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前回の記事で『劣等感』には『劣等』に対して

『感』の字が付くとの内容を紹介させて

頂きました。

ワンパターン化していますが、『感』について

調べてみました。

『感』とは

“心を動かす。心が動く”と辞書に紹介されて

います。

劣等感とは“劣等に心を動かされている”と

言い換えることが出来ると言えます。

それは“自分が劣っている事柄にたいして

心が捉われている”も言っても過言では

ない様に思います。

例えば

数学の勉強で、対数や微分の考えが理解出来ず

数学が嫌いになった場合などです。

対数や微分をそんな計算式があるのだと鵜呑みし

理解すれば数学が嫌いにならなかったのでは。

でも、その計算式を何に必要で、どの様にして

式を用いるのかを考えたから理解出来なく

なった。

上記は一例にすぎませんが、その様な経験は

ありませんか?

何かをきっかけにして、理解が出来なくなり

それが劣等感となり、自信喪失につながる

ことはあると考えます。

そこで、違った捉え方をしてみますと

劣等感は“本当は劣等していないのに

劣等していると勝手に思い込んでいる”とも

言える場合もあるのではないでしょうか。

“対数、微分の計算式が何故必要かは理解

出来なくても計算式を鵜呑みにしていたら”

と考えた時、その後の数学に対する思いも

変わっていたのではないでしょうか。

別の表現を行うなら

“出来ないと思っていたことが、実は遣り方を

変えただけで出来ていた”と言うことには

なりませんか。

言い換えれば“自分が劣っていると思う

事柄に対して対処の仕方には色々な遣り方が

あり、その遣り方や捉え方を変えることで

出来る様になった”と言える場合もあるのでは

ないでしょうか。

要は貴方が“劣等感を抱いている事柄”に対して

貴方がどの様に判断したかが問題点になるのでは

ないでしょうか?

貴方はどの様に思いますか?

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