先日、西日本新聞社さんで不育症体験者として取材を受けさせていただきました。
その時に記者さんに聞いたのが、
不育症を乗り越えて無事出産できた後は、
辛かった記憶が薄れていく人が多いということです。
私も、取材を受けるまでは自分の記憶が薄れているなんて全く気付いていませんでした。
自分の経験が少しでも役に立てたら、と思い、
忘れる前に不育症の体験を記録しておきたいと思います。
不育症で辛かったことを思い返すと、
大まかに3つのジャンルに分けられるかな、と思います。
①流産の悲しみ
②仕事との両立の厳しさ
③出産までのサポート不足な現実
今日は、①流産の悲しみ編です。
過去に書いた内容と重複する部分もありますが、
取材を受けていて思い出したことや、
辛すぎて書けなかったこともあり、
今回もう一度書くことにしました。
重たい記事はちょっとな…という方は、
末尾に今日の幸せシェアがありますのでスクロールして下さいね。
流産というのは、
妊婦さんの10人に1人が経験する意外と身近なことだそうです。
せっかく受精しても、
健康な赤ちゃんでない場合は自然と生まれて来られないよう、
自然の摂理で流産する仕組みになっているらしいです。
でも、本やネットでいくら理屈を調べたって、
到底納得なんてできません。
不育症であるかどうかにかかわらず、
一度授かった命は、自分の赤ちゃんです。
我が子を失って悲しまない母がどこにいるというのでしょう。
不育症とわかる前もわかった後も、
それはそれは深い悲しみに包まれ泣き暮らしたものです。
食事も着るものもどうでもよくなり、
身なりはぼろぼろ、
メイクも最低限でゾンビのように這って会社へ通っていました。
だんだんと、夜寝付けない日が続くようになりました。
やっと寝ても、
夜中に目が覚めては「赤ちゃんがいない」と泣きました。
寝ている時だけが悲しみを忘れられる時間でしたが、
偽物の癒しはすぐに現実へと引き戻すのでした。
悲しみがより大きくなるのは妊婦さんや赤ちゃんを見る瞬間でした。
全く知らない人でも、
マタニティマークをバッグにつけている人がいると、
胸のあたりがぞわーーーっと血が逆流するような感覚がして、
嫉妬と自己嫌悪で消えてしまいたくなりました。
同じ年に出産予定だった人が無事にママになり、
後から結婚した人が出産し、
そのうちみんな2人目を産んで…
周りがどんどん子どもを授かるのを見るたびに、
私には赤ちゃんがいないという現実を突きつけられたような気になりました。
知人はおろか、芸能人の妊娠・出産報告にもいちいち傷ついていました。
エコー写真が目に入るのも苦しかったですね。
私は心拍確認までできていたので、
エコー写真が手元にあったし、
何度も産婦人科で見て会える日を楽しみにしていました。
それが一転して天国から地獄へ落ち、
エコー写真の画像が目に入るだけで、
まだ生きていたあの子の映像がフラッシュバックして、
ひどい時は過呼吸になったりもしました。
必然的に、
SNSは見られなくなりました。
妊娠中・出産後の女性の投稿でいちいち悲しくなり、身が持たなくなりました。
年賀状も、
旦那さんに一度チェックしてもらって赤ちゃんの写真があるものは外してもらってから見ていました。
最初の流産の後、
保険の適用範囲内で流産の原因を調べる検査をしてもらいました。
その結果を見て、
100%ではないにしろ、
私に原因があった疑いがあると告げられました。
誰か私を殺してほしい、と思いました。
愛しいあの子をダメにしてしまったのが私の身体だという話は、
あまりにも受け入れがたいものでした。
自分を責めずにはいられませんでした。
意図してやったわけでも何でもないけど、
取り返しのつかないことを私の知らないところで私の身体がやってしまった。
理不尽だけど、
全部自分で起こしたことで、
本当に本当に、苦しかったです。
愛しいあの子が私のせいで天国に行ってしまったというのに、
何で私だけのうのうと生きてるんだろうって、すごく不思議でした。
我が子を失った悲しみだけでも耐えられないのに、
それが自分に原因があっただなんて、
言葉に表しようのない、
強い強い苦しみでした。
私は自分を責め続けました。
許すことなんてできませんでした。
今でも、
産んであげられなかった子たちに申し訳なくて、
罪の意識は消えません。
もちろん、
流産後に検査をしなかった項目が色々あるので、
流産が本当に私のせいだったのかは不確かです。
でもね、
愛しい我が子を疑えないんですよ。
最初の流産の時は、
周りの人にも打ち明けた後だったから、
何人かの人には「自然淘汰されるものだから…」と言われました。
でも、例えそうだったとしても、
私の子を悪く言うなんて、と素直に聞くことはできませんでした。
そんな風に言われたのは目上の方ばかりだったし、
みなさん流産の経験者だったから、
私を想って言ってくれたのはわかるのだけど、
悪意がないから気持ちのやり場がなくて、
胸が詰まるような思いでした。
子どもを産めない自分を、
女性として欠陥品だと心底思いながら暮らしました。
自分の身体を憎みました。
子どもを産みたいって、
繁殖とか本能レベルの希望だと思います。
それが自分の身体で叶えられないというのは、
脳に直接ガンガン響いてくるような、
人間として存在する意義を問われるような、
根本から崩れてぐちゃぐちゃになるみたいな苦痛でした。
不育症が恐ろしいのは、
流産という恐ろしく辛い経験が何度も訪れることです。
一度失ってしまった愛しい存在を、
すぐにでも取り戻したくて妊活しましたが、
私は不妊症もあってなかなかすぐには授かれませんでした。
やっと妊娠の兆しが確認されたのに、
それがまたダメになってしまうという悪夢…。
もう、心が折れていました。
何をしてても、
無意識レベルで赤ちゃんのことを考えていました。
楽しいイベントもあったし、
それなりに笑うこともあるけど、
いつ来るともしれぬ赤ちゃんのことが気がかりで、
心底楽しく過ごすことはほとんどできませんでした。
また、身体的にも苦しいものがありました。
私が流産後に手術をした際の説明によると、
流産したとはいえ、
身体には出産したのに近いダメージがあるそうです。
流産の後、
ひどい倦怠感が1か月以上続きました。
夜眠れなかったから、
そのせいもあったかもしれません。
妊娠して体内にものすごく大きな変化が起き、
それがまたダメになって元の身体に戻ろうとする中で、
ホルモンバランスが激しく乱れ、
自律神経がうまく機能していない感じがありました。
いつも背中に岩が貼りついてるみたいに重たくて、
会社に行くのも大変。
休んだり早退したりが増え、
周囲に迷惑をかけ、どんどん信頼を失うことに…。
また、私は妊娠すると割とすぐにつわりが始まるタイプでした。
微熱が続き、
吐き気やムカムカがあって自由に動けませんでした。
そしてそれがそのまま流産へと続き、
結局ずーっと体調不良が続きました。
心身ともにすごく辛い数年間でした。
あぁ、今書いててもすごくつらいです。
だけど、
体験した本人にしかわからない言葉を、
必要としている人がきっといると思って、書きました。
どれくらいの方が最後まで読んで下さったかわかりませんが、
お付き合いいただきありがとうございました。
あの頃本当につらかったけど、
今、娘が生まれてくれて本当に幸せです。
あなたがもし今すごくつらい状況でも、
きっとあなたのタイミングですべてうまくいきますように。
私の不育症体験②
私の不育症体験③
私の不育症体験④
不育症で辛かったこと①流産の悲しみ編
不育症で辛かったこと②仕事との両立編
不育症で辛かったこと③出産までのサポート不足編
不妊・不育症でも前向きに人生を楽しめた方法
Yahooニュース・西日本新聞掲載情報
妊活がつらい人へ 記事一覧
それでは最後に私の幸せシェアを。
8/8の幸せ
友達と久々に再会した!子ども産んでも相変わらず可愛かった♡
友達の子どもたちがめちゃくちゃ可愛くて楽しかった。まだ小さい娘を気遣ってくれたり一緒に遊んでくれたりして、なんていい子たちなんだろうと感心した。
友達の娘ちゃんからラブレターをもらった!!!激うれしい!!!
友達から誕生日プレゼントをもらった!!ありがとう!!
娘が友達ファミリーを好きになったみたいで、うれしそうに遊んでいた。私も嬉しい。
初めてのママ友体験?2人ともベビーカーを押してるとか、一緒に児童館に行くとか、他人がやってるのよく見かけるけど私も今日はそっち側になれた。新鮮!
帰りに福岡名物どらキングを買って帰った。美味しかった!
早い時間に会って早い時間にお別れした。初めてのパターンだったけど、早く帰宅するのがこんなに気持ちが楽だったとは知らなかった!
ミスドでタピった。並ばず美味しく、しかも店員さんがみーんな優しい。最高。
今日もフルートを吹いた。楽しい。
夕飯が美味しかった!
お読みいただきありがとうございます。
大本絢子
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