心理カウンセラーの魔法の子育て -4ページ目

心理カウンセラーの魔法の子育て

心理カウンセラーから見た子育てのポイントと、ただの日記。NLPやコーチング、潜在意識など、最新の心理学理論を子育てに活用しましょう。

みなさん、こんにちは。
カウンセラーの佐原です。

お元気にされていますでしょうか?

今日は最近の痛ましいニュースによって関心が高まっている、子供への虐待についてお話します。

虐待とまでは行かなくとも、

・子供を強く叱る自分を止められない

・子供を叩いてしまって、後で自己嫌悪に陥る

・子供がビクビクして親の顔色を伺うようになってしまった

と悩んでいるお母さんは非常にたくさんいらっしゃいます。

そして、なんとかしてそれを止めたいと思って、カウンセリングに来られます。

幸いこのテーマは心理療法で的確に扱えば、比較的簡単に改善するテーマです。

ではどのようにして、それが可能なのか?

今日は、子供を叩いてしまう時、親の心に何が起こっているのか? そしてどのような改善が可能なのかを、心理療法的に解明して行きたいと思います。


 

【大切なのになぜ傷つけてしまうのだろう?】


 

「子供を強く叱ってしまう…」「叩いてしまう…」とおっしゃるお母さんも決して子供のことが憎いわけではありません。愛していないわけでもありません。

だからこそ叩いた後に深い自責の念に襲われるわけですが、

 

 

では

 

なぜ大切に思っているのに叩いてしまうのでしょうか?


この矛盾した行動を理解するには、まず最初に簡単に人間の心のメカニズムを持っておくとスムーズになります。

 

このブログでも度々取り上げる「自我状態のモデル」です。

 


1人の人間の中には「親」「大人」「子供」の3つの人格が存在していますよ、という心のモデルです。


 

この理論は夫婦関係や友達関係など、様々な場面で役立ちますので、ぜひ知識として持っておいてくださいね。

 

 

自分というのは1人ではなく3人の人格が共存しているものだと思ってください。

そしてその3人「親」「大人」「子供」は場面や相手によって、ころころと入れ替わっています。

例えば職場での会議の席では「大人」の人格で出てきて論理的に話をしています。



ですが、部下や同僚が困っていたら「どうした?」と親身になって話を聞いてあげたりします。この時の人格は「親」もスイッチしています。



今度は上司と世間話をして、いじられたり冗談を言ってツッコミを入れられたりしている時は「子供」の人格になっています。


このように人は同じ職場の中でも場面によって瞬間的に人格をチェンジさせながら対応しています。

なんとなくイメージを掴んでいただけたでしょうか?

 

人によっては、「親」の分量が多い人もいれば、「大人」の分量が多い人、「子供」の分量が多い人、それぞれです。

 

では、このモデルを使って、先程の子供を叩いてしまうという問題を見てみましょう。

 

そうすると、お母さんの心に何が起こっているのかが見えてきます。


【お母さんの中の「子供」が発動する】


子供や赤ちゃんと接する時、お母さんは自動的に「親」の人格が優位になります。

 

ですが、「親」の人格で我が子に接して優しく甘えさせていると、お母さんの中の「子供」の人格が、モヤモヤと何かを訴えるのです。

 


子供を可愛いと思う気持ちは本当で、それに従って可愛がろうと思っているのに、内なる「子供」は拗ねるような気持ちが出てきたり、悲しくなったりします。

それは何だろう?と、「子供」の自我意識に対して心理療法で掘り下げていくと、

「私はやってもらったことないのに…。」

「この子ばっかりずるいよ…。」

という、「子供」の人格の不満が出てきます。

つまり「親」の人格はしっかりと子供を愛したいと思っていながらも、愛そうとすると「子供」の人格から「待った!」がかかるのです。

一人の心の中で「親」と「子供」の人格の不調和が起こっている状態ですね。

場合によっては、子供を愛そうとすると、

「自分がもらったことないものを与えられないよ…。」と、奪われるような感覚が出てきて、しんどくなる方もいらっしゃいます。

 


その結果、無意識に我が子への愛情の流れを制限してしまい、身体ではハグしていても、愛情のエネルギーの流れは止まったままです。

そうすると当然、我が子は満たされません。

「抱っこ〜」と甘えて、もっとちょうだい!もっとちょうだい!と訴えて来ます。

お母さんはそれに耐え続けることで疲弊するか、爆発するか、という危うい状態に陥ってしまいます。


【子供のしつけとして叩いてしまう】

また別のパターンとしては、

自分が母から与えられた禁止を我が子が破ることで勝手に身体が反応してしまうケースがあります。(こちらも非常に多いパターンです。)

具体的に言うと、自分の親がものすごく厳格で口うるさくしつけられた場合。

たとえば後片付けをきっちりしないと叩かれたり怒鳴られたりして、幼少期を緊張しながら過ごしてきたとします。


そうすると自分の中の「子供」の人格の中にはまだ怖い親からの禁止が身体感覚レベルで残っていて、ぐるぐる巻きに縛られている状態にいます。

比喩的に言うと

「この禁止を犯したら許さないよ!」という御札が体中に貼られています。

その状態で、目の前の我が子が後片付けをしないと、御札が自動的に発動して、カッとなり叩いてしまいます。

過去に親から叱られた恐怖が今も自分の中の「子供」の人格の中に保存されていて、それが刺激されると発作的に叱ってしまうのです。

腹が立つから叱るのではありません。腹が立っているように見えて、その奥にはとても大きな恐怖があります。

こういったケースのお母さんは、子供の奔放なふるまいの1つ1つに、自分の中の「御札(禁止)」が刺激されるので、そのつど心がざわつき、子育てをなかなか楽しめません。

ですので、「子育てが楽しめなくてつらいです」という主訴でご相談に来られることもあります。


子供の一挙手一投足に、心が刺激されへとへとに疲れて、やがては爆発してしまうのです。


自分の中の「親」の人格は子供をおおらかに見守りたい。

でも「子供」の人格に貼られた御札が今も力を持ってしまっている状態です。



【解決法はあるのか?】



以上、2つのパターンを見てきましたが、いかがでしたでしょうか?

それ以外にも、被害者のパターンを持っていて、子供が悪さをすると、自分を否定された、バカにされたと感じてカッとなるケースなどもあります。


では、どうすれが解消できるのでしょうか?


解消のためにも先の「自我状態のモデル」が役立ちます。

 

自分の中でまず「親」の人格と、「大人」の人格と、「子供」の人格を分けて観察することを意識してください。


「親」の人格はしっかりと子供を愛していたとしたら。それであればひとまずOKです。自分に○を付けましょう。

叩いた後に自己嫌悪に陥るというのも、親の人格に愛がある証拠ですからね。○を付けましょう。


では「大人」の人格はどうでしょうか?

このままではまずいと思って検索してこのブログを読んでいたり、なんとか理解しようと記事を読んでいる。これがあなたの中の理性的な「大人」の人格です。


よく機能して働いてくれていますよ。ご安心ください。自分の中で○を付けましょう。


そして今度は自分の中の「子供」の人格を意識してみましょう。

子育ての不満を思い出して、身体が何か不快感を感じていないか感覚を味わってみてください。

 

みぞおちがざわざわしていたり、胸がギュッとしていたり、身体の感覚をゆっくりと感じてみましょう。


その不快感こそが自分の中の「子供」の発しているサインです。


「子供」の人格はぞのざわざわを使って何と言っているでしょうか?


「自分は愛してもらえなかったのに…ずるい…。」とか、

 

「私だって受け止めてもらいたい。」だったり、

「これやっちゃダメなのに…。」

「ちゃんとしないとダメなのに…」とか、

「怒られたくない、怖い…。」だったり、

「馬鹿にされたくない。認めてほしい、褒めてほしい…。」

など、様々なメッセージを発していると思います。



それを感じながら、「そうだよね。わかるよ。」と柔らかい意識を向けてあげることは、

 

自分の中の「親」の人格を使って自分の中の「子供」に寄り添ってあげることになります。

 

そうしていると、「子供」は少し心を緩めてくれます。


軽い状態であれば、こういった自分との関わりを意識することで徐々に内なる「子供」は穏やかに愛情を感じるようになり、それに伴って、目の前のわが子にも優しくできるようになっていきます。


自分の中の「子供」を許して奔放に遊ばせてあげる分量を増やすに従って、目の前の我が子の無邪気さを良きものとして楽しめるようになります。

我が子の至らなさに可愛らしさを見て、微笑ましく見守る。

そんな子育てを心の底から楽しめるようになります。


また心理療法のセッションでは、実際に内なる「子供」の傷を癒して愛情を供給したり、

貼られた御札(禁止)にどんな種類があるのかを具体的に見て、的確に1枚1枚外していきます。

そうすると、憑き物が取れたように楽になって、呼吸まで軽くなります。


根が深そうな時はご相談ください。

またこちらの記事も今回と同じテーマで、こちらにはクライアントさんの声も載せています。>>「子供を強く叱ってしまう、の解決法」

 

良かったら御覧ください。

 

 

【「大人」の人格にセラピーをしても意味がない】

 

 

解決のポイントは、3つの自我の内の「子供」に対してセラピーを行うことです。

 

「こう考えたらいいですよ」という「大人」へのセラピーも、

 

「こうやってハグしてくださいね」という「親」への教育も、本質的な解決にならないのは、

 

根本原因が「子供」の自我にあるためです。

 

 

カウンセリングをしていると、皆さん、「大人」も「親」も、しっかり成熟していらっしゃいますし、論理はよく理解されています。

 

そっちは大丈夫ですから、子育て中にも時々、

 

「自分の中の「子供」は元気かな? 」

 

と気にかけてあげてくださいね。

 

 

 

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先日の3連休の最終日。

 

朝、目を覚ましてリビングに行くと、ストーブの前にいる小6の娘が妻に何かを言っています。

 

「なぁー。行こうよー。」

 

妻「あかん。のんがテスト前やからあかん。」

 

「じゃあ、のんが急いで勉強頑張ったら行ける?」

 

妻「あかん」

 

「え~。」

 

と、なにやらおねだり失敗している様子。

 

 

「ひな。どうしたんや? どこに行きたいん?」と聞いてみると、

 

「えー。あの、グリコがあるところ。」と言う。

 

 

「グリコ…? あぁ。道頓堀かか?」

 

 

 

 

何がどうしてそうなったのかは分かりませんが、娘はあの大阪のシンボルである道頓堀(戎橋)に行きたいようです。

 

家からは電車で40分くらいの所です。

 

 

でも父である僕は仕事。

 

中2のお姉ちゃんはテスト前、妻も今日は家でおとなしくしようと決めていたようです。

 

 

そこでこう言いました。

 

「ひな。行きたいんやったら、一人で行ってきたらええやん。」

 

 

「え~。一人? 怖いやん。」

 

 

「そうか? でもひなもう6年生やろ。

 

ととなんかな。6年生の頃には…。 …うーん。よく考えたら6年の頃には一人で電車乗ったこと無かったー(笑)とと電車デビュー遅いわ。

でも行ったらええんやで。

 

 

そうすると妻も言います。

 

「そやで。ちゃーちゃんなんか、6年生の頃なんか山の崖に登って下りられんようになって、ほんまに死ぬかと思ったで。」って、

 

 

どんな援護射撃やねん…。

 

 

「家のスマホ持たしたるから、それで自分の力で考えて行ってきてみ。乗換案内とGoogleマップの使い方だけ教えたるわ。」

 

 

そうやって、マップで戎橋の地図を見せたり、乗換案内の使い方を教えていると、娘の表情がイキイキとして来ます。

 

 

「ひな。ちょっと行きたくなってきた!」

 

 

「うん。一人でな。街を歩いたら自分の中からどんな気持ちが出てくるかな。よく観察しーな。

 

あと、イキった顔で自撮りしてLINEに送って。

 

面白そうなところいっぱいあるからな。お金あげるから好きなところ冒険して、好きなもの食べたり買ったりしてきーな。」

 

 

「やったー。 でも大丈夫かな…。」

 

 

「うん。ひな。危ないところかどうかは自分でよくセンサー張って判断するんや。

 

何があっても大丈夫や。もし携帯落として、財布も盗まれて何も無くなっても、警察に行ったらええ。自分でサバイバルしてくるんや。」

 

 

「え? 盗まれるん?」

 

 

「いや。最悪の話や。誰も小学6年生の財布狙ってないわ。」

 

 

「うん。」

 

 

少し黙り。自分自身の腹とつながって決心を固めているようでした。

 

 

そして、

 

 

「ひな行くわ(`・ω・´)シャキーン!」

 

 

となりました。

 

 

そう決心したら早速服を着替えて、その後一人部屋に入って普段から任されている服を畳む手伝いを自主的にやっていました。

 

 

その姿が、普段家では見せない凛とした氣を発していて、正中線が整っていて驚きました。

 

 

危機や冒険を前にすると人はこんなに顔つきを変えて、意識を整えるものなのか。

 

父である私はいつも休日は仕事なので、父性の力、男性性の力を伝授することができていなかったな…と、少し反省しました。

 

 

そう考えると今彼女が体験しているのは、

 

父親の言葉により啓発されて、これまでの自身の境界線を超えて冒険に出るという、とても神話的な時間ですね。

 

精神の成長の欠かせないプロセスです。

 

 

その後、一人で黙々と準備して娘に目をやると、何故かランドセルを触っています。

 

ん? どうした?と思ってしばらく見ていると、どうやらランドセルに付けていた神社のお守りを外している様子。

 

 

え…? お守り外して持って行こうとしてるんやー。かわいい過ぎやろ!(笑)と思ったらプッと吹き出してしまって、目が合ってしまいました。

 

 

「なに?」

 

 

「いや。ひな…。そのお守り…持っていくん?」

 

 

「え? なんでよ〜(*´∀`*) そんなん持って行かへんわ~」

 

 

って盛大に照れて否定しております。

 

(でも、このタイミングでランドセルから外したお守りがポロンと目の前に不自然に横たわってます…(笑))

 

 

「そうなんか…。 でも、まあ、せっかくやし、持って行ったらええんちゃうか?」と助け舟を出すと。

 

 

「そう? そうかなぁ…。うん…。そうしよかな。」

 

 

(って、自分でランドセルから外してたやん。持っていく気満々やったやん(笑))

 

 

あー。面白いなーと、こういう関わりたまらなく面白いわーと思いながらも、ここで時間切れ。

 

あとは妻に任せて僕は仕事に行きました。

 

 

その後、娘は自分で電車に乗って、わからないことは人に聞きながら(時には妻とLINEのテレビ電話で実況しながら)しっかりと冒険を終えたようです。

 

今はスマホがあるものだから、父の僕が想像したほどのドラクエ的冒険では無かったようですが、まあ、それも時代でしょうね。

 

家に帰ると、

 

「ととにおみやげあるで。」と、娘。

 

 

 

なぜか、駄菓子を渡されました(笑)

 

まあ、確かに全部父の大好きなベストチョイスやけど…。

 

 

みなさん。こんにちは。カウンセラーの佐原です。

 

そして、明けましておめでとうございます。

 

 

いやー。明けましたね。2019年。

 

 

一昨日に新年一発目のカウンセリングを終えて、領収書に2018年と書いてしまって、あっ…となりました。

 

そう。

 

 

時は既に2019年ですね。

 

もう明けてますよ。おめでとうございます。

 

そして、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

この子育てブログも初投稿から既に9年近くが過ぎて、小さかった娘たちも今や中2と小6です。

 

 

今年は上の子が中3になり受験生になります(大丈夫か!)

 

 

子供たちがこの年齢になると、家庭の雰囲気も子供がいる家庭特有のカラフルで無邪気な感じだけではなく、

 

ちょっと大人のおすましした雰囲気が入ってきますね。

 

 

「私、そんなんちゃうし…」とでも言っているような、思春期特有の境界線を引いて、父親から距離を取ったりします。

 

 

そこで、

 

ほう。そう来るか…。

 

と思って、

 

ipadで2人で遊べそうなゲームを探してダウンロードして、黙ってそっと娘に画面を差し出します。

 

さあ、勝負だ、と。

 

 

 

すると、

 

「ん? 何? 対戦ゲーム? ええで。」と乗ってくる。

 

 

そして

 

 

 

「ぎゃはははは〜。あー。やられた〜。」

 

 

って、ノリノリやん…。

 

ちょろいな。

 

そして、

 

 

「ととー。もっとやろー。次、相撲のやつやろー。」

って、お前の大人の境界線どうなった…。

 

 

 

そんなこんなで、このお正月は子供たちで対戦ゲームを死ぬほどやりました(笑)

 

こういうシンプルなゲームは良いものですね。

 

 

ギャハギャハ言って、久しぶりに腹がよじれるほど笑いました。

 

 

世の中には様々なアトラクションや娯楽がありますが、

 

このゲームやトランプのように家族が顔を突き合わせてやるシンプルなゲームの面白さを超えるものってなかなか無いんじゃないかな、と思いました。

 

ということで、おすすめです。 

 


『2 3 4 Player Mini Games』

 

2〜4人で遊べるのでかない盛り上がります。(って、いったい私は何を勧めてるんだ…(笑))

 

 

1つのアプリでいろんな対戦ゲームを楽しめます。

 

 

 

サイズ的にはipadでやるのがベストですが、スマホでもできないこともないです。

 

iOSとAndroidのどちらにも対応しています。

 

 

 

家族がいるということは、家庭に自分ではない誰かがたくさんいるということで、これはとてつもなく豊かなことである一方で、

 

「うわっ!嵩高い…。」と、

 

 

ある程度年齢がいくと空間に物々しくて嵩張って、同じ場所でお互いに存在を持て余しだして、無意識にいがみ合ったりしますからね。

 

 

お互いの存在を豊かさとして受け取れるようにお互いがどのように関わるか、それって大切なテーマになりますね。

 

 

相手がいないと楽しめない…。

 

という経験ったり、

 

 

相手がいると心が温まる…。

 

という体験を、子供たちにもたくさん受け取ってもらいたいし僕も体験したいんですね。

 

 

ということで、このお正月はギャハギャハ笑いながら、いかにもお正月的な体験をすることができました。

 

 

 

親として「勉強しろ!」と言ったり、「おいやるぞ!」とゲームを差し出して勉強の邪魔をしたり。

 

 

そうやって常に関係性を揺らすことが、お互いの存在を持て余さないコツなのかもしれません。

 

 

大人になるということが、子供を失うことであったり、大人という人格に固定されていくのだとすれば、それは死の属性であり、子供たちはそれを避けようとします。

 

大人を嫌います。

 

 

でも、大人になるということが、大人の人格を育てる一方で、

 

子供の人格は子供の人格でよりフレキシブルで器用でパワフルな人格へとバージョンアップさせることでもあると理解すると、

 

子供達は大人になることに希望を持ちます。

 

 

今の自分を「死」へ向かわなくても済むからです。

 

 

そして、子供を殺して大人の硬い人格だけで生き残っていけるほど、今の時代は甘くはないのです。

 

そういう時代は終わっていまいました。

 

最近は特にそう感じています。

 

 

ということで、みなさん、ご自分の中の子供も大人もご機嫌でありますように。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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最近、小6の娘が家で熱心に何をしているかと思えば、友達の誕生日のプレゼントを作っているようです。

色画用紙や写真をふんだんに使って、凄い超大作ができようとしています。

それがもう2週間近くエネルギーを注いだ意欲作なのです。

「ひな何しとん?」と聞くと、


「これな。◯◯ちゃんの誕生日プレゼント作ってるねん。ここを開けるとアルバムになってるねん。」と言って、新たなアイデアを見せてくれます。


それは友達思いで良いとして、でも2週間もの間ほとんどずっと創作に取り組んでいて、いくらなんでもエネルギーを注ぎやろ…。超大作過ぎるやろ…と思うのですが、

それでも、


「いや。勉強しーな」

と突っ込めないでいるのは、僕自身がその大人の意見にいまひとつ確信が持てずにいるからです。


友達を思いながらプレゼントを作ることよりも、興味を持っていない歴史の単語を頭に入れることの方が、本当に彼女の未来のためになるのだろうか? と考えると、

それはなかなか難しい問題です。


でも、そもそも2週間も心血を注いだ超大作って、それを貰う友達も重くないかな…?

相手に同じ熱量のものを期待しても、返って来なくて失望することになるのでは?


と、そんなことも思うのですが、

そもそも2週間も友達のことを思ってエネルギーを注いでいる時点で、友達想いという側面において、この子は僕よりも偉大なのだから、


僕の経験則から出てくるようなアドバイスで彼女の未知の可能性を制限するよりも、

彼女が自分の作る現実において何が展開され、何を体験するのかを見せてもらいたいなと思うんですね。

少し楽しみで、期待しているところがあるんです。


もしかしたら僕ら大人が全く見たことも想像したこともないものが展開されて、彼女たち世代の新しい信頼関係や関わり方を見せてもらえるのではないか、と。


その意味で、生徒として学ぶのは僕の方なのかもしれません。


もし、仮に上手く行かなかったしたら。


例えば、プレゼントの応酬によって友達とお互いにの関係が重くなって行ったとしたら、

その時彼女は何を感じ、その現実をどのような解釈し、どんな言葉で関係を調整して行くのか。


あるいは彼女が注いだほどの愛と熱量が相手から返ってこない体験をした時、彼女はその現実をどのように受け止め、どのような感情を体験するのか。

そこにも興味があります。

新しい彼女の感性は、どうリアクションして世界を受け止めるのか。

もしかしたら僕の想像を遥かに超えた受け止め方で、新しい世代の新たな現実と価値を生み出して行くのかもしれません。


それは僕の古い定義付けによって閉じ込めてしまうには、あまりにもったいないものですね。


子どもたちと接するときはいつもそうですが、その現実が何を生み出し、どんな意味を持つのか、大人の自分には決して分からないのだ、ということだけはしっかりと分かっていようと思うんですね。


彼女達の才能と可能性が自由に展開して行けるように、十分なスペースを与えておきたいと思うんです。


時代が大きく変わっていく中、新しい時代の教育に対しては分からないことだらけですけど、

 



このスタンスが教育的であるということはだけは確信しているんですね。

 

 



新しい世代の新しい感性から何かが生まれ出ようとしている時に、古く個人的な大人の経験によってそれを測ったり、定義したりしないということです。




 

 

それは言葉を変えると、


「この子の生み出している価値を測る物差しを自分は持っていないのかもしれない」

 

という前提でもって子供に接するということですね。

それは

「この子は私よりも偉大かもしれない…」

という前提と言い換えても良いかもしれません。
 

 

 

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おかげさまで12月のカウンセリングは満席になりました。また来年もよろしくお願いします。

 

ここ1年、様々な心理療法のスキルを習得して、セッションが更にレベルアップしています。

 

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今日は前々回の続きで、「子供に友達ができない」の家系の文化編です。

 

このテーマは、原理を説明すると奥が深いテーマですので、感覚的に理解してもらった方が早いと思います。

 

 

ですのでまずは実験してみましょう。

 

お母さん(お父さん)であるあなた自身がやってみてください。

 

 

1)子供の頃の自分に戻ったつもりでいてください。

 

 

2)そして小学校時代のクラスメートの誰か選んで、自分の家に遊びに誘おうと思ってください。

 

 

3)そういった想像した時にどんな感覚がするでしょうか? 喜びやワクワクが出てきますか? それともストレスが出てきますか?

 

 

4)友達を家に呼ぶとお父さんお母さんはどんな反応をするでしょうか? 喜んでいますか? あるいは内心では歓迎されていない感じがしますか?

 

 

 

以上です。

 

 

このワークをやってみて、なんとなくストレスを感じたり、友達を家に入れるのは両親から歓迎されていないような感覚を感じたとしたら、

 

それは意識化されていない家系の文化(家系の信念)として、家族の共有する心の中に、他者に対する心理的な警戒心や壁があるのかもしれません。

 

 

あるいは人様に来てもらうにはきっちりとしないと…という信念があって、緊張を生み出すのかもしれません。

 

 

こういった家系の文化(家系の信念)は代々引き継がれ、家族の無意識の奥底で共有され、個人の行動を制限しています。

 

 

スマホの背景で作動しているOS(iOSやアンドロイド)のようなもので、個人の心(アプリ)ほどには意識されませんが、

 

意識されないがゆえに抵抗もできず、心の奥底で大きな影響を受けているものです。

 

 

そして、このような家族の心(OS)は、自我の弱い子供時代にはより強く影響します。

 

 

本人の心は友達と仲良くしたいのに、なぜか心を開くことに制限がかかってしまって馴染めない。

 

でも、自分では何が起こっているのか分からない。

 

そういうことが良くあります。

 

(家系の信念がどうであれ、あまり影響を受けないタイプの子もいます)

 

 

こういった影響が出ている場合にできる最善の方法は、ご両親、つまり私達自身の信念を見直して他者への抵抗感を少しでも解消することです。

 

 

信念は共有されるので、親である私達の緊張がゆるみ、他者に対してオープンになると、子供も自然にオープンになって行きます。

 

 

カウンセリングや心理療法を使ってお母さんの心の制限を外して行くと、お母さんの肩こりや体の緊張がゆるみ、気持ちものびのびとして行き、

 

そうすると、大人しくて人見知りだった子供が気付けばふざけたりバカをするようになり、

 

友達と楽しそうに遊ぶようになった。

 

そういうケースはとても多いものです。

 

 

家系や家族は信念は体の緊張のレベルで共有されます。

 

ですので、

 

 

・大人の私達の信念はどうだろうか?

 

 

・家族の全体としての雰囲気はどうだろうか?

 緊張していないだろうか?

 

 

・家に他者を受け入れる準備ができているだろうか?

 

 

その辺りを意識してみてください。

 

子供の心そのものを修正しようとするよりも遥かに確実な変化が期待できます。

 

 

 

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みなさん、こんにちは。

 

カウンセラーの佐原です。

 

久しぶりの更新になりますが、皆様はお元気にされていますか?

 

 

前回の記事「子供が学校で友達ができない馴染めないという時、何が起こっているのか?内向型編」はいろいろと反響を頂きました。

 

それほど子供達の友達付き合いを心配されているお母様方(お父様方)が多いということですね。

 

 

友達ができずに我が子が学校で悲しい思いをしているとしたら、それは心が痛みますよね。

 

 

前回のテーマである「内向型」の場合は、それを悪いものとせずに、良きものとして支持して、心を充電しやすいようにサポートしてあげよう、というお話でした。

 

 

頂いたメールを読ませて頂くと、

 

お子さんを無理に直そうとせずに見守ることで、

 

その問題を通じて、お子さんの自我が力強く成長しいく様子が伺えたり。

 

 

すんなりと友達ができたというゴールでは無いにせよ、その経験からお子さん自身が自分が何者であるかを知り、社会との関わり方を探って試行錯誤し、

 

その中で自立心を育てていらっしゃる様子が伝わってきました。

 

 

素晴らしいですね。

 

 

友達と馴染めないという経験から必要な果実を得ることが大切で、それは必ずしも大人が期待するような「友達ができた」という結果ではないのかもしれません。

 

お子さんはその環境の被害者ではなく、たくましく社会と向き合っていました。

 

 

これこそがこの体験で得られる果実ですね。

 

 

大人である私達は「友達ができた=成功」「友達ができない=失敗」などと安易なフレームをはめることで、この子達の豊かな体験の手触りを奪わないように注意したいものです。

 

 

そのためにも、お子さんが得ているものの大きさもよく意識して見ておきましょう。

 

 

私も子を持つ親として子どもたちの様子を見ていて思うことがあります。

 

「この子は私の想像を超えている」

 

「この子は私の知らない方法で問題を解決する」と。

 

 

そう思うことが、よくあります。

 

ですので、私はあまり心配せずに、

 

出来事に不要な意味を与えずにまっすぐに関わっていく子どもたちの素直さの力をできる限り信頼して見守るようにしています。

 

 

 

「もしかするとこの子は私が思っているよりも大きいのかもしれない。」

 

 

この仮説を持って子どもたちに接すると、本当に大人の私達の想像もしないような頼もしい突破力を見せてくれたりします。

 

 

私達の古いフレームでは捉えきれない豊かな才能や性質をこの子達は持っていて、

 

その才能に確かな名前が与えられるのは、もっともっと後になってのことかもしれません。

 

 

 

*****

 

長くなったので、一旦切って「子供が友達と馴染めない 家系編」は次の記事にしますね。

 

 

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みなさん、こんにちは。

カウンセラーの佐原です。

 

先日は大阪での台風。

 

関西の方はご無事だったでしょうか?

 

うちは家と車が葉っぱまみれになるくらいで済んでいます。

 

対面カウンセリングも台風当日をお休みにしただけで、翌日からは通常通り行っています。

 

ご心配頂いた方、ありがとうございます。

 

 

そしてその後は北海道での地震。

 

今も断水が続いていたりライフラインが復旧していないようで、我慢の日々が続きますね。

 

被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

 

そして早く復旧して日常が取り戻されることを祈っています。

 

 

********

 

 

さて、本題。

 

 

今日は子育て中のお母様方からいただくことが多いご相談として、

 

「子供に友達ができない。」

 

「子供が学校でひとりぼっちで孤立してる。」

 

というテーマについてお話したいと思います。

 

 

愛する我が子が幼稚園や学校で友達と馴染めずに孤立していると聞くだけでも、親としては心配でたまらなくなりますよね。

 

心が痛みます。

 

 

なんとか力になれないか、解決方法は無いかと、ひたすらにスマホで検索していらしゃるお母様方も多いようです。

 

 

そこで今日は、友達ができないことや孤立について、実際のカウンセリングや心理療法の現場では、どのような原因が明らかにされているのか。

 

そして、どのように解決されていっているのかをお伝えしたいと思います。

 

悩み解消のイメージを掴んでいただけたら幸いです。

 

 

【うちの子は人見知りで内気なんです…】

 

 

「うちの子が友達と馴染めないんです…」と言う場合、様々な原因が考えられますが、まず見て行きますのが、

 

もしかしたらその子は、過度な内向型ではないか?という点です。

 

 

はあ…。

 

と、味気ない返事が返って来そうなのが目に浮かびますが(笑)

 

この内向型というものをちゃんと理解すると、かなりの人間理解につながりますので、是非学んでくださいね。

 

 

内向型というのは、意識を内側に向ける度合いが多い性質のことを言います。

 

 

読書に熱中して心の中で空想を広げることで自分の内面の中だけで遊んだり、

 

考え事をしてアイデアを広げたりすることが好きなタイプです。

 

そういったお子様は(大人の内向型もそうですが)自分の外にいる友達やおもちゃの遊びよりも、内面での一人遊びに強い興味を示します。

 

 

実は私も生粋のこのタイプです。

 

読書を通じて得た知恵を自分の内面で深めて再編集したり、

 

現実の体験を何度も反芻してそこから気づきや知恵や学びを抽出して人に伝えたりすることは得意ですが、

 

そのためには困ったことに、自分の内面で活動する時間が人よりもかなり余分に必要なのです…。

 

 

内向型は外向型に比べて情報を処理する脳の回路が複雑になっていることが脳科学的にわかって来ています。

 

情報が通る神経のルートがかなり長いのです。

 

 

そのため、1つの体験をした時、外向型はすぐにその経験と刺激を処理して次の行動に移ったり、次のことに好奇心を向けますが、

 

内向型はまだその体験の情報処理が終わっておらず、内面で体験の処理をしようと、意識が内側に向き、心の中で出来事を反芻したりしています。

 

 

「うちの子は動きがのんびりしてる。なんでもっとシャキシャキ動けないの?」

 

↑内向型だから次の動作に入る前に情報処理に時間がかかるのです。

 

 

「ほら!またボーっとしてる!」

 

↑今、脳の中は情報処理中です。実はものすごいスピードで情報が回っています。

 

この子にとって非常に大事な作業中なのでちょっと待ってあげてくださいね。

 

 

幼稚園や学校などで子どもたちは、強制的に集団の中に入り友達とのやり取りに外側の刺激をたくさん受けます。

 

更に授業でも新しい情報がたくさん脳にインプットされます。

 

そうすると、内的処理に深さと丁寧さが必要な(つまり時間が必要な)内向型の脳は勝手に、内的処理モードに切り替わろうとします。

 

心が勝手に一人になりたがるのです。

 

静かに一人になって心の内側の処理に集中できる環境を、脳が求めているのです。

 

【内向型は常に時間が足りない】

 

つまり、内向型というのは普通の学校生活を送っていると、常に内向活動の時間が足りない状態にいるということです。

 

その結果、内向型人間は無意識に友達から誘われることを心のどこかで少し恐れていたりします。

 

「学校終わってから、遊ぼうよ。」と言われると、嬉しい半面、内的処理の時間が取れずに新しい刺激が入ることに脳はストレスを感じるのです。

 

 

でも、なかなかお友達にそういう事情を理解してもらうこともできませんし、

 

そもそも本人も自分に何が起こっているのかを理解できていませんし、理解できた所でそれを言語がして伝える力もまだ整っていません。

 

 

だからなんとなく生きづらいし、自分は周りと違うなと漠然とした辛さを感じているものです。

 

 

カウンセリングをしていても内向型のクライアントさんに過去のお話を聞くと、

 

「考えてみると自分の人生は、いかに一人になるかということばかりを考えて生きてきてた」

 

という方が少なくありません。

 

【内向型と外向型ではエネルギーの充電方法が違う】

 

また、もう1つ大切な点として、内向型と外向型ではエネルギーの充電方法が違います。

 

 

外向型は遊びなどの外からの刺激でエネルギーを充電するのに対して、

 

内向型は外的な刺激を可能な限り減らして、内面の深い自分とつながることでエネルギーを充電します。

 

 

大人でもそうですが、土日の休み全てに遊びの予定を入れても大丈夫なのが外向型、

 

最低でも1日は一人で家でまったりする日を作らないとしんどくなってしまうのが内向型です。

 

 

このあたりはお子さんの(そして自分自身の)扱い方をマスターする上でとても大切です。

 

パートナーや友人との違いを尊重する上でも役立ちますので、是非理解しておいてくださいね。

 

こちらのブログに詳しく記事にしていますので、良かったら読んでみてください。

 

>>『あなたは決して人嫌いではない』内向型と外向型の違いについて

 

 

もちろん内向と外向というのははっきりとどちらか一方に、区別できるものではありません。

 

内向の極みと外向の極みの間には緩やかなグラデーションがあって、そこにそれぞれの個性が分布されているようなイメージです。

 

 

 

超内向ーーそこそこ内向ーー普通ーーそこそこ外向型ーー超外向型

 

 

 

 

そこそこ内向くらいですと、そこまで問題ではないのですが、内向の傾向が強いお子さんは、

 

朝起きて内向モードから、学校に行って友達と会う超外向的な世界へのチェンジに戸惑います。

 

まだ自分の心の中でゆっくり考えごとをしたりとどまっていたいのに、無理やり外に出される感覚です。

 

彼ら(彼女ら)は内向きのベクトルのエネルギーは非常に強いく、それを内的思考を深めたり空想を広げるのに使うことはできるのですが、

 

外側に向けて押し出す力は弱いため、覇気のある外向型の子に圧倒されてしまいます。

 

 

友達と関わる場合でもまずは外側で人間関係に何が起こっているのかを観察して内的に理解した後に、行動に出ようとします。

 

内的な納得→行動というプロセスに、少し時間がかかる上に、外への出力のエネルギーも弱いのです。

 

 

このあたりは意識して鍛えていくと、外へ向ける力も強くしていくことができます。

 

ただ、そのためには十分に内的活動の時間を取って自分とつながり、エネルギーが充電されている必要があります。

 

 

【まとめ】

 

いかがでしたでしょうか?

 

内向型のポイントをまとめると3点です。

 

・内向型は情報処理に時間がかかるために、一人の時間を多く必要としている。

 

そのためにグズグズしていたり、ぼーっとしているように見えます。

 

・内向型は一人になり自分とつながることでエネルギーをチャージする。

 

そのため無理に外に出そうとすると自分とつながれなくなり、むしろ弱くなるので注意です。

 

・内向型の子供は家での内向モードから学校での外向モードにチェンジする所で戸惑い、失敗しているケースが多い。

 

このあたりは意識の向け方を理解して、外側モードの自分を鍛えていくことで変わって行ける部分です。

 

 

以上、3点を覚えておいてくださいね。

 

 

もしあなたのお子さんが

 

家でゆっくり本を読んでりして過ごしていて、本人は友達と遊ばないことをそれほど悩んでいないという場合は、内向型のケースの可能性が高いです。

 

 

でも外向型の親は当然ですがそれが理解できないために不安になります。

 

そのため、「外で遊びなさい!」「友達と遊びなさい!」と叱責し、子供の性質を悪いものとしてしまう傾向にあります。

 

 

内向型という性質を理解し、子供自身にもその性質の扱い方を理解させた上で、エネルギーを外に向けるモードも訓練したり、

 

 

いかに自分とつながる内向の時間を確保しながら、学校という社会生活を全うしていくか?という課題を、親子で一緒に考え取り組んで行くことが、今のところ理想と言えます。

 

 

・一人になりたい時には遊びを上手に断わりながらも、友達としてつながるにはどうすればよいか?を模索する。

 

 

・内向という性質を友達にも理解してもらって悪気が無いことを伝える。

 

 

・たくさんの友達よりも、波長の合う友達を一人でも良いから作ることを意識する。(多くの内向型は数少ない友達との深いつながりを求めます)

 

 

・本人も自分の性質を悪いものとしてではなく、良いものとして捉えられるようにしてあげる。

 

 

・内向を治すのではなく、しっかり集中して内向させることでエネルギーのチャージや情報処理を促す。

 

 

・その結果、外向モードになる時間とエネルギーも確保できるので、意識を外側に強く出していく訓練をする。

 

 

といったところを意識していただくと良いと思います。

 

 

ポイントは

 

内向を悪いものとして外向に変えるのではなく、

 

内向の性質を理解して正しく内向のメカニズムを機能させ、その上で外向の使い方もマスターして行くことです。

 

 

ゴールは外向型になった息子さんではなく、内向型としての自己肯定感を持ちながら、外向キャラもしっかり強く育っている状態です。

 

 

内向性によって自分の内的世界を探索し、思索し空想を広げ、卓越した創造性を発揮しながらも、鍛え抜かれた外向性によってそれを外に発表していくことができる。

 

 

それが成熟して人格が完成された内向性のイメージです。

 

 

成熟した先には、その人が内向型か内向型かどちらかも分からなくなっています。

 

どちらの極もマスターし、統合されたのです。

 

 

これはまだまだ先のお話ですが、子育て中の皆様は、まずは内向型の性質を理解して、それをマスターする所から始めてくださいね。

 

 

子供は自分の性質をありのままに両親に受け止め肯定してもらっているだけでも、随分と強くなるものです。

 

そして内向型は自分の合う環境が用意されると素晴らし力を発揮するものです。

 

しっかり意識的に充電させてあげながら、外向のスイッチも作って行きましょう。

 

 

 

次回は「子供に友達ができない」というテーマについて、更にほかの原因も見て、深めていきたいと思います。

 

 

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みなさん、こんにちは。

カウンセラーの佐原です。

 

お盆が終わると急に涼しくなりましたね。

 

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

 

私は先週はお盆休みを取って、久しぶりに兵庫県の実家に帰省して、頭が呆けてくるくらいにゆっくりしきました。

 

 

猛暑のために外に出る気も起こらず、

 

家で父と株や経済や今後の社会の未来や働き方について、あれやこれやと語り合っていたら、

 

「あんたら話が良く合うなー。」と母に呆れられました(笑)

 

 

そう言えば、そんな風に父と話せるようになったのは最近のことです。

 

男というものは主(あるじ)になりたがるもので、1つの家に主が二人というのはバランスしないものなのでしょうね。

 

青年期には折り合いの悪い時期もありました。

 

 

それから私も歳を取り、カウンセリングの仕事を通じて、何人ものクライアントさんのセッションの中で、

 

親子というものがどれほどに深くつながり、もつれ、影響し合うものなのかを見せていただき、

 

そしてそのもつれも苦しみも愛情によってできているのだとクライアントさん自信に体感して頂き、ほどいていくお手伝いをする中で同時に私の中でもいろいろとほどけていったようです。

 

 

気づけば父も自分も随分とお互いが緩んでいて、穏やかな愛情が呼吸するみたいに自然に行き来するようになっていました。

 

 

今では、お互いが良い話し相手です。

 

 

****

 

 

また、帰省中にこんなことがありました。

 

 

家でテレビを見ていると外で遊んでいた娘が帰ってきて、

 

 

「ばあば。バケツどこ~?」と母に話しかけていました。

 

 

「バケツ? 何に使うん?」

 

 

「泥遊びするんや。」

 

 

どうやら今、姪っ子達と公園で砂遊びをしていて、そこに水を流して泥遊びにしよう目論んでいたようです。

 

 

「泥遊び? ええ~。も~。止めとき。汚いのに。あかんで。バケツ持って行ったらあかんで。止めとき。」と母。

 

 

「え~。服汚さへんから。」

 

 

「あかんあかん。ダメやで。止めときよ。バケツ無いで。」

 

 

 

そんなやり取りをみて、あ~。こんなだったな~と。

 

自分もこんな風に反対されてたなと懐かしく思いました。

 

 

母が止める理由も「なんとなくややこしいことになりそう」くらいの根拠しか無いのが子供心に分かってたな~と(笑)

 

 

そして、それでもそうした母の姿は、しっかりと自分の心に内面化され、

 

何かワクワクするような衝動が心から溢れ出す度に、

 

意味のない軽はずみな遊び心に身を任せようとする度に、

 

この声が冷水を浴びせ、燃え始めた心の火を鎮火させていたのでした。

 

 

セラピーではこういった声を取り除くことで無意識の制限を解消し、自由を獲得して行くようなことを行います。

 

 

今ではもうこういった声は自分の中には無くなり、娘と母のやり取りも特に反応することなく、懐かしく、微笑ましく見ていることができるようになりました。

 

 

でももし今も自分の中に制限がかかっていたとしたら、

 

この母の言葉を聞くとイラッとしたり、心に何かしらのざわつく反応が起こっていたことでしょう。

 

あるいは母に言われる前に、発作的に娘を叱っていたかもしれません。

 

 

 

親の価値観や禁止というものは、とても根深く、そして無意識的に機能するものです。

 

 

「何もやりたいことが見つからないんです…」と訴えるクライアントさんの心の奥を探って行くと、自分が自由にすると嫌な顔をする母の姿が出て来ることがほとんどです。

 

 

本当の所は、

 

何もやりたいことが無い、

 

のではなく、

 

母親を嫌な気分にさせずにできることの中に私のやりたいことが無い、

 

ということだったりします。

 

 

両親が良しとする範疇の中に、自分のやりたいことがあるとは限りません。

 

 

多くの人にとって本当にやりたいこととは、両親によって禁止され、そちらへ行かないようにと柵を立てられた、その柵の向こう側の世界に用意されているようです。

 

 

その柵がどれだけ高いのか低いのか、柵に棘があるのか無いのか、見張りの猛獣までいるのかいないのか、それはご家庭によって様々ですが、

 

誰もがその柵を自分の意志で乗り越えて、行動を勝ち取り、未開の地を冒険し、何かしらの果実をもぎ取ることを求められています。

 

 

そしてちゃんと冒険して果実を手に入れりことができたら、もしかするとまた両親のいる安全地帯に戻って、その果実を両親に見せてあげることができるかもしれません。

 

 

その時両親は何と言うでしょうか。

 

 

柵を超えて禁止を犯したことの罪よりも、それを乗り越えて果実を持ち帰った子供のたくましい成長や果実の美しさに、

 

喜びの表情を見せてくれると嬉しいものですね。

 

 

「綺麗だね」と。

 

 

でも、ただ禁止を破ったことに不快感を表し、不機嫌になり、やはり変わらずに怒り出すかもしれません。

 

それは悲しいことですね。

 

 

でも大切なのは、

 

それを選ぶ力は自分には無い

 

ということです。

 

 

綺麗なものとして和解の物語を完結できるかできないのか、それは両親の反応によるものであって、私達にはそれを選ぶ権利も力も無いのです。

 

 

でも、それでも私達は柵を超えねばなりません。

 

 

自分の内側のニーズに忠実に従い、与えられた人生を自分のものとするために、両親の禁止を破らなければなりません。

 

 

 

「お前はちゃんと柵を超えたのか?」

 

 

と、

 

どうやら私達は何歳になっても、人生によってそれを問われているようです。

 

 

人生が上手くいかないとき、人は無意識に柵の中だけを自分の人生だと定義して、その中だけの行動でなんとかできるはずともがいています。

 

 

「その中での頑張りには限界が来ているよ?」と、人生は様々な出来事を使って、それを教えてくれます。

 

そして、

 

 

「柵の外に出よ!」と、

 

 

優しく、時に厳しく、私達の背中を押してくれています。

 

 

*****

 

さてさて、先の娘のお話。

 

 

ばあばにバケツを断られた娘は何も言わずに一人玄関を出て、

 

しばらく庭をうろうろしながら、バケツの代わりになるようなものを探している様子でした。

 

 

そしてバケツの代わりにジョウロを見つけて、それを持って黙って公園に向かったようです。

 

 

鬼の寝ている間に、子供は宝をこっそり持ち出し、

 

公園で待つ仲間のもとへ。

 

 

その時に味わう罪悪感もグッと飲み下して、彼女は大人になって行くのでしょう。

 

 

父としては、次回はもっと恐ろしくてチャレンジングな柵を立ててやろうと思っています(笑)

 

 

朝目が覚めると、

 

シャー シャー シャー シャー

 

という不思議な音が、3階の子供部屋から聞こえてくる。

 

 

なにこの音?

 

何かの掃除でもしてるんかな…?

 

 

しばらくすると上の娘がリビングに下りて来た。

 

 

「のん。このシャーシャー言うの何の音? ひなは何をしとん?」

 

 

「あー。ひなな。貯金箱からお金出そうと思って、貯金箱振ってる音。

 

今日お祭り行くお金まで貯金箱に入れてもたんやって。」

 

 

て、

 

「貯金箱を振ってる音か(笑)

 

あいつおもろいなー。」

 

 

「うん。ひな、YouTubeで貯金箱のお金の出し方調べてたもん」

 

って、止めてくれ(笑)おこずかいあげたくなるわ…。

 

そんなやり取りをしている間も、

 

シャー シャー シャー シャーと、健気な音が続いております。

 

 

そしてその後子供たちに、「ベランダの瓶に泳がせるから、金魚すくいで金魚すくって来て」とお願いすると、

 

 

これ。

 

 

 

 

すくい過ぎやろ…。

 

 

32匹て…。

 

 

上手すぎるやろ…。

 

 

と、日々贅沢に突っ込みどころを垂れ流しながら、子供たちの夏休みは続いております。

 

 

 

 

 

先日の話。

 

小6の娘がやけに不機嫌で、

 

「は~。」と重たいため息を繰り返している。

 

 

身体全身で「不機嫌」というものを表しているようです。

 

 

「ひな。どうしたん?」

 

 

「嫌やわ~。ほんま嫌やわ~。ひな学校辞めたい…。」

 

 

「ほう? どうしたんや?」

 

 

「あんな、席替えしてな。◯◯ちゃんとも◯◯ちゃんともめっちゃ離れてもた。 ほんで近くは知らない子ばっかりで全然面白くないんや。」

 

 

なんだそんなことか…と思いつつ。それは口に出さずに。

 

 

「そっか。◯◯ちゃんと離れたんやな。まあ、同じクラスなんやし、ええやん? 新しい周りの子も、話してみると楽しいかもしれへんで。」

 

 

「全然楽しくない。だって電車の話ばっかりやもん…。」

 

 

「電車か…。男の子なんやな。」

 

 

「もう嫌や。ひな学校辞めたい。」

 

 

「う~ん。辞めたい言うてもなぁ。小学校、義務教育やからなぁ…。まあ、辞めれないことは無いみたいだけど。」

 

 

「嫌や。ほんま辞めたい。」と、えらい怒っています。

 

 

「うん。辞めてもええけど、ひな自分で先生に言いや。ととよう言わんで。

 

席替えの結果が嫌やから学校辞めさせますとか、無理やわ~。

 

ひなが自分で言うんやで。先生。ちょっと話があります。今の席が楽しくないから学校辞めたいと思います。て。」

 

 

「え~。ととが言うてよ。連絡帳に書いて。」

 

 

 

連絡帳に書いて…て(笑)

 

 

思わず、ぷっと吹き出してしまいました。

 

 

「連絡帳に、「学校辞めさせたいと思います。」とか、無いわ~。」

 

 

「え~。書いてよ~。」

 

 

と、まあ、そんな感じでその日は終わったのですが、

 

 

それから数週間したある夜。

 

 

娘は何やらえらいご機嫌な様子で、ニコニコしています。

 

 

「ひな、どうしたん? えらいご機嫌やん?」

 

 

 

「うんー。ひな、今、学校めっちゃ楽しいんや(*^^*)」

 

 

 

「え…? あんたさん…。学校辞める言うてはりましたやん…。」

 

 

 

「え~。 今の席の子ら、めっちゃ面白いんや。ひな、もう土日の休みが嫌なんや。日曜日が憎たらしい。もったいないんや。早よ月曜日が来てほしいんわー。」


 

周りと打ち解けてみたら、楽しい子達だったようです。


 

「はぁ。それは、よろしいですなぁ…。」


 

「早よ。明日が来うへんかな~。」

 

 

僕の心の中↓

 

学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)学校辞めたい言うてたのに(笑)

 

 

ほんと、どの口が言うてるねん…ですね。

 

 

 

面白いものです。

 

 

でも人の心って、そんなものですよね。

 

節操もなく、状況によってコロコロ変わります。

 

とても良く分かります。

 

 

娘にとってあの時の「嫌だ」も本当だし、「学校辞めたい」も本当だし、

 

そして今の「学校楽しい」も本当で、「早よ明日が来うへんかな~」も本当。

 

 

これくらい節操無く感情は揺れ動くものだし、そうあっていい。

 

そこに一貫性など求めなくて良いですよね。

 

むしろそのコロコロ変わる一貫性の無さの中に人間の面白さはあるなと、思います。

 

 

 

もしここに教訓があるとすれば、それは、

 

 

「嫌だ。」という不満を無理に良いものに変えようとする必要は無いということですね。

 

 

「嫌だ。」に抵抗して、無理に「学校楽しい」に変えようとすると、

 

その戦いの力学によって、「嫌だ。」はよりいっそう強く「嫌だ。」というポジションに留まろうとしてしまいます。

 

 

でも、「嫌だ。」に丁寧に寄り添ってみたり、それをむしろ広げてみたり展開させてみると、

 

「嫌だ。」もやがてどこかでコメディの色合いを帯び、ポジティブな魅力を発揮し始めます。

 

 

「連絡帳に書いてよ~。」みたいな、素敵なネタになって僕を喜ばせてくれます(笑)

 

 

こういう体験を通じて、娘自身も、自分の中の不満やネガティブ感情で遊ぶという感覚や、感情との上手な付き合い方や距離のとり方を学んで行ってくれます。

 

 

 

そしてもう1つの教訓は、

 

 

・結論を急がずに宙吊りのまま置いておく

 

 

ということですね。

 

 

学校嫌なん? 辞めたいん? なんで嫌なん? どうするん? 考え方変えられない? と、突き詰めて結論を出そうとせずに、

 

 

「へ~。嫌なんや~。辞めたいんやな。そっか~。」

 

 

で、止めておいて良いんですね。

 

 

もし、どうしてもそれを突き詰めたり、なんとかポジティブな気持ちに変えたいという気持ちが出てくるとすれば、それは、

 

 

親である私達の中に「不安」が出てきているということですね。

 

 

自分の心が不安が落ち着かないから、落ち着かせるためになんとか子供の気持ちを変えたくなっているということですね。

 

 

つまり本当は、子どもの問題ではなく親の問題なのです。

 

 

その場合は、子供をなんとかしようとせずに、自分自身の気持ちに触れて

 

「あぁ。この子が学校を嫌がると、私は不安になるんだな…。」

 

と自分の感情を深めて、寄り添ってあげてくださいね。

 

 

 

子供たちはただ今の気持ちをまっすぐに表しているだけで、その真っ直ぐさには子供たちの生命力が現れているだけで、

 

そこに「良い」や「悪い」は無いんですね。

 

 

結論や結果を出そうとせずに、ただ、

 

「そっか~。」と受け止めて、そのままにしておくと、その真っ直ぐな生命力は勝手に次の展開へと動き出して行ってくれます。

 

 

「今、めっちゃ学校楽しいねん。」と、

 

 

新たな場所へと動いて行ってくれます。

 

 

 

天気のように、心は移り変わりますからね。

 

その一貫性の無さを楽しみ、

 

重い意味を与えずに、

 

 

雨の日は雨の日で、

 

晴れの日は晴れの日で、

 

それぞれに趣があるなと心を遊ばせてあげると、生命は萎縮することなくのびのびと拡大し、次へと進んで行ってくれます。

 

 

こぼれた水が広がるように、それは思いもよらない自由な形を描いて広がっていくもののようです。