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披露宴でビデオ撮影…

 今月アタマに従姉妹の披露宴に出席した。
 入籍は既に半年前に済んでいて、同じ時期に同居も始めている。
 ま、落ち着いたところで親戚だけを呼んで(結婚式無しの)披露宴をやろうという趣旨であった。

studio7の映像実験室-披露宴
 
 特に意識もせずにビデオカメラを持参。撮影を頼まれていたわけでもない。
 まあ、プロのカメラマンが入っているかもしれないし、他にもビデオカメラを持ってくる人もいるだろうと気軽に持っていったのだが。

 スチールはプロのカメラウーマン(美人)が、2台のデジタル一眼を使って颯爽と仕事をしていた。
 が、ビデオは依頼していなかった模様。

 さらに60人くらいの出席者でビデオカメラを持って行ったのは私だけだった。
 

 …まずい…。

 
 意識していれば、会場となったホテルの全景とか入口とか「○○家□□家披露宴会場」の看板とかをおさえて撮るのだが、単なる従兄弟としての自覚しか無かったので新婦(ついでに新郎も)の晴れ姿を撮れればいいか、くらいのつもりでいたのだ。テープも60分のヤツ1本だけしか持参せず。もちろん三脚も無い。

 が、昔、広報の仕事をやっていた時とか、たまにイベントのビデオ撮影の手伝いをやった時の癖もあって、ついつい動き回る。
 多分、目立っていたのではないか。しかも「金髪に近い茶髪の長髪で、ヒゲ」だったりするので余計に目立つ。


 新郎新婦とも、私のビデオに期待しちゃっているのではないか?
 
 すまん、R子よ。恐らくマトモに撮れていない。

 すまん、R子よ。披露宴の途中でテープも使い果たした。
 
 すまん、R子よ。怖くてまだ撮ったテープのチェックもしていない。


 イベントのビデオ撮影の手伝いをやったことがある、と書いたが、ホントに「手伝い」だけ。
 2カメではあったが、特にソフト化する予定も無かったし、「記録」として残っていれば良いということだったので、固定のメインカメラだけで一応は何とかなる。メインを担当するのもプロでは無いものの、少なくとも私よりははるかに撮影慣れをしている人だったし。
 私は三脚を付けたまんまあっちこっち動いて、編集時にインサートカットとして使えるような絵だけを撮った。
 講演会の時だと「拍手をする人たち」とか「熱心にメモをとる人の手元」とか「部屋に展示してある物」みたいなヤツですね。
 
 メインカメラがテープ交換をする時だけ、メインカメラとほぼ同じ位置に移動して補間用映像を撮った。

 あとは、ロビー風景とか受付風景を撮ったくらい。

 まあ、そんな程度しか経験が無い。

 しかも、この時は当然のことながらイベントの進行台本があったので、何を撮るべきかの事前予測が出来た。


 …でも、今回の披露宴は進行もよくわからない。
 「新郎新婦の入場です!」…って、入口からどういうルートを歩いて“高砂の席”に向かうのかとか、そういうことも当然わからない。何人の方がスピーチをするのかもわからない。

 無理だろ、これは。

 それに、私ゃ「ゆるゆるなおバカ映像制作」が専門(?)なのだ。
 
 今回撮った映像も、編集でアホなキャプションを入れたり場違いな音楽を入れたりして「5分程度のゆるゆるなおバカ映像」に仕上げる自信は、ある。
 でも、そんなんじゃ新郎新婦は喜ばないだろうな…。


 一方で、コンパクトデジカメ(動画機能無し)も持って行った。さすがにデジタル一眼まで持って行くと荷物が多過ぎる。
 また、他の従兄弟たちもデジカメでバシバシ撮影していた。

 このデジカメの静止画が救いになるかもしれない。

 従兄弟ども(ほとんどが私より年下)からデータをもらって、「スライドショー形式のフォトアルバム」に仕上げれば良い。
 ビデオで撮った動画は、アクセントをつけるためのオマケにしちゃうのだ。


 じ・つ・は!


 今月末に、そういうものを作るのに最適なソフトが発売されることになっている。
 特にこの披露宴を想定したわけでは無いのだが、発売のアナウンスと同時に予約してある。

 
 すまん、R子。今回の君たちの披露宴は、そのソフトの使い勝手をチェックするのに使わせてもらう。
 うまいこと出来たらDVDに焼いて送るからね。
 

♪やっぱり踊りはやめられぬ…?

 夏と言えば、阿波踊りである。 
 全国で阿波踊り大会や阿波踊りを取り入れたイベントが開催されている。

 自分自身が東京・高円寺で開催されている「東京阿波踊り」に参加したことで阿波踊りにハマった人間なので言えた義理も無いのだが、明らかに妙な現象である。

 だって、「阿波」踊りですよ、「阿波」踊り!
 「阿波」って言ったら徳島以外に無いでしょうが!

studio7の映像実験室-眉山から見た徳島市内
眉山山頂から望む徳島市内と吉野川


 司馬遼太郎は『街道をゆく  阿波紀行、紀ノ川流域』で、「(阿波踊りは)芸事好きの阿波人の大発明といっていい」と語っている。
 そして、同席していた徳島の女性が「いまはこれ(阿波おどり)だけですなあ。よう残して呉れはったものやなあ」と歎じたのを受けて、「「これだけですなあ」というものがあるというのは大きい。他の府県がうらやましがって、西洋風のパレードをやったり、民謡と日本舞踊の街頭進出を試みたりしているが、洗練度がちがう。歴史は、真似られないものなのである」と結んでいる。

 この文章が書かれたのは高円寺の阿波踊りも30年を過ぎた1988年。司馬先生が高円寺で阿波踊りをご覧になったことがあるのかどうかは定かでないが、もしご覧になっていたらどんな感想を抱いたか気になるところである。

 
 ところが、困ったことに(?)この「阿波人の大発明」は凄過ぎた。
 県外人であっても、一度やってみて病み付きになる人間のいかに多いことか。

 全国で阿波踊りが開催されていることについて、「空き地などが減っている市街地では、通りを練り歩く阿波踊りが取り入れやすかったから」という指摘もあるが、これだけでは「みんながハマる」理由は説明できない。

 ややこしいので詳細は省く(従って正確性も欠く)が、そもそも徳島の伝統的な盆踊りみたいなものがあり、これに(主に藍商人によってもたらされた)様々な地方の民謡やら何やらの要素が加えられて、昭和初期には概ね現在のような形になったようだ。
 比較的最近(400年の歴史から見れば最近である)で言うと、1969(昭和44)年に関東出身の寺内タケシさん(知らない人は今すぐ『エレキの若大将』を観よう!)が作曲したメロディが1973(昭和48)年に阿波踊りに取り入れられ、現在では「よしの川」というメロディとして一般的になっている例がある(※)。

 つまり、阿波の人たちは日本の文化の集大成みたいなことをやってのけたのだ。そしておそらく、今でもそのスピリッツは続いているのではないかと思う。
 言い換えると、日本人ならどこの地方の人でもハマるものを「大発明」したわけである(実際には、外国の方にもウケている)。
 あ、この段落はあくまでも私論です。


 もう一つ、阿波踊りの強烈な魅力がある。
 「振りが決まっていない」
 
 炭坑節にしても東京音頭にしても、「♪掘って、掘って、また掘って、担いで担いで後戻り…」みたいな振付けがあるが、阿波踊りにはそれが無い。
 浮き拍子のリズムに乗って、右足が出る時は右手を出し、左足が出る時は左手を出す。
 決まり事はこれだけである。
 誰でもこの決まり事さえ守れば「何となく阿波踊り」になってしまう。

「手をあげて足をはこべば阿波踊」
 徳島市内・藍場浜公園にある岸風三楼の句碑に刻まれた俳句である。風三楼は徳島の人ではない(岡山出身)が、阿波踊りを説明する時にこの句がしばしば引用されるくらいに阿波踊りの本質を表現したものと言えるだろう。

studio7の映像実験室-大正期の阿波踊り
大正期のものと思われる絵葉書(studio7蔵)
自由奔放に踊っている。

 

 この「振りが決まっていない」とか「誰でも阿波踊りになる」ということについては異論があるはずだ。
 しかし、予想される全ての異論に対して私は「おっしゃるとおりです」と答えるだろう。
 ただ、「県外人のお前に阿波踊りを語る資格は無い」というご意見については「だって、この文章そのものが“県外人から見た阿波踊りの印象”ですから」と反論…と言うか、逃げる。議論は嫌いだし、負けるし(笑)

 司馬遼太郎先生が言うとおり「歴史は、真似られない」。
 そして「阿波=徳島」だからこそ阿波踊りだというのは、どうやったって曲げられない事実である。
 また、徳島で阿波踊りに関わっている人たちを見ると、「阿波踊りのDNA」みたいなものを感じる。これも絶対に県外人には習得不能なものである。

 さらに、連によっては踊り手が一体となって一糸乱れぬ見事な群舞を見せてくれる。一人一人の踊りのレベルアップはもちろん、お互いの気持ちを合わせるために大変な練習を積んでいる。ここに「誰でも踊り込める」わけがない。
 また、上記の「手をあげて足をはこべば阿波踊」という句が意味するところについて、私なんぞは「それだけで阿波踊りになっちゃうんだよなあ」と解釈して納得しているのだが、ある徳島の踊り手の方は「とにかく手を高く上げて踊らなアカンという意味や!」とおっしゃっていた。それくらい厳しい世界でもある。

studio7の映像実験室-昔の阿呆連
この絵葉書は昭和30年代くらいのものか?(studio7蔵)
衣装を見なければ「あの有名連」の踊りとは思えないくらいに現在の踊りとは異なっている。
 

 気持ちの込め方も違う。
 『阿波紀行』から引用したように、「これだけですなあ」と感じている徳島の方も多いのだ。
 これは実際に徳島の知人が言っていたことだが、「お盆以外の時期に徳島に来てみてください。な~んも無いですよ」と。
 その言葉を受けて阿波踊りの時期を外して何回か徳島を訪れているが、まあ実際には吉野川の対岸から眺める眉山なんて絶景だし、市内からは離れるが大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)とか祖谷(いや)渓とか、素敵な場所は沢山ある。
 でも、確かに阿波踊りシーズン以外は「静かな街」ではある。
 歴史的にも、地道に一年間仕事に励み、一気に気持ちを爆発させる「場」が阿波踊りだったりするので、お盆の時期に発せられるエネルギーはただ事ではないだろう。

 だから、徳島の人たちが、私のような県外人による阿波踊りを見て「あんなもんは、阿波踊りと違う」と感じるのもよくわかる。
 それに、(これまた異論があるだろうが)県外で開催されている阿波踊りを見ると、どうも「一糸乱れぬ阿波踊り」の“形式”だけを真似る方向に走っている連が多々ある。

 またしても私論だが、この「一糸乱れぬ群舞」というのは、阿波踊りが包括しているおびただしい要素の一つに過ぎない。

 踊り方や鳴り物にしても、時代とともに様々に形を変えている…。大正期には鳴り物にバイオリンだのクラリネットが入っていた時期もあった。
 そして、同じ連であっても「去年の踊り」と「今年の踊り」が異なっていたりもする。
 その、良い意味での何でもアリが阿波踊りの持つ根源的なパワーなのではないかと感じる。


 いずれにしても、我々は「阿波人の大発明」の恩恵にあずかっている。
 そして我々なりにハマっている。
 そのあたりについては、むしろ徳島の方々には誇りに感じてほしいし、(集客云々の話は別にして)余裕の目で見てほしい。

 逆に我々県外の人間は、単に阿波踊りの「踊り」や「鳴り物」だけを見るのではなく、それを築いてきた「阿波・徳島」の人や文化や歴史を感じ取るべきであろうと思う。「祖谷のかずら橋」を渡ったことが無いヤツが民謡『祖谷のかずら橋』のメロディーをマトモに奏でられるか? みたいな。

studio7の映像実験室-祖谷のかずら橋
祖谷のかずら橋

 と、かく言う私はまだまだ修行が足りないことは自覚している。今後も県外人なりに精進していきたい。


※「よしの川」のメロディについては、阿波踊り情報誌『AwaDama(あわだま/阿波おどり魂)』で私自身が取材に関わった。私は徳島に赴いて当時を知る人にインタビューをし、寺内タケシさんにも直接お話を伺ったばかりか昭和44年に録音された原曲を聴かせていただくことが出来た。さらに徳島在住の編集長も様々な裏付け取材や資料収集をして、その集大成(?)を『AwaDama』2005年8月号で記事にした。
 一般的に使われているメロディーは原曲にアレンジが加えられている。
 私が所属している連は、せっかくなので(私の一存で)寺内オリジナルに可能な限り近づけたメロディーに変えた。ウチの鳴り物の唯一の「売り」である。

ウルトラマンの日、だったのか!

  ウルトラなお友だちの皆さんのブログなどを見て、7月10日がウルトラマンの日であることを知った。
 いや、何となく知ってはいたので、再認識したというべきか。

 ご存知の方はご存知だし、ご存知でない方にとってはどうでもいいハナシであるが、1966(昭和41)年の7月10日、ウルトラマンの勇姿がブラウン管に登場! …したのだが、それは『ウルトラマン前夜祭』という、ステージでのプロモーションみたいなものの公開録画番組だった。
 当然、人間サイズのウルトラマンや怪獣たち。それでもその姿を初めて観た時の興奮は忘れられ…いや、忘れられないどころか覚えてない。その放送は観ていなかった可能性が高い。オトナになってからビデオで観たが。

 もちろん、私はオッサンなので他の何話かはオンタイムで見ているが、「気づいたら普通にウルトラマンがいた」という感じで、どっちにしても「ウルトラマン登場!」という衝撃を受けた記憶は無い。


 その『ウルトラマン前夜祭』が収録されたのは、東京・杉並区にある杉並公会堂である。
 1957年(←ちょっと記憶があやふや)に完成した時は“東洋一の文化の殿堂”とうたわれたホールである。
 実際、当初は音響なども抜群で、クラシック関係者からも支持されていたらしい。
 メイソン&ハムリンという、凄いんだか珍しいだけなんだかよくわからないグランドピアノもあったっけ。

 『8時だョ!全員集合』の収録が行われた印象も強いのだが、手元の資料(『8時だョ!全員集合の作り方』山田満郎/双葉社 2001)によれば、1969年から1985年までの全803回(傑作集等の特番含む)のうち杉並公会堂が使われたのは1970年8月8日の1回だけだった。

 特筆すべきは、私が幼稚園の時(1966年・1967年)にこの杉並公会堂で発表会をやっていることである。
 …全然特筆すべきほどのものでもないが。
 私の幼稚園は杉並区のお隣・武蔵野市にあったのだが、何故か毎年杉並公会堂を使っていた。
 日付がわからないのだが、私は間違い無く1966年にウルトラマンと前後して同じ舞台に立っていることになるんですよ、古谷さん。
 …自慢にもならんなあ。


 私が高校生の頃か浪人時代だったか、ファンによって杉並公会堂で「特撮大会」が開催されているはずである。イノウエ・アーツの井上雅夫さんの名前が一気に有名になったのはこの特撮大会だったような気がする。

 当時、DAICONやガレキメーカーの出現など、ファンの動きは関西方面が強かった。
 しかしその一方で、「杉並・練馬・中野・世田谷が滅びたら、日本の特撮ファン活動は停止する」とも言われていた。
 地道なヲタクが多かったということか?
 
 ウルトラマンが初めて姿を現した杉並公会堂はまた、都内のヲタク活動の象徴でもあったのだ。大袈裟だが。

 残念ながら当時の建物は2003年に取り壊されてしまった。
 今建っている杉並公会堂は、2006年にリニューアルオープンしたもの。
 リニューアルしてからは、私は一度も行っていない。
 

文体変更

 アメブロに来てから、ずっと「です・ます体」の文章でやってきました。

 …。

 ノリがどうも…。

 私が書きやすい文体というのが「だ・である体」を基調にしたデタラメな日本語らしくて。…「~しちゃったりなんかするんである」みたいな感じです。

 それに、どうでも良いことやくだらないことを偉そうに書く、というのが私の芸風なんでした。「です・ます体」より「だ・である体」の方が、偉そうですからね。


 そんなわけなので、イキナリですが文体を変えさせていただきますのである。


 急に無礼になったと感じられるかもしれないが、もし無礼だとすればそれは元々私が無礼なヤツだからであって、日本語に罪は無い。

 
 もともと「文章を書く」というのは自分の芸風には含まれていなかった。
 2000年にサイトを立ち上げて、(結果として)阿波踊りをメインに色々書くようになってから、少し面白くなってきた。
 『AwaDama(あわだま/阿波おどり魂)』の編集長も、私のサイトを見て「一緒にやりませんか?」と声をかけてくれたんだから、何が縁になるかわからない。…仕入れたネタは全て『AwaDama』に回すようにしたもんで、サイトは閉じてしまったが。

 もっとも、『AwaDama』の記事はブログみたいにデタラメな日本語を使ったり不必要にふざけたり出来ない。
 文章云々より「調べた内容」の方が重要なので、編集長も私の文章に目をつけたのではなく「阿波踊りに関して、どうでもいいようなコトを調べているヤツ」というところを買ってくれたのであろう。
 単純に「面白く伝える」だけなら、今書いているこういう文体の方が絶対に面白い内容になるんだが…。

脳内ウルトラマン

 12月に公開される『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE 』。

 何となく、ファンの受け止め方が真っ二つに分かれているようです。
 「期待でワクワク」「これぞ自分が思い描いていた世界」という肯定派。
 「これでいいのか?」「何か“ウルトラ”とは違う世界なのでは…」という否定…というか懐疑派。

 残念ながら、私は後者です。今のところ。
 公式サイトなどで見ることが出来る特報映像は「新たなるウルトラ伝説が 今 始まる」というナレーションで結ばれています。ってことは、今回の映画は「序章」という位置づけなのかもしれないという期待も無いではありません。
 従って、現時点では一番の売りが「悪のウルトラマン」であるベリアルですが、全く新しい正義のヒーローがサプライズ的に登場する可能性もあります。また、ベリアルが暗黒面から脱却して光の戦士になる可能性だってあります。

 え…? 暗黒面…。ダークサイド…。


 「遠い昔、遥か彼方の銀河系で…」

● エピソードIV
  150体の怪獣を伴ってウルトラの星を襲う暗黒のウルトラマン・ベリアル。それに立ち向かう歴代ウルトラマン(+α)。そして、レイオニクスであるレイ、ケイト、キール星人グランデやZAPクルーも共に戦う。
 レイが変身するレイモンは人間サイズのヒーローであり、光線技も持たない。ウルトラマンキングに師事して修行を重ねるレイ。
 ラストバトルでは、レイの活躍でベリアルの本拠地の破壊に成功する。しかし、ベリアルは辛くも脱出していた…。

●エピソードV
 ベリアルはその強大なる力を以て自らの帝国を再建していた。一方でウルトラ戦士やZAPクルーは氷の星に身を隠して帝国に対抗する準備を進めていた。
 激しいバトルの末、ついにレイとベリアルの一騎打ちとなる。そこでベリアルから驚愕の事実が語られる。「レイ。私はお前の父だ!」「バカな!僕はレイブラッド星人によって産み出されたレイオニクスで…」「ふふふ…そう聞かされていたのか」
 動揺するレイは、ベリアルに左手をやられてしまう。

●エピソードVI
 レイたちは前の戦いでタールで固められてしまったキール星人グランデの救出に向かう。
 まあ、色々あって、カプセル怪獣など友好的な怪獣が住む惑星でベリアルの軍団と戦う。
 そしてまたレイはベリアルと相見えることになる。「レイよ…息子よ…私とともに暗黒面に入れ」「嫌だ!」
 さらに、誰だかよくわからないがベリアルを従える暗黒卿がいたりして、レイに執拗な攻撃を加える。「助けて!父さん!」その叫びに善の心を取り戻して葛藤するベリアル。そしてベリアルは暗黒卿を倒し、自らも傷つき、レイの腕の中で最期を迎えた。ついでにレイとケイトが姉弟だった事実も明らかにされ、そのおかげでグランデとケイトはラブラブになる。
 ウルトラの星は無事に復興し、宇宙に平和が訪れた。

●エピソードI
 時は遡る。
 ウルトラマンキングを中心とした光の戦士たち。そこには独身だったウルトラの父や若いウルトラマンたちもいた。
 彼らが立ち寄った惑星に、強力なウルトラパワーを持った少年ホシノ(ホシノかいっ!)がいた。
 「この少年は、伝説が言う世界の調和をもたらす存在かもしれない」
 光の戦士は、母親からホシノを預かって育てることにした。

●エピソードII
 少年時代は勝手にジェットビートルに乗り込んだりスパイダーショットを持ち出したりしていたホシノも、ティーンエイジャーとなって恋する年頃。
 宇宙全体も政治的に色々とややこしい時期。光の戦士も微妙な扱いを受けていた。
 光の戦士の見習いとしてVIPの警護にあたるホシノ。その要人とは、うまいこと設定を思いつかないがとにかく奇麗なお姉さんだったりして、二人は恋に陥る。
 一方、これまた色々ややこしい中で、今は暗黒面に堕ちたかつて光の戦士が、惑星ビルドアップに怪獣をCGで再生させる依頼をしていることが判明。
 ラストバトルは、光の戦士たちがそのCG怪獣なんぞも動員して暗黒面に堕ちたヤツと戦う。しかし、「真の敵」が別に存在することが暗示される。ついでに、戦いの中でホシノは左手をやられる。

●エピソードIII
 宇宙の政治は益々ごちゃごちゃになっていた。「真の敵」が善人面して政治を牛耳っていたりして。
 そんな中、ホシノはこっそりと奇麗なお姉さんと結婚していた。
 ホシノは、自らの能力を認めてくれない光の戦士への不満をつのらせていた。だもんで「真の敵」のささやきで徐々に暗黒面に惹かれていく。
 極めつけは妻である奇麗なお姉さんの死を予感する夢…「真の敵」は、暗黒面の力を以てすれば死者を甦生させられるというだめ押しをかます。
 「真の敵」は、光の戦士の味方と思われたCG怪獣の“寝返りプログラム”を発動させて次々と光の戦士を倒す。
 ホシノもまた「真の敵」に言われるがままに極悪非道の限りを尽くす。
 結局奇麗なお姉さんは死んじゃうけど、その前に男女の双子を産む。「ケイト…。レイ…。」
 そして、ホシノと兄弟子のウルトラマンがガチで戦うことになる。
 完全敗北し瀕死のホシノを「真の敵」が新たな命を吹き込んだ。それこそがウルトラマンベリアルの誕生であった。
 

 …なんて流れだったらどうしましょう? 全作完結までに何十年もかかりそうです。


【追補:出演者(笑)】

 ウルトラマンベリアル(ホシノ)…ダース・ベイダー(アナキン)
 レイ…ルーク・スカイウォーカー
 ケイト…レイア・オーガナ
 グランデ…ハン・ソロ
 ウルトラマン…オビ=ワン・ケノービ
 ウルトラの父…クワイ=ガン・ジン
 ウルトラマンキング…ヨーダ
 奇麗なお姉さん…パドメ・アミダラ
 「真の敵」(暗黒卿)…パルパティーン(ダース・シディアス)
 ウルトラセブン…メイス・ウィンドウ
 他のウルトラマンの皆さん…ジェダイの皆さん
 味方の怪獣たち…イウォークたち
 ウルトラマンナイス…C-3PO
 ウルトラマンゼアス…R2-D2

 あ、スターウォーズの設定や物語はあやふやな記憶に頼ってますので、受け流してくださいますようm(__)m
 


 それはともかく。

 最近、ウルトラなお友だちと「自分が観たいウルトラマンの世界」についてメールなどのやりとりをしています。
 それぞれ、自分が抱いているウルトラワールドのイメージをストーリー化して文章にしてみたりもしました。どれもそのまんま「作品」になっちゃいそうな内容でした。
 上に書いたような冗談とは異なって思いっきりマトモで素敵なお話です。諸事情あって(少なくとも今は)ブログなどでの紹介が出来ないんですが、「みんな、脳内に“自分が観たいウルトラマンストーリー”を持ってるんだなあ」と感心する今日この頃です。