東京での仕事を終え、
久しぶりに大阪に戻ってゆっくり家族との時間を過ごしました。
一緒に夕ご飯を食べてから、
「とと、ちょっと夜の散歩行って来るわ。」と言うと、
「ひなも行く!」と小5の娘が小学生らしい勢いで乗って来る。
とにかく大人がすることは、なんでも乗っかりたいようです。
中1になった上の娘はさすがに中学生らしく、しれーっとした感じで乗ってきません。
でも準備をして先に外に出ようと玄関のドアを開けると、下の娘が言います。
「とと。ちょっと待ってー。のんも行くんやって。」
なんやねん。行くんかい!と思いながら、待つこと数分。
娘二人が元気よく玄関から飛び出してきます。
秋になり涼しくなった夜の街。
おぼろげに月が浮かんでいて、夜風が気持ち良くて身体が喜びます。
「どこ行く?」と下の娘が言い、
「できるだけ怪しい道を行こう。通ったことの無い道無いかな。」と応えると、
「もう、のんはこの辺に通ったことない道無いで。」と返って来る。
「そうなんかー。」と、ちょっと頼もしく思います。
どんな道も冒険済み。
子供とはそうあってもらいたいものです。
月明かりに浮かぶ路地を3人で歩きながら、いろんな家々を観察してはコメントしたり、公園に寄ったり。
途中、道を歩きながらも娘は2人はせわしなく身体を動かしたり、踊ったり歌を口ずさみます。
なるほど、なかなか宿題ができないわけだ…。
身体が(つまり潜在意識が)暴れたがっています。1日分のエネルギーの発散が終わっていないのが身体を見ているとよく分かります。
授業に部活に日々の準備にと、外側から制御されるばかりで、内側から溢れる奔放なエネルギーを生きる時間が無いのでしょう。
それでも、家に帰ったら机に向かうように言われるのだから気の毒なものです。
この今溢れ出ようとしている彼女の中の生命の輝きと、それを我慢して机に向かうべきという社会の圧力と。
父である私はどちらを支持するべきだろうか?
そう自分に問うと、
もちろん、生命の輝きの方だと返ってくる。
夜の暗さに慣れてくると心が静かに深まり、普段聞けないような率直な娘の言葉が出てきます。
「もー。嫌やわ。朝起きたら学校行って部活して帰ったらすぐにお風呂入って、夕ご飯食べたら宿題して、そしたら寝るだけ。ほんま嫌やわー。」
娘は力いっぱい毒を吐き出す。
「そっかー。のんは嫌か。ととは人生楽しいわ。」
「ええなー。」
「ええやろー。」
そうやって話しながら歩いていると、コンビニが見えてくる。
「ととー。ゼリー買って。」
「うん。財布持ってきてないねん…。」
「え~。ゼリー食べたかったわー。」とか言われながら、
何の結論も教訓も無くゼリーにもありつけない夜の散歩の贅沢なこと。
なぜだかわからないのだけど。後になって振り返ると、こんな無為な夜こそがかけがえのない思い出となって心に残っていて、
その記憶が無性に愛おしいんですよね。