恐れ、恥じ入っている部分があります。

 

(カセットテープで初めて自分の声を聞いたときの、驚きを今でも覚えています。)

 

 

でも自分が赤ちゃんの頃から、動画で動く自分を見て育った世代には、

 

自分というものが人からどう見えるのか、そこが完全に開発され尽くしていて、恥を残しておくべき未開の地がありません。

 

 

私達が持っているような湿気た自意識を彼ら彼女らは持ち合わせておらず、とてもさっぱりとしていて(それは味気ないほどにさっぱりとしていて)そして自由です。

 

 

これ。完全にニュータイプです。

 

 

(そしてこれは完全に余談ですが、谷崎潤一郎的?昭和的?な文脈で言うと、その未開の地(陰影)にこそエロスが宿っており、

 

それゆえ新しい世代の男性は女性にエロスというものを感じることが以前より難しくなっているようにも感じます。)

 

 

それでも、新しい時代の自意識の軽さは、不要な恐れを背負うこと無く、軽やかに行動し、コミュニケートして新しい社会を作っていくのでしょう。

 

 

エロスというものを女性の抑制された影の中にではなく、開放された輝きの中に見出すことで、ほんとうの意味でぼ女性開放は成就していくのかもしれません。

 

 

いずれにせよ、新しいテクノロジーは私達の感性や自己意識を確実に(そして不可逆的に)変化させていきます。

 

 

だから、私は親として、親的な文法に従って、「Tik Tokばっかりやってないで、勉強しーやー。」と言うものの、

 

 

その一方で、Tik Tokのようなテクノロジーによって開発され尽くした娘の自意識や感性が、

 

どのように世界を捉え、何に価値を見出していくのか、そこにこそ勉強以上の可能性を見ています。

 

 

そして、そんなニュータイプになった彼女達からこそ、昭和世代の私達が学ぶことがあるような気がしています。

 

これは今はまだ予感のようなものですけど。

 

 

でも、「勉強しなさい!」というのが、彼女たちを私たち昭和世代の古いパラダイムに縛り付ける足かせになっていないか、

 

 

彼女の発している表情やエネルギーが軽やかなままでいるかどうか、そこは常に意識しています。

 

 

彼女たちが生きる時代は私達が体験したことの無い未来です。

 

 

そこでは私達の経験則からくる教訓こそが毒になる可能性もあるということに、謙虚でいたいですね。


 

どちらかというと、学ぶのは私達の方なのではないか?


 

それくらいの感覚でいたほうが、これからの変化の時代のスピードに上手く乗っていける気がしています。

 

 

 

 

みなさん、こんにちは。

 

カウンセラーの佐原です。

 

お久しぶりです。

 

最近、寒の戻り凄まじいですね。

今朝も寒っ!ってなって目が冷めました。


今日から娘達も新学期らしくて、昨晩はクラス分けがどうなるか。

仲良しの◯◯ちゃんと一緒になれるかどうかが心配なようで、

 

「もー明日学校行きたくないわ〜。」とぐねぐねしながら言っていました。

 

「一緒になれるかどうかで今後のひなの人生が決まるんやで。先生がそれを決めるんやで。」と、えらい思い詰めています。



僕も適当にアドバイスをします↓

 

「そういう時はひな。最悪を考えてみ。◯◯ちゃんが東京に引っ越してしまって、もうなかなか会えへんねん。どうする?」


「うわ〜。それめっちゃ悲しい…。嫌や…。(´・ω・`)」


「そやろ。でも明日はどうや? 最悪でも違うクラスになるだけやな。どんな感じ?」


「えへへへへへ(*´∀`*) クラス違っても一緒に帰れるし。ダンスでも一緒やし。公文でも会えるし。」



って、めっちゃ単純やな…。

 

そんなんでええんか…。

お父さんカウンセラーとして自信をもらうわ。

 

子供の心はシンプルで面白いな。

 

 

上の娘もナーバスになっていたので同じように言うと、

 

「でもそんなん現実ちゃうし…。」って、

 

 

お前はリアリストか!
 

僕に似てしまって気の毒に…。

 

 

最悪を想像して、現状と対比させるやり方。

 

どうやら、心がシンプルな子には役立つみたいですね。

 

何かの折に使ってみてくださいね。

 

 

 

みなさん、こんにちは。

 

カウンセラーの佐原です。

 

いやー。温かくなってきましたね。

 

 

 

あちこちで春を感じられる大好きな季節がやってまいりました。

 

 

昨日は良い天気だったので久しぶりに近所を散歩したのですが、

 

春の日差しを受けた草花や街路樹からウキウキとするようなエネルギーが感じ取れて、こちらまで嬉しくなりました。

 

 

さあ、春だぞ。春が来たぞ。花開くぞ、と。

 

 

そう言っているようでした。

 

 

草花も木々たちも、小動物達もみんな目覚めはじめたようですね。

 

負けてはいられませんね。私もそろそろ冬眠から目覚めようと思います(ブログ放置しすぎの言い訳をええ感じに詩的に表現したぞ!)

 

 

 

ということで、久しぶりの更新です。

 

 

今日のお話しは、お子さんがコミュニケーション上手になるために、つまり人と上手くつながる能力を育むために、

 

赤ちゃんの間にやってほしいことです。

 

 

うちの娘達はもう赤ちゃんではなくて、中1と小5でして、鏡の前で日々TWICEのダンスを踊っておりますが、

 

今日のお話しは対象年齢をぐっと下げて、赤ちゃんのお話しです。

 

 

私の周りでも昨年くらいから赤ちゃんの出産ラッシュですので、新お母さんに参考にしていただければと思います。

 

 

個々数年、企業が新入社員に求める能力でもトップに選ばれているのが「コミュニケーション能力」ですね。

 

それを我が子に与えるために何ができるのか。

 

そういうお話しです。

 

【コミュニケーション力は言語能力ではない】

 

コミュニケーション能力というとその人の言語能力を指すように思われていますが、

 

実際にはそれ以前に、

 

人とつながる感覚を形成できるか、

 

とか、

 

信頼感を育める力があるか、

 

というものがベースにあります。

 

 

人とつながる力がベースで、その上に言語の表現力が乗っているイメージです。

 

 

そして、それぞれに対応している脳の部位が違っています。

 

 

言語能力=大脳新皮質

 

つながる力=脳幹や辺縁系

 

 

言語能力は大人になってからいくらでも鍛えられますが、人とつながる力、信頼を育む力は幼い頃の体験がとても大切になります。

 

 

特に以下の3つを注意していただけたらと思います。

 

 

【人とつながる力を育むための3つの】

 

 

1)赤ちゃんが物を舐める体験を奪わないでください

 

 

赤ちゃんは物を見て触れて認識するだけではなく、口に入れて舐めることでも認識しようとしますね。

 

この舐めるという体験は舌の感覚を育て、それがやがて内蔵感覚の発達へとつながります。

 

そしてその内臓感覚こそが人が相手とつながる感覚の土台を創っていると言われています。

 

 

自分の本心を打ち明けて話すことを腹を割って話すと言いますね。

 

そのように腹で人とつながる感覚を作るのが、腹とつながっている舌の感覚学習によってだというのです。

 

 

舐めた時の舌の感覚や味で対象を知ろうとすることが、やがては他者と深くつながる感覚や相手を知るという実感のベースになっていくのです。

 

 

これ、知らなかったですよね。

 

赤ちゃんのうちは舐めることで対象を体験しようとしますから、その体験をあまり奪わないようにしてくださいね。

 

むしろ様々な感触のものを舐める体験を与えてあげるのも良いと思います。(もちろん衛生上の問題や誤嚥などの危険が無いようにしてくださいね。)

 

 

2)スキンシップはたっぷりと

 

 

皮膚は「露出した脳」と言われています。

 

皮膚にどんな刺激が与えらたかは赤ちゃんの脳や情緒の発達にとってとても大切です。

 

 

退屈な皮膚体験にならないように、たくさんハグしたり触れ合って心地よい刺激を与えてあげてくださいね。

 

快の身体感覚によって他者を体験できるようにしてあげてください。

 

 

スキンシップによって分泌される脳内物質であるオキシトシンは、ストレスを緩和し愛情や落ち着きをもたらし、また身体の成長を促すと言われています。

 

 

皮膚=露出した脳に沢山の良い刺激を与えることで、他者というものが信頼できる快の存在であることを身体レベルで学んでもらいましょう。

 

 

3)非言語のコミュニケーションを楽しみましょう

 

 

人が他者とエネルギー的につながる感覚。

 

相手と無意識レベルでつながって一体感を生み出す感覚を、心理の世界ではラポール(架け橋)と言います。

 

 

このラポールを形成する力は生きていくためにとても大切で、

 

 

ラポールが形成された状態での沈黙はとても心地よい安心感があるものです。

 

ラポールが形成されていない状態での沈黙はとても気まずいものです。

 

 

ラポールの形成が上手な人は、誰からでもすぐに好かれます。

 

無意識に(非言語に)「私はあなたの味方ですよ!」と伝えているからです。

 

 

ラポールの形成が苦手な人は、いくら話しても冷たい印象しか残らなくて、なかなか人に好かれない傾向にあります。

 

 

 

ではラポールを形成する力はどこで育まれるのでしょうか。

 

 

それは、お互いに顔を見合わせ、目を見て微笑み合い、仕草の真似っこをして、

 

そうやって相手と言葉を介さずにコミュニケーションを取ることで磨かれていきます。

 

 

赤ちゃんは言葉を使わないので、「思い」や「表情」や「声色」や「皮膚感覚」のようなレベルでやり取りができますね。

 

 

そういった経験が、言語を越えて他者とつながる力を育んでくれます。

 

ということで、

 

まとめておきましょう。

 

 

1)赤ちゃんが物を舐める体験を奪わないでください。

 

2)スキンシップはたっぷりと。

 

3)非言語のコミュニケーションを楽しみましょう

 

 

 

以上3点を意識していただければ、他者とつながるためのベースとなる能力が豊かに育まれていきます。

 

 

言語でのコミュニケーションはそのベースの上に乗っかるもので、そこは後からでもいくらでも学習が可能です。

 

 

でも、言葉をいくら巧みに使えても、身体感覚でつながることができていないと、

 

いくら話しても親密になった気がしない、

 

どこか場にふさわしくないようなセンスのない発言をしてしまう、

 

ということになりかねませんので、

 

 

赤ちゃんのうちに沢山触れて見て思いを注いで、つながって楽しんでくださいね。

 

 

僕も赤ちゃんに戻れるなら、もっといろんな物をベロベロ舐めてたら良かったって思います(笑)

 

 

ではでは、

 

読んで頂いてありがとうございました。

 

皆さんのこの季節が楽しい日々でありますように。

 

 

 

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今月の東京カウンセリングは10日間。

 

毎月一週間くらいの滞在だったのが、ありがたいことに少しずつ長くなってきました。

 

月に10日ほどだけ一人暮らしで単身赴任しているような感じが良い気分転換になって、気に入っています。

 

 

今回も代々木にて、いつものように仕事をしていると妻からソラのことでLINEが来ました。

 

 

 

セキセイインコのソラ。うちの人気者でです。

 

 

「ソラがいつもより膨らんでモフモフしてる。」

 

 

(いつもなかなか触らせてくれないのに)「今日は触らせてくれるねん。めっちゃ可愛いねん。」とのこと。

 

 

「中の人が変わったんちゃうか。」と、その時は冗談で返していたのだけど、

 

後になって、何か引っかかる…。

 

 

触らせてくれる?

 

 

モフモフ?

 

 

それ、大丈夫か?

 

 

気になって電話すると、妻も同じく不安になったようで、

 

ネットで調べてみたら、インコがモフモフに膨らむのは体調を崩している可能性が高いと出たようで、

 

急いで病院に連れて行ったら、かなり悪い状態だと言われ、緊急入院することになったのだとか。

 

 

寒さであまり食べられてない危険な状態だから、

 

温めて餌を飲み込ませて、明日くらいに元気になるようなら心配ないけど、そうでなければ病気の可能性も出て来る。

 

そうなると一週間保つかどうか…。と言われたようで、

 

 

妻と娘二人は号泣。

 

 

小5のひなに至っては地面に泣き崩れたとか。

 

 

 

僕は東京。

 

 

ソラ…。

 

 

確かに、

 

普段はあまり意識したことが無かったけど、ソラに何かあるかと思うと、身をもがれるような痛さがあります。

 

 

確かにもう抜き差しならないくらいにつながっていたんだな。

 

 

家族なんだな。

 

 

翌日も動物病院に様子を見に行くということだったので、昼過ぎに電話すると、

 

 

「ソラ元気そうに動き回ってたで。」と、子供たちの声も明るくて、ホッとしました。

 

 

そして昨日、東京は記録的な寒波により大雪。

 

 

ホテルへ帰る電車を待つのだけど、大雪の影響でいつもより本数を減らした電車にはなかなか乗れず、

 

ホームで吹雪に晒されながらギュッと身を固めて待っていると、電話が鳴りました。

 

 

「ちょっと待ってな。LINEでテレビ電話にするな。」と娘。

 

 

そして、「ほら見て。ソラめっちゃ元気やで。」

 

 

iPhoneのモニターには、いつものように元気に娘の足を追い回しているソラの姿が映っていました。

 

退院して家に戻ってきたようです。

 

 

「良かったなあ。こっちは凄い雪やで。」と、雪の積もった線路をインカメラに映しました。

 

 

「うわー。凄いな。寒そうやなー。」

 

 

「めっちゃ寒いでー。」

 

 

電話越しに賑やかな声がする。

 

 

この感じ。

 

この感じ、良いな。

 

 

家族が温かい所にいて楽しそうで、僕は外で寒くてちょっと大変なのだけど、この感じがとても良い。

 

 

この感覚は何なのだろう。

 

上手く言葉にしにくいし、名前も無い。

 

でも知っている。

 

 

これはたぶんずっと昔、僕の父が僕らに対して感じていた気持ちなのだろう。

 

 

頑張ろう。って腹の底から力が沸いてきて、寒さに耐えているこの状況が、なぜだか全然嫌ではなかった。

 

 

先日の出来事です。

 

小学校から帰ってきた娘が、ランドセルを置いてすぐに外に出て行こうとしていました。

 

「ちょっと行ってくるわ!!」と、なんだか鼻息が荒い。

 

どうしたのかと聞くと、

 

 

「あんな。◯◯ちゃんがな。ひなのこと顔面ズラかぶり言うたんや。めっちゃ腹立つやろ。今から行って謝ってもらうねん!」と返ってきた。

 

 

顔面ズラかぶり…。

 

 

それ…。どんな状態や…(笑)

 

 

笑ったらダメなんだろうけど、語感のインパクトが素晴らしくてお父さん心を鷲掴みにされてる…。

 

 

娘は「ほんまにありえへんわ!話し合ってくるわ!」と、勇んで出て行きました。

 

 

その日の夜になって、その後どうなったのかと娘に訊くと、

 

 

「すみませんでした。ってふざけた感じで言うねんで。でもひなはごめんって言ってほしいねん、って言うたのに。

 

いや。ちょっとそれは言いたくない…。って言うんやで。

 

ほんま腹立つわ~。」とプンプン怒っています。

 

 

娘の健全な怒りのエネルギーに触れて、私は嬉しくなりました。

 

 

「そうか。腹立つな~。ひな。ちょっとこっちおいで。これを思いっきり殴ってそのエネルギーを外に出してみ。」

 

 

そう言って、クッションでサンドバックを作ってあげると、喜んでこちらに来て、パンチしたりキックしたり。

 

 

「そうや。怒りを外に出すんや!」と囃し立てると、娘も乗ってきます。

 

※ これは相手を攻撃する意味ではなく、内に溜まったエネルギーを発散させるための心理療法の手法です。

 

 

娘は面白がってパンチを繰り出し、やがてそれが遊びになり、笑いが起こりました。

 

 

娘のエネルギーが何の屈折もわだかまりもなく、ぱーっと気持ちよく外に広がったのが分かります。

 

とても良い感じ。

 

 

健やかな自尊心と覇気に満ちています。

 

 

今回の出来事で、娘が自分の怒りを表した(行動した)ことが、心理療法家として私はとてもうれしく思いました。

 

 

これは適切な自尊感情が育まれている証拠であり、戦うだけの自我の強さの表れです。

 

 

「私という存在は尊いもので、それを侵害されたら私は怒る。」

 

 

この信念を持って、怒りを抑圧することなく爆発することもなく適切に表現できること。

 

それは子供たちに是非とも身に付けてもらいたいライフスキルの1つです。

 

 

なぜなら怒り外に出せない人というのは、必ず人生のどこかで壁にぶつかるからです。

 

 

日々の心理療法の現場でも、怒りが出せない人特有の悩みというのはとても多いものです。

 

 

【怒りが出せないと何が起こるか】

 

 

怒りを出せない人には、特有の症状が現れています。

 

 

その典型は、

 

・無気力で覇気がない

 

・目覚めが悪く疲れが取れない

 

というようなものです。

 

発散されずに身体に残った怒りのエネルギーは重くドロっとしたものに変質し、

 

無気力や疲れに変わり、更に悪くするとうつ状態にまで変わります。

 

 

「でも私、我慢しているわけではなく本当に怒ることが無いんです。」

 

 

というような方に多いのが、

 

怒りを感情を無意識に「悲しみ」にすり替えて

 

怒るべき所で「ショックだった」「悲しかった」「びっくりした」などと表現して、

 

怒るべき所で悲しんだり、落ち込んだり、泣いたりするクセが付いている方です。(これは女性にとても多いです)

 

 

 

これをやると「悲しみ」は偽物の感情なので、いくら涙を流しても、心がスッキリすることはありません。

 

エネルギーがどんよりと溜まって行き、先に述べたような疲れや無気力やうつに変わっていきます。

 

 

 

また、怒りという感情は人と自分を隔てる境界線を作るエネルギーでもあります。

 

ですので怒りが出せない人は他者との境界線が弱く、結果、いじめに合いやすかったり、

 

 

侵略的な人やダメな男とばかりとお付き合いしては、都合よく搾取されるようなケースが多くなります。

 

 

 

私達は無意識に人の境界線の強弱を察知しています。

 

 

例えば誰かに何かをお願いして断られる場面を想像してみてください。

 

 

相手によって、この人ならNO!と言われると引き下がってしまいそうだな。とか、

 

 

この人ならNO!と言われても食い下がってお願いしやすいな、といった違いがありませんか?

 

 

後者が境界線の弱い人です。

 

 

仕事が自分にばかりに集まって、オーバーワークでうつになったりするのもこのタイプです。

 

 

前者はNO!という声に怒りのエネルギーを乗せられる人で、

 

後者は怒りの代わりに罪悪感を乗せている人です。

 

 

私たちは無意識にそれを察知していますね。

 

 

だから、我が子の言う「NO!」にちゃんと鋭い怒りのエネルギーが乗っているか、ちゃんと境界線を築けているか、私は学校の成績以上にそういう所を気にかけて見ています。

 

 

みなさんはいかがでしょうか?

 

あなた自身、そしてあなたのお子さんは、

 

適切な怒りを表現できていますか?

 

 

力強い境界線を築けていますか?

 

 

なぜか周りの人に恵まれない方、意地悪されたり利用されたりしやすい方は、怒りが禁止されている可能性が高いです。

 

 

また怒りというのは、自分の権利を主張して外に押し出す力なので、それが弱いと全体的に押しが弱くなり、

 

押しの強い人達の中で気圧されて、人生に生きづらさを感じる傾向にあります。

 

 

・主張する。

 

・求める。

 

・断る。

 

 

これらには外向きのエネルギーが必要で、そのエネルギーの成分は「怒り」でできています。

 

 

ですので、怒りのエネルギーが弱かったり、外に出すことが禁止されている人というのは、

 

「主張」や「求める」という武器も、「断る」という盾も持たずに社会の荒波の中を生きていくことになります。

 

 

多くの場合、どこかのタイミングで問題として現れ、人生につまづくことで修正を迫られるようです。

 

 

【子供の怒りを支持する】

 

 

ですので、子供たちの怒りをあまり禁止しないで、必要であればむしろ支持してあげてくださいね。

 

 

諭したり相手を許したりするように導く前に、まずは怒りをよく表現させてあげてください。

 

 

「それは腹立つね。お母さんも腹たってきた!」と一緒になって怒ってみて下さい。

 

 

その上で出来る範囲で、相手に抗議できれば良いのですが、それが難しければまずは安全な中で怒る練習をするだけでも良いのです。

 

それだけでもエネルギーが外向きに放射され、境界線ができていきます。

 

 

許すというのは、それが出来た後のもっと人格が成熟した先のお話しです。

 

 

私たち大人はいつまでも我が子の側について守ってあげることはできませんが、

 

適切な境界線は生涯に渡って、その子を守ってくれます。

 

 

ですので、親として我が子に与えたいものの1つとして、怒りの表現を見てあげて下さい。

 

 

繰り返しになりますが、

 

 

怒りとは

 

「私という存在はそんな風に粗末に扱って良い存在ではない!」

 

という自尊心の発露です。

 

それを扱えないことは、必ず何かしらの代償を払うことになります。

 

 

子供たち自身の尊厳を守るためにも、怒りを扱えるようにサポートしてあげてくださいね。

 

 

**********

 

 

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中学生になった娘は、人生初の英語に苦戦しているようです。

 

 

娘「ほんま英語嫌いやわ〜。」

 

僕「言葉は慣れも大切やからな。初めてやと難しいわな。」

 

 

娘「だってなー。アメリカ人めっちゃ滑舌悪いんやもん。」

 

って…、

 

なるほど斬新。これは外人の滑舌の問題になるのか…。

 

 

おまえの自分軸スゲーな…(笑)

 
お父さんちょっと感動した…。
 
 
 

夕食時、ご飯ができたようなのでリビングに行くと、小5の娘が言います。

 

 

娘「とと様 ご飯ができました。ここにお座り下さい。」

 

 

僕「うむ。農民よ。おまえもそこに座って食べなさい。」

 

 

娘「はは〜」と言ってひれ伏す。

 

という、なんか良くわからない遊びが最近家で流行ってます(笑)

 

きれいにバカで空っぽでいいですね。

 

そしてこういう時に、そこはかとない幸せを感じます。

 

 

また別の日、

 

夜中の0時頃にPCで仕事をしていると画面の片隅に、ipadを開いたサインが表示されました。

 

 

↑こういうの。

 

あれ?まさかこんな時間に娘がまだ置きてYouTube見てる?と思って、寝ている部屋を見に行くとしーんとしていて静かに眠っている様子。

 

 

おかしいなと思ってまた戻ってしばらく仕事をしていると、再度ipadを開いたサインが表示される。

 

 

もう一度娘の部屋に行って、電気を点けて寝ている娘の顔を覗き込むと、薄目を開けてこっちの様子を伺っている(笑)

 

こら〜〜!!

 

「ぎゃはは〜( ´∀`)バレた〜。」

 

 

「ほんまに〜。早よ寝るんやで。」

 

ほんまに〜。とかぶつぶつ言いながら自分の部屋に戻る時に思ったですよね。

 

めっちゃ楽しいな

 

って(笑)

 

なんか凄く嬉しいんです。

 

これこれ、こういうのが幸せだって思ったのでした。

 

 

 

昨日は小学生の娘の運動会に行ってきました。

 

この子育てブログを書いている関係で、私のことをものすごく良いお父さんのように思ってくださっている方がいらっしゃるのですが、

 

それはとんでもない誤解で、

 

実際は一般的な父親らしいことはあまりしていません。(ドヤ顔で言うことではありませんが…(笑))

 

 

運動会となると世のお父さんは、開場前から場所取りのために荷物を持って並んでいるそうですが、

 

私は運動会が始まって、ラジオ体操をしている頃に目が覚めて、運動会の途中からテクテクと歩いて参加します。

 

 

娘のことは毎日家で見てるし、別に運動場で見なくても良いんちゃう?などと思っているのです。これが良くも悪くも私の感性なのです。

 

 

世のお父さんはビデオやカメラに三脚にと、子供の勇姿を記録することに集中していますが、

 

私は「記憶に焼き付けたら十分じゃない?」などと言います。

 

(とは言え妻に言われてビデオは撮りますが)

 

そして運動会に飽きたら途中で一人で家に帰ります。

 

 

学校と家が近いので、「出番が近づいたら電話して」と妻に言い残して家に帰り、優雅にコーヒーを飲みながら新聞を読んだりします。

 

 

そう言えば去年、2日かけてディズニーランドとディズニーシーに行った際も、2日目のシーの途中で、「あかん無理!」となって、昼過ぎにホテルに帰りました。

 

 

もちろん妻と子供達だけでも十分に楽しんでいられそうだと判断したからですが、

 

私は家族のためにあまり我慢をしないのです。

 

 

家族のためにこうあるべきとか、お父さんはこうあるべきみたいなものには一切従わず、自分の感覚やニーズを尊重してそれに従います。

 

なぜそんなことをするのかというと、

 

 

そこで無理に我慢して付き合っても、自分の無意識の中に恨みや被害者意識が残るだけだからです。

 

 

その蓄積された恨みはどれほど我慢して見せないフリをして頑張っても(むしろ見せないように頑張れば頑張るほど、隠せば隠すほど)、エネルギー的に家族全体に影響し、

 

子供たちに罪悪感を生み出すというメカニズムを、セラピーの中で嫌と言うほど見てきているからです。

 

 

「お前たちのためにお父さんは我慢しているんだ…」と、そんなエネルギーを発している父と同じ空間に生きる子供たちのことを考えてみてください。

 

 

子供たちはお願いした訳ではないのに、何かを返さないといけない気がして、無意識に罪悪感を作り出し自分を重くすることで(不幸になることで)その返済をしようとします。

 

(これを心理療法の世界では「幸せになってはいけない」というビリーフ(信念)を持っていると言います。)

 

 

そうやって、子供の心は重くなっていきます。

 

これは子供としてもたまらないですね。

 

 

自分が「貸して」と言った覚えがないのに、勝手にどんどん借金を背負わされていくわけですから。

 

理不尽です。

 

 

中学生くらいになって「お父さん嫌い!」となる理由の一端も(あくまで一端ですが)ここにあります。

 

 

幼い頃は自身の子供らしい表情や姿形の「可愛らしさ」によって親に返済できていたものが、

 

中学生になると容姿が変わりその返済が追いつかなくなり、日々の親の我慢のエネルギーが負債として重くのしかかるようになります。

 

 

そのため、親と一緒にいるととても不快なのです。

 

自分でも理由がわからないままにイライラするのです。

 

一緒の空間にいるだけで重く窮屈になる感じがするのです。

 

だから避けるようになります。

 

 

 

親としても、子供たちにそんな負債は背負って欲しくないですよね。

 

だから私は、子供をほどほどにしか優先しません。

 

少なくとも自分を犠牲にしてまではやらない。

 

 

とはいえ子供が喜ぶ姿を見るのは嬉しいものですから、子供のためにしてあげることもたくさんありますし、一緒に遊びますが、

 

それはあくまで私が気持ちよくなりたいためであって、子供のためではないのですね。

 

 

我慢して、子供に負債を背負わせるまでは頑張らないように注意しています。

 

自分自身が日々ご機嫌でいられているかを、子供達の幸せと同じくらい大切に見ています。

 

 

その結果、子供たちは心を晴れやかに生きています。

 

 

「親も楽しんでるんだから、自分達も楽しんで良いんだ。」という信念が、心の根底に備わっているのが分かります。

 

 

これは自己重要感と共に、親として私が子供たちにプレゼントしたかった信念の1つです。

 

 

「私には人生を楽しむ権利があって、世界から思いのままに豊かさを引き出してよい。それを味わってよい。」

 

そういう信念が、子供たちの人生を支えてくれれば良いなと思うのです。

 

 

 

お父さんは勝手に仕事して好きなことやってるみたいだし、お母さんも一緒に遊びたい時だけ遊ぶし、嫌な時は嫌と言う。

 

だから私も自分の人生を思う存分に楽しむぞ。嫌な時はNO!と言うぞ。

 

 

お互いが対等で、そこに妙な重さが無くて清々しいのです。

 

 

 

さて、このテーマをもう少し深めてみましょう。

 

 

 

【負債はどこからやってくるのか】

 

 

今説明した幸せになってはいけないようなエネルギーを「我慢という負債」と呼ぶとすれば、

 

それがどれだけ大きいかは、家族の文化によってそれぞれです。

 

 

ご家族を見るとなんとなくわかりますよね。

 

この家には何か重くグッと堪えるようなエネルギーがあるな。

 

この家は軽くぱーっと広がるようなエネルギーがあるな。

 

 

これらは単に親の信念だけの問題ではなく、親の親、さらにその親と、代々の家系の無意識によって引き継がれ蓄積されていったものです。

 

家系だけではなく、会社などの組織を見てもありますね。

 

「俺達も若い頃に苦労してきたのだから、お前たちも苦労しろ」というような思いが負の遺産として蓄積されている会社が非常に多いです。

 

日本の経済活動の多くがその負債のエネルギーによって動いていますが、

 

たまにはそういったエネルギーの無い職場もあって、そういう環境で働いてみると労働というものもとても気持ちの良いものです。

 

 

同じように家系にも「我慢という負債」の蓄積が大きい家系と小さい家系があります。

 

 

私がセラピーを通じて見てきた中ではっきりしている傾向があって、それは、

 

 

田舎で百姓を長くやっていた家系は我慢の歴史が大きく、その負債がまだ私達の世代にも重くのしかかっているケースが多いです。(私もこちらです)

 

逆に都市部にルーツがある家系はそのあたりが驚くほど少ないのです。

 

ですので、情報の溢れる今の時代、我慢などせずに好きなことやってお金を稼ごう!なんてことが比較的抵抗なくできます。

 

 

でも「私達も我慢してきたのだから」という我慢の負債が大きい家系では、なかなかそういった選択ができませんし、そもそもそういった可能性や情報が目に入ってきません。

 

 

お金を稼がないとと勉強を頑張っていたりしますが、実はお金を稼ぐことではなく、勉強という苦労によって負債を返すことをやっていたりします。

 

なので苦労する割には豊かになっていかなかったり、豊かさにつながりそうなポイントは上手に外していたりします。

 

 

さて、あなたの家系はどうでしょうか?

 

 

「我慢という負債」は大きい方ですか、小さい方ですか? あるいは「人生楽しもうよ!」という貯金の方が多い家系ですか?

 

 

全く負債の無い家系に生きた人には、ここで書いている話は全くピンと来ないかもしれません。

 

でも、日本人の多くは実感されていることと思います。

 

私達の無意識にあり、豊かな時代においてもなお私達を閉じ込めている力、我慢しないと…と、苦労へと仕向けている力。

 

そういう力が確かに自分の中にもあるなと。

 

 

であれば、このエネルギーをできる限り減らして、子供たちに自由を与えてあげたいものですね。

 

これだけ豊かで選択肢が増えた時代です。

 

子供たちには軽やかにご機嫌に生きて欲しいものです。

 

 

そのためにも今日から家系に流れる我慢の負債を減らして、喜びの貯金をして行ってほしいのです。

 

 

負債を本格的に解消していくには、セラピーではまずは自分の親との関係や家系を見直して、そこにある罪悪感や親の苦労に敬意を払って癒やしていきます。

 

ですが、日頃の心がけレベルで大切なのは、

 

 

 

自分の機嫌は自分で取る。

 

 

ということですね。

 

言い換えると、子供達に対するのと同じくらいに自分の中の子供の面倒も見るということです。

 

 

決して日々の生活や社会の被害者にならないことですね。

 

 

こういった親の姿勢によって子供たちにもたらされる信念(ビリーフ)

 

 

「私には幸せになる権利がある」は、

 

 

教育などよりももっと深く無意識のレベルで人生のベースとなり、その子の幸せのキャパシティを決めるものですので、

 

 

是非とも意識してくださいね。

 

 

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東京での仕事を終え、

 

久しぶりに大阪に戻ってゆっくり家族との時間を過ごしました。

 

 

一緒に夕ご飯を食べてから、

 

「とと、ちょっと夜の散歩行って来るわ。」と言うと、

 

「ひなも行く!」と小5の娘が小学生らしい勢いで乗って来る。

 

 

とにかく大人がすることは、なんでも乗っかりたいようです。

 

 

中1になった上の娘はさすがに中学生らしく、しれーっとした感じで乗ってきません。

 

 

でも準備をして先に外に出ようと玄関のドアを開けると、下の娘が言います。

 

 

「とと。ちょっと待ってー。のんも行くんやって。」

 

 

なんやねん。行くんかい!と思いながら、待つこと数分。

 

 

娘二人が元気よく玄関から飛び出してきます。

 

 

 

秋になり涼しくなった夜の街。

 

おぼろげに月が浮かんでいて、夜風が気持ち良くて身体が喜びます。

 

 

「どこ行く?」と下の娘が言い、

 

「できるだけ怪しい道を行こう。通ったことの無い道無いかな。」と応えると、

 

 

「もう、のんはこの辺に通ったことない道無いで。」と返って来る。

 

 

「そうなんかー。」と、ちょっと頼もしく思います。

 

 

どんな道も冒険済み。

 

子供とはそうあってもらいたいものです。

 

 

月明かりに浮かぶ路地を3人で歩きながら、いろんな家々を観察してはコメントしたり、公園に寄ったり。

 

 

 

途中、道を歩きながらも娘は2人はせわしなく身体を動かしたり、踊ったり歌を口ずさみます。

 

なるほど、なかなか宿題ができないわけだ…。

 

 

身体が(つまり潜在意識が)暴れたがっています。1日分のエネルギーの発散が終わっていないのが身体を見ているとよく分かります。

 

 

授業に部活に日々の準備にと、外側から制御されるばかりで、内側から溢れる奔放なエネルギーを生きる時間が無いのでしょう。

 

 

それでも、家に帰ったら机に向かうように言われるのだから気の毒なものです。

 

 

この今溢れ出ようとしている彼女の中の生命の輝きと、それを我慢して机に向かうべきという社会の圧力と。

 

 

父である私はどちらを支持するべきだろうか?

 

そう自分に問うと、

 

もちろん、生命の輝きの方だと返ってくる。

 

 

 

夜の暗さに慣れてくると心が静かに深まり、普段聞けないような率直な娘の言葉が出てきます。

 

 

「もー。嫌やわ。朝起きたら学校行って部活して帰ったらすぐにお風呂入って、夕ご飯食べたら宿題して、そしたら寝るだけ。ほんま嫌やわー。」

 

娘は力いっぱい毒を吐き出す。

 

 

「そっかー。のんは嫌か。ととは人生楽しいわ。」

 

 

「ええなー。」

 

「ええやろー。」

 

 

そうやって話しながら歩いていると、コンビニが見えてくる。

 

 

「ととー。ゼリー買って。」

 

「うん。財布持ってきてないねん…。」

 

「え~。ゼリー食べたかったわー。」とか言われながら、

 

 

何の結論も教訓も無くゼリーにもありつけない夜の散歩の贅沢なこと。

 

 

なぜだかわからないのだけど。後になって振り返ると、こんな無為な夜こそがかけがえのない思い出となって心に残っていて、

 

その記憶が無性に愛おしいんですよね。