最近、小6の娘が家で熱心に何をしているかと思えば、友達の誕生日のプレゼントを作っているようです。
色画用紙や写真をふんだんに使って、凄い超大作ができようとしています。
それがもう2週間近くエネルギーを注いだ意欲作なのです。
「ひな何しとん?」と聞くと、
「これな。◯◯ちゃんの誕生日プレゼント作ってるねん。ここを開けるとアルバムになってるねん。」と言って、新たなアイデアを見せてくれます。
それは友達思いで良いとして、でも2週間もの間ほとんどずっと創作に取り組んでいて、いくらなんでもエネルギーを注ぎやろ…。超大作過ぎるやろ…と思うのですが、
それでも、
「いや。勉強しーな」
と突っ込めないでいるのは、僕自身がその大人の意見にいまひとつ確信が持てずにいるからです。
友達を思いながらプレゼントを作ることよりも、興味を持っていない歴史の単語を頭に入れることの方が、本当に彼女の未来のためになるのだろうか? と考えると、
それはなかなか難しい問題です。
でも、そもそも2週間も心血を注いだ超大作って、それを貰う友達も重くないかな…?
相手に同じ熱量のものを期待しても、返って来なくて失望することになるのでは?
と、そんなことも思うのですが、
そもそも2週間も友達のことを思ってエネルギーを注いでいる時点で、友達想いという側面において、この子は僕よりも偉大なのだから、
僕の経験則から出てくるようなアドバイスで彼女の未知の可能性を制限するよりも、
彼女が自分の作る現実において何が展開され、何を体験するのかを見せてもらいたいなと思うんですね。
少し楽しみで、期待しているところがあるんです。
もしかしたら僕ら大人が全く見たことも想像したこともないものが展開されて、彼女たち世代の新しい信頼関係や関わり方を見せてもらえるのではないか、と。
その意味で、生徒として学ぶのは僕の方なのかもしれません。
もし、仮に上手く行かなかったしたら。
例えば、プレゼントの応酬によって友達とお互いにの関係が重くなって行ったとしたら、
その時彼女は何を感じ、その現実をどのような解釈し、どんな言葉で関係を調整して行くのか。
あるいは彼女が注いだほどの愛と熱量が相手から返ってこない体験をした時、彼女はその現実をどのように受け止め、どのような感情を体験するのか。
そこにも興味があります。
新しい彼女の感性は、どうリアクションして世界を受け止めるのか。
もしかしたら僕の想像を遥かに超えた受け止め方で、新しい世代の新たな現実と価値を生み出して行くのかもしれません。
それは僕の古い定義付けによって閉じ込めてしまうには、あまりにもったいないものですね。
子どもたちと接するときはいつもそうですが、その現実が何を生み出し、どんな意味を持つのか、大人の自分には決して分からないのだ、ということだけはしっかりと分かっていようと思うんですね。
彼女達の才能と可能性が自由に展開して行けるように、十分なスペースを与えておきたいと思うんです。
時代が大きく変わっていく中、新しい時代の教育に対しては分からないことだらけですけど、
このスタンスが教育的であるということはだけは確信しているんですね。
新しい世代の新しい感性から何かが生まれ出ようとしている時に、古く個人的な大人の経験によってそれを測ったり、定義したりしないということです。
それは言葉を変えると、
「この子の生み出している価値を測る物差しを自分は持っていないのかもしれない」
という前提でもって子供に接するということですね。
それは
「この子は私よりも偉大かもしれない…」
という前提と言い換えても良いかもしれません。
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