心の扉(2)
ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。皆様に少しでもお役に立てればとの思いより考え方に関する記事をUPしております。 前回の記事で“何が人の中に入ることが出来る”について考えて頂きたいとお願い致しました。 私は以下の様に考えています。 現在の女子高生は言葉を短くした造語をつくることに長けています。今でこそ知れわたった造語の『JK』も、誕生した頃には知らない人が殆どだと思います。そんな知らない状況の中、初めて知らされた時にも“心の扉”はあるのかと疑問に思うこともあると思います。 『情報として知らなかった』と素直に言える人は心の扉は開いている状態にあると思います。反面 素直に言えない人には、心の扉は閉まっている状態にあると思います。 何故なら『知らないことがあるのは当たり前』と考えれば相手の情報提供を素直に受け入れることが出来ます。『しかし 私に知らないことは無い』と考えれば、相手の情報提供に対して、どこかの宣伝文句ではないのですが『知っていたわよ』と言い返すのではないでしょうか。 要は、情報一つとっても“心の扉”はあると思った方が良いと考えます。 以上の様に、受け入れることが出来る状態を“心の扉が開いている状態”であり、受け入れることが出来ない状態を“心の扉が閉じている状態”を示しておりそのことを“心の扉の開・閉”としての表現で示すことが出来るのではないでしょうか。 では、人の中に入ることが出来るのは“情報”だけでしょうか? 他に無いのでしょうか?少し考えて頂けないでしょうか? ブログに対する思いシンジアイアイへと