浜離宮前踏切
ブックマーク★レトロ系建物
今の様な大型トラックが無い昔は国鉄の車両が築地市場のホームで荷卸しをしていました。
扇形の建物が並んでいますが、これらはその名残です。
汐留と築地の間、銀座8丁目にある「浜離宮前踏切」は、
銀座に残された唯一の鉄道踏切の信号機です。
この信号機は、昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、
国鉄汐留駅と築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日に150輌に達する貨物車が通過しましたが、
貨物輸送の主力が大型トラックに移行するに従い
汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。
しかしこの信号機が撤去されるにあたり地元民の強い要望により、
銀座唯一の鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
⇒
今の様な大型トラックが無い昔は国鉄の車両が築地市場のホームで荷卸しをしていました。
扇形の建物が並んでいますが、これらはその名残です。
汐留と築地の間、銀座8丁目にある「浜離宮前踏切」は、
銀座に残された唯一の鉄道踏切の信号機です。
この信号機は、昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、
国鉄汐留駅と築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日に150輌に達する貨物車が通過しましたが、
貨物輸送の主力が大型トラックに移行するに従い
汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。
しかしこの信号機が撤去されるにあたり地元民の強い要望により、
銀座唯一の鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
⇒

波除神社
ブックマーク★レトロ系建物
せっかく築地に来たので波除神社にも寄ってみました。
築地一帯の埋め立てはお堀の揚げ土を使い、日比谷入江から始められました。
築地海面の埋め立て工事は堤防を何度築いても激波にさらわれ困難を極めました。
ある晩、海面を光りを放ち漂う御神体が見つかり、
1659年 (万治2年)、社殿を建て祀つりました。
その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、
以降厄除けの神様として信仰を集めることとなりました。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、
災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いです。
雲を従える<龍>、風を従える<虎>、
万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が奉納されています。
獅子殿には厄除けの黒獅子、弁財天社には赤獅子が祀られています。
「海老塚」「すし塚」「玉子塚」などの水産物や食品に関わる霊を祀る塚があります。
⇒
せっかく築地に来たので波除神社にも寄ってみました。
築地一帯の埋め立てはお堀の揚げ土を使い、日比谷入江から始められました。
築地海面の埋め立て工事は堤防を何度築いても激波にさらわれ困難を極めました。
ある晩、海面を光りを放ち漂う御神体が見つかり、
1659年 (万治2年)、社殿を建て祀つりました。
その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、
以降厄除けの神様として信仰を集めることとなりました。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、
災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いです。
雲を従える<龍>、風を従える<虎>、
万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が奉納されています。
獅子殿には厄除けの黒獅子、弁財天社には赤獅子が祀られています。
「海老塚」「すし塚」「玉子塚」などの水産物や食品に関わる霊を祀る塚があります。
⇒

かちどき 橋の資料館
ブックマーク★レトロ系建物
以前、築地周辺を撮影に来た時に一緒に撮ろうと思ったのですが
なんとここは日曜日はお休みで閉まっていました。
仕事が休める土曜日に再度来てみました。
かちどき 橋の資料館は勝鬨橋のたもとにあります。
館内には勝鬨橋の資料や写真、模型が並びます。
勝鬨橋は、万国博覧会へのメインゲートとして利用するために、
当時の最先端技術の粋を集めて建造されました。
万博は戦争で中止になりましたが勝鬨橋は昭和15年6月14日に完成しました。
完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、
昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では固定されています。
資料館の広間には出力が125馬力のモーターが2台あります。
大きくて迫力ありますね。
2階には配電盤、電圧計などの計器類が並びます。
レトロなアナログの計器類はかっこいいです。
開館日時 毎週火曜日・木曜日・金曜日・土曜日
9時30分~16時30分 (12月29日~1月3日を除く)
(12月1日~2月28日までは、9時~16時)
入場料無料
⇒
以前、築地周辺を撮影に来た時に一緒に撮ろうと思ったのですが
なんとここは日曜日はお休みで閉まっていました。
仕事が休める土曜日に再度来てみました。
かちどき 橋の資料館は勝鬨橋のたもとにあります。
館内には勝鬨橋の資料や写真、模型が並びます。
勝鬨橋は、万国博覧会へのメインゲートとして利用するために、
当時の最先端技術の粋を集めて建造されました。
万博は戦争で中止になりましたが勝鬨橋は昭和15年6月14日に完成しました。
完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、
昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では固定されています。
資料館の広間には出力が125馬力のモーターが2台あります。
大きくて迫力ありますね。
2階には配電盤、電圧計などの計器類が並びます。
レトロなアナログの計器類はかっこいいです。
開館日時 毎週火曜日・木曜日・金曜日・土曜日
9時30分~16時30分 (12月29日~1月3日を除く)
(12月1日~2月28日までは、9時~16時)
入場料無料
⇒

かちどきのわたし
ブックマーク★レトロ系建物
以前、築地の勝鬨橋の夜景を撮りに来た時は既に暗くなっていたので
この辺は撮影してませんでした。
勝鬨橋の袂、ニチレイ本社の反対側にいくつかの記念碑があります。
「かちどきのわたし」もその1つ。
ここには勝鬨橋が建設される以前、築地と月島の間を結ぶ無料の渡し舟、
「勝鬨の渡し」がありました。(明治38年【1905】~昭和15年【1940】)
当時は日露戦争の勝利に沸く時代。
この勝利を記念して海軍の発祥地でもある築地に「勝鬨の碑」を建設。
さらに渡船も「勝鬨の渡し」と命名されました。
月島の石川島造船所等、工場群に通勤する労働者に多く利用され、
乗船客の増加に船も蒸気船に格上げされました。
後に「東京港修築計画」「日本万国博覧会」の目的で勝鬨橋が建設され、
「勝鬨の渡し」は昭和15年【1940】に廃止になりました。
月島では多くの軍艦も生産され、付近には海軍関連の施設も多かった様です。
「海軍経理学校の碑」もありました。
記念碑の周りは公園の様にきれいに整備されています。
他にもいろいろな記念碑もありますがレトロな街灯がオシャレですね。
早く到着してしまったので時間つぶしも兼ねて撮影しました。
築地シリーズの始まりです。
※関連記事
緑の勝鬨橋
⇒
以前、築地の勝鬨橋の夜景を撮りに来た時は既に暗くなっていたので
この辺は撮影してませんでした。
勝鬨橋の袂、ニチレイ本社の反対側にいくつかの記念碑があります。
「かちどきのわたし」もその1つ。
ここには勝鬨橋が建設される以前、築地と月島の間を結ぶ無料の渡し舟、
「勝鬨の渡し」がありました。(明治38年【1905】~昭和15年【1940】)
当時は日露戦争の勝利に沸く時代。
この勝利を記念して海軍の発祥地でもある築地に「勝鬨の碑」を建設。
さらに渡船も「勝鬨の渡し」と命名されました。
月島の石川島造船所等、工場群に通勤する労働者に多く利用され、
乗船客の増加に船も蒸気船に格上げされました。
後に「東京港修築計画」「日本万国博覧会」の目的で勝鬨橋が建設され、
「勝鬨の渡し」は昭和15年【1940】に廃止になりました。
月島では多くの軍艦も生産され、付近には海軍関連の施設も多かった様です。
「海軍経理学校の碑」もありました。
記念碑の周りは公園の様にきれいに整備されています。
他にもいろいろな記念碑もありますがレトロな街灯がオシャレですね。
早く到着してしまったので時間つぶしも兼ねて撮影しました。
築地シリーズの始まりです。
※関連記事
緑の勝鬨橋
⇒

ピラミッド建設の謎
▲碑文「イムホテプの啓示」より「人の手で作った石」の象形文字

エジプトのピラミッドを造る過程で最も重要な石材の移動手段。
(2万人の労働者が20年で完成させたと言われてます。)
世界中の学校の子供たちに教えられている教科書に
大きな石材をロープで引っ張る絵が載っています。
石材の下に丸太を入れて砂の上を引っ張れるでしょうか?
2トン位の大きさの物なら板を敷いて移動はできるでしょうが、
採掘現場からピラミッドまで登り坂です。
高さ40メートルのところに70トンの石材があります。
石板で建設用道路を造る必要がありますが、
その様な物が造られた形跡を示す遺跡はありません。
それに70トンの石を何十メートルもの高さまで上げられるでしょうか?
多くの学者が20年では建設は不可能だと断言しています。

5000年前にエジプト人が製作した石の花瓶(カイロ博物館)が発掘され、
当時の金属より硬く工具による加工の跡が無い事が分かりました。
またフランスの冶金学者、アンリ・ル・シャトリアは
有名な「ファラオ・カフラ」の石像も硬く加工した跡が無いので
道具を使ってこのような傑作を作ることは不可能であると結論づけました。
一見、ピラミッド建設と同様、「謎」ですね。
しかしこれらがピラミッド建設の鍵となります。
パリのルーヴル美術館には4000年前の聖職者カーストの職人の一人、
イルティセン・ステルの自伝的葬儀の碑文が保存されています。
この象形文字のテキストにはイルティセン・ステルは、石像を彫刻するのではなく、
型に鋳込んで石像を製作するという「秘儀」を持っていると記されてます。
鋳造した金属の型枠に特定のミネラルや材料混合物を注ぎ
化学的に生成された結合物質で硬化させたと言うのです。

地質学者ジョセフ・ダビドヴィッツ教授は
グレートピラミッドの石材ブロックを解析しました。
通常、顕微鏡で拡大した石灰岩に混ざった化石の殻は水平に沈殿しています。
石灰岩は海底に溜まった海洋生物、貝殻や骨格が堆積した物だからです。
しかしピラミッドの石には、気泡、有機繊維、骨や動物の歯がごちゃ混ぜになり
自然の石灰岩には見られない異物が混入しています。
これは天然の石灰岩ではなく人工石であることを証明しています。
ジョセフ・ダビドヴィッツ教授は、成分を再現し実際に検証してみました。
石灰岩、カオリン粘土、シルトなどの石灰、珪質アルミノケイ酸塩形成物質、
塩ナトロン(炭酸ナトリウム)を混ぜ、型枠に流し込みました。
そしてそれらはジオポリマーセメントの生成により結合され硬化します。
ジョセフ・ダビドヴィッツ教授は1979年国際エジプト学者会議で
ピラミッドブロックがコンクリートとして鋳造されたと発表しました。
この方法なら材料をバケツや袋に入れて建設現場の屋上の型枠に流し込むだけ。
重い石を引っ張る必要も無いし、高い場所にも巨大な石材が作れますね。
ピラミッド建設の謎は解明されました。


※関連記事
トランスフォームストーン
※参考資料
ジオポリマー研究所 - ピラミッドの石は、人造(合成、人工)、鋳型で鋳造







































