週刊さんでいリターンズ -14ページ目

週刊さんでいリターンズ

起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

こばわっ!

仕事環境はあまり変化ない、といいながらバイト1つ増えた。
それほど面白い仕事ではないが、面白く変えようと思えばできないこともなさそう。

それよりも、だ。
一昨日、台風の中熱血派の整形外科医にとっつかまって関節技決められたので、1日以上手関節が痛かった件。

熱血派は、わしが持ってる疾患などお構いなしだ。
まあ、そんなもんだ医者なんて。知ってる。

医者は確かに地頭はいい、が、自分が興味のない範囲はすぽーーーんと抜けすぎやしないか。

たしか、彼はわしが病気持ちだと知りすぎているはずだが、それ以上にわしに、いや、
わしが担当している彼の患者さんへ、伝えたいことが多すぎる。
まあ、わしに期待をかけている、その結果がわしへの関節技という訳だな。

・・・とりあえず、おまいが伝えたいことについての文献読んで落ち着けよ、但し英文だけだからな!
てめえが考えた、と思っていることは、実は全世界がもう知ってることなのかをちゃんと見れ!
凡人が考え付いたことなんざ、どっかの天才がもう考えてなんかやってるぞ、

と、オブラートに包んで伝えたつもりだが、どこまで伝わったか。
・・・てことはわしが代りに調べて彼に伝えれ、ってことだな、、、、

確かに彼に教わった技は、今日の臨床に応用が効いた。
それで実際今日一人をかなり変えられることが出来たので、文句言えない。
でも、わしの手関節(手首)は1日痛かったけどな。

 

・・・こういうのを「身を切って学ぶ」って言うのかな。(なんかいろいろと違います)

こばわ。

基本的にわしと同じような性格(=バカな熱血)の同業者がかなり重い感じのブログを上げている今日この頃、わしも同様にどんよりしていますが皆様いかがお過ごしですか。

今日わしが見聞きした出来事は、多分そのうちどっかに書かねばならないような気がするのだが、これはその同業者にまかした方がいいかもしんない。話がかみ合わない異業種の相手に押し通すまでの強い意志が今のわしには、ないな。

ということが、先週わかった。
わしのパワーが発揮できる先は限られるが、限られた範囲の中であれば強靭な意志を発揮できるはず。一般大衆ならまだしも、わかろうとしない異種同業者に割ける時間がわしにはない。S哉頑張れ。わしも頑張る。

ま、仕事がまだ降ってこないのだがなwww(草生やしてる場合じゃない)

・・・すまんです、あまりのことに放心状態です。

患者さんからある程度聞いてはいたし、わしはピンキリでいうならキリに近い病院で働いてきた、と思っていたのだが、まだまだ甘かった。言えるのは末端の現場というのはもっと混沌としているのだなあ、ということだけです。

ぶっちゃけ、疲れました。本当に疲れました。

しかし、死ぬ気はないので、ここで生きていくなら戦うより仕方ない。

たぶんわしは戦うために生まれてきたんだよ。この先末端で生きていくしかないとしても。多分、戦い続けていると、末梢から中央の方にはじきとばされてくるのよ。結局大学院までの流れがそうだった。
するってえと、反乱分子というのは戦い続けて中央に出てくる、つまりは咳し続けて中央に押し出される、つまりは痰のようなもんだな。

本日の結論:わたしは、痰。

Yさん、ちゃんとファックスは送りますね。
 

こばわ。
読み返したら何言ってるかわからんひどい文章だったので流れに関係ないとこは切りました。
そうまでしても書きたい時もある。ってか、わしには文字数制限必要!
*********************

相方みかんが3週間ほど体調崩し、市販薬や経験的養生では治らなかったので病院に行ったら、その足で入院することになった。

原因の詳細は不明だが、病状増悪の要因としてメンタル負荷があったかもしれない。
50歳過ぎていきなり業界を変えて価値観ひっくり返され、理由も説明されず詰められるのは相当きつかろう。わしも業界変わる度何らかの騒動を経験した。書いたような気がするがPTとして勤めた時は、いじめられたなあw

訳もなく正解も示されず低評価され続けるとやる気を削がれるだけでなく、どうすればいいのかわからなくなってしまう。仕事がキツイことより不当な評価をされることに人間弱いと思う。

業界の常識って、ずっとそこにいるとそういうものだから、理由を言葉で説明できない人がいて
理解できないことがある。そして説明されなくとも察することができる人もいれば、空気を読めずに間違いに気づかない人もいる(←わしだw

不当に傷つきたくないなら、同じ業界・団体にしがみつけるだけ居続けた方が楽だ。
すると、一つの常識で通ってしまうもんだから、自分は使える、どこいっても大丈夫だと勘違いしちゃったりする(←これも金融で働いてた時のわしだww

案外大丈夫じゃない、というのを二流ミッション大卒と1.5流私大卒のわしらバカ夫婦は実証しちまったね。

ずっと同じ会社で仕事して、定年後どうしてもいなくなっちゃ困るから嘱託で残ってと頼まれる人は理系に多かろうが、よほど熟練した技術や知識があり、かつ特殊な言語使ったりなどの複数の要因を持った方であり、ただ仕事できるぐらいの人の替わりはなんぼでもいる。

わしらのような医療技術職だってそうだ。病院にとっては医療技術職なんて休まなきゃ誰だっていいんだ。

 

その理由は、そこらの病院では経営者も医者も技術の違いなぞわからないからだ。患者になって、複数のPTにかかれば違いはわかるだろうが、それでも病院選択の理由になるほどではない。(もちろん、成果主義でアディショナル貰ったり、開業して大繁盛するすごいPTは結構いますよ、でも多数ではない)

 

つまるとこわしらPTが素人さんや医者にはわからない程度の技術しか持ち合わせてないってことだな。
ってなことはっきり言うから二流病院で嫌われるんだよ>わしww

ところでわしの話で恐縮だが、辞めることになった病院にいた時に病気発症したため長期休むって言った時は相当引き留められた。しかしそれはどこの病棟でもどんな疾患でもそこそこ対応できるお便利ちゃんだったからだ、、、いないと困るのは他のスタッフが大変だからであって、わしの病気悪くなっても構わんから休むなって意味だよね、だって、傷病休暇取り始めてから「辞めます」って言ったら引き留めなかったじゃないの!ひどい職場だよなあ、とさっき気が付いた(遅

ま、それはもういいや。それよりわしが考えねばならないのは現状。

中枢も整形もそこそこで、循環器すらそこそこ。
全てがそこそこではあるけれど、どこだって戦える。
そこんとこよろしくね、なはずなんだが、いろいろ苦戦中。

現職場(非常勤)では臨床以外は行き詰り、常勤になるためのシューカツが次々不合格、これ以上のどん底はないと思ってたところにみかんの入院で未だ底が見えない。

この既視感は、実習の単位やっととって、国試の勉強しながら、何の理屈にもなってない黒歴史な卒論作りながら、就職試験を受けて次から次へと断られていた日々再来な感じ。

就職を断られる理由が、年齢というのも当時と同じだ。10年以上のキャリアなんてどーでもいい、安く長く使える若い子がありがたいって職場の方が多いのね、今に始まったことではないが。

 

そういやSNSで見守っている某お嬢さんが、また面白いこと言うてはった。ニュアンスだが、
「真面目に生きていれば誰かが見ていると言う。
見ててくれてはするだろうが、メリットはないよね」

確かにw

同様に、リハ学校3年の時求職活動で散々苦労して決まった時、T子(リハ学校同期主席)が喜んでくれて、
「さんでいの良さは分かる人には分かるのよ」
本人が水を差すのも何だが、分かるからといって採用してくれる訳ではないw


それに「分かる人には分かる」というのは裏を返せば「分からない人は分からない」=結局普通の人には分かってもらえないので採用されないということになってしまう。

一方、誰にでも分かりやすいものは、容姿や年齢や年食いすぎない適度な経験年数や成績だ。

だからブスやババアは不採用なんだな?

それでも大学院の修論の時より精神状態はきつくないから、まだ明日も戦える。
でも、そろそろ就職決めたいな、とこそーり願う今日この頃。

本日のまとめ:いろいろ話が飛んだが、要はただの八つ当たりです。ごめん。

久々に勉強会資料作成ちう。

勤務先の最近のトレンドとして、保険資源を使わない案件に関心が向きつつあるし、ここでは最後の勉強会になるかもなあ(含

PTとしては、勤務先にありがちな終了目標が立てにくい維持案件より、変化があり目的が明確な急性期案件の方がわかりやすい楽しいのは理解できる。わしとて例外ではない。たとえば近所の奥さん。きっちりあと2か月で店に立てるようにしてやんよ、任しときな。

そうはいってもわしの慢性期勉強会もちゃんと話題になる形にすれば別のところでも何かしらを提供できるであろう。
そうなってから呼び戻されてももう戻れないぞw

内輪話はさておいたふりをして、本題はやっぱり業界内の話だったりする。

目標が明確なリハという意味でも、シロウトさんの興味を引きやすいという意味でも、スポーツリハはわしらの業界で人気がある。

昨日は某所でトレーナーとして働くPTから、米国のスケートリンク事情についてレクチャー受ける。話題になった日本選手の脳震盪から始まって興味深い話だった。詳細は面倒なので省略して乱暴に結論だけまとめると、「それなりにルールはあるが、リスクもある米国のリンク。それでもたくさんの国のフィギュア選手が練習するのは、使用料が安いから」だそうだ。

「あのケースでは俺なら試合に出るのは止めた」と意見するトレーナー兼PTがいるそうだが、リンク所属ドクターが出場可能という判断に逆らうということは、例えばPTが医者の進行許可を無視するということ。例として下肢オペ後に荷重許可を無視して先に進めないとか、わしら心リハならステージアップ許可を無視とか。

 

そう言われると、わしら心リハであれば、ステージアップをやってみて「あ、これ無理」と言って中止して理由を報告することはあるが、やれというものをハナっからやらないということは中止基準(熱発とか)にかからない限りは、ない。

 

ましてや賞金やらスポンサーやらわしにはよくわからんが恐らく複雑な事情があるようで、たかがトレーナーやらPTがとやかく言えるはずがないらしいし、そんな青くっさいこと言ってるとスポーツリハの現場に入るのは難しいんじゃないかな。

その他にも、負傷したウィンタースポーツの選手についてディスカッション。

わしのようなアスレチックリハ門外漢のPTでもわかるぐらい、競技に出たら不全断裂が完全断裂になる可能性90%以上、それをやっちまったら99%以上引退せざるを得ない状況の選手を大会参加させるのは是か非か。

もちろん取り巻く環境によるので正解などないのだが、わしが感じていた違和感の正体がわかった。本人がどれだけ理解していたのかがわからんのだ。競技復帰を目指していると報道されていたが、普通に考えると99%以上無理。日常生活復帰ですら相当期間かかるはず。奇跡はあるかもしれんが、ほとんど起こらないから奇跡というぐらいなのであって、周りは当然知ってるはず。マスコミは知ってて報道しないのかわかってないのかわからん。(知ってても事実を書いてしまうといろいろ問題あるだろう・・・)

本人が知ってたならまだしも、周りだけ知ってた状態で送り出すのは、いくら本人の気をそがないためという思いやりから来たことだとしても、それは違うだろう、と思う。その後の人生全く変わってしまうかもしれんことなので、覚悟のあるのとないので精神的ダメージが違う。

・・・覚悟ないのに、最近人生変わるような受傷をしてしまったスノーボーダーもいらしたな。
ま、そんな風に突然病気もやってくるものではあるな。しかし事前に予測できることなら、自分なら知っておきたいな。

そんなわけで、病気になったからにはその後起こり得ることにしての指導と対処に関しては、ちゃんと学会なり専門医の複数意見を聞いたりして調べてからではあるけれど、はっきりとモノ言ってしまうPTなわし。でも、言ったからには一緒に闘うから今日もよろしくね。

本日の結論:とはいっても真面目なのは職場だけ

こばわ。

相方がドラマの「ゴーストライター」を観ているので、流し見してる。
何と言うか、一つの傑出した才能が堕ちていくのって、本人も、見守る方も辛いですね、、、

おっと、片平巧(船橋19)の悪口はそこまでだ。

・・・違う。いや、そうかもしれんが(汗

ゴーストライターと言えば、某京大学の某生r(ry
・・・やっぱそれを書くのは無理!

えーとですね、仕方ないのでいつものようにだらだらと仕事の話を書き始めたのですが、自分で読み返したところ、それこそ「ゴーストライター」で中谷美紀ふんする遠野リサ先生のいうごとく自分で読んでも

「いやになるほどつまらない」

状態でした。

わしてば、どーでもいいことをもっともらしく書く時に一番面白さを発揮するのに、初めからまともなことを書こうとしたら面白いはずがない。ただでさえ別にいなくても困らんぱんぴーの記録なぞ興味がないのに、一般受けしない仕事の記事なぞ余計につまらないと思ってはいたが、今日書いたブツはとりわけつまんなかった。

じゃあ、わしは何であれば面白いことが書けるか考えてみた。



かなり昔、選挙の時に「主婦は政見放送を観ても政策など理解せず、候補者のネクタイしか覚えていない」と、女性有権者をバカにした発言をした候補者がいた。(実際主婦層にインタビューしたら、それが本当だったというオチもあった・・・しかしこれは場当たりインタビューであり統計学的な無作為抽出条件にあたらないはず)

ところがわしの観察力と来たらポンコツなので、候補者のみならず自分の旦那が朝どんなネクタイを締めていったかすら覚えていない。大事な自分の旦那のすら覚えてないんだから、余所んちの旦那のネクタイなど余計に覚えていようはずがない、てか、全然見えてない。

その癖仕事がらみでは、患者さんが前回どんな筋緊張で、どんな歩き方の特徴があったかも覚えていて頭の中で再生できる。また、街中で注意が向いてしまうことと言えば、歩き方の癖、それはどこが悪くてそうなるのか、など歩行分析をしてしまうのは、たぶん職業病。

しかしこれは10年以上同じ仕事してるからね、多分わしだけのことではない、わしが有能な訳でもなく、後天的に訓練された職能だと思う。

では、わしの持つ能力でちょっと変わってるなあと思うことがあるとしたら、その人がどんな人生を送ってきたのだろうか、ということを妄想して文章化する能力だ。具体的に考えるほど傍からみるとおかしなことになる。

たとえば、この前スーパーで見かけた初老男性二人組。

御一方はT字杖歩行、もう御一方は買い物かごを下げて精肉類を物色中。買い物かご男性が、T字杖男性に、この肉は体にいいの悪いのと話しかけている。大人しく聴くT字杖男性をかいがいしく世話する買い物かご男性。お二人の左耳にはお揃いのイヤリング。ピアスではなく、イヤリングなところも月日を感じさせる。ちなみに左片耳のピアスは、「守る者」の印らしい。

一方が脳血管障害を患されても、変わらずお互いに守り守られ生きていかれる人生をこれからも送られている覚悟なのかよろしく哀愁。また、今までの軌跡は如何。

・・・というところには意識が行って、その証拠の動作や品を証拠として記憶していくにもかかわらず、服装やネクタイの柄はやっぱり覚えられないのよー(嘆

オチがなくなってしまいましたが、1行にまとめると、
「さんでいは無駄な情報には敏感に茶化す能力がある」
ということになってしまいます、、、結論としては「無駄な人間は無駄な文章でも書いてろ」ってこった。

やべえ、みかん寝落ちしてる!酒飲みほして寝かしつけてくる。
 

松もとっくにあけてるのでなんですが、今年もよろしう。

とりあえず年明けの勤務早々から体調がいまいちで、先週末からはっきりと感冒症状が出た。

下手するとインフルだったかもしれんのだが、予防接種済のせいか関節痛はあるが、熱は出てないし、病院で診断されたところでタミフル飲んで自宅待機だし、最寄のすぐ見てくれそうなところは徒歩20分ぐらいかかる上に待たされるからかえって具合悪くなりそうだし、どうせ次の勤務は4日後だから今日陽性なら勤務日は陰転してるぜ、と自分に言い訳しておとなしく家に籠って2日安静にした。

が、世の中では老健ナース(40代)がインフルエンザ脳症で亡くなったそうだな。

あそこまでいくと助かったとしてもああいう風になるんだよなあ、と元患者さんの病態を思い出して悲しくなった。

もうトシなんだから、他人に迷惑かけんように病院に行くのも仕事のうちだな、次はちゃんと病院に行こうとしょんぼりする今日この頃。
・・・いや、よく考えれば毎週働きに行っているんだよ、病院。
まったく病院と言うのは通うところじゃないぜ、働くところなんだよわしらにとっては。

ま、わしの母親(お金の精)のようなご老人にとっては、他人に迷惑をかけないよう健康と保つのは仕事、という意味では病院に通うというのは仕事の一種なのかもしれんわなあ。

ところが、同じご老人でもリハであらゆるボ●ースアプローチにもついて来れちゃう高い身体能力をもったご老人もいらっしゃる。素晴らしいことだ。

画像では異常がないと言われていても痛みを訴える患者さんの場合、わしらPTは動かしたり触ったりしながら、ある種の反応を感知して本当に痛みがあることや、その原因を推察して治療をすることができる。

ところがそういう反応がなければもう何もすることがない。なのに痛いから、とリハを引っ張ろうとする。嘘だとまでは言わないが、多分痛いのは体じゃなくて心だと思うよ。(てゆっか、わしの手技に対していつも”気持ちいいいいっ”って言ってる)

・・・保険資源を無駄遣いしちゃダメ。

真面目そうな話はさておき、しょっぱなから風邪ひいてぐだぐだで、去年からの問題が何一つとして進んでいない件。

唯一好調というか、忙しいのは臨床だけだ。
予約は元からフルに埋まっているが、こっちの調子が悪い時はなぜかキャンセルは出ないw、

しかもオラオラに追い込める患者さんが入っており、テンションはハイというより最早ハイパー。
昨日もなんちゃってP●Fなぞ使うからもううるっさいうるさい。(なんちゃってでごめんなさい。教えてくれた人は団体のトップ2の方ですが)

それだけならまだしも、エース格のセラピストに技を教えてみた。かなり使える技なので喜ばれて「早速使います」とはしゃがれたのだが、「まだその完成度で患者さんに使うには早いっ!」と怒っちゃう始末。

・・・ごめんょ。(ちょっと小声)
次回、わしの肩のしびれを治せたら使ってよし(教えた理由は治してほしいからw原因はわかっているのだが自分じゃ届かない)

結論としては、まあそれなりにやってます。
今年の目標は「脱・それなり」と「ストップ”今度こそ”」。そろそろ決めたいぜ。

こばわ。
多分今年最後の更新です。

ここのところ、来年度の転職に向けて動いておりましたが、正直全滅でした。

1つは他薦だったので決まるかと思ったが、わしに声をかけた医局とリハ現場とのニーズが合ってなかったようだ。得意分野とキャリアを封じられたらいくら技術職とはいえ、普通のサラリーマンとなんら変わんない。年齢がネックになるに決まってるじゃん。だから推薦がなかったら初めから考えもしない病院だったのに。とんだ無駄足だったぜ。土日デイが当たり前なご時世で土曜リハ休みな現場なんてロクなもんじゃねーぜ正味のとこ。既に国立病院ですらリハやってるっての、くそ病院かよ。

以上ぼやき終わり。実は落ちたことよりも、元上司からの命令を断れなかった自分にがっかりしてんの。だって、その前に決まっていれば断れたから(涙

危惧したとおり、その前に書類だした第一志望の病院は私のキャリアでは足らなかった。やはり超一流の壁は厚いな・・・。現場で実績積んでた超一流の心リハPTが軒並み旧帝大医学部の大学院博士課程に入ったり教えたりするこの現状で、たかだか私大修士卒のわしが太刀打ち出来ようはずがない。

まあ、新しい目標ができたと思えばいい。目標達成する前に定年を迎えないようにしたい。年々歳食えば食うほど条件は悪くなるんで、積むべき実績のハードルが上がる(涙

来年の大所の学会はもう間に合わない。せめて小さいリハ学会で一つ、あと再来年の発表2つ、あわよくば3つだな。締切は、早い順から来年4月(学会10月)、11月初旬(同2016.5)、12月(同2016.6)再来年1月(同2016.7)。もう条件が悪いとか泣き言言ってる場合じゃない。

偉そうなこと書いてますが、正直結構萎えてる。しかし、この仕事してる限り戦い続けるしかない。患者さんが後ろから蹴り飛ばしてくれる(微笑

わしの患者さんてばすげーんだよ。前の担当から「依存性が強くて、自分じゃ何もしないからリハ継続」と引き継いだ患者さんなんて、確かに依存的だったんで大した期待せずにお試しでトレーニングを提案した。ところがその道具買った上に、正しくトレーニングしたらしくてちゃんと良くなってた。あれならもうリハ終了しても大丈夫。患者を依存的にしちゃうのは教え方が悪いだろ、くそPTかよ。

や、わしが怖いPTだから言うこと聞いてくれてるだけかもw

まあ、言うこと聞いてくれる本当の理由とコツはわかってるし(けど言わないw)、寧ろわしのリハでは物足らない患者さんもいらっしゃるぐらいなので、仕事の話題はこのぐらいで。


次に、わしが書いた文章の評価から見る最近の文章事情について再び。

上席選者や比較的高齢の読者にはわりと好評なのだが、わしらの同世代ぐらいからの評価が低い理由を読んでいると結構面白い。与えられたテーマについて、上位入選4人のうち3人は人生の添え物としているが、1人だけテーマ本線で書いている。よく言えば真っ向勝負、だが、悪く言えば文章は平易で楽しいが、なんの含みもないただの日記。

今はどうやらそういうハッピーさだけ伝われば良くて、いい話風の結論にもってくる方がつまらんという感想もあるのな。なるほどなあ。

初めは主宰者側が意図してそういう感想を多く出してきたのかと思ったのだが、世の中の傾向として本当にそうなんだと思う。そうな、確かに今日のわしのにき風に「次はこうしよう」「頑張ろう」ってのが続くと、結構うざい。同業じゃなきゃ読もうとも思わんわ。そういえばわしも趣味の話を読むなら、なんぼその趣味愛していて、良くなってほしいと思っていてもあまりに「こうあるべき」を続けられるとしんどい。実際、現実のわしは、ご覧の通りぐだぐだした文章書きだ。あれは商売用、しかも特定の雑誌の傾向に合わせただけ。

しかし、あまりに生き方の話や人生の苦難を含む文章を否定されるとなあ。
なんかね、”大学生に「1万円のステーキをおごってもらうのと、3000円貰うのとどちらかを選べ」と聞いたら、「3000円貰う」と言う答えの方が多かった”というのを思い出した。

わしはたかだか1万円ぐらいで一緒にメシ食いたくない人に恩着せられるよりは3000円貰った方が気が楽だからかな、と思った。1万円じゃ瀬里奈で一番下のステーキも食えないし。ところがこの場合1万円のステーキなぞ食ったことがないのでイメージがわかず、1万円のステーキ画像を見せると「やっぱステーキの方がいい」と答えを翻した学生が続出したとのことだ。

ようするに、人生の苦難の存在は知っていても、まだ自分のものではない若い方もいらっさるということなんだろう。ええことだ。そのままあなたの人生に苦難が訪れず、一生幸せな人生をおくれることを祈る。

・・・嫌味だよw!
苦難を身の内として知っといた方がわしらの仕事は説得力があるんぢゃ、阿呆が!苦難から目をそらしてどーすんだよ!

今年最後の八つ当たりを失礼いたしました。
職場崩壊の噂で始まったのでバイト応募して、実際に崩壊したのでバイトしながら転職失敗で終わるという激動の1年ながら、学会発表、繰り返し勉強会主催、新しい調査の開始、と激動の1年でした。50過ぎて良くも悪くも刺激多い生活を送ることになるなんて考えもしなかった。失敗もまた次の希望に変えて来年も生きよう。

よいお年を。

おはよございます。
(あぷする頃には昼になりそうだがな。)

あまり気を抜いた文ばかり書いていると、どんどん文章下手になるので時々表に出す。

ここのところ、つぶやきで荒ぶっておりますが、それほど忙しくはないです(当社比)
2年前の年末に比べれば大概のことが耐えられます。しかし故あって、大学院の教務課に出頭するのは、あの辛さを思い出していたたまれなかった。

まだ何がどうなってるか公表できないのですが、今年は最初から最後まで激動続きだなあ、と思いました。午年なわけだが、競馬というよりロデオ。本当に激しい1年であった、まだ終わってないけど。

激しいと言えば、わしの文章を見た若い方が、その攻撃力に衝撃を受けてしまったようで、なんだか申し訳ない。しかし才能があるんじゃなくて、練習によって身に着けた攻撃力ですから、ショックを受ける必要はありませぬ。わしは磨いた綺麗さには感心や感動はするけども、ショックは受けない。自然にこぼれちゃう才能の方が羨ましいよ。

ショックを受けた理由を察するに、技術や知識じゃなくて、腕力体力ってのが笑った。ありがとう。その通りなので嬉しいな。今回はほぼ力技です。

あー、でも着地をはずさない構成は技術のうちかな。確かに頭(知識)は足んないけど。

しかしながら、わしときたら攻撃力はあっても、防御力が弱いので、院では教授の攻撃にことごとく敗れ、「何言ってるかわからない」と毎日怒られていた。今の職場では攻撃力が強い人がいないので、防御力が磨けない。

それでもって防御力以上に注意力がないので、また競輪場で物をなくすところだった。みかんが騒いでくれて何とか見つかりましたが、もうほんと嫌になってしまふ。しかし治らない、まじで病気。

間抜けな分、全て攻撃力に回ってくれていればまだいいのだが。駄文よりも論文の攻撃力に注いだ方がいいぞと思う今日この頃。

本日の結論:生まれてすみません





久々の表にきですな。

毎日生きているのでネタがないわけではないのだが、余所様に読んでいただくほどの内容ではなかったので、チラ裏に書いてました。

近況を三行でまとめると、
体調はここんとこ良くない、でもまあ病気とトシ考えるとこんなもんじゃね?
仕事では、臨床はともかく環境劣悪すぎて考え時(もう考えてるけど)
小論文練習した甲斐はあったみたいよ

という感じ。

最後の「小論文」だが。
最近結果発表があった某エッセイ賞で賞を頂いた。

狙っていた大賞ではなかったが(大きく出て申し訳ない)、拙文が原稿用紙1枚あたり3万円になったと考えるとまずまずの結果だった。

大賞の作品は、自分と全く傾向が違っており、負けた理由は文章力というより企画力の差だと思う。選者の一名がおっしゃっていた通り「あれにはやられた」とわしも思った。

わしと同じ「自分下げ」でも読後感は爽やか軽やか。なるほどなあ。わしはまだまだ未熟者だよな。

尊敬する選者の御一方に「乾いたタッチと評価していただいたが、相方の曰く「文が重い」。まあ、今回は敢えて狙ってそっちに振ったので、わしとしても「重馬場」でなくとも「濡走路」ぐらいの仕上げだった。ところが、最近はそういうテーマは受けないみたいだ。重鎮選者には好意的な評を頂いたが(だから入賞したのだろうが)、若い選者(といってもわしとほぼ変わらない)には低評価だった様子。もっともわしは元々同年代の男の子には受けが悪いから気にしない。・・・そういう意味ではわしの子供でもおかしくないぐらいの人しかいない今の職場は気楽ではあるな。変なおばさんであることはもうバレてるし。

話を戻して。
ここ数年の受賞作を読んでなかったから、完全に傾向を読み間違えた。狙ったわけでなかったが、たまたま今年は企画の年回りだったわしはラッキーだっただけかも。通年であれば、佳作ですら逃していただろう危険なテーマだった。まー予選は通っただろうがね。(大きく出てすみません×2)

次回発表される佳作の方には、かなりの文章達者がいるらしい。変な意味ではなく、単純にその方たちの文章を読むのが楽しみ。

でも、ここでの賞狙いはしばらくいいや。わしの作風と今の流行が合わな過ぎる。書きたいことを書くだけなら流行なぞ気にしなくていいが、コンペで賞狙いとなるとそういう訳にはいかんので結構しんどい。論文投稿と似ている。

とにかく今回の件では煌めく作家の名前を冠した文学賞を複数受賞されている選者の方から長文の高評価を頂き素直に嬉しゅうございました。ありがとごさります(へこ)

久々に文系としての頭を使ってみたが、自分の世界観と文体が時代遅れということを理解した。大衆を唸らせ引っ張り込む確固たる世界観と文才を持ち合わせない小さな文章書きであるわしの限界である。が、流行の風は巡るものでもあるし、そのうち自分の作風合った風も回ってくることもあるだろう。それまでこの分野はお休み。また理系として頑張ろう、臨床家としてもまだやれる。

でも、某会報誌になら力を抜いた駄文を書いちゃおっかなと思ったりする(←またこうやって自分を追い込むようなことを・・・

本日の結論:バカもおだてりゃ木に登る。
いや、自重して三歩下がっとけと(汗。