■これなら自分もなれそうか?


なりたいとも思わないが、少し気になる教育委員の資格要件。どういう人がなれるのか。まず、資格要件を欠く人、つまり、なれない人である。
 
「破産者で復権を得ない者」「禁錮以上の刑に処せられた者」、こういう人は委員になれない。

その他、資格要件としては、「当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者」というのがある。要するに、東京都の教育委員になるには東京都知事の被選挙権がある人(都知事選に出ようと思えば出られる人)、千葉県柏市の教育委員になるには柏市長の被選挙権がある人(柏市長選挙に出ようと思えば出られる人)でなければだめだということだ。


だが、この資格要件は、落ち着いて考えてみれば、決して高いハードルではない。何もその選挙に出て「勝てる人」と言っているわけではないのだから、その自治体の住民で一定年齢に達している人ほとんどが対象になるわけだ。これだけなら、不肖・この私も…などとなりそうだ。


しかし、後が困る。「人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから」とくる。たちまち、人を尻込みさせる言葉が飛び出すのだ。

そういう人格者が、知事、あるいは市町村長(特別区長)に選ばれ、議会の同意を得ることができて、晴れて教育委員となるわけだ。(地教行法第4条)


その他、「 委員の任命については、そのうち三人以上(前条ただし書の規定により委員の数を三人とする町村にあつては、二人以上)が同一の政党に所属することとなつてはならない」などの条件が若干つくのだが、それについての詳細は割愛。



■任期は4年。委員の中から委員長


そうして選ばれた委員の任期は4年である。そして、その中から、互選で「教育委員長」が選ばれる(前出の「教育長」とは異なるので注意)。この任期は1年となっているが、再任もまた認められる。

教育委員長は、会議を招集して主催し、対外的に委員会を代表する。委員長に事故があるとき、欠けたときは、あらかじめ指定した委員がその職務を行なうことになっている。



■教育委員も首になるのか?


そうしたすごい人たちであれば、めったに首になどなることもない。この人たちが罷免されるのは、心身の故障のため職務に堪えない場合、職務上・業務上の義務違反その他委員たるに適しない非行のある場合、同一政党に過半数の委員が所属するようになった場合である。


それ以外では、委員の欠格事由に該当したとか、資格要件であるその地方自治体の長の被選挙権を失った場合とか、地方公共団体の長と教育委員会の同意を得て自ら辞職する場合などに、その身分を失うことになる。


あと、もう一つ。解職請求(リコール)が成立した場合も身分を失うことになる。要するに、一定の法律的な手続きを踏めば、住民の意思で教育委員を首にする途はあるのだ。


だが、実際問題として、リコールも何も、住民にすれば、自分たちが選んだ委員でもあるまいに、そしてまた、それら「高潔」にして「識見」ある人たちに日ごろ見参する機会もなく、その仕事ぶりはおろか、名前も顔も知らないというのがおおかたの実情だ。それを手間隙かけて、リコールなどする理由も見つからないというのが普通だろう。


 《今回は、ここまで》

■仕事もいろいろあるけれど


「教育委員会」というからには、教育のこと、学校のことを扱っている役所であるくらいのことは、少し想像力を働かせればわかることだ。そして、根拠法規の地教行法(第23条)でもやはり、学校の設置や管理・廃止に関することがその職務権限の筆頭に上げられている。


(教育委員会の職務権限)
第23条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
1.教育委員会の所管に属する第30条に規定する学校その他の教育機関(以下「学校その他の教育機関」という。)の設置、管理及び廃止に関すること。
2.学校その他の教育機関の用に供する財産(以下「教育財産」という。)の管理に関すること。
3.教育委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関すること。
4.学齢生徒及び学齢児童の就学並びに生徒、児童及び幼児の入学、転学及び退学に関すること。
5.学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。
6.教科書その他の教材の取扱いに関すること。
7.校舎その他の施設及び教具その他の設備の整備に関すること。
8.校長、教員その他の教育関係職員の研修に関すること。
9.校長、教員その他の教育関係職員並びに生徒、児童及び幼児の保健、安全、厚生及び福利に関すること。
10.学校その他の教育機関の環境衛生に関すること。
11.学校給食に関すること。
12.青少年教育、女性教育及び公民館の事業その他社会教育に関すること。
13.スポーツに関すること。
14.文化財の保護に関すること。
15.ユネスコ活動に関すること。
16.教育に関する法人に関すること。
17.教育に係る調査及び指定統計その他の統計に関すること。
18.所掌事務に係る広報及び所掌事務に係る教育行政に関する相談に関すること。
19.前各号に掲げるもののほか、当該地方公共団体の区域内における教育に関する事務に関すること。



■給食・スポーツから文化財の保護にまで


現行の地教行法では、学校は設置者管理主義をとるから、例えば、県立高校であれば県教育委員会が、市立中学校や私立小学校では市教育委員会が管理責任者となる。そして、それがまさに教育委員会の主だった職務の一つである。ただ、学校教育だけではなく「社会教育」として、社会人の生涯学習に関わることがらも職務の範囲としている。


少し変わったところでは、こういうのもある。試みに、郷土をそぞろ歩けば、何かの旧跡とか、史跡、名勝、その他歴史的建造物などに出くわすことだろう。昔の高僧の墓とか、著名な文学者や芸術家の住居跡などもそうだ。そうすると、それらは都道府県や市町村の文化財に指定されていたりする。それをよく見ると、立て札が立てられ、その文化財の由来や来歴が説明されたりしている。そして、最後まで読むと「○○県教育委員会」とか「○○市教育委員会」と記されている。これが「文化財の保護に関する」教育委員会の仕事である。


《今回は、ここまで》


■お住まいの土地にある教育委員会


教育委員会には、都道府県に設置される都道府県教育委員会と、市町村・特別区に設置される市町村(特別区)教育委員会がある(他に、市町村の組合に設置されるものもあるが、数は少ない)。


したがって、仮に千葉県柏市にお住まいの方は、「千葉県教育委員会」と「柏市教育委員会」の二つの教育委員会の存在を知るであろう。また、東京区杉並区にお住まいであれば、「東京都教育委員会」と「杉並区教育委員会」の二つということになる。



■教育委員会も「狭義」と「広義」でややこしい


前述のように、教育委員会は合議制の機関であるから、数人のメンバーで構成されることになる。普通5名の委員からなる(東京都の特別区=23区や、町村の場合など3名ということもありうるが、ややこしいので普通5名と憶えておく)。この普通5名で成り立つ教育委員会が、「狭義」の教育委員会である。


ところが、教育委員会が受け持つ仕事の幅は広く、量もはなはだ多い。そこで、この普通5名からなる委員会でこなすことはとてもできない。しかも、教育委員というのは原則的に非常勤であり、教育関係の仕事とはもともと違う職種についている人の中から選ばれる。いわば、教育、教育行政の「素人」である。


そこで、プロの立場からこれにアドバイスし、仕事を助ける「教育長」という職の人が置かれる。(小ブログで23日に紹介した神奈川県教育委員会のアピールを想起されたい。教育公務員(教員)タチの相次ぐ不祥事と懲戒を憂慮したアピールだが、これを発した人が教育長である(教育長 引地孝一との署名が文末にあることにご注目)。


ところで、最近「教育委員会」に今さらながらマスコミの眼が向き始めたのと同時に、この「教育長」も次第に紙面やテレビに登場するようになった。先日、山形で女子高生の飛び降り自殺があった際、事態を知りながらこの「教育長」さまが酒宴を開いていたなどといって非難したり、また別の自治体では、教育長が覚えのないセクハラでゆすられたなどという記事もある。教育長も、いよいよメジャーとなりつつあるか。(参考までに、教育長関連の記事のURLを下に掲げておく)


 ●山形高2自殺:その夜教育長ら歓送迎会 「連絡受けたが」

 ●町教育長に過去にセクハラと“言い掛かり”6千万円要求


さらに、膨大な事務を処理するために、多くの事務職員も置かれて事務局ができる。そして、先の普通5名からなる教育委員会(狭義)に、教育長とこの事務局を加えた全体のものが「広義」の教育委員会である。なお、この広義の教育委員会を、東京都などのように「教育庁」などと呼んでいる自治体もある。


もし、家庭で「お隣のお兄さんは、去年大学を卒業して、市の教育委員会に勤めているそうよ」なんて会話が出たら、そこで言われる「教育委員会」とはおそらくこの事務局のこと、つまり、お隣のお兄さんは広義の教育委員会に勤務していると考えてほぼ間違いない。


また、「地元の有力デパート○○の社長さんは、市の教育委員会の人だって」という話なら、それは狭義の教育委員会のこと。その社長が、市の教育委員を務めているということだろう。



 《今回は、ここまで》

■「教育委員会」くらい知っている


マスコミに教えてもらうはるか前、小学校高学年の頃からその名は知っていた「教育委員会」。

中学くらいになれば、こんな会話も同級生間で交わされていたと思う。


「数学の○○先公は、放課後になると学習塾で講師のアルバイトしてる。教育委員会にチクったろか」
「スケベ(教員)の××が、3年○組の○○○子に手出したの、教育委員会にばれたらしいぞ」


小学校のときの校長先生が、たしか、卒業式の予行練習のとき、こんなことを言った憶えがある。当日はこういう来賓が来る。その中には市の「教育委員会」を代表してくる人もいる。(同校は○○市立であったが)「教育委員会」というのは、学校の行事では市長以上に大事なお客さんなんだと。


そんな大事なお客さんはどんな顔をしているかと、拝顔の栄に浴することを子供心に楽しみにしていたが、当日ご尊顔を拝むと、さして印象に残る顔をしていなかったという記憶もある。


それから遠く歳月を隔てた今日、イジメ、生徒・学童の自殺に過熱する報道の中、土下座、平謝りの諸校長先生の映像とともに、「教育委員会」の名がしばしばトピックスの中で伝えられ、人民の前に見え隠れするようなっている。そして、政府も、いよいよこれに手を突っ込もうとたくらんでいるようだ。



■それでも、よくはわからぬ委員会


教育委員会」とは、一言で言えば「行政庁」の一種である。しからば、「行政庁」とは、行政主体――国とか、県や市町村といった地方公共団体など――の法律上の意思を決定し、外部に表示する権限を持つ機関ということになる。こう定義すると難解だが、財務大臣、国土交通大臣といった各省の大臣も行政庁なら、県知事とか市町村長も行政庁、もっと身近なところでは、税務署長や警察署長も行政庁である。


上の例がそうであるように、行政庁といえば、多くの場合、一人の人間が務める「独任制」という形を取る。しかし、数人のメンバーでチームを作ってこの行政庁の役割を果たすものもあり、その代表的なものが「教育委員会」である。こうしたものを「合議制」の行政庁という。


他にも、「国家公安委員会」「公正取引委員会」「選挙管理委員会」「人事委員会」など、さまざまなものがある。これらは、「行政委員会」という呼ばれ方し、一般の行政組織系列からある程度独立した地位に置かれている。第二次大戦の敗戦の折、征服者のならず者国家(U.S.A)の真似をし(あるいは、押しつけられ*)、戦後に発達した制度である。ある種の行政分野では、独任制よりもこの合議制のほうがその目的にかない優れた形態であるとの考え方もある。だからこそ、こうして採用されているのだろう。


*「押しつけ」だから、直ちに悪いというほど狭量ではないつもりだが…。


教育委員会」は、「地方自治法」のほか、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年法律第126号)というやたらに長い名前を持った法律(あまりに長く、舌を噛みそうなので、以下「地教行法」と略す)に基づいて設けられるものである。


 《今日は、ここまで》



神奈川県のホームページに、こんな記事の掲載がある。


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教育長緊急アピール
教職員のみなさんへ

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誠に遺憾なことではありますが、本年3月以降、県教育委員会が行った懲戒処分は、懲戒免職6件を含む10件に及んでいます。これほど短期間に、しかも重大な処分を発表することは教育委員会始まって以来の事態であり、まさしく非常事態と言わざるを得ません。


県教育委員会として、これまで事故・不祥事防止の努力を積み重ねてきたにもかかわらず、このような事態となったことは、教育委員会への県民からの信頼を失わせ、ひいては県政全体に対する不信を募らせるものであり、誠に残念という他はありません。


一昨日、教育委員会において「不祥事防止に向けた教育委員会決議」がなされ、私自身を含め、教育局幹部職員が、教育委員会委員長から、相次ぐ不祥事により県民の皆様の県の教育行政に対する信頼を失わせたことについて、厳重注意を受けるとともに、今後かかる事態を再び起こすことのないよう、不退転の決意をもって早急に新たな不祥事防止のための取組みに着手するよう指示を受けました。


そこで、教育委員会では「事故・不祥事ゼロ運動」として事故・不祥事防止対策を集中的に展開することとし、各所属において、全員参加のもと、事故・不祥事ゼロプログラムを策定することや、徹底した職場研修を実施することとしました。


神奈川県の教育が県民からの信頼を取り戻せるよう、教職員の一人ひとりが、固い決意をもって、事故・不祥事防止対策に全力を挙げて取り組むよう要請します。



 平成18年6月1日

  神奈川県教育委員会教育長 引地孝一


*本件についての問い合わせ先

  教育委員会教育局総務課人事班
  045-210-8027

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教育公務員(教員)の懲戒が多発する現状に憂慮した「教育委員会教育長」が発したアピールである。相も変わらず、教育公務員が(というより、教育公務員もまた他の職種の人間と同じように)不祥事を起こしては、馘首されたり、停職にされたり、それぞれ処分を受けるものが多いようである。


マスコミによって、最近はお茶の間にもおなじみになった「教育委員会」である。

また、10年以上前の古新聞には、こんな記事が載っていた。

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セクハラ元校長灰色決着
 文書で厳教注意
  柏教育委員会

千葉県柏市の元中学校長(現・市教委幹部)のセクハラ疑惑で、同市の教育委員会議が三十日開かれ、元PTA役員の女性が指摘した性的嫌がらせの確証は得られなかったが、教育者として疑いをもたれたことは問題として、この元校長を文書による厳重注意処分にすることを決めた。古谷武雄教育長にも、監督不十分として口頭での厳重花意の処分をする。古谷教育長によると、投書問題調査委員会が投書した女性から直接話を聴き「胸を触られた」との証言を得た。女性の友人も同じような被害を訴えたが、元校長は「一切ない」と答えており、事実かどうか明確にできなかった。1教育委員会は警察ではないし、調査能力には賑界があった一という。

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以上は、「東京新聞」1994年7月1日付けの社会面に掲載されていた記事である。ある中学の元校長の“セクハラ疑惑”をめぐって「教育委員会」が乗り出してくる。

さて、改めて、「教育委員会」って何だろう? ここから、話せば長い「教育委員会」の話が始まる。

〈以下、続く〉


■たまには、田原も面白い


電波芸者の田原がやっている番組を、実に久しぶりに見た。政治など扱うとくだらないショーに終わっていたので見るのをやめたのだが、今日は、「代理出産」の是非を論じる企画があった。そして、これはなかなか見ごたえがあった。


日産婦倫理委員長の吉村泰典氏(慶大教授)と代理出産を手がけた根津八紘医師が、それぞれ懐疑、肯定の立場から討論していた。そして、枝野幸男、蓮舫の両国会議員が加わった。


2名の国会議員は直ちにどちらに軍配を上げるというのではなく、これを大難問と率直に認め、短兵急な結論を避けたうえで、さまざまな政治的、社会的問題点を指摘していた。実に順当な意見である。特に、枝野議員の「こうした重大な生命倫理に関わる問題は“国会議員ごとき”が簡単に結論づけられるものではない」との発言、大いに好もしい。


何とかいう芸能人が代理出産したとかでテレビで好奇心を煽る番組が一時期組まれ騒がれた。そんなことがきっかけでブームに火でもついたら、ただでさえ薄気味の悪い世の中がますます薄気味悪くなるだろうと案じていた矢先、興味深く聞かせてもらった。


■進歩なき人間の進歩


ところで、こういう議論を聞いていると、さまざまな思念がめぐってくるものである。

第一に、「倫理」などを考える人間の思考力や精神など、デカルト、カントといわず、ソクラテスの大昔から全く進歩していない。にもかかわらず、「技術」といった手先のことは日進月歩で長足の進歩である。その証拠に、大昔に書かれた哲学や文学の古典はいまだに読む価値がある。技術の本など、5年もたてば、あるいは、分野によっては半年前に書かれたものでもたちまち価値がなくなるであろう。


そんな人間のちぐはぐが、いよいよ難しく、深刻な問題を次々と生み出すものだろう。生殖や生命発生に関することなど、本来、人間がハンドルできることではなかったのではないのか。


■動物と文明の相克


自分自身は、子どもを欲しない女性を大肯定である。しかし、子どもを是が非でも欲する女性、夫婦もいておかしくないことも十分理解している。ただ、それが自然の摂理に任せておけば無理であったケースにおいてもなお強行するとなれば、新たに複雑な問題を生む。


つまり、第三者(代理で出産する人物)を介在させ、医療技術(あるいは医療技術者)を煩わせることになるからだ。そして、その所為と後の子どもの処遇までも含めて法制化を求めたり、社会的合意を欲するならば、本来、すぐれて自然的、生物的次元の営為であった生殖が極度に社会問題化することになる。


少し昔なら、自然の壁を前にあきらめ、受け入れざるを得なかった現実を、あきらめきれずに捻じ曲げて欲望を通したいとする人間なる生物、思考する生物の業が生み出す錯綜と言える。


■遺伝子のエゴが社会に求めるもの


生体的に出産できない女性がいる。しかし、(その本人、あるいは夫婦の意思では)子どもがぜひ欲しい。その場合、単に愛情(日本語だか訳語だかよくわからないこんな言葉も安直には信じられないのだが、それはともかく)を注ぐ対象としての子ども、自分の人生をかけて育みたい生命としての子ども、これが欲しいという欲求であるならば、他人が産んだ子どもでもよいはずだという理屈になる。現に、育て手がいなくて困っている子どもは世にたくさんいる。それを養子として迎え育てることも、社会的動物としての人間ならではのことで、それはそれで偉大な一つの営為だろう。


ところが、それでは気がすまない。あくまで自分の遺伝子を持ったものでなければ、その対象とはならない。こういうことになれば、それはその個体(その女性、あるいは夫婦)に属する私的な欲求ということにならないか? 念のため、「エゴ」だから悪いといっているのではない。これは、“遺伝子のたくらみ”かも知れないし、生物的にはごく通常の欲求でもあろう。


ただ、その個体の生物的欲求から発した不自然な所為を社会的に正当化せよ、制度として保障せよということになれば、いわば個の問題の社会化、一般化ということになるのだろう。ここが、この問題の本質、なにかまだるっこしさを感じとって当惑してしまうところである。


■またもや、パンドラの箱は開くか


こうしたことが仮に社会的に容認され、一般化されることになれば、当然、これが商業化、産業化され、さまざまな社会問題を生むことも懸念される。その他、いかな現代の高度な医療技術をもってもいまだ母体の生命の危険を伴う出産ということであれば、それを引き受ける第三者の人命、人権に関わる問題も、簡単には解消し得ないハードルであろう。


むろん、その第三者(いかなる動機か)の同意を得た上で行なわれることであろうが、第三者に極度な肉体的・精神的苦痛と生命の危険を与えてまで行なわれる個の欲求の貫徹、それに対する社会の関与というのは、果たしてどんなものであるのか。


さらには、その第三者が後に心変わりし、依頼者の女性(あるいは夫婦)との間で子どもの取り合いみたいなことが起こったら、あるいは、その子ども自身が物心ついて後にどちらを本物の母と思えるか、また、不幸にして死産となってしまった場合にどんなトラブルが起こるのか…、ますます暗澹とした疑問は募る。


クローンだの何だの、生命に対し大胆不敵なことをやってのける白人社会でも、こと代理出産に対する社会的合意は容易に得られていないようだ。あの米国ですら、米国ですら、国を挙げて肯定とはとても行かないのが現状のようである。


ひとたびパンドラの箱が開いたら、社会の様相、人間存在の意味も、根本から変わってしまうだろう。それは、「産業革命」などとは比べ物にならない、人類の大きなターニングポイントとなるかもしれない。


■それでも、胎児は語らない


もし仮に、この法制化(つまり、社会的に代理出産を正当化せよとの)要求の署名運動などが今後自分のところに回ってきたとしたら、そういうものに署名をする気は毛頭ない。さりとて、積極的に反対運動を展開しようなどというつもりも(少なくとも現時点で)ない。


テレビの討論中でくだんの吉村氏が穏やかに語った言葉、「普通の手術や医療行為なら本人の同意を得れば行なえますが、生殖医療の場合、これから生まれてくるお子さん自身の意思を聞くことは永遠にできないのですよ」。この一言は、あまりに重い。これがすべてだ。

あの「北」の国からはあまりにも情報が入ってこないので、その“将軍”の思うところもよくわからないのだが、かねて、自分は、小泉ほどはバカではあるまい、軽くはあるまいと睨んでいた。そして、安倍ほどもアホではないだろうと思い出した。


そんな予見は、近頃日を追うごとにいささか確信めいたものに徐々に変わりつつある。そんな矢先、『田中宇の国際ニュース解説』というブログで、興味深い記事《「一人負け」の日本 》というものを見かけた。


米国のこれまでの強引な覇権主義にもほころびが出て、従来の対外政策を維持できないことを自覚する米国自身が徐々にその目標をシフトさせている。しかも、したたかな計算のもとに。そして、決してのろまでない中国、ロシア、韓国もそれをいち早く察知して、米国相手に虚虚実実の駆け引きを演じている。さらに、「北」もまた、それを冷静沈着に観察し、戦略を展開している。


どうも、そんな構図のようだ。


そして、米国の尻馬などに乗って、イケイケドンドンの日本が屋根に上った頃、あっさり梯子(はしご)をはずされる。そんなことが杞憂であればよいけれど。


米国なんぞ、いつだって、のろまな相手に「盟友」なんて思わせておいて、明日にはそれを出し抜いては、さっさと昨日の敵と握手する不実な国だ。また、それが国際社会でのリアルな考え方であり、ビヘイビアとも言うべきものだろう。手放しで信用して、踊らされているほうがおめでたい。


「北」の孤立を謀るつもりで、行き着くところは日本の孤立? 


『日本人はなぜナメられるのか』(洋泉社)の著者・中山治氏が挙げる、日本人が外国からナメられる数ある原因の中に、日本人は無能な指導者が好きだという一項があった。諸外国では、そのようなものをトップに立てておけば、自国の国益や民族の将来に大きな損失と危険を招くことをもっとシビアに考えるのだと。


なるほど、「何とか劇場」なんてマスコミに煽られて呆けているうちに、この国はますます泥沼に足を踏み入れたかもしれない。生き馬の眼の玉を引っこ抜くような殺伐とした国際社会にあって、何と太平楽で、無用心なことか。




■埼玉・ふじみ野のプール事故死:市職員ら書類送検


あの7月に起きた、女児が吸い込み口に吸い込まれて死亡した事故の顛末だ。これについては、直後に言いたいことを言ったので、もうたいがいにしておくが、こういうのを“泥縄式”というのだろう。マスコミも、こうしたことが起こると結果論で、「人命軽視」だの「安全軽視」だのと賢しらに騒ぎ立てるのは商売だからやむを得まいが、要は、それならば、常日ごろから社会全体がその「人命」「安全」を優先課題として、最重要価値として追求しているかどうかである。


民間丸投げとコスト削減ばかり賞賛していて、事故が起きてから騒いでも手遅れだ。そこ行くと、亀井静香のあの一言 。あれだけは、なかなか出色だった。とはいえ、それがどんな真意に発するものか、知る由もないけれど。


■和歌山談合:井山容疑者から朝日記者が現金受け取る


もう、こういうのは聞き飽きた。

中央集権の悪弊を指弾して、「地方分権化」がもてはやされた。が、中央官僚でなくとも、地方も十分悪さをする。「民営化」が熱望された。民間企業も間断なく不正を働き、記者会見で頭を下げている。


~だから、~化。かねて、~化すれば万々歳、一件落着式の楽天的な社会観・人間観、短絡的思考の持ち主には、どうも共感できずに困っている。官僚だから悪さするのではないだろう。人間だから、悪さをするのだ。


■教育基本法改正案、衆院で可決 野党は採決を欠席


相も変わらず、もう見る気もしなくなった馬鹿げな“選良”たちだが、最近ちと気になることがある。イジメだの、履修不足だの、今に始まったことでもないことに、昨今、やたらと報道の熱がこもる。まさか、こんな政治の動きと連動しているのではあるまいな。ついつい、うがった憶測までしてしまう。そして、だから、教育の基幹法規改定だなどと、またぞろ短絡ではあるまいな。

何か、この煽動的なムードには、底意を感じてしまうのだが。

世は、イジメの百花繚乱である。生徒もイジメられれば、先生も、そして、校長先生までもイジメられる。


それにしても、あの頃、あんなに尊大だった校長先生、いつの間にこんなにヤワになったのだろう。我々が小・中学生の頃、父兄など校長先生はおろか、平教員さえ腫れ物に触るようにし、「触らぬ神にたたり無し」とばかり敬して遠ざけていたものだ。教員に敢然と抗議をするような父兄など、ごくごく稀にいたとすれば、よほどの怖いもの知らずか、熱血漢だった。


ところが、今はどうだ。たいがい、父兄の前に平伏して詫びを入れている校長先生の悲哀に満ちた姿が、連日、マスコミの好餌にされている。“私設捜査機関”のマスコミに糾問されて、おどおど狼狽した姿も連日映像で垂れ流され、すっかり、茶の間の風物となった。して、校長先生も、自殺する。


どちらがよいのか、悪いのか。それはともかく、校長先生が権力者、平教員がプチ権力者だった我々のころ、特に小学校まで、そこには、自由もないが“兵舎”の中の秩序は確実にあった。そして、それが跡形もなく廃滅した今、校長先生に何を期待してもムダだ。哀れな校長先生を、あまりイジメないで。




先日の4日でしたか、北朝鮮の外務省報道官が、米中朝が再開で合意した6者協議について「日本が6者協議に参加しないならこの上なくよいことであり、参加人数が少なくなることは協議の効率を高めるうえで決して悪くない」などといって、日本の参加を阻むようなことを喧伝したそうですね。


まったく、前から不遜だとは思っていましたが、本当に失礼なことをズバズバという国です。もう少し、“外交辞令”というものはないのでしょうか。ところが、さらに続けて、「我々は一度も日本に6者協議への参加を要請したことはない。米国の一つの州に他ならない日本があえて地方代表として協議に参加する必要はない。米国から協議結果でも聞かせてもらえばいい」なんて言い放っているそうですよ。


ちょっと図星を突かれて、こちらも思わず怯んでしまう。反論に窮する次第なんですが、このように人の弱点につけ込んでぐうの音も出ないようにするところが、いかにも陰湿です。それに、米国から後で聞けばいいだなんて、米国が本当のことなど日本に伝えてくれる保証がどこにあります? あまり、無責任なことを言わないでください。


こういう非常識なことを言う国にバカにされないよう、立派な国にならなければいけないと思いますね。見返してやらなければいけません。



                 ×         ×        ×



イラクの元大統領、サダム・フセインさんをめぐる裁判劇で、判決が出たようです。「死刑」ですって。


この種の茶番劇は、半世紀あまり前から、戦争が終わるとよく見られる光景です。しかし、映像に映る限り、フセインさんというのは、トウジョー何某らよりもはるかに凛として見えます。国民の大半がさっさと征服者になついてしまって、あっさり見放されてしまった某国の旧権力者とは違って、まだ、国内にも熱烈な彼の支持者はいるのでしょう。


ともあれ、フセインさんが「侵略者とその手先」に向けて法廷で放っている言葉は、彼の過去の事跡を正当化するものではありません(少なくとも、第三者の私にはそう感じられる)。しかし、一方で、「侵略者とその手先」の滑稽さもリアルにあぶりだしているのです。劇としては、なかなか面白いものでした。


しかし、某国も、前の少し足りない首相によって余分なところで関与してしまいましたし、対岸の火事といえない問題なので、笑い事ではありません。また、今度の少し足りない首相も、こんな生臭い国際紛争に下手に軽率で、ただでさえ稚拙な言葉を差し挟んでミソをつけないようにして欲しいものです。