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坂口安吾『道鏡』―『桜の森の満開の下』(講談社文芸文庫1989年)より

『道鏡』は奈良時代が舞台。孝謙天皇に愛され、一時は帝位を伺うほどの権勢を持ち、山川出版社の『日本史小辞典』によれば「道鏡の出現は仏教政治の弊害の集中的表現である」とされる人物。しかしこの道鏡が後半からしか登場しない不思議な作品です。

 

 

「日本史に女性時代ともいうべき一時期があった」と書き出されます。大化の改新の際の斉明、皇極天皇、著者が女性時代の始まりという持統天皇、首皇子、後の聖武天皇を育てた元明、元正天皇、そして橘三千代、光明皇后ら著者のいう「女傑」のお話が延々と語られます。そして聖武天皇の皇女で一応このお話のヒロイン、孝謙天皇の即位。

 

 「この女帝ほど壮大な不具者はいなかった。なぜなら、彼女は天下第一の人格として、世に最も尊貴な、そして特別な現人神として育てられ、女としての心情が当然もとむべき男に就ては教えられていなかったからだ。結婚に就ては教えられもせず、予想もされていなかった」(本文より引用)

 

飛鳥から奈良にかけて女帝は珍しくなかったといいますが、本来の皇位継承者が早世したり、幼少だったりといった行きがかり上の理由ではなく、即位前から皇太子として育てられたのは孝謙天皇のみ。そう考えると日本史上、空前絶後の女帝なのですね。今のところ。

 

両親の死後自由になった孝謙天皇は「四十に近い初恋」で藤原仲麿を恋し、「仲麿を見るたびに笑ましくなるので、改名して恵美押勝(えみのおしかつ)と

名のらせた」。しかしこの押勝から気持ちが離れたところに現れたのが弓削道鏡。

 

安吾は道鏡を魂は高邁で学識は深遠と書いており、権力欲のために女帝を誘惑し、帝位を狙う悪人としてはいません。孝謙天皇と肉体的にも結ばれますが

自分よりも女帝を純粋に愛する男。次期天皇候補と目されたのも、和気清麻呂によってそれが否定されたのも藤原氏の陰謀によるものとしています。

 

女帝の死後、ただ愛した女の冥福を祈っていた道鏡は下野薬師別当として中央からは遠ざけられますが、安吾は「流刑というには当らない、彼は多分、煙たがられていたにしても、さして憎まれてはいなかったのだ」と書きます。

 

しかし主人公?の道鏡について高邁とか深遠とか純一といった言葉を並べるだけで、道鏡の人となり、言動や、孝謙天皇との愛を描写する場面といったものはありません。そういうところ小説というより評論? 人気のある戦国武将を「戦争狂」とした『二流の人』とは逆に愛欲によって支配者を惑わした極悪人とされてきた道鏡のイメージを問い直している作品です。

 

実は…その4 鎌倉の川喜多映画記念館へ行きました。

11月初めの土曜日午後、鎌倉の川喜多映画記念館で特別展『生誕100年激動の時代を生きた二人の女優―原節子と山口淑子』を鑑賞しました。鎌倉の小町通りを駅から八幡宮方面に歩いて右手に少し入ったところにある記念館。コロナ厳戒態勢とあって、受付で名前と連絡先を書かねばなりませんでした。あれから2週間、体調に異変はありません。

展覧会サイト

http://www.kamakura-kawakita.org/exhibition/lecture

 

国際的な映画人として活躍した川喜多長政、かしこ夫妻のお屋敷。とても静かなたたずまいで小町通りの喧騒とは別世界。今回は観ませんでしたがここで上記二人の出演映画の上映なども行われているとのこと。こんな雰囲気で名画が観れるとは想像しただけで贅沢。

 

昭和30年代に若者だった父は部屋に今、原節子のカレンダーをかけています。今月のカレンダーと同じ、雪の中でマントを着てたたずむ原節子の大きな写真がありました。父の足腰が丈夫だったら連れてきてやりたいところ。

 

原節子と申しますと「小津安二郎の映画で上品なお嬢様や奥様に扮する美人女優」というイメージがありました。でも展示を見るとチリチリパーマのギャングの情婦や貧しさの中で男に翻弄される女工等も演じていて驚きました。芸能界に入ったのは経済的な理由によるもので、一時期は家族10人を養っていたとのこと。骨太な考えと行動の人だったのですね。原氏が着用した振袖も展示されていました。豪華ですが

現在の振袖ほど袂が長くはなく、また絵羽模様ではなく、総柄でした。

 

山口淑子の名前を知ったのは小学生の時の参議院選挙の番組を父と視ていた時のこと。父が「おお、山口淑子、だめかと思ったけど当選したな」とつぶやいたのです。前半生を中国人歌手李香蘭として生きた人だとは成人してから知りました。仕事でこの時代の

知識をつける必要があってこの展覧会を見たのです。

 

李香蘭の代表曲とされる『夜来香』を歌えるようになりたいと思った私。最終的には中国語で歌いたいのですが、まずは音をちゃんと取れるようにと日本語歌詞の楽譜を用意して、当時声楽を習っていた

カルチャースクールの先生に指導をお願いしたのですが…歌い出しからなかなかうまくできず進めません。先生に「この歌はあきらめなさい。山口淑子はあなたとは全然ちがう体格だから」と言われてしまいました。自分が山口氏と体格やルックスが似てないことぐらい私だってわかるのですが、世間ではもっと似てない人…ごついおじさんとかだって歌っているけどと思うのですが。たぶん歌謡曲をちゃんと楽譜通りに歌うのは難しく、すぐれたリズム感、音感が必要なのでしょう。

 

日本の敗戦後、中国政府に捕えられた李香蘭が日本人であることを証明できたが故に死刑を免れたことは有名な話。李香蘭こと山口淑子はこの記念館の元の主川喜多長政と共に帰国し、しばらくここで暮らしたそうです。命拾いした後、こんなすてきな家で過ごせたのは幸いなことですね。

 

美貌と才能を持った少女が何もわからないまま

歴史の渦に巻き込まれ、芸能界のアイドルから女囚へ、そんな壮絶な運命にも下を向かず、芸能人、政治家として活躍した尊敬すべき女性。

 

山口氏の出演映画は今まで観たことがありません。これから機会を作って観ます。特に『白夫人の妖恋』は蛇の化身の美女が恋ゆえに洪水を起こすお話で

円谷英二が特撮を担当しているそうです。また山口氏の自伝なども読んでみようと思います。

 

山口氏着用のチマチョゴリ、チャイナドレス、アラブ服が展示されたコーナーに、彼女が中国名は李香蘭、アメリカではシャーリー山口として活躍、アラブの

国ではジャミーラと呼ばれたとありました。

 

ジャミーラって何だか元宇宙飛行士の怪獣に

そんな名前があったような…不謹慎にも頭の中でチャイナドレスを着たジャミラ(注)が『夜来香』を歌い出してしまったので記念館を出て、そのすぐ近くの鏑木清方記念美術館へ。道の脇でツワブキが咲いていました。

 

『三遊亭圓朝没後120年 あやし、うるはし-清方と圓朝』を鑑賞。通信制大学で明治の歌舞伎について調べていた時、圓朝の講談も読んだので興味がありました。清方が滝沢馬琴が小説を口述筆記させている様子を描いた絵をじっくり見られてラッキー。ここもとても静かで落ち着ける雰囲気。受付で「本日は午後4時半までの開館ですのでご注意を」と言われました。もしかすると名画を見て、庭も眺められる心地よさに時を忘れてぼうっとここで過ごしてしまう人がいるのかもしれません。

 

夕方に友人と会う約束があったので、今回寺社めぐりの時間がなかったのですが、やはり鶴岡八幡宮には参拝しました。一応我が家は源氏の末裔らしいので。(根拠は家紋が丸に笹竜胆だからだというだけ)。

境内で菊の展示がありました。小輪の花をたくさんつける苗を樹のように仕立てた「小菊盆栽」は初めて見ました。

 

 

 

木々も色づき始めていました。1123日現在はもっときれいでしょう。

 

注)『ウルトラマン』第23話「故郷は地球」に登場する怪獣。苛酷な環境の星に流れ着いた宇宙飛行士が

変身した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂口安吾『二流の人』―『桜の森の満開の下』(講談社文芸文庫1989年)より

前回の本レビューに書いた『斎藤氏四代』で斎藤道三に「マムシ」というあだ名をつけたのは同時代の人ではなく、作家の坂口安吾(19061955)だと知り、何となく安吾を読もうかと思い、この本を選びました。

 

amazonサイト

 

 

 

表題作だけはどこかで読んだような記憶があるのですが、私にとってはあまりなじみのない作家です。個人的にはこの本に収録されているものについては、読みにくさを感じました。

 

『二流の人』はアマゾンの紹介文では「天下を取る夢を見ながら、ついに果たせなかった「二流の人」黒田如水の生涯を描いた歴史小説」となっています。でも黒田如水こと官兵衛の姿が生き生きと浮かんでくる小説だとは私には思えません。

 

確かに小田原攻めの際の官兵衛の話に始まり、回想的に小寺氏に仕えていた時代や中国大返しも語られるのですが、その後、話があちらこちらと飛ぶのです。黒田官兵衛を描く小説というよりは秀吉が天下人になった頃から豊臣秀次の悲劇、朝鮮出兵、秀吉の死、

関ヶ原の戦いに至るまでの武将たちの群像を描いています。それも彼らの言動を物語るというよりも武将たちについて作者の考えをどんどん言葉にしている感じです。坂口安吾の伝記や研究書を読んだことがないのですが、無頼派と呼ばれる作家のせいか、「こういう文献があるから彼はこうなのだ」というような姿勢ではなく、著者の直感(独断?)をぶつけている、実際に安吾がどの程度研究しているかとは別に、好き勝手に書いている感じの文章です。それが読み物としては爽快でもあります。

 

 

やはり無頼派のせいか、官兵衛も彼が仕えた秀吉や家康、同時代を生きた石田三成らの誰もについて作者はつき放して書いています。

 

たとえば直江兼続についてはこんな感じ。

 

彼は浮世の義理を愛し、浮世の戦争を愛している―中略―この男はただ、家康が嫌いなのだ。―中略―風流人で、通人で、その上戦争狂であったわけだ。―中略―この男を育て仕込んでくれた上杉謙信という半坊主の悟りすました戦争狂がそれに似た思想と

性癖を持っていた。

 

このくだりを読んだ時、脳内で謙信と兼続が卒倒してました(笑)。

 

「主に対しては忠、命を捨てて義を守る。そのくせどうも油断がならぬ」とされる一応主人公の黒田官兵衛の他、彼と同じ時代を生きた、今もところによっては神様扱いの戦国武将たちについて、史実なのかどうかはともかく、イメージを裏返してみようと

試みている作品です。

 

 

 

 

 

実は…その3 ヘアドネーションしました。

 

今年は近所の公園のヒイラギモクセイの花をわりと長く楽しめたように思います。上等な紅茶を思い出させる香りを放つ白い小花をいっぱいつけているこの樹は

春に咲く梅にも負けない美しさです。

さてロングヘアをチャームポイントにしようなどというのではなく、美容院にいく時間と費用を惜しんでいるうちに長くなってしまった髪を切りたいと春から思っていました。

 

どうせなら切った髪が誰かの役にたてばと思い、

ヘアドネーションに賛同していて切った髪の

NPO法人への送付も代行してくれる美容院を

探しました。

 

男性のマスター一人だけのサロンでちょっと入るのに勇気が要りましたが、あれこれ話しかけたりせず、

ばっさり切ってさっさとカットを仕上げてくれたのが私には快適でした。

 

実は数年前にもヘアドネーションカットをしたのですが、その時よりも明らかに白髪が増え、髪の量も少なくなっているのに気づきました。しかたないことです。

私は高校生ぐらいまで髪を二つに分けて三つ編みにしたおさげ…今でいうツインテールでした。現在の髪を全部まとめて三つ編みにするとちょうど十代のおさげ、ツインテール一本分の太さです。何だか笑っちゃいますね。

実は…その2? ショックな出来事?はじめての交通事故?!と消えた街路樹

ブログというものは短い文章でもいいので頻繁に更新すべきなのでしょうが、とにかく今は仕事がはちゃめちゃで。年内に定年退職する人の仕事を

見習いつつ、昼休みに自分の元々の仕事をする毎日ですから…早く新しい仕事で一人立ちしたいものです。

 

10月後半のある夜、駅前のとても繁華なところにある幅広の道路の横断歩道を渡っていたところ、右側から来たおそらくは60代~70くらいの男性の乗った自転車とぶつかってしまいました。自転車の前輪につまずくような形で左側に転倒してしまいました。

 

自転車の男性は「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのですが、私がすぐに立ち上がったためか、そのまま行ってしまいました。

 

とにかく人通りの多いところでしたから、私も体が痛いとか、自転車の人への怒りより恥ずかしさが先に立ってしまいました。

 

この横断歩道は交通量が多いせいか、青信号の時間も長いのです。だから信号が青になって待っていた人々の群れが渡った後、私が小走りで渡り始めた―でも青信号は点滅していませんでした。おそらく自転車の男性は人が切れたところで大丈夫だと思って突っ込んで

きたのでしょう。でもね、私、青信号を渡っていたのですよ。そう思うと何だかこのままにできない気がして翌日交番に相談に行きました。

 

相手が自転車でも違法行為で立派な?交通事故、でもその時にすぐその人と交番に行くか、

110番するべきだとだめだと言われました。

 

あれから2週間たち、特に体に異常はみられません。でも以前、ある有名人がインタビューで「青信号は渡らない」と言っていたのを思い出します。信号無視を

するということではなくて、信号だけを見て渡るようなことはせず、自分の頭と目で判断するということですね。

 

数年前、夜の十時頃、家の近くの横断歩道で青信号を渡っていた時、三人乗り!のバイクが眼の前を突っ切ったことがありました。乗っていたうちの一人は女性で水着のような露出の多い服装をしていました。まともな状態ではない人たちの運転…青信号だからといってぼうっと渡ってはいけないのですね。

 

 

こんなわけでしばらくは横断歩道も怖くて…ついでにもう一つのショックな出来事。

 

勤め先近くの道路沿いにあった数本のキンモクセイがなくなってしまいました。10月のブログにアップしたキンモクセイです。同じところにあったサザンカやアベリアも一緒に抜かれました。さらにその近くにあった桜も。おそらくは歩道を広くするためなのでしょうが、私にはつらいことです。

 

実は…軽井沢に行きました

時節柄、家族以外には話さないでいたのですが…七夕の願い通り、9月初めに軽井沢に旅しました。ロマンティックな理由ではないのですが、職場にも

秘密にしておくのは悪くないですね。お土産を買う必要がありませんから(笑)。

宿に荷物をあずけてすぐに向かったのは白糸の滝。もしかすると長野県民だった昔、行ったことがあるようなないような記憶があいまい。何はともあれ、

マイナスイオンをたっぷり浴びることができました。

元長野県民なのに名前すら知らなかった雲場池。家が貧しく、マイカーがなく、祖母が家族の外出を好まなかったせいで、子供時代、クラスメイトたちに比べると家族旅行が少なかったせいでしょうか。ただ知らないのは私だけではないようで白糸の滝に比べると人影が少なく、マスクをはずしてたっぷり深呼吸することができました。鏡のように澄んだ水面に山と木立が写っています。軽井沢駅から歩くのもそんなに遠すぎない感じです。

雲場池の後、旧中山道を中軽井沢方面へ歩いてたどりついたのが石の教会(内村鑑三記念堂)。日曜日午後で結婚式で使用中のため、中へは入れず

外観のみ見学。素晴らしい芸術的な建築ですが、個人的にはもっとありふれた?感じの教会で挙式したいかな(笑)。エントランスの石垣にミズヒキの花が映えていました。

中軽井沢駅からしなの鉄道で軽井沢駅に戻り、万平ホテルへ。90年代にここのカフェでブドウジュースを飲みましたが、今回は友人の勧めでジョン・レノン直伝のレシピによるロイヤルミルクティを賞味。レノンのように歌や詩作に才能を発揮できるといいのですが(笑)。

 

宿は著名な作家たちに愛されたつるやホテル。夕食には彩りのよい美味しい料理。

 

二日目はホテル近くの室生犀星記念館などを見学し、別荘地を散策して帰途につきました。自分が住むならどの家がいいか考えながら…。

 

今回は往復ともに新幹線を使いました。ちょっと贅沢だったかな。

 

 

 

木下聡『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』

2020年2月 ミネルヴァ書房

 

出版社サイト

https://www.minervashobo.co.jp/book/b496812.html

 

一介の商人から戦国大名になった…子供の頃、祖母が視ていた大河ドラマ

『国盗り物語』の斎藤道三の活躍は実は道三の父と二代で達成された。

 

道三の娘で信長の妻になった濃姫あるいは帰蝶という女性、ドラマの中ではいつも信長とおひな様のように一緒にいて、戦国のベストカップルみたいに描かれるけど、実は結婚後の消息ははっきりしていない―。

 

このような歴史番組や観光パンフレットで聞きかじったことを、もう少しちゃんと知りたくて読んでみました。ハードカバーの本を読むのは久しぶり。重くて通勤電車で立ったまま読むのが少々疲れました。

 

ドラマなどに登場する濃姫は、では本能寺の変の時も逃げずに勇敢に戦い、夫に「世界が見とうございました。殿の手でとどめを…」てな台詞を言って亡くなったりしてます。でも史料などから亡くなった年と推定されているのは慶長17年と天正元年のいずれか。この本の著者はどちらかというと天正元年の方を有力視しています。つまり本能寺の頃には既にこの世の人ではないことになります。

 

ただフィクションの中で濃姫が信長と共に美しく散っていく姿を描けるのも消息が不明だからで、没年がはっきりしていたらそうも行きませんね。子供がないとか、実家の斎藤家の没落を気に病んで信長の元から身を退いてしまったり、明智が攻めてきたらさっさと避難してしまうようではマムシに例えられる梟雄の娘らしくない、やはり行動的で毅然とした、肝が据わっていて、信長を最期まで愛し抜く女性像というのが創作の世界では濃姫に与えられた役?

 

ところが第8章の『語られる道三・義龍・龍興』によれば、戦国時代には「マムシの道三」などと言われてはいなかったようです。江戸時代以降に作られた

芝居などにもなく、坂口安吾の『信長』という小説でそう書かれたのが最初で、司馬遼太郎の『国盗り物語』とそのドラマ化で道三=マムシのイメージが

定着したと考えられるとのこと。

 

道三の長男、義龍が実は主君土岐頼芸の落胤というのも彼らが生きていた時代の記録にはなく、江戸時代以降のものにしか書かれていないそうです。父を殺した義龍の悪評を緩和するために後世の人が創作したのかもと著者は述べています。義龍の子、龍興については配下だった竹中半兵衛を中国古代の張良、諸葛亮など江戸期の人々が考える理想の軍師像に近い人物と拡大解釈されていく中で、実際以上に酒色にふける暗愚な君主とされてしまっているとのこと。著者のあとがきには「後世の人間は敗れ、滅び去った人間には手厳しい。そこに何らかの美学や感じ入るべきものが

あれば別だが、そうでないと滅亡の当事者には愚か者の烙印が押される」とあります。

 

10年ほど前に卒業した通信制大学で歌舞伎の卒論を書きました。史実では殺人犯だった人が歌舞伎の世界ではラブロマンスの主人公になったりするのが

不思議で、そのうちに事実と創作の関係を研究しようかな?とちょっとだけと思っている私。今、歴史番組がとても多いのですが、テレビで放送されたことを

無邪気に信じてしまうのがこわくて、やはり時々は綿密に書かれた著作を読む必要を感じています。

 

眼を閉じて天正10年6月2日の燃える本能寺を想像すると―「私の父はマムシじゃない!」と叫んで信長を蹴っ飛ばす濃姫と追いすがる信長が…

 

信長:頼む、濃、戻ってくれ、こういう場面で私と運命を共にするのはどうしても道三の娘でないと、他の女ではかっこうがつかん。

 

濃姫:うるさいわね、私元々、明智光秀が好きだったのよ。

 

信長: それは今年やっている大河ドラマの主役が光秀だからじゃ…

 

作家の皆様、そろそろ濃姫以外の信長の恋人、戦国のヒロインを創作してみては

いかがでしょう。

 

以上、マムシの出る山の麓で育った女の感想です。

 

 

 

キンモクセイ…あきらめていたのに




職場近くの通り沿いのキンモクセイが咲いたので亡くなった母とよく散歩した公園のも咲いたにちがいない、見に行かなければと思っているうちに雨が降ってしまいました。先週末に
気がついた時には散ってしまっていました。

ヒイラギモクセイの白い花と上品な香りは
楽しむことができましたが。

キンモクセイはもうあきらめていたのですが
この日曜日の午前、父をこの公園に連れていきますとー



二度咲きというのでしょうか? 咲いていたのです!

母からの贈り物なのでしょうか。
20年ほども同じところに住んでいるのに
近所に十数本もキンモクセイがあることは
母を車椅子で散歩させるまで気がつきませんでした。

金目のものは遺してくれませんでしたが(笑)。身近にある花を見つけて楽しむ趣味は
目減りのしない母の遺産です。

ヒイラギモクセイにもまだつぼみが
ついているようです。まだ楽しめますね。

最近ブログが書けません―体調が今ひとつ

二ヶ月もブログに御無沙汰してしまいました。

書きたいことはたくさんあるのです。本も読んでますし、

入館予約して美術館にもいきましたし…ですがどうも

なかなか落ち着いた時間が取れず…。

 

実は6月に通勤途中で転んで傷めた左手の腫れと痛みがなかなか

ひかず、土曜日ごとに整形外科にリハビリに行っていました。

土曜日のリハビリルームは混んでいて待ち時間は長いし、コロナは

心配だし…9月末でようやく痛みが遠のきました。

 

9月初旬に人間ドックを受けました。終わった後の食事コーナーに

生の葉を入れたハーブティが用意されていたのがすてきでした。

ハーブティはいいのですが…肺に影があって、肺活量も今ひとつ。

この春から夏にかけて時々咳と喉のいがらっぽさがありました。

持病のアレルギー性鼻炎の悪化かと思い、かかりつけの耳鼻科で

咳止めなど処方してもらっていましたが…。肺に原因があったとは…

来週、呼吸器内科へ行きます。

 

人間ドックの結果には「COPDの疑い」と出ています。COPDは喫煙者に多いと言われます。私は自分自身は喫煙したことはありませんが、子供の頃、父と祖母が吸っていました。社会人になりたての頃の職場も喫煙者が多かったので、今頃になって受動喫煙の影響が出たのでしょうか。

 

このところ仕事の負担も増えておりまして、もうすぐ定年で辞める人の仕事を

今までの仕事に加えてすることになり、てんやわんや。

 

それでも何とか癒やしと楽しみをも見つけて、ブログも書いていきたい

と思っております。

 

 

ドストエフスキー『賭博者』(亀山郁夫訳)

光文社古典新訳文庫2009

https://www.kotensinyaku.jp/books/book314/

日本の大都市へのカジノ誘致問題で新聞に紹介されていたので、いつか読んでみたいと思っていました。コロナで利用停止になっていた図書館が再開して、最初に借りた本です。

舞台はカジノと温泉のあるドイツの保養地ルーレッテンブルグ(すごいネーミング!)。物語の語り手の青年アレクセイは将軍と呼ばれる人物の家庭教師を勤めています。将軍は表向きは「大変なお金持ちのロシア高官」ですが、実は借金だらけ。モスクワにいる

「おばあさん」が危篤とのことでその遺産をあてにしています。相続すればマドモアゼル・ブランシュなる美女と結婚できるので。この美女、フランスの名門出ということになっていますがそれも怪しいもの。そしてフランスの侯爵を名乗るデ・グリュー、旅の途中で出会ったはにかみ屋、でも金持ちらしいイギリス人

ミスター・アストリー。この優雅な上流階級風の人々の食事会に席を与えられながらアレクセイは妙な気分におちいっていました。

 

なんだってこんな将軍相手に暇つぶしをしているのか、どうしてこんな連中と、とっくの昔に縁を切っていないのか?(13頁より引用)

 

雇い主の将軍も含めてアレクセイは誰も尊敬していないのです。若い社員が勤め先に対してよくこんな気分になりませんか? アレクセイは25歳、学士号を持ち、三か国語があやつれる、つまりプライドが高いのです。将軍の義理の娘ポリーナと恋仲ですがそれも若者らしいさわやかな感じはしなくて意地のはりあいみたいな雰囲気。ポリーナの身分も不安定らしく、アレクセイに金を渡してカジノで稼いでくるよう頼みます。

アレクセイがドイツの男爵夫妻をからかったりしている前半までは登場人物の名前と関係が頭に入らず、退屈でしたが第9章で危篤だったはずの「おばあさん」こと将軍の伯母アントニーダが車椅子でやってきて俄然面白くなりました。高圧的で無遠慮な態度の故にセレブと思い込んだホテル側はおばあさんを大公妃が使った部屋に案内します。給仕長に壁の絵がだれの肖像画かと聞き、「どこかの伯爵夫人かと」と

答えると「ここに住んでるくせして知らないなんて」と暴言をあびせる―接客の仕事をしていると時々います。こういう奇妙奇天烈な質問をしてからむ客。 

 

到着した当日、初めてカジノへ行ったおばあさん、ルーレットに取りつかれてしまうのです。病後の養生に来たはずが温泉にも牧場にも興味を示さず、カジノに夢中。1万5千ルーブリすったところでモスクワへ帰ろうとしながらいきなり気が変わったりして

幼児化した伯爵夫人と噂され、身辺に怪しげな人々がうろつくようになります。それまでの75年間、女地主としておそらくは堅実に生きてきたであろう老婦人がなぜ?

 

おばあさんは甥の将軍の放蕩を見抜いていて「お前には金をやらない」と宣言しています。つまり気前がいい方ではなく、どちらかというとケチというか、金への執着心が強い人。だからルーレットで勝っている時は「ここでやめるなんてもったいないことはできない」と思い、負けて損失が出れば取り返そうとまた賭け続けるのですね。まじめに質素に暮らしていたかに見える人がひょんなことからギャンブルにはまるの

は不自然なことではないのかもしれません。金への執着が強い故に金を失う、失ったことがまた金への欲望をかきたてるのです。

 

私はいわゆるギャンブルをしたことはありません。でもこの小説を読み、生きることはどこか賭博に似ているように思います。仕事でも恋愛でも、ちょっとした買い物でさえ、やってみないとわからない面があり、どの選択も「大当たり」になる保証はないのです。前半、ポリーナに頼まれてカジノへ行くアレクセイが「ギャンブルに何かを期待するのは愚かだという旧来の考え方こそ滑稽に思える、ギャンブルで勝つのは百人に一人だというのは、事実である。しかし

だからといって、それがぼくの知ったことだろうか?」と考えるくだりで、不意に十代で声優になりたいと思った時の気分を思い出しました。「演技のプロになれる確率が低いのはわかるけど、それは私の知ったことか?」―どうしてもやらずにはいられなかったのです。もちろん大はずれ、っていうかカジノに入れてもらえませんでしたが(笑)。

 

もしもギャンブルを一切しなくなるワクチンが開発されたとしたら―知事や市長が自分が治める土地に観光客向けのカジノを作り、依存症防止のため住民全員にそのワクチンを接種したら、住民たちは不活発で何もしたくなくなるかも。