カレーについて
インドカレー屋でランチセットを注文した時のこと。
ランチセットには3つの小鉢がついていた。メニューの説明によると、2つの小鉢はカレーで、もう一つはスープであるとのことだった。
さすがはカレー専門店だけあって、2種類のカレーと1種類のスープはそれぞれおいしい。1種類のスープは、ココナッツベースで酸味と辛味がきいたスパイシーなものだった。とろみとコクがあるので、「このスープをごはんにかけたらカレーみたいだね」などと話していた。
と、重要な事に気がついた。カレーとスープの境界線はどこなのか。いやむしろ、カレーの定義とは何なのかという事である。
すぐにインターネットで調べてみると、カレーという食べ物が実に大雑把な定義であることが分かった。いくつかのスパイスを使って肉や野菜などと煮込んだスープのことらしいが、スパイシーなスープ=カレーという説明ではどうしても納得がいかない。スパイシーなスープであっても、ごはんに合わなければカレーではない気がする。しかし、ごはんに合うかどうかなどは好みの問題なので、問題の解決にはならない。
あれこれ考えている間にカレーとスープを食べ終えた。結局、「自分がカレーだと思えば、それはカレーである」と思うことにした。簡単に定義付けできないということは、それだけ奥深いということでもある。また一つ、カレーへの畏敬の念が強まった。
沖縄シュガーローフの戦い
沖縄戦における激戦地、シュガーローフヒル(那覇市おもろまち一丁目六番地)での戦闘のアメリカ側の記録です。
シュガーローフと連携する3つの日本軍陣地は、極めて狭い範囲に陸海空の全てから攻撃を受けたにもかかわらず1週間持ちこたえ、シュガーローフは11回も日米の持ち主を変えたと言います。
日本軍が全滅したため、戦闘の様子を知るにはアメリカ側の記録に頼るしかありません。多くの米兵がどのように戦い、戦死していったのかが淡々と書かれており、その淡白さがむしろ戦闘の激しさを伝えているように思います。
日本軍の作戦は死ぬことが前提にあり、どれだけ多くの敵を道連れにできるかというものでしたが、米軍の作戦は生き残ることが前提であるため、負傷者に対する扱いが日本軍と全く異なっていました。
死を覚悟した軍隊と対峙する米軍の恐怖と怒りの中においては、通常の精神状態を保つことはできなかったと思います。本書では、いつ死んでもおかしくないという理不尽さと無力さに立ち向かう兵士達の姿が描かれています。
- 沖縄 シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間/ジェームス・H. ハラス
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試行錯誤
塾で何気なく始めたことがうまくいくこともあれば、満を持してやったことが全然ダメな時もある。思い通りになることはほとんどないけれど、やってみる価値のないものは無かったなと思う。
「ありゃダメだったなぁ」と思うような授業の残骸たちは、必ず次の授業のヒントを与えてくれる。
つい先ほど学生ロボットコンテストの世界大会を見た。
優勝した中国チームの大学には、20体にものぼる試作ロボットが積み上げられていた。外部の人間にとってはガラクタの山にしか見えないかもしれないが、選手たちにすれば一つひとつのロボット達が改良のヒントを与えてくれた財産だと思う。
ロボコンの中国チームを見た時に、以前日本代表のサッカー選手(誰だったか忘れた)がインタビューの際、「プロの選手っていうのは誰よりも負けた経験が多い人たちなんですよ(笑)」と言っているのを見て、勇気をもらったのを思い出した。
教室に何気なく置いたマタタビがなぜか大人気になっている。
食べ物の価値
10000円のキャビアと100円のコロッケ。
金額的にはキャビアの方が100倍の価値があるわけですが、食べ物自体の価値としてはそれほど差はないと思います。
本当の価値を分かりやすく示してくれる機会は、極度にお腹が空いたときだと思います。この時の判断はより本能的な部分で為されるためか、自分が本当に食べたいものが鮮明になります。一方、打算的な欲求(バイキングなどで高価なもの・珍しいものを食べようとする)を優先しようとしている時は、少し自分を見失っているように思います。
海やプールで泳いだ後や何時間も山を登った後に食べたくなるような物は、金額を超えた価値を持つ食べ物だと思っています。そう考えると、安価で最高の満足感を与えてくれるコロッケやカレーやアメリカンドックや魚肉ソーセージやおいなりさんやそうめんは、とっても素敵な奴らだと思います。
そうした素敵な食べ物達は、「世の中の物価(価値観)にだまされるな。価値は自分で判断しろ」と教えてくれている気がします。
ビール
子供の頃に、大人があまりにもおいしそうにビールを飲むので、自分も飲んでみたら信じられないほどまずかったという経験は多くの人にあると思います。大人になるとビールがおいしく感じるのは、心地よい酩酊感に加え、仕事を終えた後のリラックスした雰囲気や楽しい時に飲む経験が重なり、脳内にビール=楽しい飲み物=おいしいの回路が形成されるためだそうです。
しかし、この前キリンのfreeを飲んだ時にはまず過ぎてびっくりしました。発泡酒や第3のビールであれば脳内のビール回路はある程度騙せますが、freeでは全く騙せませんでした。
先日来読んでいる修身の教科書に、「酒は精神を腐らせる。酒ではなく文学に酔おう」という記述があったため、周囲の人に「お酒は精神を腐らすよ!」と言いまくって迷惑がられています。
理由はよく分かりませんが、お酒をほどほどに飲む友人より、お酒を全く飲まない友人達のほうが目の奥に狂気を宿した人が多いように感じます。気のせいだとは思いますが・・・
