Masahiro Yamazakiのブログ -110ページ目

YAMADA UDON

自宅から約9km離れたところに山田うどんがある。

この山田うどんはサイクリングコース上にあるため、自転車に乗った時にときどき行っていた。そんな山田うどんの位置付けが近頃変わりつつある。


これまでは「ちょっと山田うどんにでも寄ってくか」ぐらいにしか思っていなかったが、先週ぐらいから「今日は山田うどんに行くぞ」に変わり、ここ数日は「明日山田うどんに行きたい」になってきた。


正直に言うと、山田うどんのうどんもそばも”普通”である。店名に「うどん」を冠している割にはうどんが特別おいしい訳ではないし、なぜか肉うどんは大盛りにできないし、「日曜日は市場へ出かけ~」の替え歌を作っていて、テュラテュラテュラテュラテュラテュララ~の部分がドヤドヤドヤドヤドヤドヤヤ~と、無理矢理うどん屋っぽくしようとすることで本来の軽快さが失われ、むしろ不穏で陰鬱な響きになってしまっている。


北与野駅前の立ち食い(笠置そば)の方が数段おいしく、北与野駅なら家から1km程なので、安くておいしいそば・うどんが食べたいなら北与野に行くべきである。


しかし、山田うどんには愛嬌がある。


つまり自分は、愛嬌がある店が好きなのだと思う。

1次情報とホリエモン

1次情報とは「私は見た、聞いた、会った」など自らが直接仕入れた情報で、2次情報とは「誰かが言っていた、TVで見た、本に書いてあった」ということらしい。


なぜそれに触れるかというと、昨日の報道番組で若干の違和感を感じたからだ。それは国会の質疑に関するコーナーであった。最近は国会中継の録画を見ているので、昨日テレビで取り上げられたシーンもたまたま知っていた。しかし、国会中継で見ていたシーンが編集され、字幕やナレーションが入るとかなり印象が変わる。1次情報と2次情報には常に差異が生じていることを認識させられた。


というのは前置きで、今回は元ライブドア社長のホリエモンに触れたい。彼はかつて、現在の小沢一郎氏が直面しているような国民的バッシングを受けた。世間は事実関係への興味よりも、ホリエモンというIT成り金が捕まることに興味を持った。ライブドア事件や小沢問題に共通するのは、どんなことが争点になっているのかがよく理解されていないことだと思う。


堀江氏が「徹底抗戦」しているのも、検察が当初描いた事件ストーリーと事実とが異なっていたら、今度は違う事実に目を付け、それによって有罪をもぎ取ろうとする姿勢が見えているからだろう。マスコミもさんざんホリエモンをバッシングしたものだから、現在の堀江氏への対応もどこかバツの悪さがにじみ出ている。今なお裁判は継続中であるが、争われている事実は当初見込まれた(報道された)ほどには巨悪ではなさそうだ。


当時共感を得たのは、「額に汗して働かない」ことへの批判であった。マネーゲームによって(この表現も堀江氏側からすれば異論があるだろう)一瞬で巨富を得、自家用ジェットで(吉川ひなのを乗せ)豪遊する堀江氏の姿勢が非難されるにつき、堀江氏逮捕の”価値”は上がっていった。


そうした経験のせいか、現在のホリエモンは誰よりも1次情報と2次情報の間にあるズレに敏感になっているように思う。ホリエモンが検察に厳しい目を持っていたり、小沢氏に同情的であったりするのも、そうした背景があるためのような気がする。自分はホリエモンファンではないが、彼のブログは時々チェックしている。


ホリエモンのしぶとさは、そうした状況を変えるために自らのキャラクターや知名度、情報発信能力を最大限に利用し、あらゆる方法で世間に訴えかけていることだと思う。彼が主催するセミナーやトークセッションはかなりの人気があるようだ。最高裁が最終的にどのような判決を出すか分からないが、検察や(かつての)視聴者の態度を糾弾し続ける現在の堀江氏の姿勢は、社会にとって有益だと思う。


しかしながら、当事者以外はそうそう一次情報に触れられるものではない。現在進行中の問題を議論するには2次情報に頼るしかない。そうした状況の中で少しでも理性的で中立的な見立てをするためには、やはり歴史の検証をする以外にないと思うが、それも中々大変な作業だ。


とりあえず自分は、国民やマスコミが信じたストーリーが真実と反していた歴史的事件リストを作成し、塾の作文などで取り上げていきたいと思っている。










三者面談にて

昨日の三者面談で、ある生徒のお父さんがこんなことを言っておられた。


「私は別に勉強なんてしなくてもいいと思ってるんですわ。私も学校の勉強なんてしたことありません。だからコイツ(生徒)にも勉強しろなんて言ったことはありません。大切なのは社会に出て何を為すかなので、成績とか勉強とか別にどうでもいいです。まだ将来何を為すべきかを知らないコイツに、勉強しろなんて言う気はないので」


今回の三者面談の目的は、生徒の勉強へのモチベーションを上げることであった。つまり、このお父さんの発言はその目的の完全否定でもある。


(じゃあなんで塾なんかに通っているのか?)

と真っ先に思ったが、実は生徒のお母さんは子供が勉強することを熱望しており、度々そのメッセージを受け取っている。


では生徒本人はどうかというと、全くやる気がないし成績も悪い。事前に実施したアンケートでも、「勉強をしなくてはいけないと思いますか?」という問いに、彼のみが「あまり思わない」を選んでいた。ゲームや漫画、テレビ漬けの毎日を送っているらしい。


これはもう受験や勉強がどうのなどと言っても意味がないと思ったので、「私は私の仕事をやるだけです」(何かの台詞みたいだけど)とのみ伝えた。すると、生徒のお父さんは少し笑って、「それは先生にお任せします」と言われた。面談はわずか7分で終了。


色々と考えさせられる面談であったが、以前読んだこの↓本を思い出した。

学校の勉強だけではメシは食えない!―世界一の職人が教える「世渡り力」「仕事」「成功」の発想/岡野 雅行
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6年前の手紙

今日は朝から夕方まで三者面談をやった。

ある生徒のお母さんが、「これ、先生の手紙ですよね?」と言って手紙を見せてくださった。「???」と思いながら手紙を見ると、紛れもなく自分の字であった。そして、電流が走るように全てを思い出した。


6年前、大学3年の頃に塾でアルバイトをしていた際、卒業していく中3生に激励の手紙を送っていたのだ。当時は自分が塾を経営するなんて夢にも思わなかったし、こんな形で手紙に再会できるとは思わなかった。何となく照れくさかったので、細かくは読まなかった。


20人の生徒達に手紙を送るに当たって、切手代節約というせこい理由で全員の家に直接投函した。ウロウロと迷いながら自転車で配って回った事などを話すと、生徒のお母さんは大笑いしておられた。


現在の塾には、6年前の卒業生の弟が通ってくれている。塾をやっていると、様々な場面で”縁”という事を実感する。こういうのも塾経営の大きな魅力だと思う。

昭和実業修身書 巻三

学習塾をつくる!


3年前新橋駅の古本市で買ったものです。

古いものは昭和7年に高校で使われていた修身の教科書で、持ち主が生きていれば90歳くらいのはずです。


ろくに読まないまましまってあったのですが、引っ張り出して読んでみると、心に響く言葉ばかりで大変驚きました。


昭和7年(1932年)前後の出来事を調べてみると、5年前に金融恐慌、3年前に世界恐慌、1年前に満州事変、同年に五・一五事件、翌年に国際連盟脱退と、不穏な時期の只中にあります。しかし、それに敢然と立ち向かおうとする心意気が感じられ、編集者の熱気がかなり伝わってきます。


意外なことに、欧米の文化や公徳心を学ぶべしという記述が多く、ドイツ・イギリス・アメリカなどに対して、非常な敬意を払っています。中でも、倹約についての記述にはかなり力が込められており、倹約こそが国運を左右するとまで述べています。


倹約について

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倹約と吝嗇は混同視されやすいが、それは大いに異なる。

倹約とは万物を最大限に生かそうとする考えで、倹約の根底には万物に対する愛がある。自分の手で一生懸命作ったものは、たとえそれが安くて無価値と判断されるものであっても、それを大切に扱う。この愛は物欲とは異なる。農家が米の一粒まで大切にするのも、自分の手で育てたが故に生じる愛に起因する。


一方で、自分の所有物は大切に扱うが、図書館の本をいい加減に扱ったり、公共物を乱暴に使用する人間がいる。そういう人間が貯蓄をしたり、自分の物を長く大切に扱ったとしても、それは倹約ではなく吝嗇である。彼らは単に損得勘定が強いのみであり、そのような人間は様々な機会に自己利益に走り、公共の福祉に反し、虚栄心を満たそうとする。自分のために使用する金銭は惜しまないが、他人の為には一銭たりとも使用しない。貯金ばかりをし、それを有効に使う手立てを持たない。そのような人間が増える国家は、必ずや衰亡する。


倹約とは小徳ではない。それは個人の人格に関わるものであり、国家の興廃に関わる大徳である。

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修身の教科書を読んでいると、実直で正義感に溢れて国を背負って立とうとする先生の授業を受けているようで、背筋がビシッと伸びる思いがします。


ところどころ書きこんであるメモも中々面白く、これは古本ならではだと思います。ごく稀に落書きがあるのですが、落書きが松の木だったりするので時代の違いを感じます。