お盆休みで楽しい休日をお過ごしの中、
ご訪問下さりありがとうございます。
今日も、不育症の辛かった経験を書かせていただきます。
娘を産んでもうすぐ1年になりますが、
楽しい思い出が増えて辛かった記憶が消えてしまう前に、
記録として体験者の気持ちを綴りたいと思います。
不育症で辛かったことは大きく分けて3つのジャンルです。
①流産の悲しみ
②仕事との両立の厳しさ
③出産までのサポート不足な現実
今日は③出産までのサポート不足な現実編です。
重たい記事はちょっとな…という方は、
末尾に今日の幸せシェアがありますのでスクロールして下さいね。
せっかく妊娠が成立しても、
その後悲しい流産を繰り返すのが不育症です。
私は不妊クリニックでの事前検査で、
血流が悪い要因があることがわかっていました。(第Ⅻ因子)
血流が悪いと、
子宮に十分な血が巡らないために、
赤ちゃんに酸素や栄養が届かず、
流産につながるようです。
そのため、
私にとっては安定期はないものとして過ごしていました。
血流改善のためのお薬を飲み、
娘の成長をドキドキしながら見守りました。
妊娠経過の通院は、
本当に怖かったです。
いつまた突然のお別れがやってくるかわかりません。
極力、旦那さんについてきてもらいました。
後で詳しく書きますが、
安定期がない = 仕事をするのが恐怖
でもありました。
日常生活も、不安でいっぱいです。
もう二度と後悔したくないから、
キッチンに立つにしても、
何か作業をするにしても、
この行動は安全か?
を常に考え、
疑問が残る場合は全て危険回避するようにしていました。
とはいえ、
何から何まで危険回避するとなると、
家に引きこもるか入院するしかありません。
どこまでが安全で、
どこからが危険なのかわかれば、
もう少し安心して妊娠期間を過ごせたのですが、
不育症の情報が、
全然ないのです。
私もいけなかったのですが、
不妊クリニックでは、
妊娠することにもつまずいて、
通院期間中は「妊娠したい」ということばかりに気を取られていました。
結果、いざ妊娠できて週数が進むにつれ、
不育症の対策をどうすべきなのかがまるでわからなかったのです。
私は、病院を3回転院しています。
産院Aで流産を3回繰り返し、
↓
不妊クリニックBへ転院
妊娠して卒業
↓
自宅近くの産院Cで出産
という流れの中で、
各病院の連携や考え方のギャップに戸惑いました。
不妊クリニックBにて、
不妊治療と不育症の治療を受けましたが、
不妊クリニックに出産設備はありませんから、
産婦人科へ転院しなくてはなりませんでした。
出産を決めた産院Cでは、
「流産する時はしますから」
と言われ、自然に任せるような言い方をされてとても不安になりました。
そこで不妊クリニックBに出戻ってもう一度相談したいと言ったら、
卒業した患者の相談は一切受け付けないとのこと。
結局、
無事に産むためにどうしたらいいのか、
という疑問に、納得いく答えをくれる医師がいませんでした。
私は、
妊娠して初めて、
患者側も不育症の知識が必要だったことを思い知りました。
急いで情報を集めようとしても、
不育症に関する一般書籍はたった1冊しか世に出ていませんでした。(2018年5月時点)
1万円前後の医療専門書にも不育症についてはあまり記載がなく、
たった1冊の不育症の本を泣きながら熟読しました。
不育症学級という、不育症の専門医の先生が書いて下さった本によると、
不育症は専門医がめちゃくちゃ少ないことがわかりました。
どおりで、
産科Cの先生が流産を自然に任せるような言いぶりをするわけです。
私は、ただ赤ちゃんを無事に産みたい、
というシンプルな願いを叶えたいだけなのに、
力になってくれる人が見つからない現実に愕然としました。
妊娠してから動いた私もいけなかったのかもしれませんが、
ただでさえ流産しやすい私が、
お腹の子と一緒に飛行機や新幹線に乗って遠方の専門医に会いに行く事は自殺行為でした。
この時ほど強い孤独を味わったことはありませんでした。
お医者さんを信じて疑わなかった絶対的信頼が音を立てて崩れました。
国とか医療とか、
個人ではどうにもならないようなスケールの大きな基盤から、
私だけ落っこちたみたいな絶望感でした。
私一人で、どうしたらいいのだろう。
私だけが命がけで悩んでいるみたいでした。
だって、お腹の子は、次の瞬間にも私のせいで天国へ帰ってしまうかもしれないというのに。
卒業した患者の相談は受けられないとか、
専門医がいないとか、
もう、そいういうのはどうでもいいから、
とにかく誰か、助けて下さい、
と祈っていました。
専門医がいないことでもう一つ困ったのが、
仕事を続けられなくなったことです。
つわり期間中は大目に見てもらって休職させてもらえましたが、
問題は、
つわりが終わって一般的に安定期とされる時期に入ってからです。
今まで、3度とも仕事中に流産していたので、
私にとって、
流産と仕事は切っても切り離せない関係にありました。
不育症の本にも、
仕事でストレス負荷がかかると血流が悪化し、
流産を招きやすくなるという記載がありました。
ただでさえ血流の悪い私が、
人間関係のこじれた職場で合わない仕事に神経をすり減らせば、
きっとまた不幸を繰り返すだけではないかと思いました。
会社には、どうにかこのまま産休に入らせてほしいと相談したのですが、
私は有休を使い果たしてしまい、
長期休業には医師の診断書が要るというのです。
専門医がいない状況は前述の通りで、
旦那さんが方々にあたって不育症で診断書が出ないかと相談して回ってくれたのですが、
診断書をもらえるという回答は1つとして得られませんでした。
不育症について上司に何度も説明してきたし、
本社まで相談したけれど、ダメでした。
まだ会社を辞めたくなかったけど、
赤ちゃんの命には代えられません。
私も旦那さんも、
今度こそ子どもの命を守りたい、という考えで、
私は会社を退職することとなりました。
不育症の認知度はとても低いと思います。
私は職場で何度も説明しましたが、
結局最後まで理解されないままだったように思います。
なまじ、無事に出産を経験したような女性だとなおさらです。
流産は誰にでも起こるとか、
流産のことばかり考えているから病は気からで流産してしまうんだとか、
正論っぽいことを言われてとても歯がゆい思いをしました。
そういうセリフがね、
自分や家族が不育症の経験があって、
知識を持った上で出てくる言葉ならまだいいんです。
でも、何も知らない・理解しようと歩み寄ってくれている気配も感じられない中で、
気持ちの問題でねじ伏せようとされると、
こちらとしては人格を疑いたくなるくらい、不審感を抱かずにいられませんでした。
私は、常に命がけでした。
同じ目線で話してくれる人は数えるだけ。
それも理論上は仕方のないことだとわかっていました。
不育症は、妊婦さんの5%ほどしかいないのですから。
誰も知らないものなのかもしれないけど、
高いお金を払って手に入れた私の検査結果の紙には、
たしかに、不育症の要因を示す項目にチェックが入っていました。
まだ見ぬ大切な我が子を、
気持ちの問題なんかでは到底片づけられません。
幸い、
旦那さんが誰よりも私の味方でいてくれたことで、
夫婦で支え合って無事に出産に至りました。
ホッと安心したのは、
分娩台に乗ってからです。
安定期どころか、
予定日を過ぎても、
まだ私は死産を恐れていました。
分娩台で、子宮口がどんどん開いていく経過を聞きながら、
やっと、
「お母さんになりたい」という夢が叶う感動を味わいました。
フタをあけてみれば、
人よりも大きな胎盤で、
助産師さんがびっくりするほど太いへその緒と、
たっぷりの羊水で、
平均よりも大きな赤ちゃんをスピード安産で出産することができました。
無事に産みたいという強い思いが身体にも伝わったのではないかと思います。
長い道のりでしたが、
今、とてもしあわせです。
4年前、絶望の中で暮らしていた私には、
こうした体験記が心のよりどころでした。
周りに不育症経験者なんていませんでしたから、
いくら不確かだとわかっていても、
ネットの情報だけが頼りでした。
もし、
私の体験記がどなたかの希望になることができれば嬉しいです。
次はきっと、あなたの番!
私の不育症体験②
私の不育症体験③
私の不育症体験④
不育症で辛かったこと①流産の悲しみ編
不育症で辛かったこと②仕事との両立編
不育症で辛かったこと③出産までのサポート不足編
不妊・不育症でも前向きに人生を楽しめた方法
Yahooニュース・西日本新聞掲載情報
妊活がつらい人へ 記事一覧
それでは最後に私の幸せシェアを。
8/13の幸せ
♡今日はいつもより少し長く走れた。楽しかった。汗と一緒に邪念が体から抜けるような、清々しい気分になった。
お読みいただきありがとうございます。
大本絢子
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