木下聡『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』
2020年2月 ミネルヴァ書房
出版社サイト
https://www.minervashobo.co.jp/book/b496812.html
一介の商人から戦国大名になった…子供の頃、祖母が視ていた大河ドラマ
『国盗り物語』の斎藤道三の活躍は実は道三の父と二代で達成された。
道三の娘で信長の妻になった濃姫あるいは帰蝶という女性、ドラマの中ではいつも信長とおひな様のように一緒にいて、戦国のベストカップルみたいに描かれるけど、実は結婚後の消息ははっきりしていない―。
このような歴史番組や観光パンフレットで聞きかじったことを、もう少しちゃんと知りたくて読んでみました。ハードカバーの本を読むのは久しぶり。重くて通勤電車で立ったまま読むのが少々疲れました。
ドラマなどに登場する濃姫は、では本能寺の変の時も逃げずに勇敢に戦い、夫に「世界が見とうございました。殿の手でとどめを…」てな台詞を言って亡くなったりしてます。でも史料などから亡くなった年と推定されているのは慶長17年と天正元年のいずれか。この本の著者はどちらかというと天正元年の方を有力視しています。つまり本能寺の頃には既にこの世の人ではないことになります。
ただフィクションの中で濃姫が信長と共に美しく散っていく姿を描けるのも消息が不明だからで、没年がはっきりしていたらそうも行きませんね。子供がないとか、実家の斎藤家の没落を気に病んで信長の元から身を退いてしまったり、明智が攻めてきたらさっさと避難してしまうようではマムシに例えられる梟雄の娘らしくない、やはり行動的で毅然とした、肝が据わっていて、信長を最期まで愛し抜く女性像というのが創作の世界では濃姫に与えられた役?
ところが第8章の『語られる道三・義龍・龍興』によれば、戦国時代には「マムシの道三」などと言われてはいなかったようです。江戸時代以降に作られた
芝居などにもなく、坂口安吾の『信長』という小説でそう書かれたのが最初で、司馬遼太郎の『国盗り物語』とそのドラマ化で道三=マムシのイメージが
定着したと考えられるとのこと。
道三の長男、義龍が実は主君土岐頼芸の落胤というのも彼らが生きていた時代の記録にはなく、江戸時代以降のものにしか書かれていないそうです。父を殺した義龍の悪評を緩和するために後世の人が創作したのかもと著者は述べています。義龍の子、龍興については配下だった竹中半兵衛を中国古代の張良、諸葛亮など江戸期の人々が考える理想の軍師像に近い人物と拡大解釈されていく中で、実際以上に酒色にふける暗愚な君主とされてしまっているとのこと。著者のあとがきには「後世の人間は敗れ、滅び去った人間には手厳しい。そこに何らかの美学や感じ入るべきものが
あれば別だが、そうでないと滅亡の当事者には愚か者の烙印が押される」とあります。
10年ほど前に卒業した通信制大学で歌舞伎の卒論を書きました。史実では殺人犯だった人が歌舞伎の世界ではラブロマンスの主人公になったりするのが
不思議で、そのうちに事実と創作の関係を研究しようかな?とちょっとだけと思っている私。今、歴史番組がとても多いのですが、テレビで放送されたことを
無邪気に信じてしまうのがこわくて、やはり時々は綿密に書かれた著作を読む必要を感じています。
眼を閉じて天正10年6月2日の燃える本能寺を想像すると―「私の父はマムシじゃない!」と叫んで信長を蹴っ飛ばす濃姫と追いすがる信長が…
信長:頼む、濃、戻ってくれ、こういう場面で私と運命を共にするのはどうしても道三の娘でないと、他の女ではかっこうがつかん。
濃姫:うるさいわね、私元々、明智光秀が好きだったのよ。
信長: それは今年やっている大河ドラマの主役が光秀だからじゃ…
作家の皆様、そろそろ濃姫以外の信長の恋人、戦国のヒロインを創作してみては
いかがでしょう。
以上、マムシの出る山の麓で育った女の感想です。
