2007年6月27日:4コース後CT撮影

ここまでの治療効果(添付ファイル参照)を振り返り、方針決定を行った。
・2コース終了時(投与から5週目)CTでは原発転移ともに径(辺)で約70%に縮小。
・4コース終了時(投与から11週目)径で約40%に縮小している事が確認された。
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(添付ファイルはデータの1部を抜粋しており、かつ基準とした場所も異なる為ブログ
中の記載と絶対値は一致していない。フィッティングには数点のデータを用いている。)

主治医の判断は以下のとおり。
・2コース後:著効の可能性あり。迷い無く続行。
・4コース後:これ以上は統計的には疑問。迷いもあるが期待を込めて慎重継続。

私の判断は少し違った。主治医とは異なり最も迷ったのは2コース終了時点であった。
後述する様に2コース終了時の血液はかなりダメージを受けており「回復できるのか?」
との不安があった。完治の見込みの無い抗癌剤を続ける事で免疫療法などのオプション
を無くしはしないか?という迷いである。

ただ幸いにも私の場合はCTを取らなくても自覚症状と胸部レントゲンで効果が確認
できた。また体調管理のコツも掴みつつあったので「3コース目の体調と縮小効果」
を見極めて決める事にした。判断を先送りし3コース目に進んだのである。

一方、4コース終了時は(主治医とは対照的に)迷い無く投与継続を希望したのである。
骨髄抑制を部分的にではあるが自分の意志と体調管理で制御できる自信がついたのと、
添付ファイルの考察により「さらに縮小する見込み」が期待されたからである。

図のグラフは投与前と2コース、4コース終了時のCTから同じ場所の径(辺長)を読み
取ったモノである。腫瘍縮小には薬剤の分布・寄与、細胞死の過程、排出、など様々な
機構、相転移、化学・生物学的平衡が関連しているハズである。その一つ一つには
関与する遺伝子、酵素(ペプチド)、血流があり、さらにそれぞれの動態や効率を決める
境界条件(温度やpHや電離状態?、etc)があるに相違ない。

それらの機構を実験やシミュレーションで解析・モデル化しスケーリングする事は
癌を解明するひとつの手法であろうが、残念ながら末期癌の私にとっては来世での
研究課題の一つという位置づけになる。

今なんとかやれる事は測定結果を、簡単な仮定の基で俯瞰するぐらいである。
幸い私の腫瘍は「外側からタマネギの皮を剥ぐように」縮小する単純なモデルで
扱えそうである。仮に「腫瘍排出量が癌の表面積に比例」すると考えると、
治療期間に対し、(体積変化では無く)腫瘍径が比例して縮小すると示唆される。

もしも体積変化に着目するならば、2コース後の体積は、
0.7×0.7×0.7=約35%であり、元々の腫瘍の65%が消失した事になる。
しかし4コース後はまだ40%も残っており、0.4×0.4×0.4=約6%。
すなわち同じ期間に「たった」30%しか排出出来なかった事になり、
患者の立場とすれば「ペースが落ちている。耐性ができたのだろうか?」などの
迷いが生じる原因にもなりかねない。

偉い先生に見せたらおそらく叱られそうな最も粗い近似ではあるが、統計的に意味
が無いとされる5コース、6コース目にも可能性が示唆される為、投与続行を決めた。
2007年4月24日:退院

4月4日から20日間の入院生活であった。1コース目は副作用の様子を監視するため、
入院が必須であるとの事。骨髄抑制による貧血もあるがそれ以上に体力低下が著しい。

入院中は、1日2回程度の階段の昇降運動(14階を2往復/日)など試みたものの、
その程度ではとても体力を維持できない。さらに大部屋で過ごすことによる精神的負担
と(耳栓で多少改善はしたが)睡眠不足は明らかに治療効果にとってマイナスである。

仮に健康な人間が1ヶ月以上入院した場合、もしかすると30%以上の確率で何らかの
疾患を発症するのではないか?と思うほど、私には入院生活は負担であった。

2コース目以降は1泊2日入院点滴であった。私にとっては食事や運動などの体力維持
は治療と同じかそれ以上に重要な戦略事項であったが、この1泊入院でなんとかペース
を保つ事ができた。


レジメンと注意事項にもよるが、多くの癌患者にとっては徒歩で通える自宅近所の
クリニックなどで外来投与するのが理想ではないだろうか。

確かにがんセンターは立派な「ハコ」ではあるが、私にとって重要なのは19階建ての
立派なビルや、築地や銀座に近い立地条件や、レインボーブリッジを望む景色の良さ
などでは無い。必要なのは主治医の知識とそれに基づく判断・見通しなのである。
メールや電話で指示・連絡・報告が済めば、わざわざ感染症のリスクを犯しながら
満員電車に乗る必要もない。

勿論実際に会って、顔色や声の張りなど主治医としてはチェックしておきたい事項が
あるのは理解できるが、現実的には有能な医者の数にも限りがある。遠隔医療を
現実的なモノとし、より多くの患者が正しい医療の恩恵に浴するシステムの整備が
必要だと痛感する。
2007年4月9日~30日(1コース):

最終的に私は抗癌剤を6コース継続し8月に画像上の癌消失、完全寛解判定を受ける。
これは統計的には極めて稀なことと評価され、予想外の事ではある。しかしながら、
真に重要な事は1症例の結果を「単なる幸運な例」と片づけることでは無い。
「なぜそれが可能だったか?」を分析し、整理することである。このブログの主目的は
そこにある。

私が犯した致命的なミスは、Day3の嘔吐である。以後4日間絶食状態となった。
これによりトイレで立ち上がった時、目の前が真っ暗になる程の貧血状態になり、
実質的に寝たきりになった。運動(上下振動?)と飲食が無くなると排泄もストップ
する。これは膨満感となり、さらなる食欲不振の連鎖を招く。

抗癌剤の副作用リストには「食欲不振」が筆頭にあげられる。細胞毒性のある物質を
血中に流すことによる当然の「一時的な」脳反射である。しかしより深刻なのは、
それを引き金にした、「他の要因による」食欲低下である。

私には抗癌剤治療に対する固定観念があった。映画やドラマの主人公は「強い抗癌剤
と闘い、嘔吐やセキでむせながらも手づかみでガツガツ!と食べ周囲の皆を驚嘆させる」
よく考えもせず、それをやってしまったのである。

一方、3月18日の(上司の友人の)クリニックで指導された「肉禁止」も貫いていた。
初めは半信半疑だったが、3日も続けると劇的な効果(後述)があったからである。

以後、このどちらにも囚われずに食事の最適化をはかる事に務めた。
私の場合、抗癌剤による「正式な」食欲低下は、
Day3夕食(食欲0%)、
Day4朝、昼、夕食(30%)
Day5朝、昼、夕食(50%)、
Day6朝、昼食(80%)、夕食(100%OK)。と推移する。これ以上は絶対にムリしない。

また食べられないのは病院食全て(正確には病院食の「容器の臭い」)と白米の臭い。
これは抗癌剤治療後半年近く経過した現在でも全く改善されない。

さらに必要により肉、卵も摂取。ただし1日の上限値100g以下を目安とする。
1コース入院中の食事全てを弁当で作ってもらい、毎日妻に持ってきてもらう。
義母に上京してもらい、その間の子守等、家事一切を御願いする。

これ以降、便秘と下痢に悩む事は(感染症の1回を除き)一切無くなった。食事も全く
問題なくクリアできた。結果、骨髄抑制も有る程度なら自分の意志で制御する事が
でき(、、たと思っている。詳細別途)、6コースまで続ける事が可能となった。

どんなに効く薬も継続出来なければ効果は得られない。私も行き当たりばったりな
対応をしただけだったら、3~4コースで限界になったであろうし、その場合は「著効と
奏効の中間」的な評価に留まったと考えられる。

病院では食事や排便に対するケアは「下剤か下痢止めの投与」くらいしか無く、それすら
も実質的には患者と看護師のフィーリングで決まってしまう。薬の奏効率には多くの議論
があるが、統計の土台となる患者の全身状態は自分でコントロールするしか無いのが
現状である。
2007年4月16日月曜、23日月曜:
投与から1週間目、2週間目の胸部レントゲンの結果、明らかな縮小が認められる。
1週目:原発、辺長約70mmが約65mmに。転移巣、径約35mmが33mm程度。
2週目:原発、約60mmへ。転移巣は約30mmになる。

レジデント君と私は「期待できる。凄い!」などの感想を持ったが、主治医の評価は

1週目:「(作用機序と排出速度から考えると)効果が出るのは数週後から。判断保留」
2週目:「画像上、腫瘍増大が無いことは認められる。しかしながら胸部X線の目的は
    あくまでも有害事象が起こっていない事の確認。効果についての確定診断は
    6週後のCT検査で行う」というモノ。

専門医として申し分ない判断・指示である。ただし「測定」に関しては私にもプロと
しての自負がある。X線は散乱される為、当然分解能は悪く10mm以下の腫瘍は判断
が困難とされている。しかしながら対象が明確に判別されており、かつ画像全体の
バックグランドを正しく補正すれば、1~2mmの「相対的な」形状変化も評価可能と
考えられる。

一見、ノイズだらけで何も見えない信号からも周波数解析や平均化を行うことで、
科学的に有意な評価は充分に可能なのである。

今回の結果から、自分には抗癌剤の適用が有ることが(非公式ながら)確認された。
また、Day3から時々起こっていた、胸、肺の「ちくちく感、ムズムズ感」が、
悪い兆候では無く、「改善方向の自覚症状」である可能性が出てきた。

2コースまでは続ける決心の抗癌剤治療であるが、場合によっては4コースまで
継続する可能性が出てきた。体力(血液)の維持・管理法を見直す事にした。
2007年4月11日~:Day3~5
・痛み:
 午後2時頃から足腰の痛み、しびれが始まる。投与から丁度48時間後に副作用
 がスタート。午後5時頃がmax、ベッドでぐったり。夜9時頃まで痛みは継続。

 痛みの指標として「耐えられない痛みを10、日常生活に支障のある痛みを5」と
 する評価があるが、それに従うとピーク時で「5」、前後2時間が「3」、夜9時頃
 には「1~2」程度となり落ち着く。痛みの質としては「下半身の関節痛」もしくは
 「インフルエンザで高熱が出たときの節々の痛み」という表現が適当だと思う。
 Day5には痛みは「1以下」になり、ほぼ気にならない。
 
・食事・排便:
 昼食までは何とも無かったが、夕食から食欲低下。「食べなければ」との意識が強く、
 ムリして病院食を完食。果物なども押し込む様に食べる。が、食後すぐ嘔吐。
 翌朝(Day4)には食欲は回復するも、嘔吐した精神的ショックからか「病院食」
 が一切食べられなくなる。Day6まで絶食が続く。それに伴いDay4から完全な便秘
 状態になる。

・体調:
 Day5までは殆ど動けず、ベッドで読書をする程度。ただし毎日の入浴だけは維持。

薬剤カタログによると、血漿中の薬物濃度は約24時間で数%以下になる。高密度な
状態は3~6時間程度であり、強い副作用が継続した期間とほぼ一致している。
有害事象が発現するまでの生理的な時間遅れが約48時間である事も今回判明した。

この事実(と主治医との議論など)から以下の解釈を得た。すなわち、
・抗癌剤は投与後3~6時間の間に全身にデリバリーされる。
・薬剤の効果は細胞周期に依存する。不活性な時期に投入された薬剤が数日経って
 活性になったガン細胞に作用する事もある。作用期間は「数日間」と捉えるのが適切。

つまり薬剤を効率良く細部まで分布させる為、投与から数日間は水分摂取と血流確保
(入浴)を心がける。これは排出を助け腎臓や膀胱の負担を軽減する事にも繋がる。
また抗腫瘍効果が期待される「投与から1週間」は安静を貫き、体調を整える。
これは解毒作用でフル活動の肝臓保護と、安静時脈拍が100回/分を越える心臓
負担の軽減の為である。

仮に「激しい運動」が推奨されるならば、どの様なハードトレーニングでも行う。
しかし今必要なのは「休養」である。ベッドでゴロゴロする事こそが最も重要な
「闘い」なのである。

タキソール血漿動態

カルボプラチン



2007年4月9日月曜:Day1
抗癌剤投与日、論文などでは投与日をDay1(1日目)と定義している様なので以後
この日を基準に記載してゆく。

午後1時投与開始:
吐き気止め、胃薬、アレルギー止めの予備薬点滴後、タキソール(360mg)を3時間、
カルボプラチン(1000mg)を1時間かけ点滴。体表面積1.8m^2なので、カルボ
プラチンについては標準値(300~400mg/m^2)よりも増量。このさじ加減は尿量
の多さや(私の場合、約2.5L/day)年齢にもよるが主として担当医の判断による。

タキソールは水溶性ではない為、アルコールで溶かしている。軽く一杯酒を飲んだ
様な状態になり、気持ちよく寝てしまう。抗癌剤投与は健康な細胞の活動量が落ちる
夜間の方が好ましいという説もあり「寝る」つもりでいたが、看護師が心配になる
らしく途中何度も起こされる。

午後6時頃点滴終了:
特にアレルギー反応やショック症状も起きない。体調の変化も無し。問題なく終了。

食事・排泄:
病院食。がんセンターの食事は意外に?美味しく、不自由しない。但し、玄米菜食は
一時中断。排便も通常便。

睡眠:
夜9時頃、疲れたせいか寝てしまう。翌朝7時まで熟睡。2006年夏頃から背中の痛み
などで1日1~2時間の睡眠しか取れていなかった為、生き返った気分。
肩こり、胸、首、背中の痛みも殆ど消失した様に感じる。
朝回診で主治医(+レジデント2人)に具合を聞かれる。「完治したと思う」と回答。
「あ、そうですか」とスルーされる。


2007年4月10日:Day2
食事・排泄:
病院食100%食べる。排泄も通常便。

睡眠:
やはり午後9時頃寝てしまう。翌朝6時まで熟睡。

体調:
入浴した事もあり、益々体調が良く感じる。身体も軽く散歩、お見舞い対応など。
もしかするとここ数年で最も体調が良いかも知れない。夕回診でも「完治した」と主張。
「あ、そうですか」と再びスルー。
2007年4月以降:

医学的に有意ではないが、抗癌剤治療に向けて準備した事項を列記する。
各項目についての議論は別途行うが、これらは抗癌剤治療に密接に関連があった。

・食事:肉、卵中心の食生活を玄米と野菜中心の内容に変更。
・休養:仕事は全てキャンセル。治療に専念する。
・運動:肺機能と血流を確保する為、適度な運動は行う。
・睡眠:1日6時間以上を目標。それも夜10時から朝2時までの睡眠を確保する。
・代替療法(サプリなど):一切、使用しない。
・その他:3日間隔でサウナに入る。(投与までに4回実施)

主治医に訪ねてみたが患者として注意する点は「禁煙」と「点滴漏れの申告」の2つ
しか無いとのこと。タバコは元々全く吸わないので(癌が発症した今となっては)
疫学的に有効なカードは無いと言うことになる。

しかし癌は間違いなく人生最大・最強の敵である。しかも真の敵は癌を発生・増幅
させた自分自身の細胞(遺伝子やタンパク質等々)と生活習慣だと想定される。

その様な強敵に対して全力で寛解(引き分け)を目指すのである。例えて言うならば
ヒョードルやシュルトと総合ルールで闘うようなモノである。「俺は癌には負けない!」
とか「癌でも自分らしく」と殴り合いを挑むか?

私の戦略は徹底した防御と体力温存、そしてローキックによる揺さぶりである。
腸内バランスを整え、体内の水分量と肺機能を維持し、耐える。抗癌剤で相手の出足
を止め、攻撃力を少しでも落とさせる。ゴングまで致命打を避け、がんセンターという
コーナーに帰り優秀なセコンドと相談しつつ判定まで逃げ続ける。

治療というパンチについてはセコンドの指示がある、しかしダメージに耐え試合を維持
するカギは食事や休養にある。試合終了まで立ち続ける為、上記準備を行った。
2007年4月1~6日:
・がんセンター肝胆膵グループ医師との面談:
  ビリルビン高値(5mg/dL:正常値は1mg/dL以下)があることから、主治医の手配
  で説明を頂く。ビリルビンはヘモグロビン分解後の老廃物。分解過多や排出不全、
  または腸内循環に影響する疾患の指標とのこと。他の血液検査が正常値であること
  から「体質性黄疸」と考えるのが自然との判断。経過に注意しながら抗癌剤を投与
  することになる。
  (Wikipediaによると、活性酸素やフリーラジカルの酸化ストレスから細胞を保護
   する機能も指摘されているらしい。がんの進行と関連があるのか?)

・(上司の友人の)クリニック再診:
  これまでの経過説明。ビリルビン高値について議論。一応エコー検査を実施。
  1cm大の胆石が2個発見される。診断としては「ビリルビン高値とは関係なさそう。
  経過観察で問題ない」とのこと。(「上司の友人」は肝臓専門医)

・がんセンター免疫グループ医師との面談:
  免疫療法の適用可能性を伺っていたことから、主治医の手配で面談して頂く。
 「正しくコントロールされた条件で実施し、かつメリットが明確に評価された研究は
  非常に少ない。が、1~2コース様子を見て効果が無いようなら治療できるように
  手配しても良い。リンパ球やワクチンを用いる方式に対して、抗癌剤1~2コースの
  実施は問題ないと考えている」、とのこと。

・大量抗癌剤治療調査:
  末梢血幹細胞移植併用大量抗癌剤治療(90年代に多くの症例が試された。
  死亡率が10%のオーダーに達する高リスクな治療でありながら、再発等予後が
  良くないので最近はあまり例が無い。)の論文で目にとまったモノがあった為、
  執筆者の先生に説明を伺いに訪ねる。
 「論文に書いたような著効例もあったが、全国的に予後が問題になり、最近は施術して
  いない。若年でもあることから可能性が有るようなら受け入れても良い。しかしながら、
  先ずは抗癌剤治療を行うべき。効果と副作用のバランスを見極めるのが必須。
  また、自家移植する幹細胞もむしろ1~2コース後のbabyの方が良いと考えている」、
  とのこと。

がんセンターの主治医は広範な知識と経験を有するだけで無く、合理的・効率的な判断能力を兼ね備えている。考え方やスピード感(年齢も?)が私と似ており、全くストレス無く対話が可能である。医師や治療法に疑問や不満は全くない。にも関わらず上記のような「準備作業」が私には必須であった。

「数ヶ月延命し、統計通り死ぬ」のなら特に考える必要は無い。だが(無謀にも)寛解を目指す以上、考えられるオプションは全て確認し、準備しておきたいと考えた。

この準備作業により、抗癌剤治療に対する位置付けを自分なりに整理する事ができた。
すなわち「後戻りの出来ない1発勝負のジェットコースター」では無く、
「正しく取り扱えば役に立つ1枚目のカード」として、全力で取り組む決心が固まった。
2007年4月4日:
がんセンター入院。翌5日家族同席で検査結果説明とインフォームドコンセント。
・病名:肺門部原発(低分化)扁平上皮癌、主な転移3カ所。小さいものは肺全域に
    20カ所近く点在。他、脳、骨、腹部への転移は無し。ステージIVb。
    PET-CTでのFDG集積度は10~12max(身体全体にFDGが均等に拡がると1)
    集積度からみても扁平上皮癌の診断と矛盾しない。

・治療方法:パクリタキセル(タキソール)+カルボプラチンによる抗癌剤治療。
    3週間隔。体表面積1.8m^2な為、タキソールは360mg、カルボプラチン
    は700~800mgを予定。(タキソールはカタログ推奨値、カルボプラチンは
    カタログ推奨値300~400mg/m^2より多め)

・注意点:点滴針からの薬剤漏れに注意。

・説明事項:広範な転移が有り、さらに動脈、気管、食道への浸潤・癒着も疑われ、
    手術と放射線は選択肢に入らない。緊急救命時のサルベージ手術として
    なら適用もあるかも知れないが、現状で強行するメリットは無い。

    色々なレジメンが候補にあるが、最近ではこの組み合わせが効果が高いと
    考えている。投与量は腎臓機能など精査し最終的に決める。(増量を希望する)
    4週間以上の縮小(径で50%,面積で25%以下)が約30%、不変が約30%、
    効果が認められないのが約40%、と評価されている。

    通常3~4コース実施し次の手を考える。この薬剤による完治はあり得ない。
    また、5コース以上やっても効果が継続しない事も統計的に判っている。
    イレッサをご希望の様ですが、扁平上皮癌にはあまり効果が無いと考えている。
    先ずは実績のある抗癌剤で試してみたい。1~2コース実施し、様子を見る。
    効果が疑われる場合は、できるだけ早期に対応変更を検討する。

    スタッフが減る週末は避け、投与開始日(Day1)は次週4月9日月曜としたい。
2007年3月19日月曜:
国立がんセンター中央病院呼吸器内科初診。受付で予約状況等を確認してもらう。
「本日の枠に入れるとしても、それが判るのは夕方になる」とのこと。必要書類
に記入・提出する。2階A外来で待つように指示される。夜まで待つ覚悟をする。

待合室到着後、5分もしないうちに「○○さん、診察室にお入り下さい」のアナウンス!?
呼ばれ間違いかも??と思いながら診察室に入ると

「○○さんですね。初めまして肺内科の○○です。画像と紹介状を見ました。先ずは検査が必要です。さしあたり今すぐ血液検査、胸部レントゲン、動脈血検査、肺活量、心電図を取って来て下さい。所用時間は約2時間です。検査過程は端末でチェックしますから特に声はかけなくても結構です。では後ほど。」

と指示される。診察室には患者とその付き添い者用のイスが置いてある。一瞬、腰掛けたかもしれないが、恐らく体重を100%イスにかける暇もなく退室。

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2時間後、検査終了し待合い室に到着する。すぐ「○○さん診察へ、、」のアナウンス。
・血液検査はビリルビン高値(黄疸)があるものの良好。肺機能も良好。
・腫瘍マーカは陰性であるが、画像からはほぼ進行癌と思われる。
・明日から通院で20日全脳MRI、22日胸部CT、23日胸部MRI検査。
 次週26日月曜1泊2日入院し針生検。PETは込んでる為4月2日まで待ち。
・従って入院は4月4日頃になる予定。今日はお疲れ様でした。

この説明も恐らく1~2分の間に成される。病期や予後・余命、治療内容等については
一通り調査し、自分なりに判っているつもりだったので、1つだけ質問をした。
「4月4日入院との事ですが、この病院で治療を行える見込みがあるのでしょうか?」

回答は、
「?!、紹介状には当院で治療希望とありますが、他の病院をご希望なのですか?
 (いえいえそういう意味じゃなく、受け入れてくれるのか?という意味です、、)
 ですからそれを調べる為に検査を行います。結果にも拠りますが、おそらく抗癌剤
 治療になると思っています。勿論ご自宅の近くで治療を受けられても結構ですし、
 ご希望なら検査結果と所見をお渡しします。ですが当院はがん専門病院ですので、
 症例数とそれに基づく知見もそれなりに多く、かつ必要な施設も一応揃っています。
 診断と初期治療を当院で行っても○○さんに不利益は無いと思いますが、、、」

理想的な回答だと感じ、感謝の意を述べた。所要時間は5分以内だったと思う。